353話 龍の口
ヴォルトゥザラ王国首都の最高級宿。
時には外国の王族も宿泊するという宿屋の一室に、数人の男が顔を突き合わせていた。
集まった理由は、先の神王国使節団から、より正確に言えばペイストリーから出された要望について検討するためだ。
「ふう、疲れた」
「お疲れ様です」
使節団の団長たるアモロウスは、どかりと椅子に座った。
宿屋の部屋の中だ。居るのは長旅を共にしてきた身内だけ。先ほどまでの肩の凝るようなやり取りとは違って、大いに態度を崩せるというもの。
正装として着ていた上着の襟元を開け、だらしなく姿勢を斜めにした。
「何か飲まれますか?」
秘書役も兼任する副団長が、アモロウスに聞く。
この国は昼夜の寒暖差が激しいし、今みたいな夜になると冷え込みが厳しくなる。少し強めの酒でも飲んで、体を温めたいというのは不自然なことでは無い。
「やめとくさ。まだ頭をはっきりさせておきたい」
「そうですか」
副団長は、酒瓶をしまい込んだ。
使節団として持ちこんだソラミ産の穀物酒。目ぼしい所に手土産替わりとして配れるよう、それなりの量と数を持ち込んである。
わざわざ運んだ中でも上等なものであったので、副団長は残念そうだった。団長が素面なのに、副団長が酔っぱらう訳にもいかないからだ。
「それで、神王国の連中はどうでしたか?」
「女の子が何人か居たね。かわいい子がいっぱい居た」
「はあ」
副団長にため息が漏れる。
この団長は、女癖の悪さと手の速さでは団の中でも一番。なまじ権力も持っているだけに、質が悪い。
「そういうのはいいです。真面目に反省会をするんじゃないんですか?」
「真面目だよ。大真面目にかわいい子が多かったって思ってる」
「なおさら悪いでしょう」
「……そういう意味じゃない。神王国は、女性でも王子様の仕事に同行できてるってことだ」
「ほう」
副団長は、団長の言葉を聞く態勢を作る。
「若い女性を同行させてるのに、意味は有るのかな?」
親睦会に参加したメンバーが、団長の問いにお互いに顔を見合わせる。
「学生を同行させているという話を聞きましたが」
「へえ、じゃあ彼女たちは学生さんだったのか。わぉ、次は絶対口説かなきゃな」
「団長!!」
「冗談だって」
女学生という言葉に惹かれるものがあったのか、アモロウスは好色そうに相好を崩す。
「学生があの場に居たってことは、我が国が軽んじられているってことだろうか」
「分かりませんな。あの国での学生の立ち位置が不明故」
本来、親睦を深める場を開くというなら出来るだけ対等の立場の人間を揃えるか、或いはホスト側の立場が上で有ることが多い。
招かれる側にメリットが無ければ、行く意味が無いからだ。
少なくともソラミ共和国人の常識としては、社交の場を開いて親睦を深めようと呼びつけておいて、立場の低い人間に接遇させるのは失礼にあたる。
神王国もさほど社交の常識に違いは無いとするのなら、学生を揃えていたことには、ソラミ共和国を軽んじる意図があったのではないか。
使節団を率いる人間として、団長の疑問は当然だろう。
しかし、副団長は不明という。
「あの場には確かに学生が居ましたが、“彼ら“に我々の相手をさせている様子は有りませんでした。どちらかと言えば見学させていたような雰囲気でしたが」
「言われてみればそうかも」
確かに、と参加した者たちも同意する。
副団長が彼らと強調したところで、団長は口をへの字に曲げたが。
「仮に、今後の国政を担うであろう若者に経験を積ませる意図があったとすれば、我が国との親交をそれだけ長期にわたる重要なものと捉えているかもしれません」
「そうだったら嬉しいねえ」
若い人間も同行させたうえで交流を持つとなれば、よくあるものとしては次代の引継ぎを視野に入れた顔つなぎである。
仕事を引き継ぐ後継者を一緒に連れて行って、今後はこいつが担当しますんで、などと挨拶するのは珍しくない。
だとすれば、ソラミ共和国と神王国の関係性をより長く続けようと考えている証左。つまりは、神王国側がソラミ共和国が今後とも交渉相手足り得ると認めたということ。
自分たちとしては望ましいことだと、使節団員は喜ぶ。
「しかし、問題は“アレ”でしょう」
「“アレ”、ねえ」
副団長の濁した言葉。
代名詞が指し示す言葉の意味を、取り違える者はこの場にはいない。
「まさか、あのような条件を出してくるとは」
出された条件とは、ソラミ共和国の魔法使いの身柄を一時的に預かりたいというもの。
対価として唯一無二である龍の素材を貰えるとあれば、大いに検討の余地はあった。
先方の要求を素直に受けたとして、向こうが約束を全て履行したならば、此方としては何の文句も無く大儲け。
魔法使いが一人、一時滞在するだけで金貨何百枚、いや何千枚もの価値があるお宝を貰えるのだ。魔法使いはいずれソラミ共和国まで送り届けてくれるというのだから、国庫から見れば負担はゼロである。
だが、こういう交渉では甘い話は疑ってかかるのが常。
もしも、魔法使いの身柄をそのまま向こうに捕られ、一生戻ってこない可能性も考えねばならない。或いは、戻ろうとしたタイミングで殺されるかも知れない。
「意外……というほどではありませんか」
魔法使いは、国家にとっては戦略級の兵器ともいえる存在。ならば、魔法使いを人質に取っていれば、ある程度の交渉カードになるだろう。
例えば、ヴォルトゥザラ王国に対して。
ソラミ共和国とヴォルトゥザラ王国が険悪な関係になったとする。ここに、神王国で預かっている魔法使いの身柄はどう扱われるだろうか。
神王国からすれば、より有利な条件さえ貰えれば、ヴォルトゥザラ王国に引き渡すことも出来るだろう。或いは、ソラミ共和国に返すにあたって、身代金を要求するかもしれない。
何も、真正直に脅してこなくても良いのだ。
軽く「最近は両国の関係が不安定で治安に問題がある。帰るのは構わないが、途中で襲われねば良いが」などと匂わせればいい。身代金ぐらいは喜んで払うだろう。
或いは、ヴォルトゥザラ王国との取引次第では「魔法使いは不慮の事故で亡くなった。哀悼の意を表す」などとやってくるかもしれない。
ソラミ共和国とヴォルトゥザラ王国の関係性が険悪なものになれば、あり得ない話では無いだろう。
「魔法使いを連れていくというのは、外交の為か」
「……そうではない可能性もあります」
「というと?」
魔法使いはそれだけで価値が高いので、確かに外交カードとしては手元に置く意味がある。
しかし、たったそれだけで、判断してよいものか。
「神王国は魔法研究で聖国に比するといわれております」
「ふむ」
南大陸で魔法先進国といえばシエ教を国教とする宗教国家アナンマナフ聖国であろう。
この国は歴史的な経緯や国家体制も含め、魔法研究に力を入れていることで知られている。
過去にどんな魔法があったのかという記録や、それらの魔法でどんなことが出来たのかという記録も豊富にある、歴史豊かな伝統国。
教皇を中心とする強固な支配体制と併せて、魔法先進国の名に恥じない魔法大国である。
ここと対抗できるだけの魔法戦力や魔法研究能力を持つのは、今いるヴォルトゥザラ王国か、でなければプラウリッヒ神王国、或いはナヌーテック国ぐらいのものだろう。
魔法の研究力については聖国を十として、神王国が九から八,ナヌーテック国が六,ヴォルトゥザラ王国が五といったところだろうか。
共和国は、残念ながら一か、良く見積もっても二が精々であろう。
まだまだ魔法的な知見に関しては後進国と言わざるを得ない。
「そんな我が国の、貴重な魔法戦力を預ける。向こうも、生半可な覚悟では言ってこないでしょう」
自分たちにとって価値の高いものが、交渉相手にとってもそうであるとは限らないし、逆も然り。
これは、交渉における初歩の初歩だ。
交易などではこの価値の差を利用して儲ける。自分にとっては価値が高いが、相手にとって価値の低いものを得る。見返りに渡すものが、自分にとって価値は低く、相手にとって価値の高いものであれば最良だ。
外交も似たようなところがある。
交渉においてカードにするならば、自他の価値差を利用するのが一番手っ取り早いし分かりやすい。
にも拘わらず、神王国側が龍の素材の対価に求めてきたのは共和国の魔法使い。
これは、少し考えれば不自然さに気づく。
「ならばやはり」
「魔法使いの身柄というより、魔法そのものに価値を見出しているのかも知れないね。それも、龍の素材などとは比べ物にならない価値を」
もしも、自分たちの抱える魔法使いの価値が、自分たちの知らないものであったなら。
これこそ、先の交渉の基本。神王国側からしてみれば「交渉相手が価値を低く見積もっていて、自分たちには価値の高いもの」である可能性がある。
「ここは、素直に交渉するべきか」
龍を得んと欲すれば、龍の巣穴に飛び込むべし。
まさに決死の覚悟で、彼らは決断をするのだった。