349話 朱の行列
抜けるような青空の下。
草原の只中を一本の線が走る。
しかしてそれは、何百人もの人の列であった。
照りつける陽光の中で規則正しく進む行列は、等しくどこかしらに赤い色を身に着けている。
朝焼けの赤。
とある国でこう呼ばれる、朱にも似た赤。
身に着ける色を統一させている行列が、並みの集団であろうはずがない。
規律を感じさせる彼らは、南大陸でも新興となるソラミ共和国が一団。
「団長、もうすぐ国境を越えるそうですよ」
「そうかそうか。ようやくか」
アモロウス=ルードは、にへりと笑った。にやけた様な顔で、軽薄そうな笑みである。
「それじゃあ、予定通り一端休憩にしよう」
「承知しました」
ソラミ共和国使節団。
彼らは遥々国を越えてやってきた外交使節団である。
国家の顔としての側面を持つ以上、疲れた態度や規律の乱れた様子を見せるわけにはいかない。
その為、かなり頻繁に休憩を取る。
日陰になる木の傍。
木陰のある場所で、小休止である。
ちょっとした林のようになっている場所で、斥候が安全を確認した後、報告が来る。
「全体、止まれ!!」
号令がかかる。
今回の休憩は、事前に予定されていたものだ。
ソラミ共和国からの長旅、最後の国境を越える際の休息の時間。
兵士たちにとっては、途中の不定期休憩とは違ったまともな休憩になる。
三々五々、思い思いに休憩しだす使節団のメンバーたち。
護衛の人間がダラけることは無いが、それでも弛緩した空気が一帯に蔓延しだす。
「ふわぁ」
「団長、眠そうですな」
「昨日の娘がなかなか良くてさ」
アモロウスの顔立ちは、整っている。
吊り上がり気味の眉と細めの目。赤茶の瞳孔は強い日差しを受けて隠されていた。眩しさから、瞼を閉じ気味にしているのだ。
頭にはヴォルトゥザラ王国風に布を巻いている。少々濃い目の茶色というか、栗色のような髪が軽い波線を描いて肩口まで伸びていて、巻いた布から雑にはみ出していた。
ヴォルトゥザラ王国人と近しく、肌は健康的な小麦色であるが、肌のきめは細かい。実年齢は三十路であり、決して若年ではないのだが、明らかに年齢不相応な肌質である。
背の高さも190cmを超える程には長身。
ぱっと見た感じを一言で表現するのであれば『チャラい兄ちゃん』である。
勿論、一国を背負って派遣されるだけの能力は持っているし、重要なことを現場の采配として決断出来るだけの権限も持っているのだが、如何せん見た目だけからはそのような重要人物のようには見えない。
「女遊びもほどほどにして欲しいんですがね」
「そうはいっても、これも仕事だし?」
にひひと笑うアモロウス。
彼の容姿と物慣れた雰囲気からもわかる通り、彼は相当の遊び人である。
古今東西、重要な情報が閨の中でやり取りされることは珍しくもなく、彼は自分の恵まれた容姿という才能を生かし、独自の情報収集を行っていたのだ。
通る道すがら、旦那を亡くした未亡人や、初心な少女などを言葉巧みに口説き落とし、ソラミ共和国として貴重な情報を集めている。
仕事だと言い張るのは、間違ってはいない。いないのだが、部下からすれば仕事を建前にして趣味に走っているようにしか見えない。
趣味の為に仕事をするなど、実に不誠実極まりない話である。
「程度が有ると言ってるんですよ。全く……宿泊するたびに二人も三人も連れ込まれると、風紀に差しさわりが有ります」
「いやあ、デューミランの女性は美人が多くて。つい」
ソラミ共和国の一団は、ヴォルトゥザラ王国に来るまでに幾つかの国を経由している。
今いる国がデューミランであり、この国と国境を接するのが、大国ヴォルトゥザラ王国というわけだ。
デューミランの国内は、目下非常に荒れていて、政治不信と政情不安が吹き荒れている。
特に辺境になれば政治が乱れた影響は顕著であり、困窮の度合いが非常に強い家庭が散見された。
アモロウスからすれば端金と思えるような小銭で一晩を共にする女性や、武装した一団に対して過度に怯え、自分から妻や娘を差し出してご機嫌を取ろうとする男など、実に嘆かわしい状況を肌身で感じる。
この国の事情をしっかりと把握し、民の声を直接拾うのもまた使節の役目。
仕事なので仕方がない。仕方がないのだと、アモロウスは部下に言う。
「いつか女で身を滅ぼしますよ?」
「女の子に滅ぼされるなら本望だよ」
色男、金と力は無かりけり。
とは言われるものの、金も有って権力もある色男となれば手に負えない。いずれ女性関係で大きな失敗をする可能性は高かろうが、上司の悪癖は相当に根深い。
つける薬は無いと、部下は早々に諦めた。
「団長」
「ん?」
気だるげにしていた色男の下に、汗を流しながら駆け寄ってきた男。
事前に先行させている先触れの一人であり、何かしらの報告が有ってやってきたのだろうということはすぐに分かった。
「ヴォルトゥザラ王国で、プラウリッヒ神王国の使節団が滞在中と分かりました」
「まあ、そうだろうさ」
団長は、事前に聞いている。神王国との秘密の約束を。ヴォルトゥザラ王国で、こっそりと落ち合う予定になっているのだ。そう、こっそりと。
神王国側にしろ、ソラミ共和国側にしろ、直接仲良くやり取りを交わしてヴォルトゥザラ王国に対し有らぬ波風を立てる気は無いのだ。
出来るだけ偶然を装い、あくまでたまたまヴォルトゥザラ王国で鉢合わせした態を装っておかねばならない。
ここで神王国使節団が帰ってしまっていては、自分たちの目的の半分は消えてしまう。
「神王国の使節団とは、何かあるんですか?」
「君らが知る必要のないことではあるが……そうだね、有る」
「ほう」
部下は続きを聞きたがる。
好奇心というのも有るだろうが、真面目に団長を支えるのなら、出来るだけ隠し事はしてほしくないという思いからだ。
「あの国は今、上り調子だろ?」
「はい」
「我が国は、大きくなった。とはいえ、南大陸の中部で少しばかり大きめの国になったかどうかというところかな」
「そうですね」
今後はどうか分かりませんが、という言葉を、部下は飲み込んだ。
この国の人間は、上から下まで上昇志向に満ちている。
ここ十年来、戦いといえば勝ち戦、外交といえば上手側でやってきている弊害かもしれない。
小国乱立する中でメキメキと伸びてきた国には、膨張エネルギーが満ち満ちているのだ。
ここまでの道すがらでも、政情不安で付け入る隙の多い隣国を見てきた。いずれ併呑することに疑いようもない。
「ヴォルトゥザラ王国の立場に立ってみると良い」
「……ヴォルトゥザラ王国の立場?」
「自分たちは足踏みしているなか、東西でそれぞれぐんぐんと国力を増す国がある。心穏やかでいられるはずも無いよね」
「そうですね」
ヴォルトゥザラ王国は、大国と言えど機敏に周辺諸国の情勢に対応することは無い。
アモロウスは、いやソラミ共和国の上層部は、そう見切っている。
そもそも国の中にいくつも司令塔が有るような状況。有力者がそれぞれ好き勝手に自分たちの都合を考えて動く寄り合い所帯。ここ十年で急速に大きくなった自分たちを、やはりどこかで軽んじているはずだ。
しかし同時に、警戒もしているはず。
今まで散々に戦ってきた神王国が居て、そこと仲良くしているとなれば猶更警戒はされるだろう。
「ならば、両方を抑え込みたい。最低でも、片方を抑え込みたいと考える」
「はい」
「抑え込みやすいのは、どちらだろうか」
部下はしばらく考え込む。
「我が国、ですか?」
「一対一の関係でみると、そうなるね」
ヴォルトゥザラ王国の国力からいえば、神王国の方がやや上。ソラミ共和国は明確に下である。
今の段階で対応するとしたら、弱い方から当たるのが各個撃破の常道。
つまり、ソラミ共和国だ。
「しかし……神王国は敵が多い」
「はい」
「諸外国と協調し、足並みを揃えるという意味では、神王国を目いっぱい抑え込んだ方が良いという考え方も有る」
「なるほど」
一方、南大陸全体を俯瞰するのであれば、神王国の最近の膨張は周辺の大国の神経を逆なでするものだ。
ヴォルトゥザラ王国が言い出しっぺになるかどうかは別にして、包囲網が敷かれるであろうことは想像に難くない。
「ヴォルトゥザラ王国の上層部が、どういう思惑に動かされるのか。視野が狭いようなら我が国を敵視し、性根が悪ければ皆で揃って神王国を虐めることだろう」
「はあ」
「どう動くかを見極める為に俺が行くわけだが……どちらにせよ、神王国とは手を結べる可能性が高い」
「はい」
ヴォルトゥザラ王国の外交方針が何処に目を向けるにしても、神王国とソラミ共和国は、対ヴォルトゥザラ王国という面では敵の敵。つまりは味方。
「つまり、神王国と手を結ぶならば、必ず向こうから手を伸ばしてくるってことさ」
「伸ばしてこなければ?」
「それなら向こうは目端の利かない無能ってこと。手を結ぶ価値がない」
「なるほど」
部下は団長の言葉に深く頷く。
ソラミ共和国は新興国家。故にこそ、上層部の指導層はまだ若く、総じて優秀な人間が多い。
団長の見識を疑うことはしない。
「さて、それじゃあそろそろ行こうか」
「はい」
一時休憩を終え、全員が尻の土を払い荷物を背負う。
「出発!!」
共和国の一団は、ヴォルトゥザラ王国に入国した。
「これよりはヴォルトゥザラ王国である。皆、油断すまいぞ!!」
行列を差配する人間が、大きな声を張り上げて叱咤する。
それを聞き流しながら、だらしない顔をした色男は、うぇへへとにやける。
「ヴォルトゥザラにはどんな美人がいるのか、実に楽しみじゃん。うぇへへ」
アモロウス=ルードは、実に楽しそうに笑った。