339話 隣国からの報告
神王国王都の王城にて。
豪奢な執務室に、外務官が入ってきた。
ミロー伯爵家の次男坊であり、現在は伝書を管理する役職に就く働き盛りの青年である。
近衛が部屋を守る中、外務官は臣として王に手紙を届ける。
「陛下、ルニキス殿下よりの定期連絡です」
「ご苦労」
ルニキス王子が隣国へ使節に出向いて早幾日、魔法を使った定期的な連絡は、使節としての王子の大事な仕事である。
王家の抱える魔法使いも魔力は有限であるし、能力も限定的。長文を長ったらしく送り付けることは物理的に無理だし、そもそもそんな無駄に長い報告を読むのも大変だ。
故にこそ、報告事項は端的かつ簡潔にせねばならない。
王子からの報告は、総じての結論として「問題なし」である。緊急時に書くと決められている符丁もない。国王は、内心で安堵した。
そうそう問題などあってもらっては困るわけだが、とりあえず問題が起きていないか、或いは起きていても現場で対応が可能なことしか起きていないという報告だ。
王子も直系の第一子ということから、相当に強い権限を持って使節に派遣されている。宣戦布告や国交断絶に繋がるような大事でない限りは、王子の持つ権限で対応出来る。出来なければ困る。子供の使いではないのだから。
従って、大事なのは問題の有無ではない。問題がないことは前提として、どのような報告がされているかだ。
書かれた報告内容に一通り目を通した国王は、軽く頷いた。
「まずは、食料の売買に関する交渉の結果か」
「かの国は、我が国に食料を援助して欲しいとのことでしたが」
国王の傍には、ジーベルト侯爵が侍る。
内務系のトップの彼は、国王の政務の多くを補佐する右腕的存在である。
外交に関しての権限は持ち合わせていないが、食料に関する問題であれば少なからず侯爵にも関係するため、興味深そうに国王の手元の報告書を見ていた。中身を覗くような真似はしないが、手元に目が行くのは強い興味があることの現れである。
「そうだな。ああ、そういえば農務尚書からの報告は読んだな?」
「どの報告でしょう」
国王の問いに、更に問いかけで返す初老の国務尚書。
国の内政である内務全般を取り仕切る侯爵にしてみれば、農務尚書からも頻繁に報告を受けている。農務尚書の報告と言われても、思い当たるものは数多い。
王子の報告に合わせての質問なのだからまず間違いなくヴォルトゥザラ王国に関することだというのは分かるのだが、農政に関わることで隣国と繋がっている話題というのはいっぱいあって選びようがないのだ。
故に、どの報告に関してかを確定させるため、侯爵は王に聞いた。
「食料生産量に関する年次報告だ」
「はい、目を通しております」
王に言われて、ああ、あれかと思い出す。
農業というものは、何かしら新しいことを始めてもすぐに結果が出るというものではない。また、なにがしかの結果が出たとしても、すぐにその影響が、新しく始めた試みによるものだと確定するものでもない。
農業は、天候を始めとする不確定要素が多いもの。人間の手ではどうしようもない要因で、数年規模であれば容易に結果が変動しうる。
つまりは、新しい試みが上手くいったかどうか。まずは、最低でも十年くらいは続けてみなければ良いも悪いもわからないということ。天候などの影響を除いた純粋な成果を見るには、天候の良い時と悪い時とのそれぞれで見なければ意味がない。
そして、年単位で複数年の期間に渡っての試みとなれば、記録は必須だ。十年間の逐一を、すべて完璧に記憶するような芸当は、人間には無理である。魔法でもない限りは。
記憶ではなく記録。
毎年コツコツと記録し、情報を集めておくのも、農政の重要な仕事である。
年次報告とは、農政全般における基礎資料。全ての農政の基本となる、一般的な情報をまとめておく報告である。
領地ごとに報告されている作付面積の増減や、王家直轄地の品目別収穫量などを記録している。
この大事な基礎資料を、侯爵は隅々まで把握していた。流石に一言一句を覚えているわけではないが、重要なポイントは頭に入れてある。
「それによれば、今年もまた食料生産量は増加傾向にある。そうだったな」
「はい。左様です」
資料によれば、ここ数年は神王国でも食料の増産傾向が続いている。
理由は幾つも仮説として挙げられているが、めぼしい意見としては南部の食糧生産量増が、そのまま神王国全体の食糧生産増加に繋がっているというもの。
リハジック領、ボンビーノ領、レーテシュ領、そしてモルテールン領。主だったところだけ羅列しても、それら全てで農業生産力は向上している。
他の地域では、天候不順等々によって生産量が落ち込む不作状態のところがある。にもかかわらず、南部地域一帯は不作知らずの豊作が続いていた。
特に、モルテールン領などは毎年倍増の勢いで生産量が増えている。
国王としてみれば、自国が豊かになっているのは歓迎すべきこと。改めて、満足げに頷く。
「重畳。どうやら、それを向こうに匂わせたらしい。代わりに向こうの鉱物資源を得られるよう、交渉継続という報告だ」
「それは良い話です」
鉱物資源というのは、鉄、銅、鉛、亜鉛、硫黄などなど。
ヴォルトゥザラ王国は元々鉱物資源には恵まれているので、これらを外交のカードとしてきたのだろう。
王子が主体となり、神王国で余剰になっているものを売り、ヴォルトゥザラ王国で余っているものを買う。
どちらも、それぞれの国がそれぞれに欲したものを交換するのだ。交渉としては、これほど有意義なものもないだろう。Win-Winの関係というやつだ。
交渉が順調なのは喜ばしいと、おっさん二人は頷きあった。
「確かに良い報告だ。鉱物資源に関しては、我が国の場合、最近は特に減産が著しいからな」
「西部の混乱がまだ続いていますか」
「すぐにも片付くと思っていた問題が、意外と長引いているな」
神王国西部の問題とは、ルーラー辺境伯が政治的失策を犯してしまった事件を指す。具体的には、王太子妃を選ぶ中央の争いにおいて、政敵に負けてしまった事件のこと。また、それに付随して起きたいくつかの事件を指す。
乾坤一擲とばかりに大勝負を仕掛けて負けたため、ルーラー伯の統制力は著しく衰えた。そのことで、今までルーラー伯に押さえつけられていたいくつかの貴族がルーラー伯の派閥から別の派閥へ乗り換えようとしたり、或いは既存の契約を不平等条約だと反故にしたりというトラブルが起きたのだ。
今まではカルテルのようにして供給と需要を調整していた資源管理にも、いくつか大きな穴が開いてしまった状況。あるところでは価格統制の為に生産を減らそうとし、あるところでは同じ資源を安値で放出して現金化を急ぐというような、統制の乱れが頻発したのだ。
西部は神王国にとって重要な鉱物資源供給地になっているのだが、政治的混乱はそれら鉱物資源の流通をも混乱させた。
流通の混乱は生産の低下を招き、神王国内での鉱物資源産出量は右肩下がりで低め安定である。
「問題の根が深かったということもありますが、一番の問題は諸外国の介入でしょう」
侯爵の言葉に、王は顔を若干しかめた。
「それは憶測では無かったか?」
「はい。推測の域を出ないことばかりです。それだけに、今回の使節で何かしらの進展があるものと期待しておりましたが」
神王国内がごたついて、喜ぶのは周辺の諸外国である。こっそりと介入し、混乱を助長させている可能性は常に取りざたされていた。状況証拠だけであれば、疑わしさは深まる一方。明らかに弱小と思われる貴族が不思議なほど羽振りがよくなっていたり、貧しいはずの鉱夫たちが、待遇改善を求めて仕事をボイコットしたり。目先の金がないのに仕事を放棄など、状況証拠だけ見れば誰かから金を受け取っていなければ不可能なはずだ。
ルーラー伯がこれらを収めようとしても、伯をなめ切った連中はいうことを聞かない。そして、いうことを聞かせられないからこそ伯の求心力も落ちていき、問題の解決がいつまでたっても出来ない。出来ないから更に求心力が落ちる。
負のスパイラルであろう。
煽るものが居るならば、ある意味でルーラー伯は被害者。本来であれば、国を挙げて報復してもよさそうだが、そうもいかない事情もある。
証拠もなく騒いで実は間違いでしたなどとなれば最早、辺境伯の政治的影響力の失墜は決定的になるだろうし、王家とて無傷では済まない。それは避けねばならない。
容疑者が絞れないというのが根の深さだ。
実際に海戦を行ったばかりで神王国を明確に敵対視している聖国や、領土を奪われたことで恨み骨髄に達するサイリ王国など。心当たりが多すぎる。
勿論、ヴォルトゥザラ王国も疑わしい国の一つ。隣国であること以前に、長らく仮想敵国としてお互いに足の引っ張り合いをしてきた仲だ。邪魔の一つぐらいはしてきていても不思議はない。
だからこそ、侯爵などは使節に期待をかけていた。
ここで王子の使節派遣という特大のボールを投げれば、今までつかめていなかった尻尾を掴める目も出てくる。
「喜んでいい。その西部のことも書いてある」
「ほほう」
「ほら、ここだ。ルーラー辺境伯とヴォルトゥザラ王国との関係調査の進捗」
「なるほど」
書いてある報告内容は、一部の神王国貴族に対してヴォルトゥザラ王国の諜報の手が伸びているということ。
暗に、交渉過程で“手を引いても良い”と、カードにしようとしてきたという。
今まで疑惑であったものが、確信に変わったということだ。
ヴォルトゥザラ王国については神王国側としても今まで色々してきたこともあり、お互い様といえばお互い様なのだが、やられていい気持ちがするはずも無い。
ことが確定したのならば、あとはどう対応するか。
このまま王子に交渉を継続させてもよいのだが、ルーラー辺境伯の問題を、王家が頭越しで解決してよいものかどうか。
「やはり、現地に行って調べられるのは大きいですな」
「情報量の桁が違ってくるからな」
「となると、期待するのは……」
国務尚書として望ましいのは、問題の根本解決。
ヴォルトゥザラ王国を始めとする諸外国の介入を阻止し、自力で西部の鉱物資源生産力を回復させることが最善だ。
ヴォルトゥザラ王国とバーターで取引する必要もなくなるし、余剰食糧は内政家としても使い道は多いと考える。貧困層への施しとしてもいいし、売って金に換えてもいい。どんな形で活用するにせよ、神王国としては得しかない。
王子がそのあたりを弁えたうえで、ヴォルトゥザラ王国への強気な交渉をまとめてもらえないものか。
侯爵の望みは、分かりやすく直球だった。
「そう急くな」
国王は、少々先走っている感のある侯爵をたしなめた。
王子の権限が強いといっても、もともとは未熟な若者。欲張って期待しすぎてもいけない。大成功を収めようと考えるよりも、失敗せずに帰国してくることが重要である。そのために、最善と思われる補佐も付けたのだから。
「次が、ヴォルトゥザラ王国の内情について」
「流石ですな。痒い所に手が届く」
「我が息子もなかなかだろう」
ちょうど、農作物云々で知りたかったことだ。きちんと書き送ってくるところが優秀さの現れ。王子の出来が良いのか、補佐の質が良いのか。どちらにせよ喜ばしいことだ。
「はい。我が国の将来も明るいものとお喜び申し上げます」
「ははは、こそばゆいこそばゆい。お前にそこまで言われると、背中が痒くなるぞ」
「これは、失礼しました」
大人二人、莞爾と笑う。
報告内容も前向きで良い報告であったことから、雰囲気が和らぐ。
「最後に……滞在期間の延長、か」
「はい」
最も重要な報告事項。
これまでの話は、ここに繋がる前振りのようなものだったらしい。
何かしら、滞在期間を延長することが起きたようだ。
「では、秘密裏に進めていた例の件、いよいよ動くわけだ」
国王は、滞在が伸びる状況に大いに心当たりがあった。
「殿下にとっては、寝耳に水をかけられるようなものですな」
「あいつも、まさか本気で親善の挨拶だけして帰ってくるとは思っていまい。何のために大勢の人間を同行させたのか」
王子の報告に、悪い顔で笑うのは国王である。
「殿下も驚かれることでしょう」
「これも経験だな」
国王は、息子の成長と無事を願いつつ、認可の判を押した。