327話 密議語りて
ロジー・モールト協同商会。
言わずと知れた神王国指折りの大商会であり、神王国王都に本拠を構える一大流通組織である。
元々は二人の商人が手を取り合って興した商会であるが、現在はトップも一人。得意とする商材は宝飾品や金属関連。特に貴金属に関しては国内の流通においても四割以上を占めている。
この、巨大企業を動かしているのは、コート=マクウェルという男。
商機に敏感で狙った獲物は逃さないとして有名だが、何よりもその経営戦略の大胆さに、商売仲間からも一目置かれる人物。
国内経済の少なくない部分を担っているだけに、多くの貴族とも親しく付き合っているわけだが、その分耳の速さも国内随一と評判である。
「例の一団が王都を出立したらしいですな」
商人コートが、ぼそりと呟いた。
独り言ではない。向き合っている相手に対して発した言葉だ。
「では、いよいよか」
応えたのは、司祭服に身を包んだ初老の男性。
ボーヴァルディーア聖教会の司祭であり、次期司教候補の一人と目される有力な聖職者である。
聖職者は、基本的には政治には関わらない。独立した領地を持ち、独自の戒律があり、独特の身分制度が有る、自立勢力である。
その宗教組織にあって、この司祭は大きな影響力を持っているわけだ。
軍事力こそ然程ではないが、商人とは比べ物にならないほどの金を動かせるということ。
だからこそ商人は目の前の男に媚びを売るし、司祭としてもそれが分かっているからこそ一定の信頼をしている。金が有るうちは素直な飼い犬である、と。
「聖国への連絡はどうか」
司祭が尋ねる。
元々宗教国家として長い歴史を持つ聖国と、神王国は仲が悪い。近年でも何度か戦火を交えていて、不倶戴天の敵国といえる。
そして何より、宗教的には絶対に相容れない関係。
ボーヴァルディーア聖教会を擁する神王国と、シエ教を国教とする聖国と。宗教対立の根はとてもとても深い。
従って、幾ら耳聡い司祭とはいえ、聖国の情報を集めるには限度があった。僅かでも“臭い”がすれば、スパイは徹底的に根絶させられるのだ。ならば魔法でとも思うだろうが、魔法技術に関しては聖国の方が一枚も二枚も上である。対魔法防諜に関しても組織的で徹底的だ。
僅かなりとも聖国の情報を得ようとするならば。やはり商人から情報を得る方が良い。
「万全です。既に資金提供も受け、魔法使いの貸与もありました」
「ほう、あちらも奮発したものだな」
「それだけ、恨みがあるものと思われます」
コートはくくと、口に籠るような笑い声をあげる。低く、響くような笑いだ。
「サイリ王国への手配は」
「十分に」
サイリ王国は、数年前の戦争で領土を神王国に蚕食されている。フバーレク辺境伯領に侵攻した、ルトルート辺境伯家を中心とする貴族連合軍が丸ごと撃退された紛争。その後、フバーレク家の反撃による逆侵攻を受け、辺境伯領を丸ごと取られたのだ。
故に、神王国に対しての恨みは深く、また何とかして反撃したいという思いを募らせていた。
コートとしては、流通に強みを持つ商人の本領発揮というところだろう。大きく領土を喪失したことであらゆる物資の自給能力が衰えた、サイリ王国。困窮するところに物資を持ち込んで商売にするのは、商会の本業ともいえる。
こちらも、十分に根回しを行ったとコートは請け負う。
「ヴォルトゥザラ王国への手配は」
「抜かりなく」
“例の一団”が向かった先。
それは、ヴォルトゥザラ王国である。
ここの協力を得られるかどうかでコート達の“計画”が上手くいくかどうか決まる。
それ故、コート自身も積極的に動いて、ヴォルトゥザラ王国貴族の幾人かの積極的支援を取り付けた。
金銭的にも十二分に支援してもらっているし、“例の一団”に対しての情報工作や妨害工作も請け負ってくれたのだ。
そのことをコートが言うと、聖職者は満足げに頷いた。
「教会への気配りは如何ですか?」
「出来ているとも。追加の資金も準備した」
今度は聖職者が質問に答える。
教会の場合は、金銭管理を担当する部門の責任者が差配する裁量がとても大きい。
聖職者は自身がそうであることを匂わせながら、間違いないと請け負った。
「額はどの程度かお聞きしても?」
「四十万クラウン」
「よんじゅ!? え? 本当ですか?」
「そう、四十万だ」
「何とも驚きました」
神王国における極々平均的な男爵家の年間収入が千クラウン程。領地貴族であれば、年間予算がその十倍ぐらいだろうか。
子爵家や伯爵家の平均となれば更にドンと何倍にも予算は増えるだろうが、予算がそのまま懐に入るはずも無いので、貴族家の純粋な利益となれば大体一万程度に落ち着く。
家ごとのばらつきが非常に大きいので一概には言えないだろうが、四十万クラウンという数字を見れば、大領の予算と言われてもおかしくない金額である。
それを用意したというのだから、教会の経済力と底力は凄まじいものが有る。伊達に魔法使いを多数抱えて居ない。
「これだけ用意するのも、大変だったのだが」
「そうでしょうとも」
「これも全て“彼奴ら”に神罰を下さんがため」
「ええ。我等には神のご加護があります」
お互いに、何かを確信する二人。
悪だくみは、大義名分と建前をもって行われるのだ。
「そういえば、大事な……国内のほうはどうなっているのか」
「完璧です。既に目ぼしい外務系の貴族連は協力頂けるよう手を打ちました」
「なるほど」
「そして……大きな声では言えませんが、ルーラー伯も」
「なんと、ルーラー辺境伯も我々の側に?」
「はい」
神王国の西方を預かるルーラー辺境伯まで味方というなら、これほど頼もしいものはない。
最近は、伯も色々と不幸が重なったと聞く。
南部は史上空前の好景気に沸いているし、東部は領地が大きく広がったことで活況にある。北部はエンツェンスベルガー辺境伯家から王太子妃が出たことで政治的に相当な躍進を遂げた。
つまり、西部だけが落ち込んでいる。
不幸というのは、一つ起きれば連鎖するもの。王太子妃を決める政争に負けたことで派閥からは離反者が出ていて、落ち目と見られれば交渉事でも足元を見られるようになる。
交渉事でケチが付き始めれば、今までは強気で出来ていたものも弱気にならざるを得ないし、弱気になれば利益は減って損失は増える。
ここで一発逆転を賭けて、大きく動くという選択をしたらしい。コート達からすれば、地域閥の巨峰が動いたという意味合いは大きく、とても心強い。
これはもう、事前準備は最善といえる。
「ならば、後は我々の働き次第」
「然り」
コートは、目の前の計画書に目を落とす。
秘密裡に、しかし大胆に。陰謀といえば後ろ暗いことだと思われがちだが、商売の戦略を練っていたと思えば悪くない。
「敵は、モルテールン家。狙うは彼の家の財貨。商材は、龍。計画は出来上がりました。如何にモルテールン家が精強な軍事力を持っていたとしても、対抗するのは不可能です」
コートは、改めて聖職者に自分の描いた絵図面を説明する。
「まず、龍の素材を秘密裡に、出来る限り大量に買い付ける」
「ふむ」
「これは、我々が行います。モルテールン家一派に気付かれない為にも、今が絶好の機会」
「そうだな」
モルテールン家は、目ぼしい人間が王都に居なくなる。
情報の集積地としての役割もある王宮に、モルテールン子爵が居なくなり、更には領地からは厄介な息子も居なくなる。更に、モルテールン家に力を貸しそうな連中の多くは、外国に行っている。
モルテールン家を“嵌める”のならば、今を置いて他に無い。
龍の素材は、今のところ多くの貴族家が手にしている。王都で開かれたオークションで、数多の人間が競って落札したからだ。
全国に散らばった、龍の素材。これを、可能な限り買い込む。その為の資金確保は十分に出来た。
そもそも、モルテールン家に龍の赤ん坊が居て、すくすくと成長するとなればいずれは龍の素材の価値は下がるのだ。価値が下落してしまう前に、今ならばそれなりの価値で買い取ると持ち掛ければ、全部とは言わずとも相当数の貴族から買い取ることは可能。
商人としての腕の見せ所。やって見せるとコートの鼻息も荒い。
「そして、買い占めが出来たと確信出来たところで“龍に不幸”が起きる」
「うむ」
龍の素材を、独占と言えるところまで買い集めたならば。もう一工夫だ。
諸外国に協力を求めたのは、素材独占が叶ってからの行動に、神王国人のコートでは出来ないことがあるから。
すなわち“戦い”である。
モルテールン家は、諸外国から恨みを買っている。ルトルート家を潰されたサイリ王国や、面目を何度も潰されている聖国。或いは、先の大戦で勝ち戦をひっくり返されたヴォルトゥザラ王国。
無理やり、強引にでも行動を起こしてもらえれば、龍に“不幸”が起きる確率は高まる。何なら、直接龍を狙って戦ええばいい。赤ん坊のうちならば、確実に人の方が勝つ。
さて、龍の素材の独占が為されているところで、龍に不幸が有ったらどうなるか。
「買い占めた素材は、高騰しますな」
「うむ、間違いない」
「我々は、大儲けになる。そして、独占した素材によって、龍の利益はモルテールン家でなく我々のものになる」
今でこそ、モルテールン家が王都のオークションによって何百万枚も金貨を稼いでいる。
しかし、龍素材の独占が為されれば、そんな金額を超えるだけの利益を得られること疑いようもない。
教会が調べた限り、モルテールン家は何やら龍の素材を使った研究を進めているらしい。
となれば、やり方次第では龍の素材を独占後に売りつけることで、モルテールン家が現在持つ膨大な金貨銀貨をそっくり頂くことも出来るではないか。
「モルテールン家の持つ資産。それが砂上の楼閣だと、教えてあげましょうか」
商会長はくつくつと昏く笑うのだった。