314話 涙の疑惑
「それでは、定例の会議を行います」
ペイスの発声から、モルテールン家の会議が始まった。
いつも通りの状況、いつも通りの会議であるにも関わらず、何故か雰囲気が重たい。
「ではまず、東部地域から。ビオレータ、お願いします」
「はい。えっと、東部地域担当のビオレータより、現状を報告します」
すっと立ち上がったのは、年若い女性であった。
モルテールン家従士としてはラミト達と同期に当たる女性であるが、つい先日まで産休と育休で仕事を休職していたビオことビオレータである。
男尊女卑の思想がある神王国。女性で兵士になるのも珍しく、ましてや引き立てられて従士となるものも希少な世界で、結婚後に退職をしないで雇われ続けているとして、ちょっとした話題になったプチ有名人でもあった。
モルテールン家に存在する、世にも珍しい育児休暇制度というものの初めての利用者。
彼女が女性であるにも関わらず従士として部下を率いる立場に立てていて、更には結婚も出来ていて、おまけに子供まで産んでも仕事を続けられる。
実例として存在していることの強み。モルテールン家は、他所に比べると異常なほど従士における女性の比率が高い家である。
元々、優秀さを買われて雇われたビオレータである。多少気弱な雰囲気がしているが、仕事はきっちりこなす。
尚、か弱そうな見た目に反して、中身は辛辣で肝っ玉が太いことは一部では常識である。
「えっと、家畜の現状について、先月は七頭の子牛、十四頭の子ヤギ、二十頭の子羊、百十一羽のひよこ、一頭の子馬が増えています」
旧リプタウアー騎士爵領。現在のモルテールン領東部地域は、ペイスによる領地の魔改造前から比較的雨に恵まれていた地域である。
それ故、魔法も使った農地拡張が盛んにおこなわれていて、特に家畜については集中的に領主家主導で増産に励んでいた。
ペイスとしては牛を増やし、牛乳の生産量を増やし、バターや生クリームの生産量も増やしたいと常々目論んでいるのだが、如何せんものが生き物だけに増え方はゆっくりとしたものだ。
「豚についてはどうなんだ?」
シイツ従士長の質問が飛ぶ。
お菓子の為に牛を増やしたいペイスと違い、シイツ従士長を始めとした年かさの連中は、豚を増やしたがっている。酒のあてにソーセージやベーコンが良いという意図からだ。
増やすという点では、牛より豚の方が増やしやすく育てやすいというのもある。
「今月に出産ラッシュです。概算で二百頭ほど」
「良いじゃねえか。畜産も軌道に乗って来たな」
集まった従士達の顔色は明るい。
家畜は、財産だ。数が増えればそれだけ将来が豊かになっていく。大きな支障もなく畜産業が発展していっているのは、喜ばしいことだ。
「しかし、ザースデンだけでも需要を満たすに足りていません。もっと増やさないと」
本村の治安維持担当である若手の一人が、家畜の更なる増産を提案する。
目下、人口が増え続けているザースデンで、度々食肉の不足から諍いが起きていることを知っているからだ。
行商人も多く出入りする為、ある日突然一切の肉が手に入らなくなる、などと言うことは無い。しかし、領内の生産量が限られている以上、輸入による波で供給が不足するタイミングも出てくる。
増産については頷く従士達だが、渋い顔をする者も居た。シイツである。
「増えすぎると餌に困るぞ?」
「家畜飼料を輸入する方が、家畜を輸入するより安くつくっていってたのはシイツさんでしょう。家畜飼料が安い時に買い溜めておくってのも良いと思います」
どのみち、肉需要は増える一方だ。ならばどうにかして肉を供給せねばならない。
輸入量を増やすのも立派な一手であるが、肉や肉加工品を輸入するより、飼料を輸入して領内の家畜を増やす方が領地経営としてはメリットが大きい。
それは分かっていると、シイツも頷く。
「そりゃあそうだが、話が逸れているな。悪いビオ、続けてくれ」
「はい」
若干、会議の筋が逸脱しかけていると、シイツが気づく。
ビオに対して、続けるようにと指示があったことで、改めて彼女は説明を続ける。
「えっと、馬については、軍馬の調教が出来るかはまだ分からないということで、農耕用に転用することも考えて育てる方針です」
「よし」
モルテールン家にとって、馬は需要が高い。軍馬として活用できるなら尚更だが、農耕馬としての需要も健在で、幾らいても良いというのが農政担当者の率直な意見だった。
ただし、馬の調教という点では、流石にフバーレク家の様に専門的な知識があるわけでもない為、どこまで出来るか心もとない。
どうやって馬の生産体制を整えるのか、そしてどうやって軍馬として育てていくか。本腰を入れてやり始めると、フバーレク家の利権に手を突っ込むことになる為、加減が大事である。
「次に農作地について、開墾は第三次計画の消化をほぼ終えました。穀物に関してはこれで現状の需要を満たす計算になります。えっと、秋口から第四次計画を進めて、モルテールン領内で自給の体制を作りつつ……何だっけ?」
「受入可能人口を」
「ありがと。受け入れ可能人口の倍増を目指すことになります」
「新しい計画が秋口からとなったのは、ドラゴンのせいだよな?」
「はい。開墾含めて新規に大きな工事が必要な案件は止めるように指示されていますから」
モルテールン領の抱える人口は、右肩上がり。外部からの流入というのも大きいし、医療体制をペイスが整えているため、他所の領地などに比べて乳幼児死亡率が格段に低いというのもある。
人口が増えるということは、それだけ食料も必要になるということ。どこまでの人口を抱えられるか。冷静に計算した上で、自給自足状態でも何とか養えるぐらいの状況は作っておきたいと、モルテールン子爵などは考えていた。
一連の報告を終えたところで、ビオレータは席に着く。
「ご苦労様です」
ペイスが、説明していたビオに労いの言葉をかけ、そして次の人間に目線を向ける。
「次は新村の状況を」
「では新村については私から」
領主代行の視線を受け、次に立ち上がったのは長身の女性だった。トバイアムなどと共に新村の治安維持に当たっているコローナ=ミル=ハースキヴィだ。
腕っぷしの強さには定評があり、新村に居着いている荒くれた連中からは、姐さんと呼ばれて親しまれていたりもする。
「新村では、明確に外部からの流入が増えています。村に至る街道に簡易の検問所を設けて名前と出身地を記録するようにしたところ、明らかに不審な行動をとった者を五名捕まえました」
武家の出身らしく、余計な前置きはしない。
単刀直入に、現状で報告すべき問題を挙げる。
「不審な行動とは?」
「名前を一旦預かった後、あえて間違った名前で呼びかけた際に、間違っていると指摘せずに居たものが二名。恐らく偽名と思われたために取り調べた所、潜入を命じられていたと白状しています。また、出身地について軽く質問した際に、誤ったことを言ったり、誤魔化そうとしたものも捕まえています。これが三名でした。同じように取り調べた所、やはりこちらも潜入を命じられていたと白状しています」
「どこもかしこも、うちに探りを入れに来てるってことか」
モルテールン領に入ってくる人間で、外国や他領のスパイは今更だろう。秘密をたくさん抱えているし、それでなくともお金持ちになっている。更には当主は王都で重要なポジションに就いているのだ。
探りたいという人間は、毎月毎週、一定数湧いてくる。何なら、新しく入ってくる人間が全員スパイであったとしても驚くことではない。
「検問は公務でしたので、これらの者には公務を妨害したとして労役刑を科しました。しかし……」
続く言葉を、女性従士が言いよどむ。
「新村については裁量権を与えていましたから、刑罰を科すのに問題はありません。他に何かありますか?」
言いにくそうにしているところで、ペイスが助け舟を出した。
この場は会議である。発言においてはよほどのことが無い限りは罰せられない。それが例え領主家批判であっても。
それが、モルテールン家における会議のルール。
笑顔のまま続きを促すペイスに、改めてコローナは発言を重ねる。
「推測ですが、検問を上手く抜けた工作員も居ると思われます。これについては如何対処しましょう」
彼女が言いよどんだのは、恐らく自分たちの仕事が甘い、手緩いと思われるかもしれないと危惧したからだろう。少なくとも、自分たちが検問しているところで、工作員が流入しただろうと、自分から報告するのは戸惑っても仕方ない。
心配ないと安心させるため、笑顔のままで頷いたペイス。
「放置は拙いか?」
即座に、グラサージュが疑問を呈する。
問題があるならまずは対処から。意思決定の早いモルテールンらしい切り替えだ。
「一応それなりの対策をしているから大丈夫だとは思うが、かといって自由に動き回られると思いもよらぬところから水が漏れるってのはあり得そうだ」
「そうだな。放置するのは拙い。本格的に根こそぎ捕まえようとまでは思わないが、我々の目を意識させる必要は有るだろう」
目下、防諜対策としては色々と工夫している。例えば、モルテールンでも限られた者しか場所を知らない西ノ村であったり、研究所の地下に作られている厳重管理区域であったり。
少々の工作員が本村をうろついたところで、どうにかなるものではない。
しかし、隠しているものはどれほど厳重であってもそのうち見つかる。上層部が気にしているのはその点だ。
「例の卵隠しの時みたいに一斉捜査をするってえのはどうだ?」
「一度やって警戒されてる。あれはあれで効果があったのだから、二度やる意義は薄い」
「なら、他に何をする?」
「そうだな、防諜専門の組織を作るというのはどうだ?」
「人手が足りねえよ。今から教育するのか?」
「そういう組織が有る、と匂わせるだけでも効果的だろう」
侃々諤々。
議論百出の中で、幾つかの良案と、倍するボツ案が討議される。
小一時間ほど内容を揉んだところで、ある程度の方向性は見えてきた。
「ま、こんなもんだろ。坊、とりあえず、これで良いですかい?」
従士長が、議論も煮詰まったとまとめに入る。
部下の提案を受け、ペイスも満足げに頷く。
「そうですね。全員、ご苦労様です。また来月の定例会では改めて今月有った動きも報告
出来るでしょうし、お祭りについての話し合いもあります。それまで各自仕事に励んで下さい。以上、解散」
会議の終了を議長役の少年が告げたところで、従士達は三々五々散っていく。
夜勤明けでこれから帰るもの以外は、仕事がまだある者が殆どだ。
「何か、普通でしたね」
「あん?」
金庫番ニコロが、連れ立って会議室から離れる森番のガラガンに話しかけた。
「特に新しいことも無く、トラブルも無く、ペイストリー様の無茶ぶりも無く」
「良いことじゃねえか」
そもそも、定例の会議で毎度毎度突拍子も無い騒動が報告されるのがおかしいのだ。平穏無事で世はことも無く。実に良いことだとガラガンは言う。
「変じゃないですか?」
「何がだ?」
「ペイストリー様の元気が無かったというか」
「ああ、何となく分かるな」
ニコロに言われて、ガラガンも心当たりを口にする。
いつもなら、率先して議論を掻きまわすペイスが、妙に大人しかった、と。
「それなんですが……俺の見間違いかもしれないんですが、若様が泣いていたっていうの、信じますか?」
ペイスが泣いていた。
その言葉に、ガラガンは驚くほどに動揺した。
「何? あの人が? 泣いてた?」
「そう見えた……って話です。ほら、龍の赤ん坊を国に返した時」
「ああ、結構若に懐いてたよな、あれ」
「執務室に行ったら、若様が一人で居て……目元が光った気がしたんです」
「……マジか」
ニコロは、金庫番として時折執務室に行く。
領主館で仕事をする時間が長いため、ペイスと顔を合わせる機会も多いのだ。
所用があって執務室を訪れた際、ノックして部屋に入ったところでペイスが窓際に居たという。
すぐにも仕事の話をし始めたのだが、どうにも部屋に入る前は泣いていたのではないかという疑惑がぬぐえない。
ニコロも、そしてガラガンも。
どうにも居心地の悪い気持ちを感じるばかり。
「迷惑まき散らすのも困るけどよ、大人し過ぎる若ってのも気持ち悪いよな」
ガラガンの言葉に、ニコロは大きく同意した。