310話 猫なで声と変人
モルテールン領の西ノ村。
ここは、ごくごく限られた人間しか立ち入ることを許されない。
古くは砂糖作りや酒造りといった産業の育成が行われていて、その後はカボチャやカカオといった次世代の主要作物の生産体制の確立もこの場所で模索されていた。
早い話、機密を守る為の村だ。
外部に漏れては拙いが、かといって室内ではどうしようもないことをこの村では行っている。
村人は、全員が古くからモルテールン家に従ってきた生え抜きであり、御用商人のデココや新人従士クラス程度では入ることが許されていない。また、詳しい場所についての情報も秘匿されている。地図というものは存在せず、そもそも道が繋がっていない。周辺より少し窪んだ盆地に有る為遠目からでは観測が難しく、カセロールかペイスの魔法が無ければ、たどり着くこと自体が困難な場所に隠されているのだ。
そこでは今、とある国家プロジェクトが進行していた。
「ピー助、ほら美味しいよ」
「ぴぃきゅ」
ソフトボール程度の大きさの爬虫類、と思しき生き物が、ペイスの傍で嘶く。可愛らしい鳴き声であるが、侮ってはいけない。これでも尋常でないパワーを持っている。
「ペイストリー様、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。可愛いものじゃないですか」
「でも、あれ……」
「ああ、まあ、大龍ですからね。そういうこともありますよ」
若手の従士クロノーブが気にしたのは、籠である。正しくは、獣を入れて運ぶための檻ではあるが、ペイスが鳥かごにちなんで龍かごと呼んでいるため、そういう扱いになっている。
龍の加護なら縁起が良いというのがその理由だ。
勿論、名前こそ籠ではあっても、素材は鉄でできている。人の指程の太さもある、針金と呼ぶより鉄棒と呼ぶ方が相応しいもので網状に覆ってあり、形としては確かに鳥かごか虫かごのようなものだ。大きさと素材に目を瞑れば。
明らかに一般家庭で目にすることはまずないであろう鉄の檻、ならぬ鉄籠。それの何をもって不安がるのかといえば、籠の一部が大きく歪んでいることだろう。
大龍の赤ちゃんがここに入れられていたのだが、気が付けば檻の鉄棒を力づくでひん曲げて外に出ていたのだ。
どう考えても普通の生き物とは思えない筋力に、若い従士達はビビってしまった。
それはそうだろう。まだ子供とはいえ、長じれば人間を食うであろう怪物が、檻で閉じ込めておけないのだから。
元気がいいですねえ、などと呑気にほざいたのは、ペイスぐらいのものである。
そんな怪獣の子供が、今何をしているのかといえば、餌を食べている。
より正確に言えば、ペイスが自分の仮説を検証するべく色々と条件を変えた餌を試しているのだ。
ペイスの摘まんだトングのようなものの先、挟まれた肉を啄む大龍に、ペイスは良く出来ましたと声を掛ける。
「良い子ですねえ。じゃあ次はこれを食べてみようか」
カリカリと、羊皮紙に何かを書きつけたペイスは、先ほど啄ませていた肉とは違うものを与える。
クロノーブの見た所、それは葉野菜のようだった。
薄黄色から薄緑色を経て白色になるようなグラデーションの掛かった葉野菜。濃い緑が無いだけに、白菜のようなものと思われるのだが、一体何の野菜であるのかはペイスしか知らない。そもそも野菜であるとも限らない。
大龍の赤ん坊は、くんくんと匂いを葉っぱの匂いを嗅ぐ。そしてちまりと葉っぱを齧った。
ペイスは更にそのまま数口を齧らせると、またカリカリと羊皮紙に書付を行う。
そして大龍の赤ん坊の頭やあごを撫でて、猫なで声を発する。
「偉いねえ、ちゃんと残さず食べた。じゃあこっちも食べようか」
まるでペットでもあやしているような雰囲気である。繰り返すが、相手をしているのは鉄をも苦にしない強力な猛獣である。
ペイスはそのまま、透明な固形物を龍に与えた。
どうやらそれは龍にとって好物であったらしく、素人であるクロノーブが見ても明らかに反応が違っていた。尻尾をばったんばったんと動かし、乗っていたテーブルを破壊しながら固形物を口にする龍の赤ん坊。
小石ほどの大きさであったものをペロリと一飲みにした後、もっと寄越せとばかりに、ペイスに向かってきゅいきゅいと鳴く赤ん坊。
実に愛らしいとばかりに、ペイスはその身を抱きかかえる。頭を撫でながら、猫なで声のまま。
「良い子良い子。ピー助はお利口さんでちゅね。それじゃあこっちに来て、体重を測りましょうね。そう、賢いでちゅねえ」
龍をあやしながら、天秤量りのような装置で龍の体重を測るペイス。
小龍を抱えたまま自分も量りに乗り、後で自分の体重だけ差っ引けば龍の体重が量れる寸法である。
物を与えては記録し、体重やら体長やらを測っては記録し、おもちゃを与えては破壊され、走り回ればあちこちにクレーターをこさえる。
実に傍迷惑であるが、やっているのがペイスと龍のペアだ。最早誰も口出しなど出来ようはずもない。動き回るテロリストが、領地の最高権力まで握っている。迷惑極まりない。
「従士長、若様が気持ち悪いんですけど」
クロノーブは、離れた所から様子を伺っていたシイツ従士長に物申す。
ペイスの猫なで声など、気持ち悪くて仕方がない。普段の様子からすれば、違和感が凄まじいのだ。
「知らねえよ。俺に言うな」
シイツとしても、同感であった。
百歩、いや万歩譲って、猫や犬相手に普段出さないような半オクターブ高い声を出すならまだ許せる。しかし、相手はいつ人間を襲い始めるか分からない怪物の子供だ。
明らかに恐ろしいものに、気色の悪い声で話しかけるペイス。どう見ても変人である。
より正確に言うならば、元々変人であったものが輪をかけて気持ち悪くなっている。
「何すか、あれ」
「龍の食性と生態の調査、らしいぞ」
「はあ」
ペイスがやっていることは、建前上は純然たる学術研究である。いや、実質としても研究だ。
やっていることが何かしらの意図を持っている点は、疑問を挟む余地など無い。クロノーブが疑問に思うのは、一体何を調べているのかという点だ。
「あれだよ、坊が龍の食いもんについて、仮説を立てたろうが」
「魔力を食うのかも、ってやつですか」
ペイスが先日立てた仮説について、従士達には知らされている。勿論、確定していない情報であるとの前置きはされていたが、ペイスが言うのならそうなのかもしれないという程度の信頼度はある。シイツの勘と同じぐらいには、ペイスの推測は当たるのだ。
「それを確かめて確定させるのは、本来モルテールン家に王家から与えられた仕事だろ」
「そうでしたっけ」
「そうなんだよ」
若い人間ははっきりと分かっていない者も居るのだが、そもそも大龍の生態について調べるのは王家からの勅命である。
現状、大龍の赤ん坊については分からないことが多すぎるのだ。それ故、国内でも単体では最強格の一人に数えられるモルテールン卿に預けて情報を集めよう、というのが王宮の偉い人たちが考えた方針であった。
鉱山のカナリアか、でなければ地雷原に放たれた犬か。
何か予想もしていない危険があったとしても、被害を真っ先に受けるのはモルテールン家である。そして、カナリアが最後まで無事で、犬が生きて渡り切った道であるならば、多少は安全であろうと後から付いてくる者も出るはず。
危ない橋は他人に渡らせておいて、美味しい所は自分たちで手に入れようという策だ。
宮廷貴族達らしく、実に姑息ではあるが、モルテールン家が龍については今のところ一番詳しく、危険に対する対処能力も一番高く、被害がいざ起きた時でも対処が最も迅速に可能である、という点に反論しようがない。なまじ能力が高い息子が居るのも、策謀に拍車をかけている。
だからこそ龍の生態については出来るだけ早く解明し、他所に厄介ごとをたらいまわししたい。というのがモルテールン家の、少なくともシイツやカセロールの思惑であった。
計算外があったとするのならば、ペイスの情の深さだろうか。
他人にとっては危険な怪物であっても、ペイスにとっては単なるファンタジーな生物である。ファンタジー云々に関しては生まれてこの方、今更の話であり、ペイスにとっては何の恐怖も持たない。いや、持てない。
初めて魔法を見た時に、そのファンタジーっぷりに目を輝かせたのと同じぐらいには、ドラゴンに対して目を輝かせている。
それが、幸運であったのか不運であったのか、ペイスは龍の赤ん坊の世話を嬉々として焼き、龍の子もまたペイスに非情に懐いていた。
「坊、そろそろ良いでしょう。そんなに構い倒してりゃ、情が移りますぜ?」
「おや、もうそんな時間ですか」
「赤ん坊可愛がるのも良いですが、そろそろ思案もまとまったでしょうが」
「そうですね、データも揃ってきましたから、話をする頃合いでしょうか」
「お? それじゃあ」
「ええ、皆を集めてください。会議をしましょう」
ペイスは、何も遊んでいたわけでは無いのだ。
忙しい執務の中、合間を縫ってピー助を愛でていた。
その理由は仕事だからであり、分かったことは周知徹底するという前提の下で好きにやらかしていたのだ。
招集をかけてより小一時間の後。
会議室に全員が集まった頃合い、開口一番にペイスが言う。
「薬植研の研究成果を強奪……もとい、提供いただいた結果、ピー助の食性がおおよそ判明しました」
金に物を言わせて、研究成果から研究設備から、そして研究員まで。丸ごと引き抜いたことを提供というのなら提供なのだろう。
モルテールン家に植物の品種改良技術を囲い込んだ事実は大きい。
そして、改めて研究所の成果を踏まえ、またペイス直々に検証した結果、確信の持てる事実が判明したのだ。
「ドラゴンは、魔力で育つ」
間違いない事実として、ペイスは断言した。
今まで仮説であったものが、仮説ではなくなったのだ。
ドラゴンは、食物から栄養だけではなく魔力を吸収している。元々軽金や龍金のような魔力素材は、魔力を貯めると質量が増える性質があった。龍も同じ。魔力を含むものを食べた場合、普通の生き物では吸収できない魔力まで吸収しているため、体重増加に顕著な特徴がみられた。
また、龍の嗜好としても魔力の含有量が多いものを好み、魔力を感知しているであろう様子も観察できている。
結論として、龍は魔力で育っていることが分かった。これは、今後の飼育に関しても大きな成果であろう。
「まずは、人間が好物ということにはならず、一安心ですね」
「坊はいつでも人を食ってますがね」
「わははは」
他にも諸々、今後の方針や注意事項等々、細かい連絡事項を通達したところで、会議は一旦解散になる。
まずは、大龍が好んで人間を食い散らかすような生き物ではなく、明確な嗜好が見えたことは朗報だ。最悪の事態は人間が大好物、というケースだったのだが、それは避けられた。
やれやれ、これで大きな問題が一つ片付いた。
そう、会議の後にシイツ従士長や重臣の面々が一息ついた時だった。
彼らモルテールン家の古株たちに、慌ただしい知らせが飛び込んでくる。
「ペイス様が倒れました!!」
騒動は、これからが本番のようだった。