309話 交渉はスマートに
王立研究所は、神王国における知の集積地である。
国中から賢者を集め、互いに研磨し合い、新たな知識と斬新な発想を追い求め、そして社会に貢献するのが務め。与えられた責務をこなすのは、自他ともに認める知の精鋭。研究員と呼ばれる者たちは誰を取っても特定分野におけるエキスパートであり、頭の良さでいえばピラミッドの頂点に坐する者ばかり。
そして賢い人間というのは総じて、知識欲の旺盛な者が多い。好奇心が強いと言い換えてもよいだろう。
未知に対して率先して立ち向かっていく。何か変わったことや目新しいものには興味津々で近寄ってくる。早い話が、野次馬の上位互換が研究者というものである。
今日も今日とて、頭のいい野次馬たちは一か所に集まっていた。他ならぬ薬植研である。
日も高く上り、研究員たちも日々の仕事に追われているはずなのだが、物見高いお歴々は、自分たちの知的好奇心の赴くままに集まっていた。
「まさか、こんな山積みの金貨を見ることがあるとは思いませんでした」
誰の呟きであったのか。
見学で薬植研の人間が冷や汗をかかされてさほども間を置かず、改めて来訪したモルテールン家の次期当主は、魔法で運ばねばならない程の大量の金貨を持ち込んでいた。
百や二百では利かない。軽く見積もって万はあるであろう金貨の山。本気で研究所の床が抜けないものか心配するほどの大金である。モルテールン家の財力を示すにはこれ以上ないほど分かりやすく、そして露骨なアピールであるが、効果的であることに異論はない。
集まった野次馬たちも、目もくらむばかりの黄金の輝きに魅せられている。
現代的に言えば、知り合いの部屋に百億円分の札束が積まれているらしいという噂を聞いたようなものだ。それはもう、野次馬のし甲斐も有るというものだろう。話のネタとしても、一見の価値がある。
「運ぶのも大変だったんですよ?」
実際に金貨を運び込んだのは、力仕事担当の従士達である。しかし、モルテールン領の厳重な管理場所から重たい金貨を運ぶのに、魔法を使ったのはペイスだ。
父親譲りの魔法で【瞬間移動】し、一旦モルテールン家別邸に運ばれた後、馬車を使って運び込まれた大金がコレである。
「しかし、まさか我々の研究成果をそこまで高く評価して下さるとは」
本日のペイスの応対役は、薬植研の室長であった。
ペイスが前回に研究所を訪問した際、多くの研究室に寄付をして回ったというのは既に大勢が知る所。そんな御大尽が改めてやって来るというのだから、これはもう大事なスポンサーとしてお出迎えするべきである。研究というのは、お金が幾らあっても使い道に困ることは無い。有れば有っただけ良い研究が出来るのだ。気前のいいパトロンは大歓迎であり、室のトップが供応するのも至極当然。
その上、他の研究室には目もくれず、研究所の所長すら眼中に無いまま薬植研を訪れたというのだ。これはもう期待するしかない。つまりは、更なる献金だ。
自分たちの研究に誇りと自負を持つ者として、室長は胸を張った。何処に出しても恥ずかしくない成果を出してきた看板研究室の長として、堂々たる態度である。
しかし、ペイスは別に一つ二つの研究成果を手に入れようと出向いたわけでは無い。
「我々が求めているのは、研究成果ではありません」
「え?」
意外な言葉に、首を傾げる室長。
「研究室丸ごとですよ」
「はあ!?」
室長は、驚きのあまり腰が抜けそうになった。
何かしら自分たちの成果で欲しいものが有るのだろう、あわよくば派生研究や関連研究にも目を向けてもらい、更なる興味と、そして寄付金・援助金を引き出す。それが室長の当初の目論見であったのだ。それが、言うに事欠いて研究室を丸ごと寄越せと言う。
例えば宝石店で、金払いの良い上客が、そこそこの買い物をしていった。日を改めてやって来た上客に、今度は何を売りつけようかと算段していたところに、店を丸ごと寄越せと言われたようなものだ。
「モルテールン卿はご冗談がお上手ですな」
当然、本気にするはずもない。
大人買いをするにしてももう少し節度というものがある。普通であれば。
「いえ、冗談ではありません。僕はモルテールン家の代表として、この研究室の一切合切を買いたいと申し出ています」
「ほへえ」
しかし、ペイスは冗談ではないと断言する。
「モルテールン領では、当家……子爵家が全面的に出資して、研究機関を立ち上げました」
「はあ」
「規模こそ王立研には及ぶべくもありませんが、それ以外の部分では決して見劣りするものではないと自負しています」
実際、予算の面では下手な王立研の研究室よりも潤沢である。あぶく銭をしこたま稼いだモルテールン家が全面的に資金を出しているのだ。それはもう話を聞いた薬植研の室長でさえ桁を間違えているのではないかと思うほどの資金的余裕だった。
更に設備も、研究者への待遇も、聞けば聞くほど羨ましく思えるものばかり。
「す、素晴らしいですな」
「ちなみに、所長はここにいるソキホロ卿です」
「……卿のことは存じております。元同僚ですからな」
一瞬だが、チリっとした緊張が走った。
元々ホーウッド=ソキホロ卿と、薬植研の室長は年も近しい関係で長い付き合いがある。ソキホロ卿が優秀な研究者であることは事実であり、若かりし頃は室長としても意識せざるをえない好敵手でもあったのだ。
専門分野こそ違え、お互いに切磋琢磨する競争相手。だった。
いつの間にかソキホロ卿は閑職に追いやられ、成果など出るはずもないと思われていた汎用研に飼い殺しとなる。
気の毒だとは思っていた。どうせ成果も出せないのに、苦労だけさせられる。そしてついに耐え切れず、研究所を辞めたと聞いていた。
憐憫と、少々の安堵を感じていた相手が目の前にいる。しかも、羨ましいと心底思えるほどの好待遇を受けて。
中々に緊張する対面であろう。
「それはそれは。ならば、ソキホロ卿が不当に遇されていたこともご存じでしょう」
「他所の研究室のことは存じ上げません」
嘘である。
汎用研の不遇っぷりは、ある意味では見せしめだった。だから、研究所の人間ならば誰でも知っている。
ちょっと消耗品を買えば無くなってしまう研究予算に、構造的に成果を出せない環境。出世も見込めず、華々しさとは無縁の為に寄付も集まらない。
ああはなりたくない。そう誰もが思えるような状況に、ソキホロはあえて置かれていた。薬植研室長は、知っていて見過ごしていたのだ。
「そうですか。しかし、優秀な人間が不遇をかこつのは、国家としての損失。これを見逃すのは、王家の臣としては不忠でさえある」
「そうかもしれません」
ペイスは、あからさまな嘘を見過ごす。スルーしても話の本筋に影響が無いからだろう。そして、如何にももっともらしい理屈を滔々と述べる。
「ずばりお聞きします。貴方も不遇にある一人ですね?」
「な、なにを」
ペイスは、じっと観察をしながら言葉をぶつける。
「でなければ、研究成果の横流しなどしませんよ」
「そのような事実はありません」
「そうでしょうか?」
当初、ペイスは研究成果の横流しは副室長辺りが個人でやっていることだろうと思っていた。それ自体はどうやら正しい見込みだったようだが、それだけでも無かった。
室長まで、同じ様に横流しをしていたのだ。
別枠なのか、足並みを揃えているのかは定かではないが、先ほどの態度からもペイスは確信した。
何故ならば、横流しに至った動機が個人に根差すものではなく、研究室の構造にあると分かったからだ。その上でペイスに対する佞りっぷりや、言葉の端々から感じられる“モルテールン家への探り”について、合理的な仮説が成立するとペイスは読んだ。
「龍の癒しの効果。薬用植物研究室としては、忌々しいと思っているのでは?」
研究室の構造的欠陥。それは“薬用植物”と“癒しの魔法素材”が根本的に相反するものであるということ。完全に商売敵である。
龍の癒しの効果はペイス達の宣伝もあって、また魔法の飴のカモフラージュという意味もあって、明らかにされていた。
多少の切り傷や骨折であれば、龍金でギプスするなりしておけば通常よりも遥かに早く治癒する。それも完璧に。龍金が完全に統制されていて、ペイスがこっそり【治癒】の魔法を付与しているのだから当たり前だ。
病気と呼べるものは、鱗の粉でも飲めば余程の末期患者でもない限り治る。ある程度なら不治の病とされていたものまで治すのだ。
病気や怪我といったものに対して、植物由来の薬効をもって対処しようと研究してきた薬植研は、完全な上位互換が現れてしまったことになる。
今は、龍の素材が大変に高価であることから、薬植研に対する需要は衰えていない。しばらくは、このまま薬植研の必要性も維持されるだろう。
しかし、今後はどうであるか。龍の素材の価格が低下してしまえば、薬植研は大幅に規模を縮小させられるかもしれない。そして、龍の素材が継続して採取できる可能性が、今の神王国には存在する。
ペイスは、室長の腹の内を看破したのだ。
「もしも魔法的な効果で医療が行えるとするなら、薬の必要性は薄くなる。事実として、既に研究資金も減り始めた」
更に、ペイスは自分の推測を乗せる。じっと室長の様子を伺いながら。
「ですから、そのような事実は」
「あります。他ならぬ貴方は、既に気付いている」
ペイスの推測を否定しようとした室長の言葉を、ペイスは遮った。
熟練の交渉人としての知見が、言葉の中の嘘を見破った為である。
明らかに、薬植研は不遇になりつつある。これが確定できた時点で、ペイスが今日やって来た目的の多くは達成されたに等しい。
「我々に、どうしろと?」
どこか、子供のペイスを侮っていたのだろう。
自分の声が震えていることに、室長は気づいた。
「モルテールン家は、王家に少なからず貸しがあります。この研究所の所長も、ソキホロ卿の件で引け目がある。無くても作ります。そうなれば、研究室を一つ引き取るくらいなら容易く出来るでしょう。何せモルテールン家は今お金持ちですから」
やはり、只者では無かった。
大きく深呼吸した室長は、改めて同じ言葉を口にする。
「我々にどうしろと?」
室長の問いの答えはシンプルだった。
「ドラゴン研究について、協力してください」
ペイスは、とても良い笑顔で笑っていた。