291話 火災と窃盗と残滓
執務室にいたペイスに、その騒動が聞こえてきたのは父親も従士長も不在の最中であった。
「火事だ!!」
「火事だぞ!!」
ドタバタと人々が走り回る音がする。
実力主義で雇われた王都別邸の侍女や執事は、普段はどれほど急いでいることがあろうと楚々としていて、屋敷内を音を立てて走り回るなどあり得ない。
それが、こうして大勢が走り回るような音がしているのだ。仮にペイスでなくとも異変に気付く。
ましてや耳聡いペイスである。すぐにも廊下に飛び出て、状況を確認した。
「若様」
「コアン、火元は何処です」
「厨房です」
「……油がありますね。火事の規模は?」
「大きめです。裏手に積み上げていた薪や炭が燃えてますので、消火に手間取っていると報告がありました」
モルテールン家の王都別邸は、厨房もこじんまりとしている。
領地にある本宅ならばペイス用の厨房もあるのだが、流石に地価のべらぼうに高い王都で、ペイスの道楽が許されるはずもない。
同時に、料理で使うものは一か所に集められているという意味でもある。
小麦粉や乾燥ハーブ、薪炭、そして油。燃えやすいものが大量にあるのが厨房で、特に油に関して言えばモルテールン家の厨房には他所よりも多くが集められていた。
ペイスがオリークックやドーナッツを作るのに油を使っていたからだ。
可燃物の集まる厨房だけに、火の管理と取り扱いは徹底して行われていて、管理責任者として料理人も居たはず。
しかし、事故というのはいつだって起こるわけで、ペイスは取り急ぎ対応を指示した。
「僕が行きます」
周りと同じように駆け出したペイス。流石に今の状況下で廊下を走るお行儀を云々する人間は居ない。
ペイスが厨房に駆け込めば、そこには桶をもってバケツリレーをしている者たちの姿があった。
「……これは、魚油ですね」
大きな水がめ幾つかを空にするほどの勢いで水をかけているにもかかわらず、火の勢いに衰えが見えない。
どう考えても、ただ単に薪が燃えているというだけではなさそうである。
「全員、退避!! 周辺に居る人間は一旦離れるように」
「え? 良いんですか?」
「魔法で薪ごと処分します。薪は買いなおせますが、迅速な消火は代えられません」
火元に急いで到着したペイスは、魔法を使った。
【掘削】と【瞬間移動】を同時に使い、ごっそりと大穴を開けつつもそこにあった可燃物を一気に運び出したのだ。
運び出す先は、モルテールン領のだだっ広い砂漠の中である。
「ふう」
「お疲れ様です」
次期領主の少年が迅速に対応したことで、火事は消えた。
しかし、問題はこれからだ。
「コアン、火事の煙で屋敷の周りに人が集まってきています。対応を任せても良いですか?」
「構いませんが、何と言えば」
王都で失火というのは類焼を招くことから犯罪行為に類する。
そのあたりをコアンが気遣って、誤魔化すかどうかを尋ねたのだ。
「……ありのままを。薪の置き場から火が出た。既に消火済み、と伝えてください」
「よろしいのですか?」
「少し、気になることがあります。ですので、下手に取り繕ったり隠したりするより、事実を端的に広める方が良いと判断しました」
「分かりました」
火事となれば野次馬も集まる。
その対応をコアントローに任せたところで、ペイスはじっと考え込んだ。
火の消えにくい油が使われていたであろう形跡や、薪の置き場は冷暗所のようになっていて火の気がないことを確認し、ある種の確信を持つ。
「誰か!!」
「はい、若様」
「すぐに手分けして屋敷中の部屋を確認してください。物が無くなっていないか、壊れていないか、或いは不審な物が増えていないか」
誰が見ても、作為的な火事である。
だとするなら、火を点けて終わりというのは楽観的過ぎるだろう。何かある。
更にペイスは、普段は人払いをしている部屋に足を運ぶ。
龍の卵を置いていたところだ。
そこは、見事に荒らされていた。
「……やられましたね」
ペイスは、火事が囮であったと確信した。
◇◇◇◇◇
龍の卵が何者かに盗まれてから半日。
モルテールン家一同は、寄り集まって悩んでいた。
「捕まりませんね」
「どういうことか……」
悩んでいる理由というのは他でもない。こともあろうにモルテールン家別邸に盗みに入られ、隠しておいたはずの龍の卵を盗まれてしまったこと。そしてその後、可能な限り迅速に対応したにも関わらず、犯人の足取りすら追えないということだ。
「盗みに入られてしまったことに関しては、隙をつかれたというのも有る。これは反省するべきだし対応するべきではあるが、緊急ということでもなかろう」
「ですね」
泥棒に入られることは勿論大きな問題であるが、実はモルテールン家にとってみれば致命的と言えるものでも無い。
元々王都の別邸は、仮住まいのようなもの。モルテールン家がそこそこの爵位になった際、貴族ともあろう者が王都でずっと宿暮らしというのも格好がつかないからと購入した家であり、カセロールが軍の役職を得て宮廷貴族の一員にならなければ、本当にたまに寝るだけの場所だった。
今でこそそれなりに警備も整え、常駐する者も居るようになったが、かつてであればほぼ空き家も同然。別荘に近い扱いだったわけで、盗みに入るなら楽勝だっただろう。
尤も、カセロールもそれは重々承知のことなので、別邸に豪華な調度品や貴重品を置かないようにしていた。
今回の様に貴重品を持ち込むのが例外中の例外なのだ。
泥棒の入った手口も分かった。
元々人手不足ということもあり、急遽人を集めたことから、別邸に務める女中や下働きには日の浅いものも多い。それ故、見知らぬ人間がさも新顔のようなふりをして紛れていても、そんなものかと気にすることが無かった。
働くもの同士がお互いの顔を知らないという隙を狙い、不審なものが紛れ込んでいたことはすぐに分かり、見慣れない人物が今日に限って多かったということも判明している。即座に対応を取り、従業員全員を集めて改めて顔と身元を検めるという対策を行ったので、同じことはまず起きないはず。
泥棒対策はこれでいい。侵入経路も判明して塞いだ。
問題は、既に起きた窃盗の犯人が、今もって逃げていること。
これを捕まえなければ、モルテールン家とは面子がたたない。また、モルテールン家は泥棒がし易いと思われ、模倣犯を生むリスクもある。
是が非でも探し出し、捕まえねばならない。
「ですが現状、父様の転移でかなり広めに網をかけたのに、未だに音沙汰がない」
しかし、窃盗犯はモルテールン家を離れた後忽然と姿を消している。
本当に、煙の様に足取りが追えなくなっているのだ。
泥棒の容姿も詳細に判明し、ペイスが似顔絵を【転写】までして王都内では捜索に当たってる。王都周辺の関所は、カセロールが【瞬間移動】を使って迅速に検問を敷いた。
当初は、泥棒もすぐに捕まると思われていたのだが、王都でチラリと窃盗前に目撃例がある以外は、本当に欠片も手掛かりがつかめずにいる。
「網を上手く潜り抜けた可能性は?」
「その可能性がゼロとは言わないが、もしもそうだとしたらうちで抱えられる話じゃない。然るべき筋に訴え出て、外務貴族に預ける話だ」
「そうですね」
賊に入られたと分かった時点で、モルテールン家だけで抱えられる話では無くなった。内々ではあるが、国王陛下に龍の卵を献上して面倒ごとを押し付ける算段が付いていたからだ。これで盗まれたことを黙っていては、有りもしないものを献上すると、国王を騙すことになる。
盗まれたことは正直に訴え出た。その上で、カドレチェク公爵やその関係者にも動いてもらった。
公爵としても、治安を預かるのは軍務の義務であり、特に王都に関しては重要な利権。明らかに狙いすましたような窃盗とはいえ、自分たちのおひざ元である場所で堂々と盗まれてしまっては立つ瀬がない。
警察署の目の前の家に泥棒が入ったようなものだ。どうあっても捕まえなければ、今後泥棒達からは徹底的に舐められてしまうし、そうなれば犯罪抑止の効果が薄れる。
採算度外視で、軍人たちは動いた。
割を食った通商関係の部署からは苦情も届いたというが、今回の件は公爵としても譲れない。
蟻の這い出る隙間もない、という表現がまさにぴったりくるほど。街道という街道は勿論のこと、森の獣道に至るまで人を遣って封鎖に動いたというから徹底している。
完璧と公爵が自画自賛する王都周辺の包囲網。それを最速で整備し、網の中をローラー作戦で塗りつぶすように捜索する。
泥棒鼠一匹に対して、軍務閥の群狼が万単位で探し回るような状況。
これで逃げおおせたというなら、相手は間違いなくその道のプロであり、手厚いサポートを受けて行われた組織的犯行だ。
つまり、国際問題になる。
「単純に、可能性は二つですね」
「二つ?」
「一つは、未だに網の中で隠れている」
理想を言うならこちらだ。
組織的であると仮定してもせいぜいが国内の組織であって、王都に潜伏している可能性。
王都を根城にする犯罪組織ならば、身を潜めるのは上手だろう。王都の騎士や兵士の捜査手法も熟知していることだろうし、何なら裏で繋がっている可能性だってある。
これならば、今現在大規模な捜査を行っているにもかかわらず見つからないことに説明はつくし、そうは言ってもいずれは捕まるであろうという楽観論も言える。
「もう一つは、警戒網を敷いた時点で、網の外にいた」
最悪なのは、既にすたこらさっさと網の外に逃げてしまっているケース。網がザルで潜り抜けたというならまだしも、網をかけた時点で見当違いのところにかけていたというのが怖い。
大規模に軍まで動員して捜索しているのが、見当違いの無駄ということだからだ。
「そんな可能性があり得るのか?」
可能性としては考えられる最悪のケース。
問題は、それがどの程度の確率なのかだ。
限りなくゼロに近いのか、或いは逆か。ペイスがどう考えているのかを、父親は聞きたがった。
「父様なら出来るでしょう?」
「それは勿論……なるほど、そういうことか」
息子から提示された可能性に、ひざを打つカセロール。
「ええ。“魔法使い”なら、何がしかの手段があっても不思議ではない。現場では、魔法を使った魔力の残滓を感じました。王都から出る方向に漂っていた感じだったので、父様のように突然消えて逃げたというものでも無いと思われます」
「お前の感覚だけでは根拠としては弱いな」
「はい。しかし手掛かりがそれ以外にないわけで、動く目安としては十分です」
包囲網など、カセロールの【瞬間移動】ならば意味は無い。
魔法の出鱈目さをよく知るだけに、同じ様に魔法的な手段であれば、包囲網を容易く潜り抜け、或いは捜査の目をごまかし続けることは可能。
そういう可能性に目を向けるなら、包囲網は偉い人たちに任せ、小回りの利くモルテールンだからこそ出来ることがありそうだ。
「ならば、どうする?」
「王都の網はそのままに、捜索のラインを広げます。具体的には、国境線目いっぱいまで」
「その真意はどこにある?」
「仮に魔法使いが関わっているとして、国内の魔法使いなら最悪王家の威光があれば尻尾ぐらいはつかめるはず。それよりも最悪のケースに備えるべきだと思いました」
魔法使いが関わっていると仮定したとして、龍の卵は極秘裏に王家案件と確定している。国内の跳ねっ返りが主犯で、モルテールンに一泡吹かせてやりたかった程度の話なら、過去にも幾度かあった。今回は王家が絡むだけに、そういった短絡思考の阿呆ならばすぐにも尻尾はつかめるだろう。
敵がモルテールン家でなく王家になる前に、詫びを入れてくるに違いない。
しかし、そうでなかった場合を考えておかねばなるまい。
「最悪のケースとは?」
「外国勢力の暗躍です」
「ふむ」
「ことが外交問題になってしまったら最後、当家は関わることも出来なくなる。外務系の人間はここぞとばかりに主導権を取りに来ます」
「そうだな」
外国の人間が跳梁跋扈し、神王国内の、それも王都という最重要拠点で違法行為を行ったとするならば、確実に外交問題だ。
となれば、軍人たるカセロールや、或いはカドレチェク公爵が面と向かって対応するわけにはいかない。
下手をすれば外国との戦争となる。カドレチェク公爵辺りは望むところだと勇んでもみようが、内務系は戦費の調達や諸々の物資調達を嫌がるだろう。モルテールン家の問題ならば、或いは王家の問題ならば、話し合いで解決しろ、と迫るはずだ。
戦争が大嫌いな内務系と、戦いこそ本分と気色ばむ軍務系の衝突は、放置すれば国を割る。だからこそ中立的な立場で、外務系が出張ってきて関係者が一応納得できる落としどころを探るのだ。
外国相手なら、主導権は軍人の手を離れる。
「しかし、国境警備ならば、まだ軍の管轄です。ここで抑えられるなら、当家や軍家閥で主導権を握れる。逆に、ここで止められなければ、打てる手は有りません」
「分かった。お前の言うとおりだ。早速手配しよう」
カセロールは、即座に魔法で転移した。