282話 冬の社交
冬も盛りの金央月。南大陸では比較的平均気温が高い神王国にあっても、寒い季節は気温も下がるもの。寒風の吹きすさぶ中にあっては、人々は暖を求めて屋内に集まる。貴賤を問うことのない、生存本能のようなものだ。
今年は閏の年でもある。金央月も例年より一日多い六日あるのだが、それだけに社交が最も華やかになる月でもあった。
特に王都では宮廷貴族を中心として、屋敷の中で暖を取りつつ行われる、社交の催しが数多く企画されている。
お茶会や食事会、祝いのパーティーや親睦の会合、音楽鑑賞や観劇の催しなど、何かにつけて人を集めては交流に力を入れるのだ。
カセロール=ミル=モルテールンも貴族として、また中央軍に役職を持つ軍人として、色々な社交に呼ばれている。勿論招待の多くが打算ありきのものであり、カセロールとしては片っ端から断りたいのが本音なのだが、そうは言っても貴族である以上外せない社交というものも存在する。
今日はその中でも重要な、軍家閥の年初会合であった。
「我々の結束と繁栄を祝い、乾杯!!」
王都にあるカドレチェク公爵家別邸で催される懇親会。乾杯の音頭を取ったのは当然ながら、当代のカドレチェク公爵だ。威風堂々、衆目を集める中での乾杯の挨拶に、一同が同じく乾杯と唱和して杯を軽く持ち上げた。乾杯が終われば、懇親会のスタートとなる。
会が始まる前であれば、人の集まり方は個々人の縁故による小集団だ。知り合いを見つけたところで声を掛け、当たり障りのない雑談や、お互いの近況を報告しあう感じだろうか。友達付き合いと呼ぶものに近いかもしれない。軍家閥の主流派の集まりだけに、戦友同士という関係もそこそこある。久しぶりに見かけた戦場の友に声を掛け、まだ生きていたのかなどと軽口を叩きあう和気あいあいとした雰囲気。
しかし、会が始まれば貴族として大事な仕事が始まる。乾杯が終わり、まず行われるのは重要人物への挨拶だ。
今回の会合で真っ先に人だかりのできた場所は三か所。
一つは、現カドレチェク公爵夫妻の居る場所。
乾杯の挨拶の後に、真っ先に声を掛けようと派閥の連中が集まって来る。いわば親分に対して子分が義理を果たしに行く場面だ。会に参加しておいて公爵に挨拶もしないとなれば、色々と不利益も生まれるわけで、お行儀よく順番に挨拶をする。
会合が行われるとなればどこの場でも見られる光景であり、極々基本的なもの。主催者が参加者に挨拶して回るケースもあるのだが、明確な上下関係があるのならば目下が気遣って先んじて挨拶に顔を出す。
お義理で参加した人間などは、主催者への挨拶が終わればさっさと帰ったりもするので、これはこれで顔ぶれを見ておくのも大切なことである。
もう一つは、前カドレチェク公爵と公爵家嫡子夫妻が居る場所。
公爵家の身内として参加している彼らは、わざわざ当代の公爵へ挨拶に出向く必要がない。その為、主催者とは少し離れたところで談笑する。
先代の公爵として普段は領地に居る老人と、その孫夫婦。現公爵に挨拶するのが義務と利益の為とするならば、先代と次代に挨拶するのは義理と保険だ。
代替わり以前から公爵家と繋がりのある、ある意味で身内に近い立ち位置の人間は、先を争って当代へ挨拶する必要も無い。故に、旧交を温める意味で前公爵に挨拶したり、或いはこれからのことを見据えて次代に挨拶するわけだ。
ある意味で、ここに集まっている人間こそが公爵派の肝ともいえる。見過ごせない連中であり、要チェックが基本だ。
そしてもう一つ。
ここ最近では噂にならない日がないとまで言われる、モルテールン“子爵”夫妻の居る場所。
軍家としては新興の家ではあるが、モルテールン家といえば稀代の英雄が二代続けて存在する家。今、神王国では最も勢いのある家ともいえるだろう。ここに挨拶に来る連中は、打算と恐怖に動かされている。
打算の部分は分かりやすい。上昇気流に乗ってぐんぐん勢いづいているモルテールン家に少しでも近づき、追い風の恩恵を受けようとしているのだ。唸るほどの金を持ち、領地は拡張に次ぐ拡張。建築資材や消耗品などは、有れば有っただけ売れるというのが現在のモルテールン領である。家中だけを見ても人材は常に不足していて、何がしかの手伝いをするだけでも気前よく報酬を払ってもらえる。ここで自家を売り込めないようでは、むしろ無能であろう。
では恐怖の部分とは何か。それは、敵に回すことの恐ろしさということだ。
モルテールン家といえばカセロールが家を興してから三十年にも満たない。しかし、彼らが為してきた業績の数々は枚挙に暇がない。
少数精鋭を謳われ、一人でも一軍に匹敵すると言われたカセロールを筆頭に、ドラゴンを倒したペイスや、未来をも見通すと言われるシイツ従士長も居る。下手に機嫌を損ねて敵に回し、潰れていった家も実例として存在するのだ。
だからこそ、多くの貴族はモルテールン家に対し、ご機嫌を取ろうとする。
先ごろ男爵位から子爵位に陞爵したばかりで、祝い事の口実は十分だ。口を開けばお祝いの言葉、顔を見れば揃って笑顔、どれもこれも判を押したように同じである。
ここに集まる連中は機を見るに敏、先を見据えた要領の良さを持ち合わせているわけで、顔ぶれの確認は必須であろう。
「中々人気ですな。私も是非挨拶させてもらいたい」
怒涛の挨拶攻勢も小康状態になったところで、一人の男性がカセロールに声を掛けてきた。
エーベルト=エッカール=ミル=ヴェツェン子爵。カセロールとは軍の同僚と呼べる人物である。軍家閥の中では内勤を主としていて、参謀の任に就く重鎮。
何かにつけて金を出し渋る内務系の宮廷貴族との口喧嘩や、自分の手柄の為に足を引っ張って来る諸外国担当の外務貴族との罵り合いを任されている、早い話が頭脳労働担当だ。
何かといえば力づくで解決しようとする、脳筋の割合が極めて高い軍家閥にあっては数少ない知性派であり、カドレチェク公爵の懐刀とも言われる重要人物。
勿論当人の実力的に軍を率いて戦うことも出来るのだが、それ以上に大軍を指揮する公爵の補佐こそ自分の仕事と公言している、ガチガチのカドレチェク公爵派である。
「これはこれは、ヴェツェン子爵。閣下自らとは恐縮の次第」
カセロールが手を胸に当てて挨拶する。
同僚とはいえ先任はヴェツェン子爵の方なので、カセロールから先に挨拶するのが自然な態度というものだ。
慇懃に礼を交わす、貴族社交の常識的なやり取り。
「いやいや、中央軍の末席に座る身として、中央軍の重鎮たるモルテールン卿に挨拶もせぬでは失礼になりましょう」
「軍においては私は新参です。中央軍の参謀たるヴェツェン卿には私から挨拶に出向くべきでした。無作法をお許し願いたい」
「先ほどからの人気を鑑みれば致し方なき事。お気になさらず」
「お心遣い痛み入ります」
軍家閥の主だった重鎮たちから囲まれていたカセロールである。中には伯爵位の人間も居り、無下に出来るはずもない目上をほったらかして、ヴェツェン子爵に挨拶に行くことは無理な話だ。勿論ヴェツェン子爵も物理的に無理なことを理解しているので、自分の所に挨拶に来なかったなどと難癖をつけるつもりはない。
カセロールが詫びたのも形式的な話で、一応は先任の同僚に対して敬意を払った形を作っただけのこと。社交辞令的なやり取りを交わした両者は、社交の常として世間話を始める。
「仕事の方は如何かな。先日の大龍騒動の時にも軍の出動があったようだが」
「最近は専ら訓練漬けですよ。私ももう年ですし、若い連中に付き合うのも大変です」
前カドレチェク公爵が最後の仕事として置き土産に置いていったのが中央軍の増強と地方軍の再編であった。
大戦から二十余年を経て、国軍の役割も変遷する。昔は地方の貴族に対する重石として国軍が目を光らせていたわけだが、治世の安定から役割も薄れたと再編を行い、中央軍を手厚くする体制へと変えたのだ。
これによってより柔軟で強力な軍行動が出来るという目算ではあったのだが、ある日突然新しい部署に見も知らぬ連中が集められて、即座に望まれる通りの成果が出せるはずもない。政治的にも多くの軋轢を生んだ中での再編であった。
代も変わった当代のカドレチェク公爵が、まずもってやらねばならなかったのは中央軍を精強たらしめること。先代の思惑が正しかったと証明することだった。
中央軍の第一大隊でカドレチェク家の嫡子が隊長を務めているのも、第二大隊をカセロールが率いているのも、全ては中央軍の精鋭化の為である。その中でカセロールの果たすべき役割は大きい。
大戦の英雄に求められるのは、まだまだ未熟さのある第一大隊長を助け、より実践的な組織を作り上げること。
精鋭中の精鋭を作り上げるために、一に訓練二に訓練、三四がなくて、五に特訓というハードスケジュールをこなす毎日。
選りすぐりの騎士を集めた上での訓練だ。率先垂範が信条のカセロールは、監督しつつ同じように訓練をしているのだから、それはそれで大変なのだ。その為、つい愚痴の一つもこぼれるというもの。
「モルテールン卿はまだお若いではないですか」
「ははは、そう言ってもらえるのも嬉しくは有りますが、もう孫も居ります。若いとはいえぬ年です。無理も利かなくなってきました」
かつては怖いものなしで暴れまくっていたものだが、そんなカセロールも既に嫁いだ娘に子供が生まれている。現代と比べるなら平均寿命も短いこの世界にあっては、立派なお爺ちゃん世代。
そろそろ真剣に世代交代を見据えて動き始める年だ。
「ご謙遜であるとは思うが、不敗の英雄がさように気弱では、不安を覚える。モルテールン卿は我々にとって欠かせない柱であれば」
「私などよりもヴェツェン子爵の方がよほど大切な人材でありましょう」
年を理由に弱気なことを言い出したカセロールに、少しばかり顔を顰めるヴェツェン子爵。国軍の再編もそろそろ完了し、さあこれから軍家閥の躍進が始まるぞと気勢を上げている中で、主力となるべき求心力の一人が弱気なのは困るとの思いからだ。
そんなヴェツェン子爵に、貴方こそが大事なのだとカセロールは諭した。
「ほう? そう言ってもらえるのは嬉しいが、自分は所詮裏方です」
「いや、それこそ私などは所詮は戦うしか能のない人間です。慣れぬ管理の仕事に四苦八苦する毎日。それに比べればヴェツェン子爵は公爵の下で辣腕を振るい、中央軍の全てに睨みを利かせている。頭が下がる想いです」
大きな組織を運営するようになれば、裏方の苦労と重要性が良く分かる。
面倒な調整や、対外折衝をこなせる人材のなんと貴重なことか。
公爵がヴェツェン子爵を重用するのも良く分かるというもの。カセロールが、年下の同僚を褒めそやす。
「こそばゆいこそばゆい。私からすれば魔法の使える卿の実力こそ羨ましいが」
「魔法など、所詮は道具です。使い方を過てば害悪にもなりましょう」
魔法というのはどんな魔法でも使い方次第で毒にも薬にもなる。魔法を使いこなしてきた人間だからこそ、実感をもってそう口にする。
「それならばモルテールン家は魔法の使い方が上手いのだな。色々と噂は聞いている」
「どのような噂か、聞くのも怖いですが」
「それはもう、聞かぬ日は無いほどだ。どこに出向いても、最近はモルテールン家の噂ばかりだ」
「恐縮です」
つい最近まで、社交界の噂は分散していた。例えば北部閥と西部閥の代理戦争ともいわれていた、次代の王たる王太子妃を巡る争いについてであったり、四伯の一人であるレーテシュ伯がいよいよ結婚して子供を産んだことであったり、或いは農務尚書が不正蓄財によって職を追われてしまったことであったり。貴族は、自分に関係しそうなことへ耳をそばだてて、興味のあることに注力して噂を集めていたのだ。
ところが、特にここ数カ月はモルテールン家についての噂一色である。経済的にも政治的にも軍事的にも、モルテールン家を無視することが出来ないということだろう。
「やはりモルテールン卿の御人徳の賜物であろうか」
「いやいや、私の力など微々たるものです。最近は息子の方が色々とやらかしているので、尻ぬぐいをするのに必死で」
カセロールは肩をすくめた。
モルテールン家が隆盛を謳歌するのは結構なことなのだが、それが自分のあずかり知らないところで息子によって齎されてるとなれば、苦笑の一つも浮かべよう。
「そういえば、今日はご子息が居られないのだな」
おや、といった様子でヴェツェン子爵がペイスについて尋ねる。
さもついでのような口ぶりだが、これこそが本題であることは明らかだった。
「王都に居ると何をするか分かりませんので、領地に置いております」
やはりペイスについて聞きたかったのだろう。ヴェツェン子爵は、ペイスが領地に居ると聞いて若干の間考え込んだ。
何がしかの考えがまとまったのか、改めてカセロールに笑顔を向けた彼は、ペイスについて褒め始める。
「頼れるご子息が領地を豊かにすると。羨ましい話だ」
優秀であるという噂を聞いているだとか、久しぶりに会ってみたいだとか。ヴェツェン子爵の露骨な会話にもカセロールは顔色を変えずに対応する。
「私としては、やらかすにしても、もう少し穏便にしてもらいたいところなのですが」
「それは贅沢な話ではないか。世の中の多くは子供の不出来を嘆くというのに、モルテールン卿は出来すぎる息子を嘆いておられる」
「確かに、贅沢な話かもしれません」
子供が無能で悩むより、有能さを嘆く方が贅沢なことは明らかだ。
ヴェツェン子爵の指摘に、改めて苦笑するカセロール。
どうせなら普通で良かった。何の因果か、飛び切りにハチャメチャな息子に育ってしまったことへの苦笑だ。
「今年は穏やかになると良いですな」
「本当に……本当にそう思います」
カセロールの言葉は、妙に重々しい実感が籠っていた。