280話 外された思惑
「馬鹿な!?」
オルンベルンスト=ロットロハウィは驚愕した。オークションがもたらした結果に。
元々彼は、先ごろから教会上層部の極秘の命を受けて、教会の立場を背負う形で色々と活動している。責任者として任命されたのだ。
自分の言葉が教会の言葉となる。これほど顕示欲を満たせることも無い。必要とあれば他の司教や司祭を下働きの様にこき使えるし、その為に必要な命令を上層部が追認してくれる状況。権力欲が人並み以上にある男にとっては、何物にも代えがたい甘露だ。
勿論成果を求められてのことだと分かっている。秘密を知らされる程度には上の立場にあり、それでいて実務を命じられるような下っ端。しがない中間管理職故に与えられた、期間限定の権力であるということもだ。
しかし、期間限定とはいえ、権力の甘さを知ってしまえば欲は膨らむ。これからも多くの連中に上位者として振る舞いたい。この手にした権力を、いつまでも持っていたいと思った。
だからこそ、彼は真剣に考えた。寝食を忘れるほどに根を詰めて考え、考え、そして考え抜いた。どこかに穴は無いか、もっとうまい方法は無いか、利用できるものに抜けは無いか。そうして作り上げた策こそ、絶対の自信を持てる策謀だった。
龍の鱗を独占せんがために練りに練られた謀を、彼は細心の注意を払って実行していく。
そして競売が始まった時、オルンベルンストは自らの勝利を確信した。自分の行った策略が思い通りにいき、完璧な作戦を遂行したと思っていたからだ。事実、幾つかの軽微な妨害以外は自分の策略を妨害するものは現れなかった。
ドラゴンの素材について悪評を流し、その上で必要なものを買い占め、教会に多大なる利益をもたらす。完璧な作戦。ドラゴンの素材についての噂が広まることも、競売において鱗を買い占めるだけの資金を集めることも、そして実際に買い付けることも。全てが完璧に行われた。誰が見ても作戦は成功である。
これでいける。そう考え、上層部からの評価と共に更なる出世をと思い描いていた矢先に届いた報せに、驚くしかなかったのだ。
「軽金以上の金属を、こともあろうに作れるだと……」
「はい。既に大勢の耳に入っており、噂は広まっております」
よりにもよって競売会場という、注目が集まる場で公表されてしまった内容。何千人と集まっていた中で流布されたことなど、既に知らない人間の方が希少な話となるだろう。
元より軽金は利用価値が極めて高いもの。それ故に教会が独占していた。今回の爆弾によって、危うくなるのは何か。それは、教会の権益である。
そして、もう一つ危うくなるものがある。
もしかすれば軽金の上位互換を生み出すきっかけを与えてしまったかもしれない、オルンベルンストの立場だ。
軽金が龍の鱗を利用して“作られる”という情報は、厳重に秘匿されていたはずの情報である。そもそも龍を討伐しただけのモルテールン家が、どうして討伐から間もなく軽金の上位互換のようなものを作り出せたのか。ゼロから生み出そうというのは相当に困難な、あえて言うなら不可能なことだ。知識というのは一を十にすることより、ゼロから一を生み出す方が遥かに難しいものなのだ。ましてひと月にも満たない期間でゼロから十にしたとなれば、尚のこと難しい。人間には大よそ不可能なことだろう。
「隠蔽は可能だと思うか」
「難しいでしょう」
「クソッ!! 何たる失敗!!」
勿論、モルテールン家の中に軽金の“作り方”を事前に知っていた人物や、ゼロから閃いた超天才が居た可能性も無いわけではない。今まで数々の不可能ごとを可能にしてきた家であるからして、今回もそういった“やらかし”の一つであったのかもしれない。
しかし、普通に考えれば誰かがモルテールン家に情報、或いはヒントを与えてしまったと考えるべきだろう。
そもそも、軽金などという高級品は、一生見ることもなく人生を終える者も少なくない。金貨すら一般庶民には大金過ぎて縁遠いものなのに、それに輪をかけて貴重な代物。手にする機会があるとするなら、金を積んだ聖別の儀式で魔力を測るときぐらいなものだろう。
つまり、何らかの特性を龍の素材に見出したとして、それと軽金の特性を結びつけるのは、一般人ではありえない。
ある日パンケーキを焦がしたのを見て、お、ダイヤモンドと特性が同じだ、などと考えるだろうか。そんな人間は居るはずがない。出来るのは、ダイヤモンドが炭素であると既に知っている人間か、或いは普段からダイヤモンドを平気で実験に使っている底抜けの道楽者だ。
従って、龍の素材で仮に魔力を蓄えられたとして、それを軽金と即座に結び付けられるのは、その道で研究していたか、或いは既に軽金について知識を持っていたかのどちらかである。
更に言えば、軽金と龍素材を結びつけられたとしても、そこから上位互換の“作成”にまで意識がいくのも通常では考えられない。
そもそも軽金が“作れる”と思わなければ、未知の素材でもあり、そのままでも高く売れそうな龍を実験に使おうとは思わない。ある日庭で得体のしれない金属の塊を見つけて、おぅこれは宇宙から来た隕鉄だろうから刀でも打つか、などとは思わないだろう。
隕鉄であることを見抜けるかどうか、見抜けたとして刀を作れると何故分かったのか、更にはそれを自分で作ろうと考えるのか。どれにしてもハードルが高い。
龍の素材を手に入れて、軽金の材料であると見抜き、軽金を作れると思い立ち、更に作ってみる。おまけに出来上がったのは上位互換の素材。
こんなミラクルがあってたまるか、と関係者に叫びたくなるところだ。
全くのゼロから、これらすべての奇跡を起こしたのか。
否、どう考えても、何かしらの助言を得ている。そうでなければ不自然すぎるではないか。
では、誰が教えたのか。
オルンベルンストは背中に嫌な汗が流れる。欲をかいて要らぬちょっかいをかけてしまったことで、自分が情報源になってしまった可能性に思い当たったからだ。藪をつついて特大の蛇、いや龍を出してしまったのではないかと。
「作り方は分からないのか?」
「それが……モルテールン家が秘匿すると」
せめて軽金の上位互換の素材を、教会も作れるのならば、まだ被害は軽減できる。或いは作り方を教会が手に入れれば、今までの知見や人脈を活かして、必要なものや素材を押さえることが出来るかもしれない。鉄を使って画期的な武器を作れるようになった鍛冶師が居たとしても、鉄を押さえてしまえばむしろそれは脅威とはならず自分たちの利権となるのだ。
軽金の独占が仮に崩れたとしても、やり様によってはまだ挽回は可能。技術の独占が崩れたのならば、物理的な素材を独占してしまえば良いのだ。軽金の素材は龍を使う。希少な素材であるがゆえに教会が独占できていた。上位互換と言えど、同じ状況である可能性は高い。ならば、今ならばまだ肝となる素材を独占できる可能性がある。
必要なのは、モルテールン家が持つ上位素材の詳しい作り方の情報。
だがしかし、モルテールン家はその部分を秘匿するという。それではオルンベルンストの目論見は崩れるわけだ。
「社会に大きく貢献するであろう知識を、隠匿して利益をむさぼるとは。許しがたい悪行だ!!」
今まで自分たちがやって来たことを盛大に棚に上げ、口汚くモルテールン家を罵るオルンベルンスト。既に聖職者らしい振る舞いなど無く、醜態とさえ呼べる。
広く普及すればより大勢の人の役に立つであろう知識。隠そうと広めようと、本来は知識の発見者の自由である。見つけたからと言って、発見を吹聴しなければならない義務など存在しない。
しかし、今の不安定な立場に居るオルンベルンストにとっては、モルテールン家の行動が自己中心的で許しがたいものに感じる。
憤りも露わに、憤懣を爆発させるオルンベルンスト。
「しかも……」
「しかも?」
まだあるのか。そう言いたいのをぐっと堪える。これ以上の問題事など抱え込めないところなのだが、だからと言って聞かずに済むものでも無さそうだ。
「龍の鱗を使わずに軽金を作る方法を編み出したと。それについては製法を王家に献上すると公表しました」
「なんてことだ!?」
オルンベルンストは嘆いた。これで、教会の優位性は完全に失われたかと感じたからだ。むしろ、今後はあらゆる面で神王国王家の後塵を拝することになるだろう。
教会は、今まで軽金の作り方を徹底的に秘匿してきた。それ故、研究所での大ぴらな研究であったり、優秀な研究者を雇い入れての研究であったりが出来なかった。教会の中のことは聖職者がやらねばならない上に、軽金の作り方など相当に上位の人間でなければ知る由もない。仮に製法を知れたところで、材料の入手が不安定極まりない。欲しいと思った時に都合よく龍の鱗を拾って教会に持ってきてくれる人間がいるわけでは無いのだ。しかも、聖職者などというのは研究というものはそもそも専門外。そんなことに時間を浪費するぐらいならば、聖句の一つも覚えた方が遥かに正しい行いだ。
長い歴史の中で遅々として軽金の研究が進まなかったのはこういった背景がある。むしろ、よくぞ軽金を生み出せたと驚くべきかもしれない。
そこに、その道の専門家を雇い入れ、資金も惜しまず、素材をたんまり持ったモルテールン家が現れたわけだ。無駄に勘のいいペイスによって、軽金が“作れる”と感づかれてしまったところで、軽金の作成方法がモルテールン家に渡るのは時間の問題だったに違いない。
そこまではまだ百歩譲って理解できる。
今まであったものを再発見した。あり得ないことではないと、納得も出来よう。
しかし、今までの製法を根本から否定するとはどういうことか。
最も重要であり希少であったはずの素材を代替できる製法を発見したというのだ。これが驚かずに居られようか。
既に驚き疲れたオルンベルンストは、力なく崩れ落ちる。
「それでは、この鱗はどうなるというのだ……」
そして、司教はふと気づく。今まで最重要の素材であったことから、ここぞとばかりに買いあさった龍の鱗。これは、軽金の作成に必須であったからこそ高値で買い付けても元が取れたのだ。
もしも、もしもの話として、モルテールン家の流布した噂が事実であったなら。鱗を使わずとも軽金が作れるとしたなら。この価値は途端に暴落する。
男の懸念に対し、部下が遠慮がちに同意した。
「今、価値が大きく下がっています。既に目ぼしい貴族は、軽金を今の内に売りさばこうとしているようで」
軽金の価値の暴落。同時に起きる龍の鱗の価値下落。
龍の素材の価値を貶め、鱗を買い占め、上手くいったはずだった陰謀。それが今、がらがらと音を立てて崩れていく。
「糞!!」
オルンベルンスト=ロットロハウィ。
かつて司教であった男の、慟哭は続いた。