247話 あり得ないこと
天気のいい日は、人の往来も多くなる。
特に、領都ともなると出入りする人間も増えようというもの。
モルテールン領ザースデンにやって来た若者が、馬車を一棟の建物に入れた。馬車から軽く飛び降りた若者は、建物内を見渡し、目当ての人物を見かけたところで声を掛ける。
「師匠、お久しぶりです」
「おお、デトマール、よく来た。久しぶりじゃないか」
行商人デトマール ・シュトゥックが声を掛けたのは、自分の師匠であるナータ商会会頭デココ=ナータである。
二月ぶりにモルテールン領に戻ってきたデトマールは、懐かしくも頼もしい師匠に、明るく人懐っこい笑みを向けた。
「ご無沙汰してます」
「噂は聞いているよ。中々頑張っているらしいじゃないか」
デココは、自分を慕ってくれる弟子を歓迎する。自分からも近づき、軽く肩を叩いて久しぶりの挨拶とした。
ナータ商会はモルテールン領に本拠を置き、神王国南部を中心に活動する、王都にも店を構える大店である。既に従業員は三桁に上り、動かす金貨も万単位となっている大商会であり、そこの会頭となればちょっとした権力者だ。少なくとも、弱小貴族よりは遥かに金を持っているし、動かせる人の数も多い。傭兵を警備のために雇っていることを思えば、実力行使部隊も抱え込んでいる。時によっては、貴族位のある人間が上座を譲る程度には一目置かれる存在だ。
そんな会頭が手塩にかけて育てた愛弟子。ナータ商会の従業員も、ローカルな有名人として噂を聞く。また、ある程度意図的にデトマールを始めとする出入りの商人の噂話は集めている。行商人というのはとにかく収入が不安定な商売で、昨日御大尽だった人間が、次の朝には借金まみれとなっていることも珍しくない。だからこそ、下手に不良債権や不良在庫を掴まされないよう、関係する取引先については情報を集めるのも仕事のうちなのだ。
まして会頭の愛弟子。必要以上に情報は集まり、集まった情報はデココの下に届けられるといった寸法。
それによれば、デトマールは最近もちょこちょこ大きめの取引を成功裡に終わらせ、数年分の生活費ぐらいは蓄えていると目される。行商人としての才能は、流石にデココが見込んで鍛え上げただけのことはある。
つまり、愛弟子云々を抜きにしても、小金を持ってる上得意先というわけだ。
「え? そうっすか? いやあ、俺もいよいよ一端の行商人になりましたかね」
まだ若いデトマールは、そんな商会の裏事情も知らず、自分がちょっとばかり有名になったらしいと知って喜んでいる。十代の年頃といえば、自己顕示欲も旺盛であり、成功してやるという上昇志向も強い年ごろだ。
照れたように頭を掻くデトマールを、師匠のデココは温かい目で見つめる。そして、弟子の言った“一端の行商人”という言葉を聞いて笑う。
「ははは、一端の行商人になれたかどうかを気にするうちはまだまだだろう」
自分も若かりし頃、行商人として胸を張りたいと思っていた時期がある。まだ馬車も台車も持っておらず、籠を担いで荷を詰め、道なき道を歩いて山を越え、額に汗しながらモルテールン領に行商に来ていた頃があった。その頃は、早く金を稼いで馬車や馬を買って、一端の行商人になりたい、と考えていた気がする。
商人を志したものなら誰もが通る、通過地点のようなものだ。つまり、まだまだ甘ちゃんの駆け出しということに他ならない。
「厳すぃいお言葉ですね」
「事実だからね。ほら、子供が早く大人になりたいって言ううちは、まだまだ子供だなって思うだろ?」
「ははあ。なるほど」
「子供に戻りたいって思うようになったら、誰が見ても大人になっている。行商人も同じさ。早く一人前の行商人になりたいと考えているうちはまだまだ駆け出しで、駆け出しのころは良かったと懐かしむようになると、立派な商人さ」
実際、デココ自身も時折無性に行商人に戻りたくなる時がある。
遠いところから長旅をして、異国の珍しい商品を運んできた行商人の相手をしたとき。ふと、遠くの街の祭りの時期であることを思い出したとき。或いは、商会の主として日々雑務をこなし、自由な時間がめっきり減っていると自覚したとき。激務が続いて睡眠不足が続いたとき。
不安定さと引き換えに、自由があった行商人時代。懐かしく思い、ふと戻りたく思う。そんな時、自分は既に店を構える街商人なのだと思い出す。あれほど成りたいと思っていた街商人、恋焦がれていた自分の店。これがかつて憧れた夢なのだと思い出すのだ。
そして改めて、これからも頑張ると覚悟を新たにする。
昔を懐かしむことこそ、弟子の言うところの一端の商人なのだろう。
「じゃあ俺はまだまだですか」
「まだ十年もやってないわけだから、焦ることはないよ。自分の身の丈に合った商売を重ねて、少しづつ幅を広げて行けば良いのさ」
「うっす」
デトマールはまだまだ若い。しかも、行商人としてまとまった荷物を運ぶのに必要な馬車であったり、時間をかけて築くべき、ある程度の確度の高い利益の見込める行商ルートなど、おおよそ行商人として大事なものを師匠から譲り受けているのだ。
よくある行商人見習いや、商人になると家を出たばかりの人間のように、金も人脈も無い状況ではない。焦る必要などないのだ。
確実に、少しづつでも利益を積み上げていって、経験を買うつもりで居れば良い。
スタートの時点で恵まれているのだ。後は経験と修羅場の数が増えれば、いつの間にか一端の行商人となっていることだろう。
「それで、今日は何を持って来たんだい?」
普段なら客に対する馬鹿丁寧な対応をするのだが、今日は意味があってあえてラフな対応をするデココ。
それに気づいているのかどうか。デトマールは、自分が持ってきた商品について尋ねられて、少し嬉しそうに覆い布を外した。
バサッと夜露除けの布を落とせば、馬車の荷台には何とも面白いものが乗っている。
「干し肉とくず鉄っす。干し肉は塩気が強いものなんですが、身は厚いのにしっかり水分を抜いてある上物ですよ」
一言でいうなら地味。カラフルさが一切ない、肉と鉄。それも、保存のために黒くなっている肉と、多少なりとも錆の浮いた赤茶に鈍色の鉄である。普通ならばこんなものを行商の荷に選ぶことは無いのだろうが、そこはモルテールン領に精通した行商人。ちゃんと、意図があってのことである。
「ふむふむ、なるほど。確かにモノは良いね」
商品の見分をするデココも、おおよそ弟子の思惑を察しながら物を鑑定した。弟子が自慢げにするだけあって、まともな商品ではあるようだ。少なくとも、肉が腐って緑色になっていることもないし、カビが生えている気配もない。間違いなく保存の効く、上等品の肉である。
「んで鉄ですよ。東の方で使用していたものを集めてきましたから、品質に関しては間違いないでしょう」
次はクズ鉄の見分。これにしたって、錆が浮いているということは、逆に言えば鉄の純度もそれ相応だということ。混ぜ物をしてあったり、粗悪品であれば、こうも奇麗に一律の錆は浮かない。
錆を少し擦ってみる。錆を適当に塗り付けているわけでもなさそうで、ちゃんと見えない芯までまともな鉄であるようだった。時折あるのだ、青銅や炭、或いは硫黄分の多い屑などの混ぜ物をした鉄に、それっぽく錆を塗り付けて高品質に見せかける手口。弟子が自分を騙そうとしているとは思いたくないが、弟子も騙されて粗悪品を掴まされている可能性はある。入念なチェックは欠かせない。
指で幾つか弾いてみても、似たような音を出す。一部だけ良品で、粗悪品が混ぜてあるということもなさそうである。
「壊れているが、鎧や剣が多いな。どこかの軍の放出品かい?」
屑鉄とはいえ、元は何かの製品であったはず。折れたり罅が入ったりした剣やら、ボコボコに凹んで原型を留めていない鎧の成れの果てといったものが多いところからして、どうもお堅いところからの出物のようだった。
気を付けなければならないのは、これが“盗品”である可能性だ。貴族の使用する剣や鎧には、時折分かりづらい場所に隠し紋章があったりするので、それで売買のルートを辿られることがある。正規の売買であるし、モルテールンの後ろ盾のあるまともな商会のナータ商会ならば大丈夫だとは思うが、盗品の転売に関わってしまった場合は、要らぬ厄介ごとが襲い掛かってくることもあり得る。
特に、今回の持ち込み品は、見るだに形が揃っている。いや、揃っていた形跡がある。盗品でない確認は、しておいた方が良い類のものだ。
もっとも、弟子に聞くのに“盗んできたのか”とは聞かない。出所をはっきりさせれば十分だ。
「流石師匠。その通りです。東の方の幾つかの貴族が、会計検査されてましてね。倉庫やらに溜まっていた破損品を一気に現金化したんですって。事情があって格安で引き取った商会でタイミング良く買えました。保証書こそありませんが、質は確かです」
「ふむ……良いね」
「でしょう」
ナータ商会は、モルテールン家の繋がりで東部の領地貴族にもある程度のコネがある。そこから、東部にも一定の情報源を持つ。
デココが弟子の言葉で思い出した情報によれば、隣国のルトルート辺境伯家没落と、領地の神王国併呑に伴い、東部貴族の勢いが一時的に増していたはずだ。大方、それを牽制するために、内務系の宮廷貴族辺りが動いたのだろうと思われる。新しく領地を貰った貴族などはともかく、古くから東部に領地を持つ貴族などは、調らべられれば後ろ暗いことの一つや二つはあるはずで、指摘を受けて現金が必要になることもあり得るだろうと思われた。
急な現金入手の方法としてありがちなのは、不要不急の遊休資産を割安で出入りの商人に売り払うこと。この場合、余計なことを詮索せず、口の堅い商人であれば結構なお買い得商品を入手出来ることがある。何故か奥方の指に合わない女性向けの指輪、などは分かりやすい事例だ。
正当な取引でありつつも、あまり表ざたにしたく無い経緯で仕入れた商品を、一般的な商会はどう取り扱うか。遠くから来た、信頼のおける行商人に売るのが良くあるパターンだ。身近で売り買いすれば痛くもない腹を探られかねないわけで、遠くに持っていってくれるのなら御の字というわけである。出入りの行商人としても、いい商品が安く手に入る機会。どちらも利があるウィンウィンの関係だ。
今回の出物も、その類だろうと思われた。
なら、何の気兼ねもなく取引できる。持ち込み商品全品、お買い上げ決定だ。
「しかし、今回は何でまた干し肉と鉄を選んだんだ?」
買うと決めたところで後は値段交渉になるわけだが、そこは師匠。さりげなく値段を下げるディスカウントのネタを探りに行く。
「へへん、そりゃ、噂を聞いたからですよ」
「噂?」
「何でもモルテールンで鉱山開発が始まるって噂です。他の連中は吹かしだと訝しんでいたようですが、俺には分かりましたね。こりゃマジだと」
「ほほう」
弟子の成長は嬉しいものである。
情報の正誤を見極めるのは、商人としては重要な要素。嘘やデマ、或いは誇張された情報を信じ、大損こいた事例など商人界隈では幾らでも転がっている。海辺で貝殻を探すより簡単だ。
嘘を見分ける。商人にとっては初歩にして奥義。
では、モルテールンで鉱山開発が始まるという噂はどうかというなら、“ほぼ”事実である。その点、モルテールン領やモルテールン家の内情に深く通じたデトマールだからこそ、気づけたに違いない。
「ここのペイストリー様が寄宿士官学校から大量に人を採用したとか、レーテシュ家と何やら重要な会談をしたらしいとか、確かな情報も掴んでましたし、鉱山開発ってのも当たらずとも遠からずだろうと」
「それで、干し肉と鉄か」
相変わらず、目の付け所が良い。弟子の力量に、師匠は嬉しさ半分、悔しさ半分だ。悔しさの部分は、買い叩くネタが減るという意味であり、嬉しさは勿論弟子の成長である。
「ええ。日持ちがする上に塩気の強い肉は、肉体労働者に良く売れます。酒の当てにもなりますし、鉱山みたいに人里離れた場所なら絶対需要があるってね」
「ふむ」
「鉄も、鉱山じゃよく消耗するじゃないですか。掘る道具は大抵が鉄製ですし」
「良い見立てだ」
一言一句、弟子の見立て通りだ。肉体労働者はとにかく汗をかく。人よりも水分と塩分とカロリーを必要とし、鉱山の様に人里から離れている場所にこれらを運ぶのは手間がかかる。その点、カロリーと塩分を同時に摂取できるものは好まれる。干し肉というなら確実に売れるだろう。
そして、採掘道具は鉄の様に硬いものでなければ役に立たない。その上、破損や摩耗は当たり前である。屑鉄を鋳溶かし、採掘道具を作る需要は極めて高い。これもまず間違いなく売れる。
「是非とも高値で買って下さい。確実に需要はあるんですし、八十でどうです?」
「肉をここから山まで運ぶ手間を考えてもらいたいね。需要があると見込むなら自分で運べばいい訳だし。鉄にしたって、このままではゴミだ。一度鋳溶かす手間を思えば、扱い辛さもあるし、鍛冶師との交渉も要る。運搬や再交渉といった部分を代行させたいなら、その値段では頷けない。六十でなら手を打つが」
「師匠、幾らなんでも手数料をぼったくり過ぎでしょう。鉄だって腐るものじゃないですし、何かあれば真っ先に値が上がるものじゃないですか。七十八でお願いします」
弟子は、今回は間違いなく良い品を運んできたという自信があった。ここは強気で押しても大丈夫だという見込み。
デココとしても、普通ならばここで弟子に花を持たせてやるのも良いのだが、それでも師匠としてやるべきことがあった。
「ふむ……弟子には一つ教えておこう。不確実な予測を基に交渉しては、足元を掬われる。六十五。理由は、外を見ればわかる」
「外?」
師匠に言われ、弟子は建物からでて辺りを見渡す。
確かに、何となく違和感があった。物凄く違和感を覚えるのは確かなのだが、何を起因として起きているのか。頭の中だけで間違い探しをしていたデトマール。
そして、一つの“あり得ないこと”に気づく。
「山が、山が無い!!」
デトマールの目に映った光景からは、有るはずの山が綺麗サッパリ無くなっていた。