246話 耳を疑う話
「話を聞こうか」
王都モルテールン家別邸。男爵位を持ち、中央軍大隊の一隊を預かる英雄の住まいとしてはこじんまりとした建物にある執務室の中、二人の大人と一人の少年が顔を突き合わせていた。
大人とは、モルテールン家古株の重鎮コアントロー=ドロバと、ペイスの父であるカセロール=ミル=モルテールン男爵の二人だ。王都に詰めきりで宮廷貴族としての職務をこなし、大隊を管理運営する軍務貴族の一人。
言うまでもなく、男爵自身はモルテールン領を所有する領地貴族でもあるのだが、大隊長の任に集中するために、領地運営の、即ち領地貴族としての職務の一切を息子に委任していた。
今日は、久しぶりに息子ペイストリーが会いに来た。何事かと思えば、重要な話があるから報告を直接しに来たという。
王都にいる間の、家中管理の一切を取り仕切るコアントローも同席をし、話を聞く態勢が整ったところでの先の発言。
カセロールは、息子の報告が如何なるものであろうと驚くまいと、覚悟を決めている。
「結論から単刀直入に報告します。レーテシュ家と“魔法の飴”について情報保護の協定を結ぶことになりました」
ふう、とカセロールはため息をついた。これは、覚悟していたよりかはまだ常識の範疇といえる報告内容だったからだ。
過去、ペイスがやらかしたことを羅列していくと、おおよそ一人の人間がやらかしたことだとは思えないことが並ぶ。
敵対する貴族を嵌めて没落させたことも幾度か。これが穏便な方だというだけで異常だ。
いきなり戦争をおっぱじめる算段を付けてきただとか、誰も聞いたことがないような“他人の魔法の転写”なることが出来ちゃいましただとか、世界をひっくり返す大発明をやっちゃいましたテヘペロだとか。少しは自重しろと説教したことは数知れない。
大の大人でも頭を抱える大問題を持ち込んできた過去に比べれば、他所の貴族と協定を結ぶことぐらいは可愛らしくさえある。
勿論、普通ならば子供が一家を代表して他家との条約交渉を纏めるというのも異常なのだが、既にモルテールン家の人間は、感覚が麻痺している。
改めて、内容を知りたいとカセロールはペイスに続きを促した。
「ふむ、詳しく教えてくれ」
「ことの起こりは僕が王都に招聘されたことに始まります」
「例の陰謀だな」
モルテールン家は、何かと目立つ家だ。当主が国王の覚え目出度き大戦の英雄にして、世に広く知られた魔法使い。領地はここ数年他家の追随を許さないほどの大発展を遂げており、宮廷貴族として招聘されてからは国家の重責の一翼を担うようになった。
足を引っ張りたい連中や、妬ましいと思っている連中は腐るほど居るわけで、それらの思惑からペイスにも陰謀の魔手が向けられたのだ。
旧来から貴族の世界では、領地貴族を中央に呼びつけ、適当な理由を付けたうえで不慣れな仕事をやらせ、失敗を待って罠を仕掛ける、などという陰謀はありふれていた。仕事に失敗したのは陛下の信任に背く行為だ、などといちゃもんを付けるとか、損失を補填する必要があるだとか、或いは思っていたほど優秀な人間でなく評判倒れだと風評を流すだとか、失敗させてしまえば足の引っ張り様は色々あるものなのだ。
ペイスも同じくこの策謀を受け、寄宿士官学校の教官という、明らかに不慣れと思われる仕事をさせられる羽目になった。領主とその息子を共に領地から引き離すことで、急発展する領地経営に待ったを掛ける意味もあったと思われる。
勿論、断ることも出来ただろう。
ところが、ペイスはこの策謀を逆に利用した。
「はい。僕は折角のチャンスだったので有望そうな者を鍛え、その功績を利用し、十名を超える卒業生を確保することに成功しました」
「あれは良くやった。当家の足を引っ張ろうとしていた連中も顔を青くしたことだろう」
足を引っ張ろうと手をだしたら、踏み台にされた。踏まれた連中は手痛いどころの話ではない。十歳そこそこの人間に、裏をかかれた挙句にしっぺ返しを食らったとなれば、世の笑いものとなってしまった。手が痛いどころか、大傷を負ってしまったわけだ。
今や、コウェンバール伯爵を始めとする、陰謀を主導していた貴族の一派は影響力を相当落とし、大人しくしている他ない有様である。
「ありがとうございます。この時、当家に引っ張れなかった教え子の一人が、王立の研究所に就職したのです」
「ほう、優秀だな」
「ええ。学生時代から頭は良かったですね。明らかに遅れたスタートながら何とかついていけるだけの要領の良さを持ち合わせている。その人物から、自分の研究室に協力して欲しいと依頼があったのです」
「ふむ」
件の陰謀に巻き込まれたのは、ペイスだけでは無かった。
陰謀を企んだ者は、寄宿士官学校で散々に荒らしまわったペイスに対し、堪らないとばかりに隔離先を用意した。勿論、直接的にではなく婉曲な形でだが、見る人が見れば、滑稽な話である。子猫を大人しくさせるつもりで撫でようとしたら手を噛まれて、慌てて籠の中に放り込もうとするようなもの。笑われるのも仕方ない。
用意された籠が、王立ハバルネクス記念研究所汎用魔法研究室。ここに先んじて就職していたのがペイスの教え子の一人であるデジデリオ=ミル=ハーボンチ。卒業時は上位席次だった有能な青年であるが、吃音症の傾向から人付き合いが苦手で、引きこもって仕事のできる研究職を選んだという。
その彼が、陰謀に巻き込まれる形で噂に踊らされ、ペイスを汎用研に引き入れたのが事の発端だ。
「巨大な飴細工を引き取ってくれるというので協力することにしましたが、その過程で、ついうっかり“魔法の汎用化”に成功してしまいました」
「……なに?」
今、何やらとんでもないことが聞こえた気がすると、カセロールは思わず聞き返した。
「魔法の汎用化に成功しました。飴細工を介して、恐らく殆どの人間が魔法を使えるようになります」
魔法の汎用化。つまりは誰でも魔法が使えるようになること。
素人が考えても、社会に与える影響が天文学的なものになりそうなことが想像できる。今まで魔法を使える人間は数万人に一人の割合で存在していたが、それがほぼ全員使えるようになるというと、単純に考えても魔法使いの数が万倍に増えるということだ。
この世界、魔法という物理現象を無視した超常の力を持つものは、例外なく重要な地位を占めてきた。これが崩れるとなれば、生まれつきの魔法使いは生死を賭す勢いで反応してくるに違いない。
カセロールとて、もしこれが他家の話であれば、その家を潰す方向に動いていただろう。
「頭が痛くなってきた。報告は受けていたが、もっと深い考えあってのことかと思っていた」
ついうっかりで、やらかしてしまうような物ではない。父親の頭痛は、酷さを増していくばかりだ。思わず頭を抱え込んでしまう。
「偶然の産物ですよ父様。罰則を兼ねてルミとマルクに実験させましたが、あの二人が王都からモルテールン領まで、僕の手助け無く【瞬間移動】することに成功しています」
「世の中がひっくり返りそうな話だ」
カセロールが使える【瞬間移動】の使い勝手の良さは、他ならぬカセロールがよく知っている。誰でも、少なくとも成人の時に魔法使いではないと判断されたルミとマルクに使えるというのは、一大事件だ。
「勿論、この件については最上級の情報防護措置を取りました。出来る限りの手当てをしましたが……何故かレーテシュ家“だけ”は嗅ぎつけてきました」
「狐と異名を取るほどの女傑だ。勘の良さだけなら国内一かも知れんな」
徹底して情報漏洩対策を行い、絶対に漏れていないと思えるにも関わらず、何故か嗅ぎつけてきた嗅覚たるや、狐の異名は伊達ではない。この場合は嗅覚と呼ぶべきだろうか。いっそ、嗅覚の鋭さ的に犬か狼か、でなければ豚あたりに改名した方が良いかもしれない。豚の嗅覚は犬よりも鋭い。
女狐改め、メス豚と呼ぶ。色々な意味で誤解を招きそうなあだ名であろう。これは無いなとカセロールは頭を振った。
「直接乗り込んで来た上に、カマ掛けはするは脅しはするわ……手段を択ばずっていうのは、ああいうことを言うのでしょうね」
「シイツからの報告は聞いている。兵三千を並べて威圧したそうだな。国軍にも正式な報告が上がっていた。自身の護衛の為という理由だったが。私の所にも事実確認があった」
国内とはいえ、他家の領地に軍を入れるのだ。誰がどう見ても軍事行動であり、批判されてしかるべきことだろう。しかし、物騒な世の中、女性が護衛の為に幾らかの戦力を侍らせるというのは暗黙の裡に認められている。
どこまでが適正な護衛であり、どこからが過剰な戦力なのか。議論しだせば水掛け論となり、決めることなど出来はしないだろう。だからこそレーテシュ伯が意表を突く形で動員して見せたのだが。
いざとなればこれぐらいのことが出来るのだという、明確な脅しである。
「当人もそうおっしゃっていました。旦那がか弱い女伯爵の身を案じたが故に、少々過剰になってしまったが、あくまで護衛であると」
「しらじらしい話だ。戦場に立ったこともあるのに、今更か弱いも無いだろう」
レーテシュ伯も貴族家当主である以上、いざとなれば戦場に立つべきである。これは神王国の伝統であり、不文律であり、掟だ。だからこそ、彼女の当主就任時、反対意見を抑えるために、自ら戦場に身を晒したこともあった。
か弱い、とはとても呼べない勇ましさだ。それでなければ海賊と呼ばれたレーテシュ家の、血の気の多い連中を抑えられなかったのもある。
今現在は、夫であるセルジャン=ミル=レーテシュが軍事のトップに居る。南大陸の伝統的なメンタリティとして、軍隊を率いるのは男が望ましいのだ。
つまり、形式上レーテシュ家の護衛の差配は夫の仕事。レーテシュ伯自身もあずかり知らないところで、過剰な護衛を用意されてしまった、と言われてしまえば彼女自身を強く非難することなど出来はしない。精々が嫌味を言える程度だ。
あくまで、自分の身を案じる旦那の心配性と、愛情の深さ故と開き直る態度。面の皮の厚さは、どこかの誰かといい勝負である。
「そこまでしてきたので、此方も本気ですっとぼけました。どうあっても尻尾は掴ませないつもりでしたが……向こうが、思わぬ交渉材料を出してきまして」
「何だ?」
ペイスの強かさ、狡猾さは、父親であるカセロールもよく知っている。領地運営を預けるほどであり、近い将来家督を譲るつもりでいるほどだ。自分よりもよほど賢いと思っている。
そのペイスが言う“思わぬ交渉材料”とは何か。
カセロールも緊張する。そして、ペイスが一言。
「カカオ豆です」
一瞬、カセロールはペイスが何を言っているのか理解できなかった。
たかだか豆ごときで、国家を揺るがすような重大な技術についての情報を天秤にかけるものなのか。あり得ない話、と考えたところで、自分の息子の唯一にして最大の欠点を思い出した。
「……はぁ、分かった。お菓子だな」
自分の息子は神に愛された神童、と言って憚らないカセロールではあるが、息子の趣味についてだけは何度となく矯正を試みて、諦めている。
僅かな支出にも四苦八苦している貧しい時から、お菓子という贅沢品を求め、更にはそれが高じて自分で作り出すといった、趣味の権化。お菓子の暴走馬。スイーツモンスター。今回ももし趣味を領地の政務より優先したのだとすれば、由々しき事態である。
顔つきが険しくなるカセロール。
「はい。ですが、僕の趣味というだけではありません。カカオ豆は非常に大きな価値を持つのです」
ペイスは、勿論父親の懸念を理解している。だからこそ、こうやって説明に赴いたのだ。
「大きな価値?」
「はい。冗談抜きに、国家経済を左右する潜在価値があります」
「そんなにか!?」
ペイスの発言に、カセロールは驚愕した。カカオ豆について、確かに聞いたことのない豆の名前だったからには、珍しいものなのかもしれない。特産品になる可能性はある。
将来を含め、自分の領地の経済を左右するというならまだ理解できる。実際、豆作を行うようになって農業生産量が劇的に改善した過去もあるからだ。
しかし、国家経済とは一つの領地云々と比べても桁が違う。
「これからカカオについては一大産業になると確信します。出来る限り早期にこれの栽培技術を得なければ、レーテシュ家に栽培技術を独占されてからでは非常に拙い事態を産むと判断しました」
「なるほど、それで“魔法の飴”の情報と交換したか」
「ええ。バーター取引です。僕は、この取引は正当……いえ、当家の方がプラスだとさえ思っています」
ペイスが汎用魔法の情報と引き換えに手にしたものは、カカオ豆そのものの他に、今後の優先的なカカオ豆購入権もある。他にも幾つか、レーテシュ家側に負担してもらえるものと引き換えに、汎用魔法の情報をほぼ全て話した。勿論、研究者の引き抜きは絶対に許さないという条件で。
今後、レーテシュ家としては、モルテールン家と同じように汎用的な魔法の技術入手を模索するのか、或いは成果のみの購入と独占を狙うのか。情報があまりにもデカすぎた為に、今後の検討とされた。勿論、秘密協定である。レーテシュ家が本気で情報隠匿に動けば、情報を探り出すのは仮に王家でも難しいだろう。
「私にはその、何といったか」
「カカオ豆ですね」
「ああ、そのカカオなるものがどれほどの価値を有するか分からない。個人的な意見で言えば、たかが豆に世界を動かす大発明と同等以上の価値を見出すことは出来ないが、お前がそこまで確信を持って断言するのであれば、信じよう。元より領内のことはお前に任せたのだ。家のことは私が決めるが、領のことはお前が決めたことが最終決定だよ」
結局、カセロールとしては息子の話を信じるか否かということに終始する。ペイスがカカオ豆に見出した価値が、本当に国家を動かせるほどの価値を生むものなのか。信じがたいというのが正直なところであっても、息子の言葉を信じるのがカセロールという男だ。
息子が断言したのだ。ならば、最後の責任は自分が取るから好きにやれと、力強い言葉を掛ける。
「それで……実は父様に相談したいことが一点」
しかし、ペイスは更にまだ何かあるという。
ここまで大きな話がポンポン出てきた後の、相談事だ。身構えて当然である。カセロールの体が強張る。
「何だ?」
「一つ、無くしてしまいたいものがあるのです。結構大きいものなので、父様に事前に相談しておくべきだとシイツに言われまして」
「言ってみろ」
シイツがカセロールに相談するべきという。嫌な予感しかしない。責任をどうあってもカセロールに背負わせたいという意図が透けて見える。面倒ごとを押し付けられたのではないかという冷や汗が、男爵の背中に流れる。
「……山を消そうと思います。出来れば山脈ごと」
やはり、とんでもないことを言い出すペイスだった。