244話 危機のお知らせ
その日、従士長のもたらした一報から慌ただしい一日が始まった。
「レーテシュ伯から連絡がきた?」
モーニングティーを和菓子で味わうという和洋折衷を楽しんでいたペイスの元に、シイツが駆け込んできた。久しぶりにゆっくりと朝の時間を過ごせるかと思っていた矢先のこと。実に無粋とペイスは顔を顰める。
聞けば、彼のもとにレーテシュ伯からの使いを名乗る人間が来たというのだ。朝っぱらから中々のサプライズである。モルテールン領を訪れる客人は年々増加しているが、それにしてもかなりの大物のご登場だ。
「伯ご自身が乗り込んでくるってことらしいですぜ」
知らされた内容は、近々レーテシュ伯自身がモルテールン領を訪ね、ペイスに会いに来るというもの。南部屈指の大貴族が、わざわざ足を運ぶのだ。容易ならざる事態であることは間違いない。
何より、領地に訪ねてくるというのが物騒さを増している。モルテールン家の現当主はカセロールであり、王都に居るのだ。それを差し置いて領地に直接やってくるという時点で、先方にどういう意図が有るにせよ、此方の穏やかに済まそうという願望は叶いそうにない。
「……穏やかではありませんね。訪問の理由は?」
お菓子を摘まみながらお茶を飲むペイス。ここにきてもマイペースなのは流石というべきだろうか。
「とりあえず、会って話したいことが有るとだけ」
「どういうことでしょう?」
「さて、耳の早いレーテシュ伯直々ってんですからね。何か嗅ぎつけたのか……どう見ます?」
ペイスは、伝えられた内容に首をかしげる。会って話したいことがある。それだけを伝言として持たせ、直々に会いに来る。このメッセージを、どのように受け止めるべきか。しばらく考え込むペイス。
シイツなどは、その間じっと傍で待つ。なんだかんだ言って、いざという突発的な事態の時、ペイスの判断と決断は頼れるものだからだ。なりは子供で、普段はお菓子お菓子と騒いで余計な事ばっかりしくさりやがる傍迷惑な問題児だったとしても、頼るべき時には頼れる次期領主。領主代行の肩書に、誰もが異を唱えないだけの実力を知るからこそ、じっと待つ。
考えがまとまったのだろう。しばらくして、ペイスがにやっと笑った。
「ご機嫌伺いや季節の挨拶ってことも無いでしょう」
「そりゃまあ」
大身の貴族が何日も掛けて男爵領にやってきて、やあやあご機嫌麗しく、などと挨拶して帰る。そんな阿呆な話はない。逆の立場なら大いにあり得る話だが、今回のケースには当てはまるまい。
「レーテシュ領か、レーテシュ家の家中で問題が起きたのか、でなければ、うちの秘密を探りに来るんでしょうね」
ペイスは、レーテシュ伯がやってくる理由について、幾つかの可能性を考える。
「レーテシュ家に問題があるとは?」
「あそこは女系です。後継者問題が勃発し、治める為にうちに協力を求める、というのはあり得ます」
元々レーテシュ伯家には、当代から言って後継者問題がある。
貴族家の当主というのは、神王国の常識からいっても男性が望ましいとされている。これは、神王国貴族が騎士であることを求められるからというのが一点。
騎士が興した国であり、全ての国家制度の基本が騎士を中心としたものである神王国において、戦場で戦えない貴族というのは、概念として矛盾するし、実在すれば蔑まれる。
戦えない侍、みたいなものだ。
戦場で切った張ったと戦う可能性を考えれば、やはり体力的に勝る男性の方が望ましい。レーテシュ家のような女性当主は、元より伝統と常識に反するのだ。
また、一家繁栄を考えたときでも、女性当主というのは不安が残る。乳幼児の死亡率がそれなりに高いこの世界、保険という意味でも子供は多いに越したことは無い。また、信頼できる分家を増やす為にも、当主にはどんどん子供を作って欲しいわけだ。しかし、女性が当主であると、子供が出来るたびに家中の政務が停滞することになる。出来ることなら、女性は奥に入り、子供を産み育てることに集中し、男の当主が政務に専念する形が、多くの神王国人が望む理想的な形なのである。
故に、当代が今の地位にいることを、そもそも好ましくないと思っている親戚は多い。あわよくば自分が当主になれるかもしれなかった親戚筋の男性達などの中にも、当代当主を隙あらば引きずりおろしてやろうと考える人間がいる。伝統と合理に則っていて、ある程度の大義名分が成り立つだけに質が悪い。
これを力づく、実力と実績でもって黙らせているのが現状。並みの男よりもはるかに優秀であり、実績があるからこそ認められているという事実がある。かつては本当に揉めまくっていたのだ。
今現在は燻っていた当代の結婚問題も解決し、子供も生まれている。幾ら残り火があるとはいえ、今すぐに当主交代のクーデターが起きることは無いだろう。だからといって油断できるものでもないのだが、とりあえずは大丈夫。
しかし、次代はどうだろうか。
今のレーテシュ家で後継者となるべき子供は三人。すべてが女児であり、また三つ子であることから年は全く一緒。能力的な部分も団栗の背比べ。まだまだ未知数であり、教育次第では三人の誰が抜き出てもおかしくない。
いずれ子供たちがレーテシュ家を継ぐとして、三人の誰であっても女性当主ということで足元が弱く、また全員がほぼほぼ等しく当主になる可能性から、争いの火種になりやすい。親でさえ見分けが付きにくいのだ。赤の他人からすれば、三人ともが同一存在に見える。
後見として良い思いをしようと企むなら、よだれが出るような美味しい状況ではないか。例えば当代で当主になれなかったもの達ならば、三人娘の誰かを担いでリベンジしようとしても不思議はない。
次代の後継者争いの種は盛大に撒かれている。もし事前に芽を摘もうと思えば、わかりやすいのは政略結婚による地盤固めだ。
「つまり、まだ坊を諦めてないと?」
「流石にそれは無いと思いますが、南部の安定を求める為にうちに声を掛けるというのはあり得ます」
「南部の安定ねえ」
「あの家は三つ子の娘が三人。将来はこの中の誰かがレーテシュ家を継ぎ、その婿と婚家はあのレーテシュ家の財力と軍事力を手にする可能性がある。婚約者は慎重に選びたいところでしょう」
「そりゃそうでしょうぜ」
神王国の常識として、いつの時代も子供の結婚による家同士の結びつきというものはとても重要視されてきた。婚姻政策の効果は、家というもので物事を考える貴族にはとてつもなく大きい。
「南部閥を纏めるレーテシュ家からすれば、他派閥の人間を家中に迎えるのはリスクがある。かといって、南部閥で有力な家といえば……」
「うちか、ボンビーノ家かでしょうぜ。デトモルト男爵では格落ちですし、リハジック子爵は落ち目ですか。後は似たり寄ったりですぜ」
娘が三人いて、誰かが跡を継ぐとしても、婿を取るしか選択肢としてはあり得ない。まさか全員外に出してしまうわけにもいかないだろうし、実子が居るのに養子をとるというのも更に後継者問題を悪化させるだけだ。
ならば、どこから婿を取るかという話になる。
ここで大きな問題が幾つかある。レーテシュ家の当代の時にも問題となったが、まずは家の格の問題。幾ら当人同士が好きあっていようと、現実問題として婿にはそれなりの家からもらうしかない。教育水準が家ごとでバラバラな神王国では、平民階級の人間が国のトップに近い大貴族に婿入りしたところで、そもそも役に立たず居場所がなくなる。小学校卒業程度しか知識がない人間を、いきなり大企業のトップや国政の中枢に据えて、上手くいくはずがないのと同じだ。然るべき家で、きちんと教育を受けた人間でなければ、レーテシュ家の婿にはなれない。資格がない。
また、派閥の色というのも大切になる。レーテシュ家は、意外なことだろうが外務閥に属する。聖国との外交や貿易の窓口になっているからなのだが、南部閥と言われる地方閥には軍系の貴族も多い。もしここで、外務閥、或いは内務閥から婿を取るとどうなるか。ただでさえ外務閥の色合いが強いレーテシュ家が、更に外務閥として濃くなっていくのではないか。内務閥の色がついて、相対的に軍務閥を蔑ろにするのではないか。そのような危惧も出てくる。南部閥の結束に揺らぎが生じ、動揺することは明らかだ。
理想を言えば、レーテシュ家より若干劣る程度の格で、金銭的にレーテシュ家並みに豊かな、軍務閥に属する、南部閥貴族。これがベスト。最善の選択肢になる。
該当者が限られるという点を除けば、要求は明らか。
「直接うちと繋がってしまえば拙いでしょうが、例えばボンビーノ家の遠縁の人間を、うちが後見する形で迎え入れるとかどうですかね」
「程よい距離感で、他所からの影響力を気にせずに済むってえ話ですかい?」
「婿を迎える以上、大なり小なり影響は受ける。ならば、その影響は最小限に留めたいはず。だからこそ、南部の中の弱小貴族から婿を入れる。格落ちによる反対意見はうちやボンビーノの看板を理由に押し切る。どうです?」
ペイスなりの政治的センスで物事を見るのなら、レーテシュ家の三人娘に婿を取って跡を継がせるのなら、レーテシュ家と同じ南部閥の有力貴族の家から婿を貰うのが最善だ。ただし、直系に近いところではなく、出来る限り傍系の所から貰う。
レーテシュ家がこれまで通りの独立性を保ち、婿の婚家に配慮する必要もなく、それでいてメリットもちゃんと確保できる。最善の策となるのではないか。
あとは、当人同士の気持ち次第になる。
こういった婚姻外交は、当人の気持ちを抜きにして、何年も前から根回しが行われる。レーテシュ伯直々にモルテールン家を訪ねてくるのには十分な理由だ。あわよくばペイスを。最低でも協力を。レーテシュ家としてはモルテールン家の好意を勝ち取りたいところだろう。
「ありそうですぜ。で、うちの秘密が漏れてるとしたら、何でしょうかね?」
ここが本題だ。
レーテシュ伯がやってくる。勿論色々な理由が考えられるが、彼女直々に動くほどの大問題であり、その問題がモルテールン家側にあるとしたらなんであるか。
勿論、件の大発明以外にない。
「……魔法のキャンディーでしょう」
「ああ」
ペイスの答えにも、九割がた予想済みだったシイツが、溜息を落とす。
「あれほど徹底して情報を隠していたのに、どうやって嗅ぎつけたのか。正直、恐ろしくさえありますね」
「とんでもねえ嗅覚でさあ。いっそ、ニンニクでも嗅がせた方が世の為でしょうぜ」
ペイスは、汎用研で研究していた時から、徹底して情報を隠匿してきた。細心の注意を払い、絶対に情報は漏れていないと確信できるほどに機密保持の対策を行ってきたはずなのだ。
にもかかわらず、情報を嗅ぎつけたとなれば、レーテシュ家の情報収集能力恐るべしという他ない。それほどモルテールン家を厳重に監視していたのか。或いは、王立研究所にとんでもなく優秀な情報収集体制があるのか。
何にしたところで、もしも嗅ぎつけられていたらば厄介である。
「……しかし、嗅ぎつけたと言っても、推測の範疇でしょう。何か怪しい、と感付いたってところでしょうね。具体的な情報を掴まれたとも思えない」
しかし、ペイスはレーテシュ伯の思惑について、どれだけ情報を掴んでいようと、確信を持つまでには至っていないと推察する。
断言してしまうペイスの意見に、シイツは疑問符を浮かべる。
「何でそう言い切れるんで?」
レーテシュ家は知られた大家。モルテールン家とは比較にならないほどの情報網を持ち、抜かりなく情報を集めている。彼の家が本気になったなら、もしかしたらペイスが隠していた情報まで確信に足るだけの何かを掴んでいるかもしれない。
可能性の問題として、あり得るのではないか。ならば、最悪を想定しておくためにも、向こうが確信を持っていると思っておいてもいいのではないか。
シイツ従士長はそう考えたが、ペイスの首は横に振られる。
「確信を持てるだけの証拠が有れば、わざわざレーテシュ伯自らが来る必要が無いからです。うちから何らかの成果が欲しいなら、情報秘匿に協力するといえば良い。具体的に何をどう守るかを交渉材料にするわけで、そんな細かい話は予備交渉でしょう」
「なるほど」
「わざわざトップが来るのは、トップで無ければ判断できない問題が起きうると考えているから。つまり、不確定要素が多いと思っているからです」
レーテシュ伯が自分で交渉せざるを得ない事態を想定している。これは、モルテールン家との交渉が困難になると予想しているからだ。
交渉が困難になるのは何故か。
レーテシュ伯としても、見えていないことが多いからだ。
予想のできない隠し玉があるのではないか、ペイスなりに交渉でひっくり返される、或いは完璧にすっとぼけられる可能性があるのではないか。こう考えているに違いない。
つまり、確信が持てていない。そうペイスは断言したのだ。
「だから、具体的なところまでは漏れてねえってことですかい」
「ええ」
ペイスは、自信満々で頷く。
どうあろうと、レーテシュ家との交渉でボロを出すことは無いだろう。そう思っての発言だった。
交渉当日、やって来たのは三千を超える、完全武装の軍隊だった。