177話 騙し騙され
「ペイスっ……様!!」
ヤントが、王都のモルテールン家別邸に息せき切って駈け込んで来た。傍にはアルも同じようにぜえはあと喘ぎながら居る。
急ぎのあまり、自分たちの上司をつい昔から親しんでいた呼び方で呼ぼうとして、取り繕ったのは御愛嬌だろう。
「ん? ヤントか。うちの若様は領地に戻って居らんぞ」
そんな二人を執務室で出迎えたのは、モルテールン家の重鎮にして王都での政務補佐役として業務をこなすコアントローだった。
領地の運営に関わる業務の一切は領主代行としてペイスが全権を預かっているが、王都では王都に居るなりに業務がある。
各種の催しごとや冠婚葬祭への参加或いは代理、別邸を訪れる来客の対応、陳情や交渉を目的とする他貴族への応対、屋敷の維持管理などなど。細かいことまで含めると、かなりの業務が発生する。
これに加え、カセロールには国軍大隊長としての仕事もある。こちらは業務として隊長を補佐する役職があり、ほとんどコアントローが関わることは無いが、関わっている人間関係から生じるしがらみは、家中の仕事だ。
例えば訓練中に怪我をした隊員に対し、補償を行ったり家族へ説明したりなどは大隊内部の公的な仕事で、副隊長あたりが手続きなどを代行できる。だが、個人的なお見舞いは家中の執務。モルテールン家のことに大隊の人間を使えば、公私混同である。
こういった線引きも含め、家の中の雑事を行うために、コアントローは王都での内向きの仕事の大半を任されている。
執務室の主の如く、新人二人を出迎えたのはそのためだ。
「ああ、そうだった。しまった」
ヤントは露骨にがっかりした。
感情を隠す術も教えるべきだな、などとコアントローは冷静に見ている。
「戻ったのはお前もさっき見ていただろう。折角の休みに、そんなに慌ててどうした? 何かあったのか?」
「かなりとんでもない情報を掴んで、慌ててとんで帰ってきたんだ……です」
コアントローは、ヤントの父グラサージュの同僚。小世帯で、村ぐるみが家族付きあいも同然だったかつてのモルテールン領で育ったヤントからしてみれば、親戚のおじさんのようなものだ。ついつい口調が乱れそうになるが、そこら辺をしっかりと叩き直された今となっては、中々面白いことになっている。
コアントローは苦笑した。
新人のうちにはしっかり芯を叩きこんでおくことも大事だが、自分の子どもか、甥っ子に近い相手から他人行儀にされることもまた座りが悪い。
堅苦しいことは、もともとモルテールン家の家風ではないと、言葉遣いを崩すようコアンは言う。
その上で、新人二人が慌てて駆けこむほどの内容について、先を促した。
「とんでもない情報?」
「ああ。おっちゃん、東の方に劇場があるの知ってるよな」
「劇場……ああ、あのでかい建物か」
四十も過ぎたコアンであるが、元々平民だったこともあって、王都には詳しくない。いや、一部詳しい地域もあるが、貴族街については殆ど知らない、というのが正しい。
カセロールが瞬間移動の魔法を使えることもあり、近年までは王都にはモルテールン家の別邸というものも無かったのだ。貴族街を出歩く機会など皆無。貧乏所帯だった頃などは、平民の使う素泊まりの宿を拠点にしていたこともあるほどだ。平民街の方のガラの悪い一帯ならば土地勘もあるのだが、貴族街は下手すれば迷子になりかねない程度の土地勘しかない。
それでも辛うじて、ここ最近の知識で劇場と思しき建物を思い浮かべる。
「王立だか国立だかのでっかい奴さ。そこで今、とある劇が準備中なんだけどさ」
「ほう」
「その劇の内容が、俺らモルテールンの活躍と、レーテシュ家の友情を描くってものらしい。伯爵家が後援者になって、近々大々的に客を集めるらしい」
「何!? 情報源はどこだ?」
「実際に劇を演じることになる劇団員からだよ」
コアンは驚く。王立の劇場となれば、演じる劇団員も一流のはずだ。彼らの規律は高いはずで、総じて口も堅いはず。情報収集の相手として、機密保持を徹底された従士や貴族ほどでは無いだろうが、酒場の酔っ払い相手よりは遥かに難しい。
少なくとも、新人に毛が生えただけのラミトなどではまだまだ無理なレベル。専門の知識と技能を持った外務官が必要なレベルだ。そう思えば、難しい相手から情報収集して見せた上に、持ち帰った情報が有用だったのだから、ヤントとアーラッチのお手柄だろう。
「ふむ……これは、放置できない問題だな」
レーテシュ家がモルテールン家に内緒で、モルテールン家を持ち上げるような内容の劇を興行する。コアントローはこの手の政略や謀略にはとんと疎いが、無知という訳でも無い。
少なくとも、ことが自分の手にあまり、二人が駆け込んでくるに足るだけの重要な情報であることは分かった。
「アル、お館様に伝言を頼む」
「り、了解」
新人二人は、水差しの水を空っぽにしたところで、更に仕事を振られる。
人使いが荒いのはお家芸だが、走り込みで息が上がっているところで、更に走らせるぐらいならばまだ易しい、と思える程度には修行した身。
アーラッチは二つ返事で了承し、部屋を飛び出していった。
貴族街のモルテールン邸から、カセロールの居る場所まではさほど遠くない。
アルの伝言を仕事中に受けたカセロールは、すぐさまそのままアルをモルテールン領に【瞬間移動】させる。事の次第をペイスに説明させるためだ。自分が大隊指揮の為に身動き取れないこともあり、細かいことをペイスに丸投げする為でもある。
そしてペイスもアルの説明を受け、ことの重大さを知る。
早速とばかりに、王都にとんぼ返りだ。
仕事が溜まっていたところで、ようやくペイスが戻ってきてくれたと喜んでいた従士長は、ぬか喜びしたことに憤慨したとかしないとか。
「若!!」
「コアン、状況はアルから聞きました。厄介なことになっているようですね」
「身共では手に余ります。夜にはカセロール様も戻られるとのこと」
「ふむ、ではそれまでにするべきことをしましょう」
カセロールも軍の重鎮として、また王宮に常駐する宮廷貴族として業務を抱える身。精鋭を精鋭として保つ訓練や、貴族街での警邏。またそれらで発生するトラブルの対応。他隊との折衝や連携や、上層部との連絡。関係部署との交渉。隊員の管理業務等々。忙しい立場である。夜に別邸に帰って来るとはいえ、遅くなるかもしれない。
それまでにしておくことは、情報の裏付けと詳細の確認。更に、対応策の検討をある程度済ませておいて、カセロールが出来るだけ短い時間で意思決定できるようにサポートするのがコアンの仕事であり、今のペイスの役割。
「アル、ヤント、二人は手分けして、街に散らばっている当家の者を呼び集めなさい」
「承知しましたペイス様!」
新人の行動を一番よく知るのは、同じ新人だろう。現在の王都では、モルテールン家の新人が余暇を楽しんでいる。休みなのに呼び戻される新人達には可哀想だが、これもまた訓練の一環として諦めてもらうしかない。
二人が飛び出していった後、コアンとペイスは新人には言えない相談をし出す。
「コアン、当家の王都での情報網はどうなっていますか?」
「宿屋、酒場、娼館には手が伸びてます。あとは、ナータ商会の支店があり、ここはうちの王都での耳でして、そこと取引のある幾つかの商会にも協力者が居ます。王宮の中では幾人かの情報提供者が居ますが、レーテシュ家と対抗できるほどでは無いでしょう。第二大隊の隊員は、かなり融通が利きます」
「結構」
個人情報保護法も、スパイ防止法も、業務機密の保持義務も無い世界。僅かな対価で知り得る情報を喋る人間は多い。それでも、有益な情報を得る手段というのは限られているわけで、正確で素早く情報を得るためには、金と人員が掛かる。有力な貴族は、こういったことにお金を惜しまずつぎ込んでいるために耳聡く、またそうでなくては情勢を見誤ってしまいかねない。
モルテールン家も王都に別邸を構えて役職に就くにあたり、それ相応の情報網の構築に勤しんだ。責任者はコアントローである。
モルテールン家の表ざたに出来ない情報網。この情報網の存在を知るのは、カセロール、ペイストリー、コアントロー、シイツの四人だけ。詳細を知るのはカセロールとコアンだけだ。
「情報を集めるのに、どの程度時間が掛かりますか?」
「半日は欲しいところです。あまり焦ると、我々の動きを怪しむものが出るでしょう」
コアンの意見に、ペイスがじっと考え込んだ。
「……多分、アルとヤントが慌てていたことで、何事かと訝しむところは出て来るでしょうね。うちは人気者ですから」
ペイスのいう人気とは、好意的なものではない。二十年ほどの間に、平民から貴族に成り上がり、おまけに男爵位まで授与され、経済的な成功を収めつつあり、更には国軍でも地位を着々と固めるモルテールン家を妬む輩は、掃いて捨てるほどいる。
そして、妬むのではなく警戒している家も多く、モルテールン家の一挙手一投足は、常に監視されているとみて間違いない。
何か問題を起こした時、モルテールン家が隠ぺいするより先に情報を掴み、足を引っ張ってやろう、と手ぐすね引いて待ち構えている、蜘蛛のような陰険な連中だっているのだ。王都のドロドロとした権謀術策の中で動くのは、それ相応の配慮が必要。
「僕はこれより、欺瞞情報の流布に動きます。さしあたって……うちの人間が裏路地で襲われて怪我をした、という情報を流しましょうか」
「ふむ、いいですな。流石は若です」
嘘の情報を流す時、全く根も葉もない話ではすぐに嘘と気付かれてしまう。それよりは、本当のことを多少捻じ曲げて伝えたり、誇張して伝える方がいい。本当の部分がある以上、全容の把握には時間が掛かるだろう。
今回、レーテシュ家が何か企んでいる、と知ることが出来たそもそもの発端は、偶然にも治安の悪いところに迷い込んだ人間が、偶々襲われている女性を助けたところ、その女性が関係者だった、というもの。ここまで偶然が重なった事情だけに、レーテシュ家としても自分たちの行動がモルテールン家に知られているとは思っていないだろう。
ならば、襲われたところまでの部分を誇張、或いは捏造して情報を流布し、さもそのことで慌てているように装っておけば、有象無象の目は誤魔化せる。
「襲われたのは……僕にしますか?」
「ほう、それはまた何故?」
「僕は襲われる理由が多いからです。モルテールン家嫡子、広く知られた魔法使いで、聖国やサイリ王国の恨みを買っていて、領政改革の主導者で、領主代行。どれか一つでも狙われる理由には十分なので、僕が襲われた理由を推測するのは困難になる」
「ふむ」
モルテールン家は目立つ。おまけに、切った張ったの武勇伝には事欠かず、逆恨みも含めれば恨み、妬み、嫉みの類は幾らでもあるし、活躍を邪魔したがっていたり、目障りに感じている人間も多い。本当に襲われていたなら、犯人の容疑者は軽く百を超えるだろう。
そして、モルテールン家の嫡子が襲われて怪我をしたとなればモルテールン家がドタバタしていても不自然ではないだろうし、先の理由で事実確認はほぼ不可能。モルテールン家を見張って居るであろう者たちの情報のリソースを、無駄に浪費させるに丁度いい。
「では、僕は部屋で寝込むことにしましょう。新人たちが戻って来たら、また別途指示を出しますが……僕への襲撃があった、という体で、レーテシュ家が何をしようとしているのかを探ってください」
「分かりました」
早速とばかりに、ペイスは部屋で寝込む。ような真似をするはずもなく、厨房でこれ幸いとお菓子作りを始める。
言い訳を上手に作って趣味に邁進することにかけては、ペイスの右に出る者もいまい。
上機嫌で鼻歌を唄いながら、以前から試してみたかったキャロブチョコのシフォンケーキが焼き上がった頃。すなわち、日も沈みかけた夕方に差し掛かる頃。
ペイスのお楽しみは、強制終了させられた。
「ペイス!!」
モルテールン家の主、カセロールの帰還である。
「父様、お早いお帰りですね」
「お前、身体は大丈夫なのか!?」
父親は、何故か酷く慌てている。
「はい?」
「お前が大けがをして寝込んでいると聞いて、私は飛んで帰って来たのだ」
カセロールは、家族を心から愛する、頼れる父親である。子供たちを愛情をもって育てて来たし、妻とは仲睦まじく互いに助け合ってきた。だからこそ、親馬鹿という称号も、カセロールにしてみれば誇らしくさえあったのだ。
そんなカセロールの元に、欺瞞情報の方が先に届けられた。これは当然のことだ。隠そうとしている本当の情報と、流布しようとしている欺瞞情報。どちらが耳にし易いかなど、考えるまでもない。
ペイスが暴漢に襲われて怪我をした、という内容。尾ひれがつくことはあっても、収束する気配のない噂に、親馬鹿の誉れも高いカセロールは気もそぞろとなり、仕事を無理やり副隊長に押し付ける形で、家にとんで帰って来たのだ。
そこで見たのが、呑気にお菓子作りをしている息子。何をか況や。
「……ああ」
ポンと手を打ったペイス。そういえば、新人達には指示を伝え、母親やコアントローと言った別邸の主だったものには事情を話していたが、肝心のカセロールには何も言っていなかった、と今更ながら気付いたからだ。
尚も飄々としている息子に、カセロールは事情を大よそ察した。こめかみには血管が浮き出ている。
「無事だったなら、先にそう伝えんか、このバカ息子!!」
久しぶりの父親のゲンコツは、手加減無しの痛さだった。