第134話 少女の初陣*
「報告は、以上です」
デラロという男が、偵察報告を終えた。
「ふむ……」
エピタフは、いつになく真面目な顔で、椅子に深く座りながら考え込んでいる。
アンジェのほうも、頭の中は激しく思考していた。
橋が落とされ、前線に金髪の姫が二人も出てくる。
彼女らは、こちらが探しに探して、ようやく見つけるものではないのか。
斥候と分かっていて、脅威には感じていなかったにしろ、彼女らが最前線に居て、斥候に見られ、こうして報告に上がってくる。
なんとも違和感がある。
もっとも、斥候を引き付けるために姿を晒した、という可能性もあった。
そうやって深入りした結果、デラロという男の隊は六名が死亡し、彼を含めて二名しか帰らなかった。
それでも帰ったのだから、偵察としては成功ではあるが、伏撃の包囲領域に深く入り込んでいたのは事実だ。
包囲領域に招き入れるために、金髪の姫を使った。
理由としては考えられるが、釈然とはしない。
あれらは、敵にとっては最優先保護対象ではないのか?
だとしたら、橋が落ちたのにこちら側に居る、というのは、どういう理屈なのだろう。
分からない。
何かしら理由があるのだろうが、すっきりこれと分かる理屈は思い浮かばなかった。
「弱兵に覚悟を決めさせて、我々と正面から戦おう、というわけでしょうか……」
エピタフが一つの解答を言った。
安直に過ぎるように思えるが、状況にくっつける理屈としては、一応の筋は通っている。
だが、先ほどデラロは、敵方は多くても百に満たぬようだ。と報告をしていた。
長耳以外が相手であれば、向こうもこちらの兵力を知っているとは限らないのだから、そういう戦法を取る可能性はある。
つまりは、死を覚悟させ、正面からこちらと戦おうとしている。
だが、今回の長耳は、行軍の途中で、またしても燃える兵器を投下し、こちら側の補給を焼いた。
あれによって、ただでさえ不安な補給に打撃が与えられ、元々厳しかったものが更に揉みこすられるように厳しくなった。
敵方は巨大鷲を使ってこちらを捕捉しているのは間違いない。
それを考えれば、果たしてこちらの戦力を把握していない、ということがありえるだろうか?
千対百であれば、いくら橋を落として死兵と化そうとも、分が悪い戦いだ。
そういう判断を……あの逃避行を演じたユーリ・ホウという者が、行うものだろうか。
しかし、
「ありえる話ですね」
と、アンジェは結局エピタフに追従した。
そもそも、ユーリ・ホウが率いているとは限らない。
何かしらのイレギュラーが起き、金髪の姫が率いているのかもしれない。
アンジェにも、この状況で橋を自ら落としてしまう理由は、エピタフが述べた理由以外には思いつかなかった。
故郷が近く、逃げ腰になっている兵は弱い。
死ぬ覚悟が揺らいでいるから、命を惜しんですぐ逃げ出すようになる。
父の教えの一つだ。
橋を落としてしまうことで、否が応でも敵と正対しなければならない状況を作り出すことは、逃げ腰の兵を叱咤する効果を期待できる。
この効果は、現実に間違いなくある。
姫が前線に出て指揮することも、励ましにはなるだろう。
「アンジェリカ殿、あの橋の周辺の地理を教えてもらえませんか」
「はい。おおよそですが、よろしいでしょうか」
「もちろん、構いません」
アンジェの頭の中の地図も、必ずしも正確なわけではない。
地図というのは、領主がよほど熱心に取り組んだものでもない限りは、案外いい加減なものだ。
アンジェは、手元にあった羊皮紙に、簡単に地図を描いた。
「矢印が川の流れです」
「こちら側に、今通っている道とは別に、二本の街道が通じているのは事実なのですね」
エピタフは指差しながら言った。
「街道と言って良いのは、今進んでいる道と、東のほうに通じている道だけです。北方の道は、登山道のような小路で、おそらく馬車も通れません。山脈を貫いて反対側まで通じている、つまり峠道というような形でもないはずです」
たしか、略奪されて流れてきた本に載っていた絵図だった気がするが、記憶はおぼろげだった。
どのような意味のある道かもわからない。
色々な本や、シャン人の奴隷の話を聞いて、地図を作ったアンジェだったが、今回の遠征では間違いを見つけることが多かった。
わりと大きな街道と思っていたものが、ただ林に入るためだけの獣道じみた林道だったり、道を進んでいたら急に地図にない大きな街道が現れたりと、失敗が多い。
ただ、山脈を越える峠道ではないことは、ほぼ確かなように思える。
アンジェの記憶によれば、ここから川を渡らず山脈を越える道は、更に北方に山脈を避けるように進み、すそを這うようにして迂回する道しかない。
山脈の谷となっているところを選び、山脈越えをする峠道は、もっと南のほうにしかないはずだ。
「なるほど……では、こうしましょう。幸いなことに、敵は橋付近の道に陣取って待ち構えてくれている」
エピタフは、アンジェの描いた地図を引き寄せ、自らもペンを取った。
朱色のインクをつけると、
「そこで、部隊を運動させ、こうします」
すっ、すっ、と赤い線を引いてゆく。
「どうでしょう。こうすれば、悪魔どもは一網打尽にできます」
やはり、こう来るか。
と、アンジェは思った。
逃げる道があるのでは、千の兵で正面から打ち破っても、敵の何割かは逃げてしまう。
補給が貧弱なこちらは、それをどこどこまでも追っていく、ということは難しい。
だが、こうやって街道を塞げば、逃走は難しくなるだろう。
エピタフの意図は、そういうことだ。
実務をやる者にとっては億劫で面倒くさい類の作戦になるが、合理的ではある。
だが、問題も多い。
「アンジェリカ殿には、この二つの道を抑える役目をして頂きたい」
問題の一つは、遠隔の作戦であるため、指令が届かないことだ。
だが、それは指揮官の頭数が二人……つまりアンジェがいることで、事足りる。
「連絡はどうします」
「これを使います」
エピタフは、荷物の中から奇妙な形をした矢を取り出した。
「竜帝国の鏑矢ですね」
鏃の代わりに笛がついた鏑矢というものは、クラ人の軍では通常使われない。
野戦などで号令をかける場合は、ラッパが使われる。
「こういった森の中では、号令は届きにくい。これであれば、聞こえるでしょう」
確かに、空で鳴り続ける鏑矢であれば、森を挟んでも聞こえるかも知れなかった。
別に、何十キロも遠くで仕事をするわけではないし、恐らく耳に聞こえる範囲の作戦になるだろう。
「では、我々の展開が完了したら、こちらから鏑矢を放ち、それを号令に一気呵成に攻め込む。ということでよろしいでしょうか」
「その通りです。異教徒の穢れた武具を使うのは本意ではありませんが、悪魔狩りにはふさわしいでしょう」
エピタフは相変わらず不気味なほほ笑みを浮かべながら言った。
「まあ……そうですね」
さほど信心深くないアンジェは、いつまでたってもエピタフの宗教観……というより、世界観に慣れない。
戦場での会議というのは、戦理だけを追い求める純粋なものだ。
差別からくる侮りだとか、蔑みなどは必要ない。
なんだか、軍略に水を差された、というか、不純物を混ぜられたような気がする。
「それでは、引き受けて頂けますか」
「もちろん、引き受けます」
と、アンジェは述べ、
「ただし、私が連れてきた兵は、わずか五〇名にすぎません。確実に漏らさぬためには、森の中にも翼を張るべきです。また、北方の小道にも、念のために兵は置くべきでしょう。そのために、挺身騎士団から兵を三百ほどお貸し頂きたい」
と付け加えた。
「わかりました。そういうことであれば、兵を貸しましょう」
よかった。
これで包囲は完全になる。
「それでは、私は兵に飯を食べさせてきます」
アンジェは席を立った。
頭が興奮し、やる気に満ちているのを、自分でも感じる。
決して気が進む役割ではないのに、鳥肌まで立ってきた。
アンジェにとっても、これは初陣であった。
匪賊討伐などではない、初めての戦争なのだ。