【第8話】経過報告とお姫様のこころ
「ではエマーシュ、報告を」
パティーユは執務室の机の前に立つ二名の士官のうち、左側の女性治癒術師へ言った。
「はい殿下。現在勇者様方の訓練は順調に進んでおります。十分に試練の迷宮へ挑めるかと」
「それ程ですか」
「はい、日向様はじめ高科様、葉月様、穂積様の従士方も既にそれだけの力をつけておいでです」
エマーシュは隣に立つレスターに目配せをした。
賛同の意を込めてゆっくりそして大きく頷く。
ここにいる二名はレスターが武術の、エマーシュが魔法の、それぞれが勇者育成の責任者である。
加えてエマーシュは歴史や一般常識も担当していた。
「あの、りょ……明日見様はどんな様子ですか……」
二人の報告に僚の名前が出てこなかった為、パティーユは少し不満げな声で聞いた。
「明日見殿は……」
腕を組みゆっくりと、まるで自分に言い聞かせるようにレスターが口を開く。
「私見ではありますが、明日見殿は実際の戦闘より、指揮や参謀に向いているように思えます」
「どういう……事ですか?」
僚が、それこそ血の滲むような努力をしているのを、毎晩そばで見て来たパティーユは、納得しかねる顔でレスターを鋭く睨み付けた。
「……常に戦闘を俯瞰できる洞察力と、的確な状況判断。現に日向殿をはじめ従士方も明日見殿の意見を重用しておいでです」
レスターの見解はパティーユにとっても好ましいものであった。
「……そうですか……」
パティーユは胸元に手を添え、零れるような笑みを浮かべた。
そのしぐさにレスターは首を捻る。
「あの、殿下?」
「あっ、は、はいっ。それで他には何か……ありますか?」
パティーユは大慌てで、話題を戻した。
レスターは気付きもしなかったが、エマーシュはそんなパティーユを見て意味深に口元を緩めた。
「……少々気になる事が一つ」
レスターが顎に手を添え思い出したように言った。
「気になる事ですか?」
「はい。日向殿をはじめ、未だどなたも御自分のステータスを見る事ができないご様子です」
勇者を含め召喚された異世界人に限り、ステータスを表示させる事によって、目の前に賢者の石板と同じ内容が浮かび上がる。
ただし、他人のステータスを見る事はできないし、この世界の人々にステータスやスキルの概念はない。
つまり賢者の石板を使っても、魔力と魔力量の二つしか表示されないのだ。
「二、三回戦闘を経験すれば、本人の意思でステータスビュアーを開く事ができるようになるはずでは……」
パティーユは心の中で念じ、ステータスビュアーを表示させた。
“ パティーユ・エメラーダ・エルレイン ”
称号 エルレイン王国の王女 賢者
年齢 18歳
魔力 160
魔力量 680
スキル
魔法:水、風、聖
身体能力補正
アビリティ: 魔力
異世界人だけでなく、その血を継ぐ者にもステータスが適用されている。
パティーユのエルレイン王家も、過去の勇者の血を受け継ぐ三王家の一つだった。
「私のものは表示されますから、全体の異常ではないようです。調べてみる必要がありますね」
「そちらは殿下にお願いしても?」
レスターは申し訳なさそうにパティーユの顔を窺う。
「ええ、任せて下さい。大丈夫ですよ、そんな顔をしなくても」
レスターはほっと胸をなでおろす。
ステータスの概念さえないレスターやエマーシュにとって、この問題は理解を超えるものだった。
「それから、原因が分かるまで試練の迷宮への挑戦は延期します、問題はありますか?」
「いえ」
レスターとエマーシュは揃って答えた。
「不必要な危険を排除するのは私達の義務……ですから」
義務、を特に強調したようにレスターには聞こえた。
「……他に無ければ、これで終了とします」
「はっ」
レスターとエマーシュは右手を胸に当てる王国式の挨拶をして執務室を出た。
一階への階段へと続く王宮の廊下の途中で、レスターは不意に立ち止まり後ろを歩いていたエマーシュを振り返った。
「どうされました?」
エマーシュは訝しげに尋ねた。
「……パティーユ殿下は、明日見殿の事を随分気にかけておいでのようだが……」
「その事ですか」
エマーシュは口元に手を添え、下を向いて暫くの間考える素ぶりを見せる。
「はじめは、勇者召喚に明日見様を巻き込んだのではないかと気に病んでおいででした……ですが今は……」
「今は?」
エマーシュの意味ありげな態度に、レスターは何か重要な事でも有るのかと続きを急かす。
だが、エマーシュはゆっくりと首を傾けて優雅に微笑んだ。
「それを聞くのは野暮、ではありませんか?」
レスターは一瞬何の事か分からなかったが、パティーユの顔を思い浮かべ、なるほど、と大きく何度も頷いた。
「エマーシュ、その明日見殿の事なのだが……」
微笑みを浮かべていたレスターが不意に真顔になった為、エマーシュは眉をひそめた。
「明日見殿がどうかしましたか?」
「当分、目を離さぬ方がいいだろう」
レスターは目を閉じ腕組みをする。
「と、いいますと?」
「殿下にはああ言ったのだが……」
そう前置きしてレスターは続けた。
「日向殿や他の従士の方々の成長は目覚ましいものがある。しかも、これからまだまだ強くなられるだろう」
エマーシュは頷く。
「そうですね、何者も及ばぬ程に」
「だが明日見殿はもう既に限界に近い、これ以上の伸びしろも望めないだろう……残酷なようだが、このまま無理をさせれば待つのは確実な死だ」
レスターは一つ深呼吸をして間を開けた。
「早いうちに、他の道を示してやるべきだと思う」
「……はい」
そう言った後二人は無言で歩き始めた。
廊下には二人の靴音だけが響いた。
中庭を見下ろす廊下の窓枠に腰掛け、僚は美亜へ贈ったローズクォーツのネックレスを掌にのせて眺め、この世界と僚たちの世界との関係を考えていた。
科学が支配する僚たちの世界と、魔法が支配するパティーユたちの世界。
そして、召喚による二つの世界を跨いだ転移。
何でも科学的に考察する僚にとって、小説のような今の現状は受け入れがたいものだった。
だが、これは夢ではなく現実だ。
そして、現実に転移があるのなら、転生もあり得るのではないか、と思い始めていた。
「どうしました? 僚」
僚が振り向くと、パティがちょこんっと首を傾げていた。
「パティ……」
僚はこっそりと、手に持ったネックレスをポケットにしまう。
「はいっ」
パティーユは気付いていたが、僚がしまったネックレスの事にはふれず、嬉しそうに返事をした。
僚はふと思う。
〝実際に召喚を行ったパティーユなら、何か知ってるんじゃ……〟
「あの、僚?」
黙ったままじっと見つめる僚に、パティーユは少し戸惑う。
「パティ、一つ教えて欲しい事があるんですけど……」
「はい、何でしょう?」
「転生者、って聞いた事ありませんか?」
転生。二つの世界を越えた生まれ変わり。
「転生者、ですか……」
パティーユは腕組みして暫く考えた後、顔をあげて指先を口元に添える。
「これは、噂でしかないのですが……。この世界に飛躍的な技術革新をもたらした者、そのうちの何人かは、実は異世界からの転生者ではないかというお話があります」
「やっぱりいるんですね?」
僚の瞳が期待の色に染まる。
「古い文献の中に、幾つかそのような記述があったと思います。たしか……転生者は前世の記憶を持たない状態でこの世界に生まれる、とか……」
パティーユは窓から見える空を仰いで、一つ一つ言葉を選ぶ。
「それから、前世での興味や趣向といった強い思いのあった事、それから癖や仕草なども現れる事があるそうです」
「……さすがに前世の記憶を完全に残したまま、っていうのは都合よすぎかぁ……」
僚は独り言のように呟き、大袈裟に肩を竦めて笑った。
「ごめんなさい僚……あまりお役に立てませんでしたね」
「いえ、話が聞けただけでも良かったです、ありがとうございました」
転生者の存在する可能性はある……僚は漠然とそう思った。