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(72)下からじゃなく、横からで【カッティングボード】

同じ職場。歳の差は八歳。身長差あり。センスがいまいちながらも、元気と明るさを振りまいて一生懸命仕事をしている新人アパレルショップ女性店員と。小動物系の新人を可愛がりたくて仕方がない男性店長。




 ここはとあるブランドショップ。二十代の男女をターゲットにした衣料品が展開されていて、店の中も外もおしゃれな造りだ。

 一昨年立ち上がったばかりのブランドで、支店の数はまだ三つ。それでも従業員たちは商品に誇りを持っていて、仕事に注ぐ情熱もかなりのもの。

 店がおしゃれだと、働く人もおしゃれなのはお約束。

 そんなお約束を破っているのが、私、大谷おおたに代里子よりこであった。

 東京店に配属された新人の私は、体力と明るい笑顔で採用されたと思っている。同じ店で働く人たちとは、残念な意味で一味も二味も違っていた。


 近くて便利が売りであるコンビニには自転車を全力で吹っ飛ばして十五分の所にあるといった感じの田舎で育った私は、雑誌やテレビで見る色とりどりの洋服にたまらない魅力を感じた。

『いつの日か、東京に自分がデザインした服を売るおしゃれな店を出す!』というのが、小学三年の頃に抱いた夢だ。

 その夢は色褪せることなく、高校を卒業すると同時に田舎を飛び出し、東京の服飾専門学校へと進んだのである。

 しかし、現実は甘くない。

 勢いと憧れだけでは、人目を惹くデザインは生み出せない。努力が報われない訳ではないけれど、やはり才能がものをいう世界だった。

 とはいえ、すごすごと田舎に引っ込むほど根性なしではない。

 デザインができないなら、素敵な服を売る店員になればいいのだ。

 そう気持ちを切り替えた私は、神戸で立ち上がった新規ブランドが東京に店を出すにあたりスタッフを募集するという話を聞きつけ、新入社員採用試験に臨んだのである。

 結果は、見事採用。

 内定をもらった時は飛び跳ねて喜んだものの、そのブランドに携わった経験もなく、また取り立ててセンスがよくもない私がなぜ採用通知をもらえたのかは謎だった。

 私のキャラクターが他の人と違っていたから珍しかったのだろうと、三ヶ月経った今ではそう思っている。だって、他にとりえらしいとりえがないから。


 開店前の準備をしながら、忙しく動いている先輩や同僚に視線を向けた。

 皆、慌ただしくしていながらも、動きに無駄がなく、商品を手に取る些細な仕草さえ優雅に見える。

 都会で生まれ育ったからなのか、もともと持っている素質なのか。

 育ちだとしたら、田舎出身の私には無理な話で。素質だとしても、やはり無理な話だ。


――でも、根性だけは誰にも負けないもんね!


 私は秘かに拳を握って気合を入れると、空になった段ボールをバックヤードへと運んでいった。




 私の仕事は主にで事務作業で、たまに皆のサポートに入る。表立って接客することは、めったにない。

 それというのも、気の利いた会話が苦手な上に、どこかもっさりとした印象を与えてしまうメイクとファッションセンスが原因だ。

 顔だちは、可もなく不可もなく。強いて長所を上げるとしたら、わりあい大きな目だろうか。

 だけどまつ毛の長さとボリュームが足りないので、あまり、目立たない。

 付けまつ毛という素晴らしいおしゃれアイテムがあるけれど、無器用な私は何度挑戦しても無理だったし、接着剤で目元がかぶれてしまうので今ではドレッサーの引出しの奥で眠っている。

 肩より少し下まで伸びた髪はフンワリ広がっていて、動くたびに柔らかく揺れる。

 決して、パーマではない。傷んでいるせいで、まとまりが悪いのだ。

 就職が決まった時、重たい印象を与える黒髪をなんとかしたくて、自宅でカラーリングをした。

 あれこれバタバタが続いて疲労がたまった状態で購入したヘアカラーは、マロンブラウンを選んだはずなのに、後で見たパッケージには『劇的!強烈ブリーチ』と書いてあったのである。

 眠たい目を擦りながらカラーリングしたのもマズかった。

 放置時間ニ十分のところ、居眠りしていたせいで二時間が経っていた。

 しかしその時は、予定より明るい茶色になるくらいだろうと甘く考えていた。

 そして、シャンプーを終えて、半分眠りながらドライヤーで髪を乾かす。

 適当にブラッシングしてから脱衣所の鏡を見た瞬間、私は自分の目を疑った。

 鏡に映っている私の髪は色素が抜け落ち、金髪を通り越して白くなっていた。

 色もびっくりだが、指定された放置時間を大幅に過ぎてしまったため、髪の傷みがひどかった。

 お風呂場にあるのは、値段の安さに惹かれて買ったコンディショナー。慌てて風呂場に飛び込みボトルが空になるまで使ったけれど、キューティクルは戻ってこなかったのである。

 ふたたび慌ててドラッグストアに走って、髪色戻し用のカラーリング剤を購入。どうにか見られる色に戻ったものの、髪の傷みがさらにひどくなった。

 初出勤の日、そんな私の髪をみかねた先輩たちが就職のお祝いとして、高級ヘアサロンで売られている保湿効果抜群のトリートメント剤をプレゼントしてくれた。

 おかげでだいぶ髪質は改善されたが、天使の輪が完全復活するにはもう少しかかりそうだ。

 とんだうっかり者の私は、美的センスも母のお腹の中にうっかり置いてきてしまったらしい。

 自分としては可愛いと思ってチョイスした服やヘアスタイルでも、先輩や同僚からすると、『ちょっとズレてる』と言われていた。

 自分ではどこが悪いのか分からないのに、彼らが少し手直しするだけでセンスのいい仕上がりに早変わり。

 スカーフで差し色を入れたり、ポイントとなるアクセサリーを付けたり、服の印象に合わせて髪を上げたり下ろしたり。そんな些細なことなのに、まるっきり変わる。

 これが、センスのある人とない人の違いなのだ。

 今朝も出勤直後に三歳上の女性先輩に捕まり、髪型とアイメイクを直されてしまった。

「うん、これでいいわ」

 その声と共に正面の鏡を見ると、『頑張っておしゃれをしてきました!』という妙な気合が入った私から、いい感じに力が抜けて自然体に見える私に変わっていた。

 感動すると同時に、情けなくなってしまう。

「いつもすみません。可愛くしてくれて、ありがとうございます」

 少しだけ落ち込みながらお礼を言うと、先輩が私の頭を優しく撫でる。

「ヨリちゃんの頑張りは、分かってるの。でも、少しだけ、方向性が違うのよね。もっと、全体のバランスを見たほうがいいわよ」

 おしゃれで美人で優しい先輩は、こんな私でも見捨てずにアドバイスをくれる。

「はい」

 コクコクと頷き返すと、また頭を撫でられる。

 小柄な上に童顔なので、皆から妹のように扱われているのだ。

 でも、可愛がってもらっているのは分かるから、ありがたいと思う。

 だからこそ、皆の役に立ちたいのだ。縁の下の力持ちになりたいのだ。

 その中でも、特に役に立ちたいと思っているのが、店長である芥野けしの恭輔きょうすけさんに対して。私の面接に立ち会ってくれた人でもある。

 私より頭一つ半高い身長で、スラリとしていて足が長い。ダークグレーのシャツとブラックのスラックスというシンプルな格好でも、ものすごいかっこよく見える。

 切れ長の目はちょっとだけ怖い印象があるけれど、笑うと途端に柔らかさを醸し出す。

 鼻も唇も形がよくて、『いったい、なにを食べたらこんな美形に育つのか?』と、彼のお母さんにお伺いしたいと本気で考えている。

 硬そうに見えて実は柔らかい黒髪は後ろに緩く流し、それがまた彼のかっこよさをグレードアップさせていた。

 そんな芥野さんはこの店で一番偉い立場でありながら、誰よりも仕事をしている。

 いつ休んでいるのか疑問に思うほど働いているのに、それでいて抜群のタイミングで従業員をサポートしていた。

 年齢は私より八歳上の二十七歳。まだまだ若いけれど、働き過ぎの彼を見て心配になってしまう。

 だけど、私が彼にしてあげられることはなにもない。

 できることと言ったら、ニコニコ笑って話しかけ、元気を分けてあげることだけ。仕事の面では、なんの助けにもなっていないだろう。

「はぁ、早く一人前に成長しないとなぁ」

 ある日の午後、事務所に一人で籠っていた私は、パソコンでプリントアウトしたポップをカッターで切り抜きながらポツリと呟く。

 切り出し終えた紙の切れ端を近くにあるゴミ箱に捨てた後、ふとカッティングボードに目を落とした。

 毎日のように使っているので、ボードの表面にはいくつもの筋が入っている。

 これがあるから、遠慮なくカッターを使える。そして、商品を売るために必要なポップが出来上がる。

 事務所の主と化している私にとって、なくてはならない必需品だ。

「まさに、縁の下の力持ちだね」 

 傷だらけの表面を撫でながら、苦笑を零した。  

「カッティングボードみたいに店長を下から支えることができたら、少しは女性として意識してもらえるかな?」

 そのセリフと共に、いきなり手元が暗くなった。

 背の高い誰かが背後に立ったせいで、天井からの光が遮られたからだろう。

 それだけでも驚きなのに、その人は私に覆いかぶさるようにして机に手をついたのだ。

 小柄な私は、誰かの腕でできた囲いにすっぽりと囚われてしまった。


――えっ!?


 驚きすぎて、声が出ない。

 事務所に入ってこられるのは、従業員だけ。知らない人ではないはずだが、思いもしなかった事態に身動きが取れなくなっていた。


――ど、どういうこと!?


 全身を硬直させている私の鼻腔に、爽やかな香りが届く。

 おしゃれな先輩や同僚はさりげなくコロンを付けていて、近くで香りをかいだら目をつぶっていても誰なのかを判別できるようになっていた。

 もちろん、覆いかぶさるようにしている人も、誰だか分かっている。

 だけど、それは絶対にありえない人物だった。

 しかし、事態はこれでは終わらない。

「俺は、ちゃんと女性として見ているよ。あと、下から支えてもらうより、横で笑っていてほしいな」

 コロンの香りもそうだが、この声にも十分すぎるほどの覚えがある。

 なので、余計に頭の中が混乱した。

 まるで冷凍されてしまったかのようにカチンコチンになっていると、背後に立つ人が身を屈めて私の耳元で囁く。

「こら、告白をスルーするな。店長である俺を無視するのか?」

「ひゃぁっ!」

 色気のない悲鳴が口を衝き、驚きのあまり椅子から飛び上がった。

 分かっていたけれど、まさかと思っていたから、いまいち信じられなくて。

 でも、声もコロンも間違いなく、私が片想いしている相手のもの。

 ギュッと身を縮めて小さくなっていたら、つむじに柔らかいものが押し当てられる。チュッという可愛らしい音と共に。

「ホント、大谷は可愛いなぁ」

 楽しげな囁きと共に、ふたたび柔らかい感触がつむじに降ってきた。

 いくら田舎育ちでも、まともな恋愛をしたことがなかったとしても、なにをされたのかぐらいは理解できる。


――て、て、店長に、チューされた!?


 これは、夢ではないだろうか。

 事務所で作業しているうちに私は居眠りしてしまって、都合のいい夢を見ているのかもしれない。

 私はぎこちなく手を動かし、自分の右頬をギュッと抓った。……痛かった。

「……夢じゃない?」

 ポツリと呟いたら、ギュッと抱き締められる。

「なに、可愛いことをしてんだよ。それより、俺の告白に対する返事は?」

「こ、こ、告白!?へ、返事!?」

「俺は大谷のことを女性として見ていて、隣で笑っていてほしいって言ったんだぞ。つまり、お前が好きだってことだろ。だから、それに対する返事が聞きたい」

「へっ!?で、でも、私、ちっとも仕事できないですし、お店の役に立っていませんし!そんな私を、店長が好き!?ってことは、やっぱり夢!?」

 ワタワタとみっともなく慌てふためく私の頭上に、クスッという小さな笑い声が降ってきた。

「確かに接客という点では大谷の出番はないが、みんなが働きやすいように、あれこれ気配りしてくれているのは知ってる。それに、お前の笑顔にみんなは癒されているんだぞ。ウチの職場が人間関係でのトラブルを起こさないのは、大谷のおかげだ」

「あ、あの、でも、私、笑顔を振りまくことくらいしかしていませんし……」

 皆の足を引っ張るほどひどくはないが、役に立っていないことは自覚している。

 一転して、私はしょんぼりと肩を落とした。

 すると、芥野さんがさらに強く抱き締めてくる。

「馬鹿、それが大事だって言ってんだよ。裏表のない大谷の笑顔は、ホント魅力的だぞ。できれば、俺が独り占めしたいくらいだ。それで、返事は?」

 優しく穏やかな声で問いかけられ、私はオズオズと口を開く。

「あ、あの、それは、その、ええと……。好き、です……」

 すると、またしてもつむじにキスされた。

「よし、明日の休みは、初デートだな」


 田舎のおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、犬のゴンタ。

 こんな私にも、超絶素敵な彼氏ができました。


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