古事記序文 三
ここに、天皇は旧辞の誤っているのを惜しみ、和銅四年(註・西暦711年)九月十八日をもちて、臣安万侶に詔して、先の天皇が命じて稗田阿禮に音読させた旧辞を選録して献上せよとのことでありますから臣はお言葉のままに子細に採録いたしました。しかしながら上古の時は言葉は質朴でありまして文章化することはきわめて困難でありました。漢字の意を持ちて表記すれば、阿禮の表現するところと異なり、かといって、阿禮の発する音のみを連ねては、はなはだ意が通りません。
それでありますから、一句の中に、音と訓をまじえて用い、単語などはまったく漢字の訓を用いて表記したものもあります。その上で意味の取れない言葉は、注を用いて明らかにし、意味のとれるものは、ことさらに注をつけませんでした。姓の読み方については、日下という字を玖沙下と読み、帯の字を多羅斯と読みますが、このようなたぐいは、解ることでありますから、特に注をつけませんでした。古事記の内容は天地開闢より始め推古天皇の御世にて終わります。それ故、神代から神武天皇までの神々の代を上巻とし、神武天皇より応神天皇までを中巻とし、仁徳天皇より推古天皇までを下巻とし、あわせて三巻を採録して、慎んで献上いたします。臣安万侶、かしこみかしこみ、深々とひたすら頭をさげまする。
和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安万侶
「どうかな、必ずしも原文とおりでないが、僕もヘボ詩人ながらいやしくも詩人であるからには、雰囲気は伝えているつもりなんだがな」と、田沼は、沙也香が読み終わったようなので声をかけた。
「これならよく分かりますね。普通は現代語訳でも、よくわかりませんものね」
「古代の書物にしては珍しく、作者があつかましく出てきて、古事記の成立についてこと細かく説明しているね。天皇・皇子をさしおいて、正五位という、やっと宮殿に上がることができるというぐらいのたいして位が上でない者が、、このように官制の書物の巻頭に文を記載する事じたいが異常な事と思われるんだよ。ちなみに日本書紀編纂の責任者は皇子で第一位という高位の舎人親王なんだ。その舎人親王ですら、日本書紀に序文など書いていないのにおかしいのではないだろうか。まあ、日本書紀には序文とか後書きとかは一切ないのだがね・・・。これは今で言えば、大会社の社史に平社員が序章を書いているような違和感を感じるんだがどうだろう」
「そういえば、そうですね」
病室の窓辺に秋の材木座の海が陽をうけて、きらきら輝いているのが見えている。二人は無口になって、その景色に見入った。