ふたたび研究会 二
「よく分からないかな?もう少し詳しく説明しよう。古事記の序文よれば、古事記は和銅五年(712年)に天皇に献上されたとある。日本書記については「続日本紀」の養老四年(720年)五月の条に『以前から、一品位の舎人親王は天皇の命を受け、日本紀の編纂にあたっていたが、このほど完成を見て、紀三十巻系図一巻を献上した』とある。だから、二書の記事が正しいとすると、古事記が出来てから八年後に日本書紀が出来たということだ。歴史の長いスパンから見れば、八年という成立の差は
ないに等しいと言える。それであるのに日本書紀には越の国が生まれた記事があり、古事記にはない。これはどういうことだろうか。・・・つまり、その理由はこうだと思う。日本書紀が書かれた時には『越の国』は天皇家の支配の領域に入っていたが、古事記が書かれた時には『越の国』は、まだ支配する領域に入っていなかったと言うことなのだろうと。それがたった八年の差であるはずがない。古事記が出来てから日本書紀ができるまでには相当の長い年月があるはずだ」
「太安万侶は古事記はもとより、日本書紀の編纂にも関わっていたと、聞いていますが、どうしてこうした記事の矛盾を放置したのですかね?」と祐司は言った。
「そう、それだよ。太安万侶は日本書紀の時代の人だ。もし古事記が書紀より50年前に作られたと仮定すると、太安万侶が古事記を編纂出来るわけがない。つまり、太安万侶は古事記の製作に関与していないのだ。またたとえ古事記製作に関与していたら、越の国が生まれたことを落とすわけがないじゃないか」
「え!太安万侶は古事記の作者じゃないというのですか」と、沙也香が声を上げた。
「そうとも、断じて、古事記の作者ではない。古事記本文に、太安万侶と言う名を使って誰かが序を書いたのだよ。それに、この説を補強する発見がまだあると言うことを次に話そう。古事記の文のなかにはね、いわばビッグバンの背景放射のような、大和朝廷以前を示す、はるかなる声がちりばめられているのだよ。」