たった三人の研究会
田沼はグラスに入れたノンアルコールビールをごくりと、うまそうに飲んだ。そして言った。
「さて、これから先は研究会だ。今までの部分に三人で検討を加えようという算段だ」
「え、今日はこれでお開きではないんですか」と祐司は声を上げた。
「僕が、大病ながら、夜寝る間も惜しんで記紀の訳を書いたのは、君たちの為なんだぞ。独身どうしでどこかの洒落たレストランに行こうなどという良からぬ考えは許さないぞ」
「え?独身!」若い二人は顔を見あわせて異口同音に声を上げた。
「そうさ、君たちは三十代で独身どうしだ、もう60才に手がとどきそうな時、鬼の様なかみさんを亡くした僕は、不便ながらも自由を楽しんでいるのでいいのだが、この年じゃ、つきあうにもばあさんばかりだから張り合いがないね。もう少し若かったら、婚活する気にもなるのだが、年をとるとね、燃え上がる情熱という物がすでにない。その点では若い人がうらやましいね。・・・まあ検討会にあまり時間をかけないから、後は好きにやりなさい」
と田沼は言って、二人の顔を交互に見た後、意味ありげに微笑んだ。
「さて、それでは検討会を開始しよう。この中で、どちらかというと、一番記紀(注・古事記と日本書紀をまとめていう言葉)について知識がないのは沙也香君かな、その沙也香君から感想を聞いてみたい。そう、中途半端に知っているより。わりと真実を見つけることができそうだからだ。じゃ、沙也香君どうぞ」
「そうですね・・・さっき言った、いろんな、今は失われた書から文を引用しているということですね。研究者にとっては今はない書名は伏せられているのが残念というところです。それから引用された、文に登場する神様がおおむね同じでも、微妙に異なっていて、そのおたがいの関係とか偉さも違うようですね。それから記紀が正説している、主文の出所が不明です」
「そうか。じゃ、次に祐司君だ」
「エート、そうですね・・・古事記の太安万侶の書く、序文がなんだか余りにも生々しいという感じですね。古事記が作成される来歴が、細部にわたって書かれすぎていて、まるで、この文だけが、古代から抜け出してきて、直接私達に話しかけているように感じます。本文に関しては書紀より古いはずなのにかえって明晰で書紀より新しい感じがします。しかし、いざなみ、いざなぎの神の国生みの記事は、小学生には読ませられないような露骨な描写ですね。これが、この文章の古さを表しているのかなあとも考えられます。・・・それからコオロコオロとかき混ぜるという古事記の表現は、なんだか古代の牧歌さが感じられます。古事記には偽書説があるんです。古事記の後に作成された日本書紀や続日本紀に、古事記に関する記事が一切ないのですね。古事記に関する史料は、全て古事記の太安万侶の序文から出ているだけなのです。その制作の過程も、成立年号も執筆者も稗田の阿礼も、古事記についての一切の資料は古事記序文によりしかないのです。だから太安万侶の存在も疑われたんですが、これについては太安万侶が何者かを記さないでですが、位階を受けた記事が日本書紀に記されているので、存在した人であることは間違いがないのですが、ただそれだけの記事なのですね。ところで最近、太安万侶の墓と没年を示す墓碑が発見されて話題になりました。太安万侶が存在した事は間違いのない事実なのです。一部には、これをもって古事記真書の裏付けとする人がいますが、論理的に考えれば、古事記序文に記されている年号と太安万侶の没年が整合するという事だけしか判明しないのです。一方。日本書紀に関しては続日本紀に編纂される課程がしっかり記載いされています。それとまた、記載の内容の分量の違いですね。ここにちょうど岩波文庫の日本書紀がありますが、現代文になおして日本書紀は1500ページ、古事記は200ぺージという差があります。このうち古事記に関しては、その最後の20ページが雄略天皇の後の代々の天皇の簡略な記事で推古天皇で終わっているいるのです。この分量の違いは、神代紀の簡略さと、天皇代の記事の少なさから来ているのですね。まあ、神代紀は少ないと言うより、日本書紀にある、一書引用の羅列がないということもあるのですがね・・・」
「うん、ありがとう。僕の意見はまた、後の日ということにしよう。海岸もすっかり夕陽になってしまったようだよ。水銀灯も紫色に点灯しはじめているよ。そうだこの先の海岸にドイツのおばさんがやっているハンバーグレストランがあるよ、そこのハンバーグや自家製ウインナソーセージや酢キャベツやドイツビールはなかなかのものだよ。君たちには、いささかお節介かもしれないが、そこの店に予約を入れておいたよ。コース料理は僕のおごりだ。酒は自分で払いなさい。君たちはヤマタノオロチみたいに大酒飲みだからね、そこまではめんどう見切れないね。なにせ、詩があまり売れない、エッセイが収入の主な僕だからね」