フィルのその後(2)
フィルとのお茶会を終わらせ、ひとり馬車に乗り込んだルイーゼは両手で顔を覆い、肩をがっくりと落とした。
「愚かなのは私だわ。馬鹿ぁ」
フィルに好かれるために、わざわざエリアルに手紙を送って聞いた好物を用意したというのに。彼が喜ぶことは想定済みだというのに。
実際にクッキーを口にしたフィルの穏やかな微笑みを見て、沈んでしまった気持ちを隠せなくなってしまった。
――――フィル様があんな優しい顔ができるなんて知らなかった。やっぱり私はお姉さまには勝てないのかしら
自分の力だけではフィルのあの表情は引き出せない。それは可愛らしくない自分の態度や言動が原因だと分かっている。
でもそれには理由があるし、今更猫なんて被れない。フィルの中に残る姉エリアルの大きさに、改めて嫉妬してしまった。
「本当…………なんでよりによってフィル様を好きになっちゃったんだろう」
誰も見てないことを良いことに、はしたなく脇に置かれたクッションに頭を預け横になる。
ルイーゼのフィルに対する長年のイメージは「完璧俺様野郎」だった。それに傲慢や、冷徹、最低なども加えることもあった。
フィルはエリアルに高い要求をし続ける完璧主義者。スラリとした高い身長に広い肩幅、落ち着いた茶色い髪はきっちりセットされ、瞳はエメラルドの様に綺麗な緑で切れ長で、見た目はもちろん完璧。それに加えフィルは完璧な令嬢と言われる姉を上回るほどの男で、文句など言えやしない。どの教科でも勝てないし、ダンスも上手で、武術もトップクラス。全く隙のない彼の隣でひたすら耐えるように立ち続けているエリアルの姿を見続けていた。
人間誰でも得手不得手はあるのに、婚約者であるエリアルに対してだけ苛めの様に許さない。大好きな姉を苦しめるフィルが嫌いだった。国外追放を宣告された現場で、近くにいたのに阻止できなかった彼を恨んだ。
「お姉さまを返して!あんなにフィル様のために尽くしてきたお姉さまを裏切るなんて――――っ!裏切るくらいならもっと早くお姉さまを解放してよ。ねぇ…………返してよ!」
父親であるアレンス伯爵に経緯を報告しに来たのがフィルだと知って、ルイーゼはメイドの制止を振り切り、泣き叫びながら応接室の扉を開けた。
しかしそこで目にしたのはフィルの土下座だった。ルイーゼの入室に気付き頭を上げた彼の表情はいつもと同じ無表情で、緑の瞳からそのまま涙を流していた。
彼女はハッとした。一番悪いのは主導した第二王子であり、フィルは逆らうことができる立場ではなかったのだと急に頭が冷めた。
フィルの見たこともない姿に呆然と立ち尽くしていると、フィルは立ち上がりルイーゼのそばへと近づいた。
「絶対にエリアルを見つけ出します。絶対に…………絶対に…………待ってて下さい」
後悔を滲ませたように声を絞りだし、フィルはルイーゼにも深く頭を下げてアレンス家の屋敷を去った。
それからフィルはエリアルの捜索隊の責任者としてユースリア王国外へと出国するようになった。
帰国するたびに直接アレンス家に赴き、報告と謝罪を繰り返し、家族以上にやつれた顔のまま再び出国していった。
半年を越えてくると、彼がどれだけ姉を愛していたのか伝わった。そして愛し方が酷く歪んでいたのかも分かってきた。
一年が経って、アレンス家の誰もが希望を持てなくなっていた。献身的にエリアルを探し続け、消耗していくフィルを見るのも辛くなっていたのも要因だ。アレンス家が止めない限り彼は自分を責めるように、終わりなき贖罪を続けていくのが目に見えていた。
君はもう償い尽くした――――そうアレンス伯爵がフィルに対して姉エリアルの捜索を諦めるよう諭そうとしたが、フィルは首を縦にしなかった。むしろまだ諦めるのは早いと、逆にアレンス家が説得させられてしまった。
そして完璧主義者の彼はアレンス家に心配かけぬよう、一切疲れた顔を見せなくなった。
だがそれがフィルの努力の上に成り立っているのだと知ったのは、少しあと。王宮で偶然見かけた彼は変わらず姉エリアルが見つからなくて、思い詰めた表情をしていた。
ここまでの彼の偽りなき献身的な働きを見ていたら恨みは薄れ、代りに芽生えたのは親しみだった。
――――お姉さま…………フィル様は変わったわ。彼は家族以上にお姉さまのために頑張っているわ。あの傲慢なフィル様がよ?お姉さまを愛してるんだって…………帰ってきたら、きっと幸せになれるわ
そう姉の無事と、フィルの努力の成就を祈った。
しかし姉が見つかったと知らせを受けてラグドール王国に急行してみれば、姉エリアルは別の男性セドリックと恋に落ちていた。
更に驚いたのは、既にフィルがあっさりと身を引くことを決断していたことだった。
ルイーゼだけでなく、アレンス家はフィルとまた婚約を――――そう思っていたため、簡単に知らぬセドリックを受け入れることはできない。
でもセドリックを推したのは他でもないフィルだということが、家族の気持ちを揺らした。
「セドリック殿に任せれば大丈夫です。彼と会い、話し合ってみてください。そしてエリアルの話を聞けば、二人がどれだけ通じ合っているか分かります」
「フィル様はこれまで大変な苦労をしたではありませんか!それをお姉さまに伝えればもしかしたら――――」
そう提案するルイーゼにフィルは首を横に降った。
「今日までのことを聞いたが、エリアルは俺よりもずっと苦しい困難を乗り越えてきた。俺の苦労なんて小さなものだ。言う必要はない…………それに知ってしまった。エリアルの素顔を。俺ではセドリック殿よりあいつを幸せにできないことを、たった数日で知ってしまったんだ」
「――――っ」
フィルは不器用に微笑んだ。あの無表情男の彼がルイーゼたちアレンス家に心配かけぬよう、慣れぬ微笑みを浮かべたのだ。あまりにも下手で、今にもその緑の瞳から涙が出てきそうなほど痛々しかった。
フィルの言うとおり、セドリックはフィルに負けぬほどの愛情と執着を見せた。フィルと決定的に違うのはアレンス一家が砂糖を吐きたくなるほど、セドリックは愛を表すのに言葉と態度を惜しまないことだった。姉エリアルはとんでもない男ばかり捕まえるな、と父親のアレンス伯爵が遠い目をしていたのは忘れない。
何より姉エリアルがあそこまで素直な感情を出すのを見たことがなかった。
――――お姉さまもう大丈夫。セドリック様が側にいれば、これまでの苦労は報われ幸せになれるわ。でもフィル様の努力と苦労は?彼の幸せは?
そう疑問を抱いたと同時に、ルイーゼは決意した。
――――私がフィル様を幸せにしてあげたい
正式なアレンス家とマレット家の婚約解消の話し合いの前に、ルイーゼは家族に自分の気持ちを打ち明け説得した。
マレット伯爵夫人の端から見れば失礼な提案もルイーゼには渡りに船で、すぐにその舟に飛び乗ったのが始まり。
そうしてあの手、この手でフィルへのアタックを試しているのだが…………
「やっぱり私をお姉さまの妹という家族枠でしか見ていないわよね~参ったわ」
自分の容姿は姉エリアルとそっくりだと自負している。彼が愛した姉エリアルの真似をすれば…………とも思ったが、愛されたとしてもそれは姉エリアルの代替であり、ルイーゼ本人を愛したわけではない。
なんといっても猫を被るなんて手遅れであるほど、今まで八つ当たりの様に毒をぶつけてきたのだ。彼が罪悪感で言い返せないと知っていてグサグサと――――問題は今日みたいにルイーゼがフィルの欠点を突っ込んでも、彼が笑って許してくれるため今になって素直になるのが恥ずかしくなってしまっていることだ。
一番の問題は彼女が「心を射止める宣言」をしたものの、「愛しているから」という理由を言い忘れていることだ。
「私が素直になれないのも悪いけど……普通の会話より、嫌味を言った方が楽しそうに笑うってどういうことかしら。私のせいで変な方向に目覚めちゃった……?」
ただでさえフィルは偏った愛情表現の持ち主なのだ。そして本来のルイーゼには相手をイジメて楽しむ嗜好は無い。フィルから後々求められても応えられず、愛想をつかされるようなことに発展でもしたら――――とルイーゼは悪い方向へと考えが進み、手をわなわなと震わせた。
「やっぱり今からでもいいから可愛らしくしなきゃ!」
次に会ったときはぶりっ子することを決意して、2週間後のお茶会に挑んだのだが――――
「なんですの?その顔。約束をすっぽかして私が来ないとでも思いになりまして?」
ルイーゼの口から出たのは相変わらず可愛い気のない言葉。フィルがルイーゼの来訪を受けて、あからさまに安堵の表情を浮かべていたのだ。
「いや……前回の帰り際、泣きそうな顔をしていたから、もう俺とは関わりたくなくなったのかなと……その……心配だった」
「――――!」
ルイーゼは青い瞳を見開き、息を飲んだ。相手の感情など気にしないはずの男が、自分の僅かに隠せなかった気持ちに気付いていた。それを安堵の表情を浮かべるほどに不安に思ってくれていたなんて、想像もしていなかった。
不意をつかれ驚き固まってしまったが、ルイーゼは何とか平静を装う。
「私は既にフィル様が鈍感で、不器用で、愛情表現が歪んでいるのを知っていてマレット夫人の婚約前提の話に乗ったのですよ。この程度で関わらない選択はありえません。私の覚悟を見くびらないで欲しいですわ」
「ルイーゼ嬢の覚悟?なんだそれは」
また可愛く言えなかったと後悔しつつ、ちらりとフィルを見上げ表情をうかがった。彼は気難しそうに眉間に皺を寄せ、本気で分からないという表情をしていた。
可愛い気のない言い方は簡単には直りそうもない。だからせめて答えだけは素直にと、言葉を返した。
「何故って…………私がフィル様を好きに決まってるからではありませんか。欠点も丸ごと受け止められる令嬢は他にはいなくてよ?だからお姉さまの時のように無理に強がらなくても、私はあなた様を――――」
ルイーゼは言葉を一度途切らせ、不機嫌な表情からニッコリと無邪気に微笑み直した。
「私はあなた様を好きでい続けるわ。そして、とびっきり幸せにすると決めたの。覚悟なさって?」
彼女が見上げる先には、エメラルドのような緑の瞳を見開き、顔を赤く染めるフィルがいた。
その後――――社交デビューした美しいルイーゼにモテ期がきたり、それに対してフィルが嫉妬を拗らせ束縛を暴走させたり、逆にルイーゼは嫉妬を利用して他の令嬢を牽制したり、二人はしっかりと距離を縮めていった。
そしてセドリックとエリアルが無事に婚約したことを見届けた翌月、フィルとルイーゼも正式に婚約したのだった。
番外編を読んでいただきありがとうございました。
いずれ他のキャラの番外編も投稿したいと思っていますが、未定です。のんびりお待ちください。