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フィルのその後(1)

誰得な番外編「フィルの後日談」です。前編と後編がございます。

 

 セシルの監視というラグドールでの任務を終えて、ユースリアに戻ってきたフィルは休む暇もなく忙しく働いていた。所属騎士団の鍛錬だけではなく希望者への剣の指導、ラグドールの正式な使節団のスケジュール調整に、セシル事件の後処理など山積みだ。



 第二王子クリストファーと他側近がセシルの呪いで操られているなか、エリアルが馬車で連行された直後――――フィルだけが正気を取り戻して、すぐに王宮へと報告に馬を走らせた。彼の迅速な行動のおかげで、国王は表面上ではあるが混乱を最低限に収めることができた。大切な婚約者よりも国のために行動をとったのだと、国王陛下のフィルへの信頼は落ちるどころか厚くなった。

 だからこそ学園を卒業したばかりの新人騎士にも関わらずエリアルの捜索隊の隊長を任され、セシルの監視役も任された。



 そして偶然にもフィルは実際にエリアルを見つけ、セシルの罪を暴く任務を遂行した。実力や王家に対する忠誠心の高さが再評価され、今は第一王子の近衛の打診もされている状態だ。それも今は保留にしている状態で、返事はできていない。


 フィルが正気を取り戻せたのはエリアルを失ったショックからだった。第二王子と同じように思考を奪われていたが、あまりにも強すぎた喪失感が呪いを上回ったせいであり、自分は近衛を拝命できるほど精神的に強くないと実感していた。成果をあげられたのも運のおかげだと思っている。



 自分の未熟さを理由に近衛の打診を保留にしていても、やることは先ほど例を挙げたように山積みだった。失恋の悲しみを埋めるにはちょうど良いとばかりに頼まれた仕事は断ることはせず、体力がある限り受け入れていた。




「フィル様って本当に不器用ですわよね」



 騎士団の休日、フィルがマレット伯爵家の執務室で持ち帰った仕事をしていると一人の令嬢から呆れた言葉をかけられる。彼は資料を置き、申し訳なさそうに視線をあげた。



「すまない」

「素直に謝るなんて、本当に変わりましたのね」



 フィル相手に遠慮のない言葉をかけた少女の髪は父親譲りの艶やかな栗毛で、瞳の色は元想い人を彷彿させるような海のように深い青をしている。

 姉と似た容姿の少女――――アレンス家の次女ルイーゼが苦笑しながら、机を挟んで正面に立っていた。



「…………とりあえず今片付ける。少しだけ待っていてくれないか」

「分かりましたわ。仕方ありません」



 今日はルイーゼとお茶をする予定だったというのに、フィルは仕事に集中しすぎて随分と待たせてしまっていた。

 さっと引き出しに資料を入れ、ルイーゼをエスコートしてテラスへと向かう。テーブルにつけばすぐに紅茶が用意され、二人のお茶会が始まった。




「そんなに仕事を抱え込んで……まだお姉さまを忘れられませんの?」

「諦めることはできた。今は仕事で充実している」

「まぁ、本当に令嬢泣かせだこと!王家の信頼も厚く、見た目麗しく、実はとっても一途で優良物件。私以外の皆様もあの手この手でフィル様を振り向かせようと努力なさってますのに、仕事に心を奪われているなんて罪なお方!」

「そんなこと知るか。ルイーゼ嬢、君こそ性格が変わったな。それこそ本当に俺に愛されたいレディの発言とは思えないぞ」



 フィルは僅かに眉間に皺を寄せてルイーゼを見るが、彼女は臆することなく微笑みを返してきた。エリアルのそばで静かに微笑んでいた時とは違う、強い女性の微笑みだった。



 フィルとエリアルの婚約解消にマレット家全員が嘆いた。特に母親であるマレット伯爵夫人は花嫁修業で厳しく接していたものの、エリアルの可愛らしさを酷く気に入っていたため悲しみは深刻だった。マレット家に女児がいなかったのも理由だろう。

 ついには自暴自棄になったのか、マレット家とアレンス家の家族だけのお茶会の席でルイーゼでも良いから婚約して欲しいと言い出したのだ。



 アレンス家に対してなんて失礼な――――とフィルは母を止めようとしたが、そのフィルを止めたのがルイーゼだった。



『フィル様が愛してくれるのなら、婚約いたしましょう。他の御兄弟ではなく、フィル様限定です。でもそのためには私は愛される努力をしないといけませんわね』



 と、今年これからデビュタントを迎える年下の少女が愛らしい笑顔で言い放ったのだ。

 父親であるマレット伯爵はアレンス家の事業と密な関係を続けていきたい思惑があるため反対はしなかった。

 ではアレンス伯爵はというと、まさかの承諾。「エリアルを傷付けた人間ですよ?」と聞き直したものの、アレンス伯爵だけでなくアレンス伯爵夫人も兄もルイーゼを止めることはしなかった。


 そうして外堀が埋められた状態で婚約前提のルイーゼとの交流が始まったのだが……フィルは困惑するばかりだった。



「こちらが本性ですわ。婚約してから知らなかった!と幻滅されるよりはずっと良いことだと思いましたのに。素直になれなくて終わってしまう恋よりずっとマシではありませんか?」

「そうかもしれないが、もう少し可愛らしくできるだろう?」

「たとえばお姉さまのように鉄壁の仮面をつけた方が好みでして?」

「…………そうじゃない」



 仮面を外したルイーゼは強かった。一切の遠慮なくフィルの傷口に塩を塗り、弱ったところを言葉で圧倒してくる。

 まだ今の毒は可愛い方だ。エリアルが見つかる前の毒は、積年の恨みをぶつけるようにもっと鋭かった。



『独占欲と支配欲を混同するなんて、歪みすぎね』

『好みを押し付けて、好きな人の好きな物も知らなかったなんて呆れるわ』

『強ければ好きになる?脳筋でしたの?』



 自分の愚かさを実感していたフィルはぐぅの音も出なかった。


 因果応報――エリアルを苦しめていた報いはまだ終わっていない。


 そう感じていた彼は嫌味を返しはするが、ルイーゼを怒るようなことはしなかった。不思議と怒りや嫌悪感は湧いてこないという理由もあって、お茶会はもう何回も続いている。



「フィル様ってあまり笑いませんわよね。常に不機嫌なんですの?」

「そんなつもりはないが、そう見えるのか?」

「はい。いーっつも皺を寄せ気味で、フィル様の素顔を知らない人は怖がってますわよ。こんな感じですわ」



 ルイーゼは人差し指を額に当てて、むっと皺を寄せる真似をした。しかし全く怖くはない。可愛い令嬢が、可愛く拗ねているだけだ。あまりにも間抜けな真似事に、フィルは思わずくすりと笑いを溢した。



「ふっ、ルイーゼ嬢、真似をするならもっと上手くやってくれ。下手すぎる」

「失礼ですわね。フィル様の眉間の皺が真似できないほどに深いせいですわ」

「それこそ失礼だな。任務中は無表情を意識して、皺なんて作らない。その顔……信じてないだろう。本当だぞ?」

「あら、バレました?ふふふ、とりあえず信じて差し上げますわ」



 ルイーゼが仮面ではない笑顔を浮かべた。

 婚約を検討中の令息令嬢らしくない内容だが、そんな会話でも楽しんでくれていることが彼女から伝わる。


 だから益々痛感する。エリアルの心が最初から遠かったことを。セドリックに向けるエリアルの表情が、本来の彼女であると思い出してしまった。




 ――――本当に俺はエリアルを見ていなかったんだな。素を出せないほどに俺は威圧していたのか。幼いルイーゼに気付かされるなんて……




 ルイーゼの容姿はエリアルと似ているが、性格は真逆だ。以前のお淑やかさはどこへいったのか――愛される努力をするといった宣言とは裏腹に、強気な態度でフィルに接してくる。

 勢いに乗せられてフィルも思わず軽口を叩いてしまうのはいつものこと。肩の力は抜け、より自然体に、より素直な自分へと変わっているのを少しずつ実感していた。こんなことは初めてだった。



 だからこそフィルの困惑は深まっていた。



 ルイーゼの存在が大きくなっているのを否定できなくなりつつあるのだ。元から義妹になる彼女は彼にとって大切な存在のひとつだった。それが少しずつ形を変えはじめている。でも素直に認めるわけにはいかなかった。




 ――――ルイーゼは本気で俺に愛されようとしているわけがない。彼女が言うとおり、俺は仕事以外では欠陥だらけだ…………愚かな部分を知っていて愛せるはずがない



 以前の自分の傲慢さに呆れてしまう。何故あんなにまで自信が持てたのか、理解ができない。過去の自分は切り捨てたいほどに愚かだ。それほどまでに一連の事件はフィルの心を打ち砕いた。



 ――――ルイーゼが俺にかまうのは、愛されるためではない。エリアルと引き離された憂さ晴らしなんだろう。俺はそれだけの事をしたしな



 フィルは自嘲がルイーゼにバレないように、パクッと皿に載せられたクッキーを口へと放り込んだ。



「――――ん?」

「お好きでしょう?」

「あ、あぁ」



 口に広がる懐かしい味にフィルは頷いた。鼻から抜けるのは豊かな紅茶の香りで、舌に残るのはオレンジピールのわずかな苦味。

 エリアルがよく手土産に持ってきてくれた、フィルの好きなクッキーだった。



「お姉さまがフィル様のお好きな物を教えてくれたんですの」

「そうか……エリアルが」




 そう言ってフィルはもう一枚クッキーを口にして、頬を緩ませた。

 少し前まではエリアルの話題が出るたびに心が沈み、彼女に関わるものを避けていた。しかし今は思い出の味も美味しく食べられたことで、エリアルに未練がないのだと安堵した。

 ゆっくりとクッキーを味わっていると、ルイーゼが突然席を立った。



「フィル様、私帰ります」

「――――そうか」



 いつもはフィルが帰宅を促すまで居座るというのに、珍しくルイーゼから帰宅を口にした。

 内心首を傾けつつ馬車までエスコートしようとフィルも椅子から腰を上げ、手を伸ばすがいつものように重ならない。



「どうした?」

「今日のフィル様はお忙しそうなので、ここで結構ですわ。無理なさらないでくださいね」



 ルイーゼはニッコリと微笑み、エスコートを断った。その表情は先ほど軽口を交わしていたときとは違う微笑みで、フィルは引っ掛かりを覚える。



「俺は何かしてしまっただろうか?」

「随分素直に聞くのですね」

「…………知ってるだろ?俺は愚かだから、教えてくれないと分からない」

「ふふ、愚かなりに考えてくださいませ」



 少しだけ言葉を詰まらせたルイーゼは微笑みを絶やすことなく、ひとりで歩いていってしまった。その背をフィルは立ち尽くすように見送るしかなかった。




 ――――何故あんな表情を?




 背を向けられる直前、ルイーゼは微笑んでいるのに泣いてしまいそうな表情に見えた。ほんの一瞬の出来事で見間違いの可能性もある。でもフィルの心はざわついたままだった。


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