45 追放令嬢の結末(3)*最終話
「――――きゃっ!」
エリィは恐怖のあまり悲鳴をあげた。母親と妹は声すら出せない。
父親が潰されると思った瞬間巨人はピタリと動き止め、剣の風圧が観客に風を吹き付ける。正面にいた父親は風圧に耐えきれず、呆然と空を見上げたまま背に土をつけた。
「勝者、セドリック・カーター!」
審判が勝者を告げると、訓練場にいた者たちから拍手が送られる。セドリックはすぐに父親の元へ駆け寄り、手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、驚いただけだ。どこも痛くはない」
父親はしっかりとセドリックの手を握り、すぐに立ち上がる。父親の服が汚れてしまっただけで、どちらも怪我は見受けられない。エリィと家族は揃って安堵のため息をついた。
セドリックと父親はサークルからでず、そのまま向き合う。
「はぁ。やはり負けてしまったか」
「はい。僕の勝ちです。アレンス伯爵…………昨晩お伝えした件、お許しいただけますか?」
「障害はまだ多いですぞ。愛だけでは何ともならんこともある…………それでも足掻くのであれば、私は見守りましょう」
「叶うまで諦めません。ありがとうございます」
セドリックは綺麗に腰を折って、頭を下げた。父親は寂しそうな笑顔を浮かべるとセドリックの背を叩いて、エリィの方へと押し出した。
エリィの方は兄に背を押され、セドリックへと駆け寄る。
「セドリック様!」
「エリィ!怖がらせてごめんね」
セドリックは飛び込んでくるエリィを抱き止めた。
「どちらもご無事で良かったです。本当に…………本当にっ」
「当たり前でしょう。君の大切な家族を傷つけるわけにはいかないから」
「はい。ありがとうございます」
久々の彼の腕の中はやはり胸が高鳴り、同時に安心感を与えてくれる。しかし抱擁は数秒で、セドリックに肩を押され距離を空けられてしまった。離れた温もりが恋しくて、無意識に手を伸ばしてしまう。
「大胆になったね?」
セドリックに言われ、エリィは咄嗟に手を引っ込めた。ミハエルやフィルをはじめ、ここには他にもたくさんの人がいる。しかもサークルのど真ん中オンステージ。
エリィは恥ずかしさのあまり、両手で頬を押さえた。くすりとセドリックが笑う声が耳に入る。
「何も恥ずかしくない。素直になってきた証拠だ」
「セドリック様のせいです」
「じゃあ責任を取らなきゃね?」
するとセドリックはその場で片足を地につけ、跪いた。エリィはきょとんと見下ろす。
「両国から提示されたエリィの保護の権利の最後の砦は、アレンス伯爵の許可だったんだ。でもそれもクリアした。エリィはラグドールにいられる」
「本当ですの?じゃあずっとセドリック様と――――」
愛しい人と離れずに済む安心感と歓喜が同時に押し寄せる。
だがセドリックは少し困ったような微笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「でも得られた権利は暫定だ。まだ永遠にいられる保証はどこにもない。国の関係はまだ確立されていないし、アビスの存在もある。ラグドールが再び扉を閉ざせばどうなるか…………」
エリィは耳を傾けしっかり頷く。アビスという共通の敵国ができ、一時的に同盟は組まれた。
しかしユースリア王国は呪いの香水で魔法の存在に恐れを抱いた。ラグドール王国と大きく関われば、飲み込まれるとさえ懸念しても可笑しくはない。
一方でラグドールは魔法を守るために閉鎖的な国だ。外部との関わりで、魔法の流出を不安視する貴族も多い。
お互いに手探り状態だ。もしかしたら軍事協力はしても、異国間での婚姻まで話が及ぶかどうかは不明だ。奴隷の身分だったときよりもハードルは高いかもしれない。
でもエリィを見上げるセドリックの水色の瞳はどこまでも透き通り、陰りはない。彼の瞳を見れば、前のような悲観的な気持ちは生まれてこない。
「僕にはエリィしかいないし、僕には君が必要なんだ。君が僕を求めてくれる限り、一緒にいるための模索を諦めない。エリアル・アレンス様――――このセドリック・カーターと人生を共にしてください」
セドリックがエリィの前に手を伸ばした。いつも遠慮なく触れてくる彼の指先は、僅に震えていた。
エリィも心臓が今にも爆発しそうなほど、緊張してしまっていた。でも答えに迷いはない。彼女も同じように震える指先を伸ばし、セドリックの手の上に重ねた。
「はい。喜んでお受けいたします」
二人は見つめ合い、再び抱き締めあった。
周囲にいた魔法使いは空に光を打ち上げ、騎士は大きな拍手を送る。ユースリア王国の使者は微笑みながら見守り、ミハエルは宴の準備を指示していた。
未来は不透明。それでも皆の様子から見えるのは希望の光だ。
※
その後、保留になっていた公爵令嬢ルルリーア・エイベルの処遇が決まった。
エリィはユースリア王国の使者からの取り調べで、他の令嬢によるセシルへの嫌がらせ行為を黙認していたものの、一切関与していないと告白した。ラグドール王国の『真実の水晶』の前で堂々と答えたことで、エリィの証言は全面的に認められた。
焦ったルルリーアは次に「他の令嬢たちにエリアルに罪を擦り付けるよう、誘導された。私は本当の犯人はエリアルではないと信じたかったのだけれど…………」とエリィに手紙を書き、他の令嬢へと責任を転嫁。エリィの許しを得て、自分だけは罪から逃れようとしたのだ。
エリィはそれが真実ではないと知っている。このままでは冤罪を被せた罪は、取り巻き令嬢たちの罪となる。ルルリーアの往生際の悪さに嫌気がさした彼女は、他の令嬢へ注意喚起の手紙を書いた。
すると権力のあるエイベル公爵家に合わせていた彼女たちであったが、あまりの仕打ちに「ルルリーアの主導または意向を汲んでいた」と遂に本当の事実を述べた。エイベル家から与えられる恩恵では割りに合わなくなると判断した結果だ。
工作員の暗躍が関与していたとはいえ『苛めの主導』と『無実のエリアルへ冤罪を被せた』事実は責められるべき罪と認められる。特に後者は重い罪とされた。第二王子クリストファーとの婚約は解消。ルルリーアは当主より公爵家から勘当を言い渡され、女性の監獄といわれる最北の修道院へと送られた。
他の令嬢は追加のお咎めはなかったものの、ルルリーアに荷担していたことは間違いない。供述を二転三転させたことで、信用は地に落ちたも当然。結局は婚約破棄になったという。もう高位貴族に嫁ぐことは難しい。これからの婚約者探しは苦労しそうだ。
ちなみにクリストファー王子の王位継承権は二位から下位へと落とされた。最終的には王族籍を抜け、臣下のひとりになるだろうとの話を聞いた。
――――これくらいの仕返しはして良かったわよね?私と同じく生粋の温室育ちの皆様はこれからが大変かもしれないけど、奴隷の私だってどうにかなったのだもの。まだマシだと思って欲しいわ。
エリィは王宮のバルコニーで城下を見渡しながら、ここ数ヶ月での出来事を思い出していた。
多少の駆け引きはあったもののラグドール王国とユースリア王国は軍事同盟の他に貿易協定も結ぶこととなった。貿易対象商品は限定されるが、閉鎖的なラグドール王国にとっては大きな変化。
貿易を始めるにあたっての二ヵ国専用の街道の開発は、外の世界に強い関心のあるラグドール王国王太子ミハエルの肝いりの政策だ。ユースリア王国の第一王子も魔法に対しては恐怖よりも興味が勝り、味方につけたいと考えた結果で、関係は良好だと言える。
アビス王国はより厳しい立場となり、国境は緊張状態へと入った。しかし挟み撃ちされている状況では動けず、内部から崩壊するのも時間の問題だろうと言われている。
「エリィ、迎えにきたよ」
名前を呼ばれ振り返ると、部屋の入り口には愛しい人が待っていた。エリィは顔を綻ばせ、優雅な足取りでそばへと行く。
「セドリック様、お迎えありがとうございます」
「さぁお手を」
「もうですの?再会の余韻を楽しむ時間すら下さらないのですね」
「だって、分かるだろう?」
セドリックは苦笑しながらエリィの手を取り、すぐに部屋から連れ出した。彼女は咎めたものの、本気で拗ねているわけではない。エリィもセドリックと同じで、逸る気持ちをなんとか抑えているだけなのだ。
ラグドール王国に保護されてから、エリィはずっと王宮暮らしだった。恋人といえど婚約もできていない未婚の令息令嬢がひとつ屋根の下というのは問題で、屋敷に帰ることは叶わなかった。数日に一度は会えていたが、毎日会っていた二人にとっては寂しい時間だった。それも今日で終わりだ。
二人は騎士のうしろに続き、王宮の廊下を進んでいく。重厚な扉が開かれると右側にはミハエルをはじめラグドール王国関係者、左側には両親をはじめユースリア王国関係者が待っていた。
「お待たせいたしました。セドリック・カーター参上いたしました」
「同じくお待たせいたしました。エリアル・アレンスでございます」
ふたりは揃って腰を折り、挨拶をする。ミハエルの許しを得て顔をあげれば、皆の顔がよく見えた。誰もが微笑み、祝福してくれている。その人たちの間をエリィはセドリックにエスコートされながら進み、テーブルの前で立ち止まった。テーブル上には二枚の婚約誓約書が載せられていた。
ラグドール王国とユースリア王国の友好の象徴として、ようやく婚約が認められることになったのだ。サインが済めばエリィとセドリックは正式に婚約者同士と認められる。きちんと結婚するまでは以前のように密室で二人っきりになることは許されないが、花嫁修行としてまた同じ屋敷で過ごすことができるようになる。待ちわびた日がやってきたのだ。
セドリックが先に名前を書き終えると、エリィにペンが差し出された。すぐには受け取らず、彼女は彼をまっすぐ見上げた。
セドリックに買われて、約一年。あの日買われた時の第一印象は軽薄な男だった。簡単に甘い言葉を並べ、すぐに触れてくる困ったご主人様。甘え甘やかし、感情に素直になることを教えてくれた優しい人。ずっと大切にされてきた日々は美しくて――――
「セドリック様、お仕事くださいね。宜しくお願い致します」
「ふっ、分かったよ。まずは一緒にウェディングドレスを作ろう」
セドリックの言葉に笑顔でエリィはペンを受け取り、彼の名前に寄り添うように自分の名前をサインした。部屋は拍手で満たされる。エリィはセドリックと手を繋ぎ、全身で祝福を感じた。
奴隷堕ちした追放令嬢は愛する人の花嫁となった。
【END】
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