21 仕立て屋になった訳
翌朝、空は雲ひとつなく澄み渡っていた。日差しがたっぷりと窓から入り、眩しさでエリィには自然と目を覚ました。
時計を見ればいつもより三十分ほど早いが、スッキリとした目覚めに満足する。昨夜の急造の作戦が成功した余韻もあって、満足度は高い。
「ご主人様はよく寝ているかしら」
当初はベッドに横になってもらうまでが作戦だった。しかし興奮状態のままであったり、行きすぎた疲労が溜まっている場合、眠りが浅くなりやすい。それをマッサージで回避したつもりだが、どうだろうかと気にはなっていた。
エリィは少し目を瞑り、昨夜を思い出す。
寝る直前の彼の顔は気持ち良さそうで、寝てからも表情は穏やかだった。だから大丈夫だろうと前向きに考えることにした。
そしてセドリックの起床時間を迎え、彼の部屋へと向かう。軽くノックをしても返事はなく、いつも通りそのまま入室する。静かにエリィがベッドを覗けば、眠る彼の姿があった。もう目の下の影はほとんどなく、顔色も良い。しっかり熟睡できている様子だ。
「良かったわ」
約十日ぶりに朝寝ている姿を見ていると、心が温まるのを感じた。そっと手を伸ばし、セドリックの髪を優しく撫でた。柔らかいオレンジブラウンの色をした髪は朝陽を浴びて、さらりと光っている。
――――あら?昨夜はシャワーを浴びていないのに、一切のベタつきがないわ
エリィはハッとして立ち上がろうとしたが叶わない。髪を撫でていた手を捕まれ、甘く細められた水色の瞳に捕らわれる。
「もっと撫でてくれていても良いのに」
「――――っ、いえ、失礼しました!」
エリィの頬が真っ赤に染まる。主が許したとしても寝ている異性に勝手に触れるなど彼女にとっては破廉恥で、自分のしたことが急に恥ずかしくなった。
何より、見慣れたはずの蕩けるセドリックの視線がくすぐったい。
「手を離してください」
「昨日はあんなに触れあった仲なのに」
「…………うっ」
一方的にエリィから触れていたので、何も反論できない。口をつぐみ戸惑っていると、カチャンと茶器の音が部屋に響く。
「セドリック様、お戯れはそこまでです。エリィさんはあくまで民間療法を施したまで。治療です」
「そうです!治療です!その…………体の調子はいかがですか?」
朝の一杯の紅茶を運んできたブルーノがエリィに助け船をだしてくれたので、しっかり便乗する。そして警戒する猫のようにむむっと睨んだ。
セドリックは降参とばかりに手を離し、身を起こした。
「すこぶる体が軽い。早くに目が覚めたのに頭はスッキリしてて、シャワーまで浴びてしまったよ。ありがとうエリィ」
そうしてセドリックはさらりとエリィの頭を撫でながら立ち上がり、ブルーノの待つソファへと移動した。
――――また簡単に触ったわね。この少し弄び慣れた感じは通常のモードのご主人様だわ。疲れは本当にとれて、完全復活しているようね
エリィの見立て通り、セドリックはいつもの調子を取り戻し構ってくるようになった。食事を一緒にする時間もとるようになり、エリィはご飯の美味しさが増したように感じていた。
仕事になると集中しすぎるところは変わらなかったが、そこはブルーノとシンディがエリィを呼び出し、強制的なお茶の時間が設けられるようになった。
「エリィ、ようやく刺繍作業が一段落するんだ。三階の掃除と並行して少しずつアトリエの手伝いを再開してほしい。少し仕事量が増えるが良いか?」
「はい。ありがとうございます!」
「ありがとうございます、か…………ふふっ」
エリィは相変わらず彼の笑いのツボが分からず、首を傾ける。セドリックは頬杖をつきながら、エリィを見つめた。
「本当にエリィは仕事が好きなんだなぁと思ってね。普通は生活が保証されているのであれば、奴隷というものは仕事量が少ない方が喜ぶはずなんだが。変わってるよ」
「そうでしょうか?私は労働最下級の奴隷より働いているご主人様の方が仕事好きに見えます。そんなに働かれたら奴隷として負けた気分になります」
エリィは今回しみじみと実感していた。仕事を新たにたくさんもらい、奴隷らしくなってきたと浮かれていたことが恥ずかしい。胸元でぐっと悔しげに拳を作った。
「はは、僕はこの仕事が大好きだからね。これに関しては負けていられないよ。働いてるんだけど、働いているようには感じないんだ」
セドリックはトルソーに着させてある作りかけの礼服に視線を移した。誇りと自信を滲ませた瞳には力強さがあった。
言葉通り、セドリックは服作りには妥協がない。相手の希望に沿ったオーダーのドレスや服では満足していない。誰にも干渉されない自分のこだわりを全面に打ち出したブランドを立ち上げ、新作展示会で勝負しようとしている。
十分評価を受けているなかで、新たな挑戦は好きでなければなかなか出来ない。エリィはそういう姿を人として尊敬している。
「ご主人様は本当に服飾がお好きなのですね。きっかけはなんだったのですか?」
「話したこと無かったね…………」
セドリックはゆっくりとお茶を口に含み、過去を思い出すように遠くを眺めた。
「僕は魔法使いとしての適性が高くてね、儀式後は魔法ばかり学んでいたんだ。皆を守るんだ、と子供らしい正義感で必死に学んだ。だけどね、社交界では僕の力は無力で…………自分も、大切な友人も守れなかった」
「何があったのですか?」
「妬みと苛めだよ。社交界には派閥があってね、大人になれば醜い駆け引きが始まる。内気な僕の友人は標的にされ、それはエスカレートして物理的な行為にまで及んだ。そこには男女なんて関係ない」
エリィは令嬢時代を思いだし、唇を強く閉じた。自分にも見覚えのある社交界の影。
フィルが第二王子クリストファーの側近だったため、実家のアレンス家は中立から第二王子の派閥へと変わった。
それから第一王子の派閥からの風当たりが強くなり、失態するような罠を仕掛けられたこともあった。
「でも僕ができることはなく、見ているだけ。手を出せば友人は僕の見えないところで更に辛い目にあうんだ…………その時、師匠と出会ったんだ」
暗い話をしていたはずなのに、語るセドリックの目は輝いている。
「ずっと俯いていた友人がある日、堂々としていたんだ。いかにも高級な新しい礼服で、今まで内気な性格で隠れていた見た目の魅力を引き出していた。格好よくなっていたよ。当たり前のように敵派閥から狙われた。だけど水もワインも弾き、一切汚れを寄せ付けなかった。友人は鎧を手に入れ、自信を手に入れ、前を向くようになっていたんだ」
「それってご主人様が作る服と同じ…………」
「うん。僕は友人を救ってくれた師匠に感銘を受けて弟子入りしたんだ。服こそが僕の護りたいものを守れると…………王宮の魔法使いになれば目の前の存在しか守れない。しかし魔法の服ならば見えないところでも、離れていても、鎧と勇気を与えて誰かを守ることができるんだ。僕自身の手で…………」
熱く語られた話にエリィの胸の奥も熱くなる。
「そして魔法付与の勉強と親を誤魔化しながら服のデザインのことも学んでね。それが面白くて、奥が深くて、凄く好きになってしまって。そして色々あったけど今があるんだ」
「ご主人様は頑張られたのですね」
「そうかな?王宮の魔法使いになるという両親の期待は裏切ってしまったし、まわりにも迷惑をかけた。自分勝手な人間だよ」
エリィは強く首を横に振り、否定した。
杖から針へと道具を変えて、人を守る手段を変えただけ。誰かを守りたいという優しい気持ちは変わらない。きちんと実力も伴っているし、経済効果の面で国には貢献している。
まわりが魔法に適性があったからという理由で将来を勝手に決めつけていただけ。もしはじめから魔法が使えない普通の人であったなら、ここまで周囲は反発もなかったはずだ。
それに魔法付与の種類によっては敵に仕返しをするものもある。しかしセドリックが選ぶ魔法はいつも誰かを攻撃せずに、守るだけのもの。誰も傷つかない道を選んでいる。
「ご主人様は誰よりも優しいです。それは着る人に輝いてほしいと伝わるデザイン、守りたい気持ちが伝わる魔法からも分かります。試着だけなのに、着ていて幸せな気分になれます。身勝手な人がそこまで優しくなれるはずがありません。私は、ご主人様の生き方を支持します!私はそのお手伝いができて幸せです!」
セドリックの生き方は、言いなりの人生を送ってきたエリィには眩しい。エリアルとしての人生は当時はその道しかなかったと思い込み、流されるままだった。だから自分が選べなかった分、セドリックを全力で応援したくなったのだ。
「以前、ご主人様の手は魔法の手だと言いましたが、幸せを紡ぐ手でもありますね!」
エリィがふんっと鼻息荒く伝えれば、セドリックは嬉しそうに破顔させた。
「幸せを紡ぐ手か…………ありがとう。もっと服作りが好きになれそうだよ」
セドリックが褒められた子供のように無邪気な笑顔を見せるものだから、エリィもつられて笑った。