乾杯
「かんぱ~~~い!!」
富裕層エリアの中心地に、女性学者の幸せそうな声が響き渡る。
まだ人間が居た時には、人々の憩いの場所であった噴水のある広場で、彼女はグラスを掲げている。
更に、彼女は浴槽まで用意して素っ裸で風呂に入っているのだ。
浴槽には魔法で作り出したお湯が注がれ、お湯には豪邸の花壇から集めた花びらが浮かんでいる。
そんな浴槽の中で、彼女はゴクゴクと何かを飲んでいる。
それは豪邸から回収してきた高級酒であった。
これら高級酒は貴族が地下倉庫で大切に大切に、本当に大切に保存していた物であった。
そんな、
「一般人では一生お目にかかることも無いであろう高級酒」
を、彼女はまるで「親の敵!」とばかりに呑みまくり、次々に瓶を空にしていく。
「ああ!! 最高だ!!
一度やってみたかったんだ!!
こんな広場で風呂に入りながら、思う存分酒を呑む!!
もし故郷でやったなら即警察に逮捕されるだろうが、ここならそんな心配は無い!!」
ゴクゴク・・・、プハー!!!
「良い味だ!! 最高の味だ!!
多分この一杯で、教員時代の年収が飛ぶな!!」
彼女はお手製のつまみを食べながら、高級酒をまるで水でも飲むがごとく呑みまくる。
「あああ~・・・、幸せだ・・・。
教員時代は二日酔いが怖くて大好きな酒があまり呑めなかったが、ここならばそんな心配はいらない・・・。
そもそも、普段呑んでいた安酒は出来が悪く、直ぐ気分が悪くなったが、・・・この酒は素晴らしい!!
澄み渡る様な出来だ! いくらでも呑めそうだ!!
まあ、たとえ明日二日酔いで動けなかったとしても・・・。
どこかの豪邸で寝ていれば良いだけだ・・・。
・・・果たして・・・、こんなに幸せでいいのだろうか・・・。
今、世界は魔物に苦しめられているのに・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
・・・ああああ!! しかし!! やめられない!! 止まらない!!
むむ!! 次はこやつが相手か!!
なんだか値段の高そうな形の瓶をしおって!!
けしからん!! 私が退治してやろう!!」
そして彼女はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべ、次のターゲットに狙いを定める。
浴槽から上半身を乗り出し、豊かな胸を外気に晒しながらターゲットを掴むと、勢い良く栓を抜いて中身をグラスに注いだ。
そんな様子を、既に荷物持ちと化した魔物はノホホンと眺めるのだった。
風呂につかりながら酒を呑む彼女を、私は感じていた。
そして、呟く。
「そういえば・・・、最後にお風呂に入ったのは・・・、いつだっただろうか?
確か・・・、惑星連盟との戦いで血だらけになった時に入った筈だから・・・」
そう呟くと、私は己の服を摘まんでクンクンと匂いを嗅ぐ。
「・・・あれ・・・?
・・・今着ている服も、一体いつから着替えていないのか思い出せない・・・」
だが、真っ白な服にはシミ一つ存在しないし、体からも変な匂いはしない。
まるで陽だまりの様にやさしい匂いが、私の細い体を包み込んでいる。
そもそも、旧人類の技術力があれば、一生風呂に入らなくとも衛生的な生活をすることは可能である。
事実、私の体も着ている真っ白な服や下着も衛生的に保たれており、風呂も洗濯も必要無かった。
しかし、私は椅子から立ち上がり、自宅の風呂場へと進んでいった。
それから数分後。
着ていた真っ白な服や下着を洗濯機に放り込み、私は風呂に入っていた。
ここは私しか住んでいない小さな家であり、浴槽も手足を伸ばせる程度の大きさしかない。
だが、私はこの風呂が気に入っていた。
やろうと思えば空間を捻じ曲げて、浴槽を湖の様に大きくする事も出来る。
しかし、大きな風呂に一人で入っても楽しくないし、なによりも落ち着かない。
その為、私は浴槽のサイズを変更する事無く、本来の大きさで使っている。
そんな小さな浴槽に、私は身を沈める。
そのまま潜る様に沈み込み、最後には頭の天辺まで湯に沈んだ。
暖かいお湯の中で、私は体育座りの様に丸くなりながら、己の右腕を見つめる。
透き通るように白い肌をした右腕には、大きな傷跡が残っていた。
これは、惑星連盟艦隊の攻撃で出来た傷跡だ。
治そうと思えば完全に元通りに出来るのだが、この傷を消したくなかった。
私はウットリした表情で傷跡を眺め、そして傷跡に軽く頬ずりする。
(ああ、この傷が出来たときの事は今でも覚えている。
まるで1秒前の出来事の様に鮮明に覚えている。
あの瞬間、確かに私は宇宙の中心に居た。
津波の如く押し寄せる感情や情報に脳みその処理が追いつかず、一瞬だけ狂う事が出来た・・・。
その一瞬・・・、私の奥底に眠っていた本能が目覚めた。
冷静な意識は彼方へ消し飛び、「動物」としての本能を剥き出しにする事が出来た。
生まれてから一度も、あれ程の快楽を感じた事はない。
・・・もう二度とあんな事は出来ないだろう・・・。
あの瞬間・・・、私は彼らと対等に「生きる事」が出来ていた・・・。
もし、もう一度狂う事が出来たなら、私は何をするだろうか? 私は何をしたいだろうか?
・・・いや、考えるまでもないか。
・・・答えは分かりきっている。
まるで神の如く彼らを一人残らず救済しようとも、まるで魔王の如く彼らを一人残らず皆殺しにしようとも、最終的に私は彼らを滅ぼしてしまうだろう。
それ程の力が私にはある。
この細い体には、そんな絶対的ともいえる力が備わっている。
自由を求めたご先祖様が作り出したこの力は・・・、果たして本当に自由を獲得出来たのだろうか?
何でも出来るが、何も出来ない。
完全で万能な鎧は、完全で万能な拘束具に他ならない。
私は、この力に縛られ、そして「自由」に生きていくのだろう・・・。
ああ、苦しい人生を送る彼らが羨ましい。
ああ、自由に人生を生きる彼らが妬ましい。
彼らは常に、こんなにも私の胸をドキドキさせる・・・)
そして私は、空に手を延ばした。
すると、何も無い筈の空から酒の入ったグラスが現れる。
私はグラスを手に取り、外の世界をより詳しく感じるために目蓋を閉じる。
そして、廃墟の広場で酒盛りをしている女性学者に向けて小さく、
「乾杯」
と囁き、グラスに入った酒を飲み干すのだった。