141.まぁちゃんだって敵わない
御先祖様の諌めごと。
この広い世界で、彼にああいった説教ができるのは君だけだ…!
バニーが失格になり、戦う必要はどこにもなくなりました。
御先祖様はそれを見届けてから、指パッチン。
途端、ざばっと。
御先祖様の頭上にだけ、局地的な雨が………
踊る火も、炙る炎も、悉く雨に消えます。
………これ、御先祖様が本気になったら火なんて直ぐ消せたよね。
勇者様のサン☀ビーム(光るだけ)なんて意味なかったんじゃ…
随分と手加減して、容赦していたんでしょうね。
それをまざまざと見せつけられ、勇者様のお顔がひくりと引き攣りました。
「さて、俺もそろそろ帰るか…」
そう言った瞬間、あからさまにほっとする勇者様。
御先祖様はそんな勇者様にちらりと一瞥を向けましたが、何を言うでもなく。
ふわりとした、その独特の身のこなしで。
何故か、観客席に来ました。
ずざざざざっと後退り、距離を取る観衆。
なまじ関係者であるだけに、避けられない私達。
私達が顔を引き攣らせ、仰け反りかける中。
御先祖様は、ふわっと私達の目の前に降り立ちました。
観客席と試合場を隔てる、フェンスの上に。
試合会場はすり鉢状で、真中の一番低い位置に試合場。
そこから大きな段差を有して、観客席がある訳ですが。
観客席最前列の、試合場とを隔てるフェンスは私達の胸くらいまでの高さで。
その上に降り立った御先祖様は、とても目立ちます。
とても素晴らしいバランス感覚で身を屈めても、私達を見下ろす位置で。
それでもぐっと近づいた距離に、咄嗟にまぁちゃんを楯にしかけましたが。
相手は我が家の始祖様。
偉大な御先祖様です。
私がこんなことを思うなんて稀…もしかしたら人生初かもしれませんが。
失礼は、許されない。
一国の王を前にした時よりも、ずっと緊張します。
「リアーンカちゃん」
「!?」
名指し!?
びくっと肩を震わせた私に、御先祖様はふっと頬笑みを浮かべました。
………なんだか、小動物の子供でも見つけたかのような微笑ましげな顔です。
「よし、良い子良い子ー」
「えー…」
そのまま私の頭を、かいぐりかいぐりと撫で始めます。
うぅん…行動が読めません。
何と反応したものか判断できず、私は大人しく撫でられるまま。
やがてそんな私の横から、ぴょこっと生える黒い頭。
「御先祖様ー、せっちゃんも! せっちゃんも!」
「おお、せっちゃん! 可愛や良い子だ」
「わぁーい!」
せ、せっちゃん…
本当に、私にはせっちゃんの偉業は真似できない…!
「せっちゃん凄ぇ…」
「こういう時、敵わないって思うよね…」
ロロイとむぅちゃんは慄いたような顔で、せっちゃんから一歩距離を取っていました。
水の滴る姿のまま、帰る前にわざわざ子孫を愛でに来たっぽい御先祖様。
にぃーっと笑いながら、私達の頭を撫でています。
毬藻にする勢いで。
「ご、御先祖? その辺で、な? その…リアンカが目を回しかけてんじゃねーか」
気まずそうな顔で、まぁちゃん助け舟感謝。
「あうあうあぅ~…おめめくるくるしますのー」
「おおぅ!? せっちゃんも目ぇ回しとる!」
「おー、こういうことすんの久しぶりだからなー…加減間違えたか」
「御先祖…」
苦り切った顔で、まぁちゃんが顔を引き攣らせています。
魔王のまぁちゃんのこんなお顔、とっても珍しい!
なんだか十年ぶりくらいに見た気がします。
そもそも今のまぁちゃんに、実力的に頭の上がらない人というのはほぼ皆無。
既に先代魔王も凌駕して、魔境に覇を唱えるまぁちゃんです。
そんなまぁちゃんが、御先祖相手にどういった態度に出たものかと悩んでいる様子なのが、とっても新鮮。
御先祖もまぁちゃんのことを子孫として認識しているのでしょう。
「まあ、この二人には加減が強すぎても、お前なら問題ないだろ」
「え、なにが」
「バトちゃん、ん」
まぁちゃんの古い愛称を用いて、促してくる手。
にこやかに手を広げる御先祖様の笑顔は、なんでしょう…とっても胡散臭い。
なんだかとっても、同類臭の漂う相手だから分かります。
何ですか、その腹に何かを含んだような顔は…
私が警戒するのと同じく、まぁちゃんも不穏な気配を察知したのでしょう。
嫌そうな顔で、距離を保とうとでも思っているのか近寄ろうとはしません。
でも、そんなまぁちゃんに。
「バトちゃん?」
御先祖様は、笑顔で促す。
そうされては、畏敬の念を持つ身としては…逆らいきれるものじゃありません。
超、渋々の嫌々で。
そろり、警戒の滲んだ足取りで。
まぁちゃんが一歩、近寄りました。
瞬間。
「ちぇいっ!」
まぁちゃんに向かって伸ばされた、御先祖様の手が翳みました。
「あつふぇっ!?」
そして聞こえる、まぁちゃんの謎の声。
幾許か、遅れて。
衝撃か打撃か、音は遅れてやってきました。
どびょるぐっっ
……………何の音?
ちょっと不可解な気持ちになる音です。
首を傾げて隣を見ると、そこには額を両手で押さえて蹲るまぁちゃん。
「おいぃっつぅぅぅ……………っ」
…痛みに悶絶するまぁちゃんとか、新しいですね。
実際に私も初めて見る図です。
幼い私やせっちゃんが加減も知らずに髪の毛を引っ張っても、お腹を踏みつけても、意図せずして関節技を決めたりしても。
先代魔王に殴られても、悪戯の時に逃げ遅れて岩に押し潰されても、我を失い怒号の声を上げながら暴走するヌーの群れに跳ね飛ばされても。
全然痛みなんて感じていないかのように、ぴんぴんしていたのに。
そんな、まぁちゃんが。
その、まぁちゃんが、今。
全身で痛みを訴え、悶絶しています。
「御先祖様、何をしましたのー…?」
「ん、デコピン一発?」
「デコピン一撃でこの威力………」
まぁちゃんじゃなかったら、首が捻じ跳んでたんじゃ…むしろ破裂?
「ご、ごせんぞ…なんでいきなり。たいばつはんたい…」
「お仕置きなんだからダメージねぇと意味ないだろ」
「………お、おしおき…?」
痛みに体をぷるぷる震わせながら、まぁちゃんが涙目で見上げています。
うん、この姿も初めてみるや。
私は今まで見たこともないまぁちゃんの姿と予想を超える事態に、おろおろと二人を見比べてしまいます。
でも御先祖様は、余裕たっぷりで。
私の困惑など意にも介さず、微妙に困ったように笑います。
「うん、バトちゃんな……お前、過保護過ぎ」
「は?」
「うん、だから過保護過ぎ。御先祖様として子孫繁栄を願う観点から言わせて貰うけどな?」
そう言ってにぃーっこりと笑う御先祖様には、妙な迫力がありました。
この世には笑顔が怖い人が多すぎると思う。
笑顔なのにまぁちゃんの襟首掴み上げている姿が怖すぎです。
「お前の…お前と、今のハテノ村村長な? ちょいとリアンカちゃんやらせっちゃんやら囲い込み過ぎだろーが。血ぃ絶やす気かっての」
「えー……と、そんな気は」
「全くないってか? 阿呆め。結果的にそうなってんじゃねーか」
「へ?」
「やっぱ自覚なしか…」
きょとーんとするまぁちゃんに、御先祖様が妙に爽やかな笑みを浮かべました。
先程からずっと笑っていて、笑顔以外を浮かべてはいないのに。
御先祖様から漂うオーラが、妙な深淵を感じさせます。
「別にさぁ、それが個人の決断で、今を生きる子孫本人の選択だってんなら文句はねぇんだよ。家の断絶も、血の途絶もな? それを自分でそう決めたんならな? けどな、他人が干渉してどうこうするもんじゃねぇだろ。色恋の分野は、他人が口出すもんじゃねーと御先祖様は思う訳だ」
「はっ!? ちょ、ま…っ」
「口応えすんなや」
ばちっ
御先祖様の指先が再び霞んだ…!
…が、神業的な反射神経でまぁちゃんが御先祖様の腕をがしっと鷲掴み!
何とか回避したのは、再度のデコピン。
「そうそう何度も喰らって堪るか…っ」
「甘ぇぜ、バトちゃん」
ずどんっ
物凄い音がしました。
そう思った次の瞬間には、まぁちゃんが尻もちを……
………あ、違うや、これ。
まぁちゃんは額をちょっと赤くさせて、目を回していました。
うわぁー………
私は、見ました。
攻撃を防がれたと見るや、御先祖様が軽い動作で。
まぁちゃんの額に、頭突きを決めるのを…
御先祖様、魔王を吹っ飛ばすとか…貴方の額は何製ですか?
ねえ、何製? オリハルコン?
話には聞いていましたが、本当に元人間ですか?
現役大陸最強魔王様を二発で倒すとか…どんだけ、化け物なんですか?
当時の魔王と互角に殴り合ったという話は、伊達じゃないんだね…。
というかまぁちゃんが誰かに倒されるとかって、まぁちゃんが魔王に就任して以来初めてのことなんですけど。
予想以上の化け物っぷりに、ちょっとびくついちゃう私がいます。
窺う目で見てしまう私のことなど、気付かぬように。
よし、と言って御先祖様が立ち上がりました。
フェンスの上で、ぐっと背伸びをして…
今度は何も含むところのない、晴れやかな笑顔を私にくれたのです。
「先祖的に言いたかったのはそんくらいだな。うん、いつか襲撃かまして言った方が良いか思案してたし、これはこれで渡りに船ってやつかな? ま、そんだけだ」
「そんだけですかー…じゃ、私にデコピンしない?」
「は? なんでリアンカちゃんにお仕置きすんだよ。リアンカちゃん悪い子か?」
「少なくとも、良い子じゃないのは胸を張って言えるよ?」
「俺だって良い子じゃねーよ。なかったよ。生まれ故郷にいた頃ぁ、徴税人を何度も煙に巻いて役人を貶めたりしてたしな」
「わあ☆御先祖様やっるぅー!」
「ははは。この国の役人だけどな」
「え゛?」
今なんか、このひと聞き捨てならないこと言ったぁぁあああっ!
驚き、固まる私。
そんな私に、悪戯っ子みたいなニッという笑みを見せて。
御先祖様は私の頭をぽんぽんと撫でると、せっちゃんにも同様に撫で撫で。
それからくらくらするのか立ち上がれずにいるまぁちゃんに、一言。
「いいか、バトちゃん。選択肢と、考えること。ちゃんとリアンカちゃんやせっちゃんにもソレを与えてやんなさい」
年配の人っぽく、偉そうにお兄さんぶった…御先祖ぶった? いや、御先祖様なことに間違いはありませんね?
…御先祖様らしく、偉そうに告げて。
「よし。そんじゃそろそろ帰るとすっか」
私達がぽかんとしてしまうくらい、呆気なく。
軽くそう言って、御先祖様は再び跳びました。
試合場の、燃えちゃったバニーのところまで。
「おいこら、兎娘」
「ひぅっ…ふ、フランさまぁ!?」
「おお、やっぱ生きてるか。そんじゃ帰るぞ」
「なんで吾に言うんですかぁー!?」
「てめぇはお騒がせ過ぎんだ、子孫も近くにいるってのに野放しにできるか」
「うわぁあ一緒に帰る気だ、この人―っ!!」
「いいからつべこべ言わず、とっとと来いや」
御先祖様は着ぐるみの襟首を、ぐいっと持ち上げて。
そのまま肩に担ぐと、不敵に笑って勇者様に手を振りました。
「そんじゃ、またな!」
「え? あ? はい???」
思わず、と。
咄嗟に振り返した勇者様に満足げに笑みを浮かべて。
そうして、それから。
私達、観客観衆全ての目の前で。
兎を担いだ御先祖様の姿は、まるで空気に溶けるように。
風の中に解けるように、消えて行きました。
兎ごと。
それこそ、ぽかーーーんと。
私達は皆、まるで狐につままれたような面持ちで。
場を荒らすだけ荒して退場した方の言動に、開いた口もふさがらなくて。
ただただ、夢を見ていたのじゃないかと、そんな気持ちで。
いつまでも、御先祖様のいた場所の空間を眺め続けておりました。
そんな私達の、色々な意味で正気を疑う午後。
私達の知らない、遠い場所。
大陸北方に広がる人跡未踏の山脈の、その懐で。
氷と雪に閉ざされた奥深い洞穴の、奈落の様な底の底。
そこで、私達の知らないそこで。
眠たげに重い瞼をゆっくりと持ち上げ………
微睡から目覚める、灰色の大きな獣がそこにいた。
何となく伏線っぽさをあからさまに漂わせる、この終わり!
さて、灰色の大きな獣とは…?
a.ビックフット
b.パンダ仙人
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d.ドラゴン
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f.ガーゴイル