153話 バレンタインSS 精霊たちのチョコレート
この世界にもしもバレンタインがあったなら、というお話です。
あとがきもぜひご覧くださいませ~!
その日、朝からレナリアの部屋の隣にある厨房には甘い匂いが充満していた。
シェリダン家から派遣されているシェフとアンナの監修の元、レナリアは大きなボウルをかかえていた。
これは最近シェリダン家が取り扱うようになった『チョコレート』というお菓子だ。バレンタインという日に女の子が好きな相手に贈るお菓子として人気になっている。
見かけからは想像できないほど、甘くて栄養がある。
そして何よりも、とてもおいしい。
「これですくって、型に流して固めるのよね」
チョコレートの入ったボウルを作業用のテーブルに置いたレナリアは、ピカピカのおたまを手に取った。
「そうです、お嬢さま。空気を入れないように、そっと流し入れてください。火傷をしないようにお気をつけください」
「分かったわ」
シェフの指示通り、特注で作ってもらった型に、溶けたチョコレートを流しこむ。
とろりと流れていくチョコレートが型を埋めていく。
チョコレートの甘い匂いが厨房に広がった。
「うううう。チャム早く食べたーい」
「ボクたちのために作ってくれてるんだから、我慢だよ」
「チャム我慢できなーい」
「こらっ、つまみ食いしたら、チョコをもらえなくなるぞ!」
厨房と部屋を分けるドアの隙間から、チャムとフィルが重なるようにして、厨房の中の様子を盗み見ている。
チャムがあまりのいい匂いにフラフラとチョコレートのあるボウルに向かっていこうとするのを、フィルがしっぽを捕まえて阻止していた。
「あううううう。いい匂いがするのー。食べたいのー」
「だから、もうちょっと我慢しなってば」
しかもチョコの甘い匂いだけではなく、レナリアの濃厚な魔力の気配もしている。
きっとあのチョコレートには、レナリアの魔力がたっぷりとこめられているのだろうと思うと、フィルの喉もゴクリと鳴ってしまう。
小さな土の精霊のラヴィは、遊ぶのに夢中で部屋の中を走り回っていたが、ついさっき遊び疲れてこてっと横倒しになって眠ってしまった。
ラヴィがあの勢いで厨房の中を走り回ったらレナリアのお菓子作りの邪魔になるので、大人しくなって良かったとフィルは思った。
「これで少し冷やせばいいのよね。どれくらいかしら……」
「そうですね。この季節ならば一晩置いておけば固まるかと思います。少し時間をおいてから、アイシングでデコレーションをすると良いでしょう」
シェフの提案に頷いたレナリアは、まくっていた袖をおろすと、アンナにフリルのたくさんついた可愛らしいエプロンをはずしてもらった。
「がんばったから喉が渇いてしまったわ。アンナ、お茶を用意してくれる?」
「かしこまりました、お嬢さま」
レナリアはチョコレートが固まるのを待っている間に少し休憩することにした。
部屋に戻ろうとして、ドアのところに鈴なりになっているフィルとチャムを見つける。
そしてチャムのしっぽを引っ張って厨房の中に入るのを阻止しているフィルを見て、どういう状況かを察した。
「チャム、まだチョコレートは食べられないのよ」
「でもー、おいしそーなのー」
涙ぐむチャムを手のひらに載せたレナリアは、「困ったわね」と眉尻を下げる。
そこにアンナがフィルとチャム用の小さなカップを持ってきた。
「お嬢さま、これを精霊さま方に差し上げるのはいかがですか?」
「これは?」
小さなカップの中には飲み物が入っている。
「チョコレートと牛乳を混ぜたチョコレートドリンクです」
アンナの言葉に、チャムは飛び上がって喜んだ。
「チャム、それ飲むー!」
「アンナ、ありがとう。テーブルの上に置いてちょうだい」
「かしこまりました」
精霊の姿を見ることができないアンナは、レナリアの指示に従って小さなカップを置く。
「わーい。いただきますー!」
チャムはすぐさま自分用に用意された、小さな炎の模様が描かれているカップを両手に持った。
そしてカップの中身を一気に飲み干す。
「あっまああああああああああああああい!」
口の周りを黒くしたチャムは、そのままテーブルの上をごろごろと転がった。
「レナリア、レナリアー、凄くおいしー。もっとちょーだいー!」
あっという間に飲み切ったチャムを呆れたように見るフィルも、おいしさに羽の色が輝いている。
「もう少し待っていたら、もっとおいしいチョコレートが食べられるわよ」
「もっと……おいしー……?」
チャムの目がハートの形になった。
「待つー。チャムがんばって待つー!」
「そうね、いい子で待ってね」
「分かったー!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして待ちに待ったチョコレート完成の時、チャムは喜んで跳ねまわっている。
「わあああああい、チョコーチョコー!」
「こらチャム、はしゃぎすぎだよ」
「フィルだってー、羽がキラキラー」
「しっ、仕方ないだろ!」
チャムに羽の輝きを指摘されたフィルは、頬を赤くしてぷいっと横を向く。
「はい、じゃあこれはフィルとチャムにどうぞ。ラヴィの分もあるのよ」
レナリアが渡したチョコは、フィルとチャムの形になっていた。ラヴィのチョコはもちろんウサギの形になっている。
そこにアイシングで「フィル♡」「チャム♡」「ラヴィ♡」と名前が書いてある。
ラヴィはウサギの姿をしているけれど、精霊なのでチョコを食べても問題はない。
「わあああああああああああい」
チャムはすぐさまチョコに飛びついた。
フィルも幸せそうにチョコをほおばっている。
「うふふ。喜んでくれて嬉しいわ」
「精霊さまは、こんなに可愛らしいお姿をしているのですね」
魔力がなくて精霊を見ることができないアンナは、それぞれのチョコの形を見て、その可愛らしさに頬を緩めている。
「そうなの。みんなとっても可愛くて、頼りになるのよ。そしてアンナとクラウスも、頼りにしてるわ。いつもありがとう。はい、これをどうぞ」
レナリアはいつもお世話になっているアンナとクラウスにも、ハート型のチョコレートを渡す。
二人とも感激していて、アンナなど涙ぐんでいた。
「お兄さまにも渡しにいきましょう」
レナリアは作ったチョコレートを籠に入れて男子寮の入り口まで行く。
そこにはバレンタインのチョコをお目当ての男子に渡す女生徒たちがたくさんいた。
レナリアはその人の多さに、怖気づいてしまう。
「レナリア、待ってて。ボクが呼んでくる」
フィルがパタパタと飛んで、アーサーの部屋へ向かった。
レナリアは男子寮からちょっと離れたところで待っていることにする。
そこで兄のアーサーを呼んでもらった。
アーサーは女生徒のたくさんいる玄関を避けて、裏口からすぐにやってきた。
「レナリア、待たせたかい?」
「いいえ、お兄さま。はい、バレンタインのチョコレートです」
レナリアから綺麗にラッピングされたチョコレートをもらったアーサーは、普段の冷たい表情がどこにいったのかと思うくらい、顔をほころばせた。
「ありがとうレナリア」
「レナリアの手作りなんだよ」
フィルがそう教えてあげると、アーサーはさらに嬉しそうにする。
「味わって食べなければね」
と、そこで、籠の中にまだ何か入っているのを見つける。布がかけられてよく分からないが、おそらくチョコであろう。
「それは……?」
「チョコレートが余ったので、セシルさまにも差し上げようかと思って……」
「義理チョコ」っていうんですって、とにこにこしているレナリアには、特にセシルに対する特別な感情は見えない。
だが兄として、おもしろくないのは確かだった。
「わざわざここにお呼びするのも申し訳ないから、僕が渡しておこうか?」
「お願いできますか?」
「もちろん」
アーサーの提案に、レナリアはチョコを出そうと布をめくって、固まった。
「……どうしたんだい?」
籠の中を覗きこんだアーサーが見たのは、お腹をぽんぽこりんにしてスヤスヤ寝ているチャムの姿だった。
その口の周りは、食べつくしたチョコの色で真っ黒になっている。
「チャム、全部食べちゃったの!?」
「あまいー……むにゃ」
驚いたレナリアが思わず上げた声にも、起きる気配はまったくない。
「残念だったね」
アーサーはそう言って肩をすくめたが、少しも残念そうには聞こえない。
レナリアはせっかく作ったチョコなのに、と肩を落としたが、食べつくされてしまったのなら仕方がない。
「お兄さまには渡せたから良かったですけど……」
「大切に食べるよ」
にっこりと微笑んだアーサーが、セシルにレナリアからのチョコレートを見せびらかして自慢してやろうと考えていることなど、この時のレナリアには知る由もなかった。
このお話は書籍でイラストを描いてくださっている、すがはら竜先生から頂いた絵から想起したお話です。
すがはら先生のTwitterに絵がアップされておりますので、ぜひご覧くださいませ~(*´꒳`*)
https://twitter.com/ryu_sugahara/status/1360895401973309442