149話 王太后との遭遇
王太后は若い頃はそれなりに美しかったのだろうと思われるが、年を重ね、今は眉間にある大きな縦皺が目を引く、厳めしい雰囲気を持つ女性だ。
唇は笑みの形ではなくしっかりと引き結ばれ、黒い瞳は強い意志を感じさせる。
高く結い上げた髪には一筋のほつれもなく、王太后の厳格さをより表していた。
近隣諸国からはエルトリア王国の陰の支配者と呼ばれているのが、王太后ベアトリーゼ・ゴルト・エルトリアだ。
「セシル、怪我はないようですね」
人に命令するのに慣れた、威圧的ともいえるような声だった。
そこに孫を心配するような響きはない。
「お祖母様、ご心配をおかけして申し訳ありません。頭と背中を打ちましたが、もう霧の聖女に治して頂きました」
頭を下げるセシルのロイヤルブルーの髪がさらりと舞う。
それを見た王太后の目がわずかに細まった。
「……頭を打ったと聞いたが、幻覚でも見たのですか。すぐに診てもらったほうが良いでしょう」
「幻覚などではありません。確かに霧の聖女に癒して頂いたのです」
「ばかばかしい……。霧はともかく、聖女などどこに現れたというのか。近くで見ていたお前たちも、そのようなものは見なかったでしょう」
王太后は、レオナルドとマーカスに確認するように視線を向ける。
だが二人が同意しなかったので、おや、と片方の眉を上げた。
「私は見ました。頭を強く打って危ない状態だったセシルを助けて頂きました。霧の聖女のおかげで、セシルの命が助かったのです。そうですよね、マーカス先生」
「ああ。私も、霧の中にいる聖女を見た」
レオナルドから同意を求められたマーカスの言葉は決して嘘ではない。
霧の中にいる聖女、つまりレナリアを見たのは事実だからだ。
「おとぎ話でもあるまいに、霧の聖女などというものが本当にいると思っているのですか。それならば聖女候補のこの娘が癒したとでも言ったほうが、まだ信じられるものを」
王太后が扇でアンジェを指すと、アンジェは自分がほめられたのだと思って目を輝かせた。
「あたしのシャインは凄いから、離れてても回復できたのかもしれないです。きっとそうですよ!」
あまりの暴論に、セシルの背に庇われていたレナリアだけでなく、その場にいたすべてのものが絶句した。
セシルが倒れていた時、アンジェはかなり遠くにいたはずで、回復などできるはずがない。
それにこの場にいるセシルたちは、レナリアが回復したということを知っている。
「え、無理だよ」
アンジェの隣で光るシャインを見て、フィルは断言した。
(……やっぱり?)
レナリアほどの魔力があれば多少離れていても回復できるだろうが、それでも目の前にいなくては無理だ。
レナリアの爪の先ほどの魔力も持たないアンジェには、到底できないことだろう。
「うん。このアンジェって子の魔力はそこまで高くないから、普通に回復するのだって無理じゃないかと思う。確かに光の属性を持ってるけど、こんなに少ないんじゃなぁ。シャインの姿だって、見えてるんだかどうだか。多分、シャインの力を十分に発揮できてないんじゃない? ほら、光も弱くなってきてる」
今でも十分他のシャインよりも光っているが、そう言われてみれば、最初に見た時のような思わず目をつぶってしまいたくなるほどの輝きはないように見える。
(そう言われれば、少し光が弱くなってるみたい。ねえフィル、シャインの光が弱くなると、良くないの?)
「体の中の魔力が少なくなってるってことだからね。ボクらが人間と契約するのは、人間の魔力をちょっとでも分けてもらうと力になるからなんだけど……別にそれがなくなったって精霊が消滅するわけじゃないし、人間に寿命がきて精霊界に戻れば復活するから大丈夫だよ」
(精霊界に戻る……?)
気になってアンジェのシャインをチラチラ見ていると、何度かチカチカ瞬くように光る。
アンジェの守護精霊になってしまって可哀そうだとは思うけれど、レナリアにはどうにもできない。
それにアンジェを選んだのはシャインだ。
だからどうかシャインもアンジェと仲良くなって、少しでも魔力を回復してもらいたいとレナリアは思っている。
「確かにあの勢いで落ちたというのに怪我一つないというのは奇跡ですね。なるほど、聖女となる娘であれば、奇跡も起こせよう。聞いておりますよ、そなたが奇跡を起こしたことがあるのを」
王太后の言葉に、胸の前で手を組んだアンジェは目を輝かせた。
「そうです! 王太后様の言うとおりです。オリエンテーリングで事故があった時に、あたしがセシルさまを含めたみんなを回復しました!」
レナリアの功績を自分の手柄のように言うアンジェに、アーサーが反論しようと身を乗り出す。
だがレオナルドがそれを止めた。
視線で今は思いとどまれと忠告するレオナルドに、アーサーは悔しさを飲みこむ。
だが決して納得したわけではない。
アーサーは顔から表情を消して、アンジェの妄言を聞き流した。
「ほう。それは素晴らしい。ならばセシルを回復することなど、たやすいでしょう。不幸な事故によって我が孫が怪我をしたが、偶然居合わせた聖女によって癒されたとなれば、みなも納得するに違いありません」
「お祖母様、それは事実とは違います。セシルを救ったのは霧の聖女です」
レオナルドの抗議を王太后はぴしゃりと撥ねつけた。
元々厳めしい顔つきであるのに、眉を吊り上げた顔は一層恐ろしく見える。
穏やかで愛情深い家族に囲まれ、このように怒鳴られたことのないレナリアは、あまりの剣幕にセシルの背に隠れて震えていた。
「お黙りなさい! 私がそう決めたのです。霧の聖女などというまやかしを信じることは、私が許しません! それよりも競技場にこのような穴があるのを見逃すというのは学園側の不手際ではありませんか。王宮から厳重な抗議をいたします。よろしいですね」
王太后の激しい怒りに、レナリアを大事に思うフィルが反応した。
もちろんチャムも、そしてラヴィもうしろ足を大きく地面に叩きつけて怒っている。
精霊たちからゆらりと濃厚な魔力が立ち上る。
一触即発の危機に、レナリアは精霊たちを止めなければと勇気を振り絞ってセシルの背中から出た。
すると、まるで虫けらを見るような冷たい眼差しの王太后と目が合った。
憎悪すら感じさせるその視線に、レナリアは思わず立ち止まってしまった。