泉 鏡花「酸漿」現代語勝手訳 二
二
お辻は一層真面目になって、
「もうちっと前でしたよ。姉様がご心配なさいます谷江さんのご祈念をしてくるって、お寒いのに、お留めは申しましたけれど、運動もしたいからって、深川へお参詣にお出かけでございますよ」
「深川へ、まあ、お友達のことにまで……済まないねえ、ちょいと」
「否、ご心配なさらないように。谷江さんの分になすっていらっしゃいますが、本当はやっぱり何ですよ、姉様がこの間中、何だかお勝れなさらないもんですから、それででございますよ。ですもの、冗談にも姉様、そりゃ谷江さんだって、お最惜いには違いありませんけれども、ですけれども……」
と、ぽっちゃりした頬に、ちょんぼりとした可愛い口で早口にたたみ掛けて、
「嘘にも身代わりになろうなんて、直にそう真剣におなんなさるのも、やっぱりお身体が弱いからです。今日なんぞも、お塩梅の悪いのを推してお見舞いになんぞいらっしゃらなけりゃ可うございますのにさ、お顔の色ったらないじゃありませんか。……あれ! どうかなすったんでございますか」
と言う時、また蒼白くなったように見えた。
「そんなことじゃないの、病気じゃないんだけれど、私、気持ちが悪くって、悪くって、何とも仕様のないことがあるの。どうしようかと思うんだよ」
「え、蛇でもご覧なさいましたか、こんな季節に」
「ああ、蛇を飲んだほど厭な思いなんだわ」
と、言いも終わらない内に、お辻が慌ただしく背中を擦ろうとすると、
「あっ」と言った。
「どうなさいましたんですねえ、姉さん」
「擦らなくっても可いの、胸が疼むんじゃないことよ、咽喉へね」
と、力のない咳をして、
「咽喉へ酸漿が引っ掛かって、苦しくって苦しくって……」
「酸漿が? ……酸漿がでございますか?」
「ああ、その酸漿がねえ、ありきたりなのじゃないの。――お湯を一杯おくれ……ちょいと、ああ、否、止しとくわ」と言いながら、鳩尾をギュッと圧えて、
「この上、胸へ流し込んだら、どうしよう、私は死んでしまうよ。お辻、何時かお参詣をして、鳩の豆を買う時、指のくずれた男に手を握られたことがあったけれど、今日のから見りゃ何でもない」
「まあ、癩坊(*ハンセン病患者への差別的表現)がどうかしたのでございますか」
「癩だか何だか、それはお前、何とも言いようのない、胸が悪くなるような不気味な女房がね、病院下で、電車の中、私の隣へ座ったのさ。……こんな稼業をしていながら、人様の服装のことなんぞ、言えた義理じゃないけれど、縞柄も分からなくなった、洗い晒した半纏はまだ可いとしてもね、よれよれになった半襟の下に、汚い白い肌襦袢の襟を出してね、前掛を〆めないの。綿ネルの古いのなんか露出でさ。継ぎだらけの足袋なんか、それも破れて、指の爪が真黒さ。
そんなことより、べろんと剥げた額が、ずっと髷の所まで続いて、脱け上がった生え際には、生毛がもやもや逆さに立っている。髪はすきや燈籠をいぼ尻巻(*髪を束ね、ぐるぐると巻いて、アップにした髪型)にしたみたいだった。痩け下がった頬辺の所に、すくすくとした毛が生えて、その先が切れて太いのよ。……そして白髪交じりなの。赤く爛れた眦の下がったのが、守宮の腹を切ったよう。それから額へ一層青筋が斜違いに畝ってね、可厭じゃないか。お前、十筋ほど眉毛が縦に押し立ってさ、それに笑破れた口が白歯だろう、白歯も凄まじくて、黄色黒い。それがね、大股で電車に入る時からもう爪楊枝を噛んでいるのさ。その楊枝でね、歯茎の間をぐいぐいせせっちゃ、汚いものの付いたのを鼻の尖で透かして見ては、こぼこぼした手の甲で、下顎を、堪らないといったように、やけに、きっきっと引っ擦るの。だもの、内職の唐紅(*濃い紅色)でも塗ったように、顎はお前、真っ赤になって、べとべとに濡れている歯茎から涎が伝って……」
つづく