泉 鏡花「酸漿」現代語勝手訳 一
泉鏡花の「酸漿」を現代語(勝手)訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を付け加えたり、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この作品の勝手訳を行うにあたり、「鏡花全集 第十三巻」(岩波書店)の「酸漿」を底本としました。
全4章。
一
赤十字病院へ仲のいい友人の見舞いに行って、新道の我が家へ帰った時の、小銀の顔色といったらなかった。
主思いの内箱(*置屋にかかえられていて芸者の世話をする者)のお辻が、
「おお、お帰んなさいまし。どうなさいました姉さん」と、肥った大柄な身体を、慌ただしいまでにあたふたさせて、がさつな出迎えをするのも、真実に心配して帰宅を待っていた証である。
「あい、ただいま」
と、脱いだ駒下駄を揃えながら応えて、土間にちょっと目を配り、小褄を浅く取って、すっと入る。と、入れ替わりに、お辻が上框の障子をぴったり閉め、その手で、背後からコートを脱がす。……白羽二重に淡く彩色された浅妻船の水の裏地が、弱く衣摺れの音を立ててすらりと脱げると、ただの単衣なのに、げっそりと痩せた姿。山茶花の花片へ、フト雪がかかったような襟足に、なす術もないという風に撫肩をさらに落として、友染の座蒲団の上に座り込む。綿は厚いが薄い膝で、長火鉢の縁へ縋るようにしたが、
「着替えましょうかね」
「まあ、一服なすってからになさいまし」
と、どんなに寒かっただろうと思わせるその褪せた唇の色に、もっと紅味を差させようと、お辻は赫と火が熾っている上へ、炭を継ぎ継ぎ、
「お不断着は奥に暖めてございますけれど、姉様、それよりかお炬燵へいらしったらいかがでございます」
「ちっと後にしましょうよ、何だか私」
と、差し俯く。少しばかり薄くなっているが、癖のない、柳を洗ったような芸子髷、櫛は通るが、気の縺れでか後れ毛が乱れている。あながち馴れない遠出の凩のせいばかりではないようである。
お辻は吃驚したように、火の上へ火箸をそのまま、持ち忘れた風になって、
「まあ、どうなさいました、姉さん」
「やっぱり不可いの、また何だか容子がよくないようだわねえ」
訊かれたのはそのことだと思って、小銀は見舞いに行った友人の谷江という者の容態を言って、
「もう、自分でも病気を知っているんだから、気休めの言いようがなくてさ。しみじみ心細いことを言われると、気の毒で、可哀相で、いっそこっちで引き受けて、身代わりになってやりたいと思うわねぇ」
と、声もしめやかに言えば、それに合わせたように、下ろした鉄瓶の湯気も消える。それも道理で、小銀が一度身を引いて世帯を持った情人は、同じ肺病で亡くなったのである。
お辻は今度は吃驚から呆れ顔。
「とんでもない、姉様、お友達の身代わりだなんて、病人のお見舞いの毎に一々そんな気をお出しなすっちゃ、髪が脱けますよ」
と、禁厭のように躾めると、小銀は言われて、櫛をぐいと圧えたが、それさえ力なさそうな様子であった。
「寒気がなさりはしませんか。そんなこんなで、お心持ちが悪いんでしょう。お顔の色ったらありませんよ。熱いお出花(*淹れたてのお茶)をあがりませんか」
「私はたくさん」
と、清らかな霜の小菊の半襟に白魚のような指を当てた。
「でも、ちょうどいいから、お父さんに上げておくれ。困ったね、堀の内様や何か、お寺参りだとお土産があるんだけれど、赤十字じゃねえ。それとちっと帰宅を急いだもんだから、お愛想がないことよ。……お炬燵でご本かい」
と、頭も重たげに二階を見た。お父さんというのは、娘で生活をしている実の親ではない。亡き情人の、世に頼るべく人もいない老人を小銀が面倒を見ているのである。
つづく