2345話
「……敵、来なかったな」
「あら、敵が来ないのはいいことじゃないの?」
朝、起きてからマジックテントの外に出たレイとヴィヘラは、そんな風に言葉を交わす。
普段なら戦いを望むヴィヘラが、敵が来なかったのはいいことだと言ってるのには多少の違和感があったが、たまにはそういうこともあるだろうと思いながら、周囲を見る。
既に何人かのケンタウロスは起きており、朝食の準備をしていたり、今日の予定について話し合ったりといったことをしていた。
……そう、レイが口にした通り、結局昨夜はドラゴニアスが襲ってくるようなことはなかったのだ。
いざという時の為に、酒は最初のコップ一杯分しか出さなかったのだが、これならもう少し酒を飲ませてもよかったのでは? と、そう思わないでもない。
もっとも、それで二日酔いになっては意味がないので、そこまで多くの酒を飲ませる訳にはいかなかったが。
(それに、昨日この集落に敵が来なかったのは……多分、俺とセトが昨日移動中のドラゴニアスの集団や拠点を結構な数殲滅したから、という可能性が高いか)
殲滅と口にしているレイだったが、実際に本当の意味で殲滅……ドラゴニアスを一匹残らず殺した訳ではない。
指揮官役の金、銀、銅……あるいは斑の鱗のドラゴニアスは生き残っていた可能性はある。
だが、結局のところ、集落を襲うのに必要なのは数だ。
それはドラゴニアスにとっても、理解出来ているだろう。
……その数をレイとセトに殲滅された以上、この林に攻撃をしてくるには戦力が足りずに諦めたという可能性も十分にあった。
「それより、今日も偵察に行くんでしょ? ……そろそろ、本気で本拠地を見つけた方がいいんじゃない?」
「いや、本気でも何も、別に手を抜いて偵察をしてる訳じゃないぞ? 見つけられるのなら、さっさとドラゴニアスの拠点は見つけたいしな」
「それは分かってるんだけどね。でも……何だかんだと、私達もここに来てから長いでしょ? ビューネがちょっと心配なのよ」
ヴィヘラの口から出て来た言葉は、レイにとってもそこまで疑問を抱くようなものではない。
ヴィヘラにとって、ビューネは自分が保護者をしているようなものだ。
……ビューネはその生まれから随分としっかりとしているので、レイにしてみれば少しくらいヴィヘラがいなくても、普通にすごしているように思えたが。
とはいえ、それはあくまでもレイの予想であり……ビューネの保護者と自認しているヴィヘラにしてみれば、色々と思うところがあるのも事実なのだろう。
「ビューネは、仲間内ならともかく、それ以外の面々と意思疎通するのは苦手だしな」
いつも『ん』の一言しか口にしないビューネだけに、ビューネの性格をしっかりと理解しているレイ達なら、大体何を言いたいのかが分かる。
もっとも、詳しいことが必要になった場合は、それこそヴィヘラの通訳が必要になったりもするのだが。
そんなビューネが、自分抜きで上手い具合に皆とやり取りが出来ているのかというのは、ヴィヘラにとっては大きな心配なのだろう。
ヴィヘラ程ではないにしろ、レイもまたそのように思うことがない訳でもない。
……それでも、いざとなればエレーナ、マリーナ、アーラといった面々が何とかしてくれるだろうとは思ったが。
「何なら、一旦戻るか? ……セトの移動速度を考えれば、無理じゃないけど」
「それは……」
レイの言葉は、ヴィヘラにとっても興味深い言葉だったのは間違いない。
だが、それでもすぐに戻ると言えなかったのは、やはりドラゴニアスとの戦いに興味を持っていたというのが強いだろう。
実際、斑模様のドラゴニアスという全く新しいドラゴニアスも登場したことで、ヴィヘラの戦闘意欲はより強くなっているのだから。
……それ以外にも、方向音痴気味のレイとセトがまたこの林まで戻ってこられるかという疑問もあったのだが。
少しくらいの距離なら、ヴィヘラも何となく案内出来るが、ギルムと通じている穴からこの林まで無事に戻って来られるかと思えば、素直に頷くことは出来ない。
それどころか、こことは全く違う場所……草原から出てしまうということすら考えてしまいかねなかった。
普通であればそんなことは考えられないのだが、レイとセトの場合は普通にそのようなことが起こりかねないのだ。
何よりも、現在の偵察隊の中で最大戦力の上位三人――正確には二人と一匹――がいなくなったら、下手をすればその日のうちにでもドラゴニアスに襲撃されて壊滅しかねない。
また、偵察隊の食料や水、それ以外にも諸々の物資はレイのミスティリングに入っているのだ。
そんなレイがいなくなるというのは、偵察隊にとって致命傷と言ってもいい。
結局のところ、レイがここから離れる……昨日のようにドラゴニアスの本拠地や拠点を探す為に離れる訳ではなく、エルジィンに戻るといったようなことをしようと思えば、色々な意味で大々的に変える必要がある。
「ともあれ、今の状況ではここから他の場所に行けないのは、間違いないわね」
「ヴィヘラがそう言うのなら、こっちはそれでいいけどな。……さて、取りあえず今日も一日頑張るとするか」
そう言いつつ、レイは周辺の状況を見る。
ヴィヘラと話している間に、多くのケンタウロス達も起きてきてそれぞれに行動を始めている。
その中の何人か……いや、半分以上のケンタウロスが、昨夜ドラゴニアスの襲撃がなかったことに、疑問と若干の不満を表情に浮かべていた。
この不満は、昨日は酒が一杯だけだったのにという思いが強いのだろう。
二日酔いをした時は、多数のドラゴニアスが襲い掛かってくるという目に遭ったのだ。
なのに、何故昨夜に限ってと。
酒好きが揃っているケンタウロス達にしてみれば、その一件で不満を抱くのは当然だろう。
レイは酒を飲んでも特に美味いとは思わないので、何故そこまでケンタウロス達が酒に執着するのかは分からなかったが。
「あら」
不意にヴィヘラが感心したように呟く声が聞こえ、その視線を追う。
その視線の先では、二人のケンタウロスが武器を手に模擬戦を行っていた。
……模擬戦とはいえ、武器は自分の物。つまり、触れれば斬れる長剣と槍を手にしての模擬戦だ。
普通に考えれば、非常に危険だと判断してもおかしくはない。
一応ケンタウロス隊も模擬戦をする時は、刃を潰した武器を使うといったようなことはする。
にも関わらず、現在レイの視線の先で普通の武器を使って模擬戦を行っているのは……単純に、そうした方が緊張感が出るからだろう。
実際に、緊張感が足りないということで、模擬戦用の武器を使わないという者はそれなりにいる。
それでもそこまで問題になっていないのは、この探索隊に参加するということで、集落の中でも相応の実力者だからだろう。
だからこそ、ケンタウロス達の訓練を任されているヴィヘラも、それを見ても何も言わない。
これが、戦士としての技量が足りない者だったり、戦士になったばかりの新人だったりした場合は、間違いなくヴィヘラも本物の武器を使った模擬戦を認めたりはしないだろう。
もしそのような者達が本物の武器を使っての模擬戦などしようものなら、それこそ即座にヴィヘラの拳が振るわれることになり……そこまで血の気が余っているのならと、ヴィヘラとの模擬戦を延々と行うことになるだろう。
特定の趣味の持ち主なら、そんなヴィヘラとの模擬戦も喜ばしいのかもしれないが……普通に考えた場合、とてもではないがそんなことをしたいとは思わない。
それこそ、体力が幾らあっても足りないし、何よりも死の恐怖をこれでもかと感じることになるのだから。
「取りあえず、ちょっと様子を見てくるわね」
そう言って自分も朝の訓練に混ざろうとするヴィヘラを見送り、レイはセトと共に朝の準備を進めるのだった。
「頑張ってくれよー!」
ケンタウロスからの声を聞きながら、レイはセトと共に集落から飛んで昨日の場所に向かう。
「セト、結局昨夜はドラゴニアスは来なかったんだよな?」
「グルゥ!」
そうだよ! とレイの言葉に喉を鳴らすセト。
セトがこうも自信ありげに言っている以上、実は昨夜ドラゴニアスが林の中にいましたということは考えなくてもいいだろうと、レイは改めて安心する。
(そうなると、やっぱり昨日俺が拠点とか移動している集団とかを潰したから、そこまで安心だったのか? いや、けど……うーん、そうなると、まずは林の安全性を高める為に、林の周囲にあるだろう他の拠点とかも潰していった方がいいのかもしれないな)
そう思うも、林の安全を確保するよりもドラゴニアスの本拠地を見つける方が優先されるのではないかと、そうも思う。
だとすれば、自分はどう動くべきか。
迷いつつ……最終的には、林の集落にはヴィヘラを残してきてるから、取りあえず大丈夫だろうという結論になる。
そしてレイは、セトと共にドラゴニアスの本拠地を探してセトと共に空を飛ぶ。
……問題なのは……
「なぁ、セト。昨日斑模様のドラゴニアスを見つけたのって……どこだっけ?」
「グルゥ?」
レイの言葉に、セトが戸惑った様子で喉を鳴らす。
昨日は色々な場所を飛び回り、それによって最終的に斑模様のドラゴニアスの群れと遭遇した。
だが、色々と飛び回ってしまったが故に、昨日の場所がどこだったのかは思い出せない。
最終的には斑模様のドラゴニアスを倒した場所から林まで真っ直ぐに戻ったのだが、その時はもう夕方だった。
午前中と夕方では、同じ場所であってもとても同じようには見えない。
また、方向音痴気味であるレイとセトだからというのもあるのだろうが、結果としてレイ達は目的の場所に向かうのに迷っていた。
そうして十分程もの間どうするのか迷い……最終的に出した結論は、このまま探していても昨日の場所に戻れるかどうか分からない以上、昨日の場所は諦めて別の拠点や移動中のドラゴニアスを探した方がいいというものだ。
諦めたと言ってもいいだろう。
本人がそれを理解しているのが、レイとセトというコンビにとってせめてもの救いだった。
「じゃあ、取りあえず別のところを探すとして……どっちに行きたい?」
探す場所を選ぶにしても、何らかの指標がある訳ではない。
それこそ、現在レイ達が野営地として使っている林のように分かりやすい目印でもあれば話は別だったかもしれないが。
「グルルルゥ? グルゥ、グルルルゥ……」
とはいえ、どこに行くのかを任されたセトも、すぐにどこに行くのかを選べる訳ではない。
どちらに向かおうかと思い……やがて、一方向に向かって飛び始める。
特に何か理由があってそちらに進んだ訳ではない。
ただ、何となくそちらがいいと、そう思っての行動だった。
レイも行くべき場所に迷っていた以上、そんなセトの様子に不満を漏らしたりはしない。
そのまま真っ直ぐに進み……やがて、地上を走っている何かを見つける。
またドラゴニアスか? ともレイは思ったのだが……違う。
いや、正確にはドラゴニアスがいたのは事実だったが、そのドラゴニアス達は二頭の鹿を追っていたのだ。
そして鹿の上にいるのは……
「アナスタシア!? それにファナも!」
そう、それはレイがこの世界に来て探していた二人の人物、アナスタシアとファナ。
その二人が鹿に……それも大きさから考えて明らかに普通の鹿とは思えない存在に乗りながら、背後のドラゴニアス達に襲われていたのだ。
「グルゥ!」
あまりに予想外の展開に一瞬動きを止めたレイだったが、それもすぐにセトの声で我に返る。
「そうだな。取りあえずアナスタシア達を助ける必要があるか。……セト、あっちに向かってくれ」
そう言いながら、レイはミスティリングの中から黄昏の槍を取り出す。
そうしている間も、二人を乗せた鹿とドラゴニアスの差は縮まっていく。
純粋に走る速度では、ドラゴニアスよりも鹿の方が速いのだろう。
だが……二頭の鹿は、その背中にアナスタシアとファナという重りを乗せている。
……重りという表現を聞けば、二人は怒るだろうが。
勿論、重りの二人もただ黙って鹿に乗っている訳ではない。
精霊魔法使いのアナスタシアは、逃げながらも呪文を唱え……その魔法が放たれる。
すると二人を追っていたドラゴニアスのうち、先頭を進む数匹が不意に転ぶ。
当然のように、自分のすぐ前を進むドラゴニアスが転べば、そのすぐ後ろのドラゴニアスもそれに巻き込まれる。
飢えを満たす為、真っ直ぐ自分の餌となるべき二匹の鹿とアナスタシアとファナを追っていたが故に、回避不可能だったそんなドラゴニアスの集団に向け……空中から放たれた黄昏の槍が、まるで流星の如く突き刺さるのだった。