1723話
地底湖の底に存在する、ダンジョンの核と思しき存在。
普通であれば、それを見るようなことは出来なかっただろう。
だが、赤、青、緑、黄色……イルミネーションの如く様々に光り輝く苔と、この地底湖特有の水質による影響からか、地底湖の底にあるダンジョンの核と思しき存在ははっきりと確認することが出来た。
もっとも、この場にはダンジョンの核を見たことがない者もいる。
「あれが、ダンジョンの核なのか? ……本当に? 実は似ているだけで、別の物って可能性はないよな?」
「どうだろうな。ただ……見てみろよ」
半信半疑……いや、三信七疑といった具合のレリューの言葉に、レイは改めてこの膨大な空間を見回す。
最初はレイが何を言いたいのか分からない様子のレリューだったが、その視線を追えば、何を言いたいのかは理解した。
この地底湖に続く道は、自分達がやって来た道以外に何本も通路があったのだ。
つまり、途中で通る道は違っても、最終的にはこの地底湖に到達することになっていた。
「うげ」
それを理解したレリューの口から、嫌そうな……本当に嫌そうな声が漏れ出る。
何をどうやっても、結局この地底湖のある場所に到着したのだと、そう理解したのだろう。
(そう考えれば、俺達はそんなに迷わないでここに来たんだから、ある意味で運が良かったのか? もっとも、罠が大量にある道だからこそ比較的短い距離で到着出来た可能性もあるけど)
もっとも、その罠にしてもビューネが――戦闘力はともかく、純粋な盗賊の技術という意味では一定以上であっても決して腕利きという訳ではない――解除出来る程度の罠だったのを考えると、正解の道だったのかもしれないが。
「恐らく、あの森には他に幾つも俺達が見つけたような階段があったんだろうな。で、その階段を下りたり上ったりして進むと、最終的にここに到着するようになっている、と。勿論行き止まりとかは別として」
「……否定出来ないのが悔しいところだよ、ちくしょうめ」
レリューも、この地底湖こそがダンジョンの最深部であると、そう理解してしまったのだろう。
それ以上は何も言えず、言葉に詰まる。
「じゃあ、あの蛇と戦うってことで構わないわね?」
確認の意味を込めて尋ねてくるヴィヘラだったが、誰もそれに反対は出来ない。
このダンジョンを攻略するという目的の為にここにいる以上、あの巨大な蛇を倒さないという選択肢は存在しないのだ。
だが……倒さなくてはならないのは事実だが、どうやって倒すのかといった問題もある。
「蛇なんだから、別に水中じゃなくて陸地でも活動出来ると考えた方がいいか。……マリーナを含め、だれかあのモンスターの情報を持っている者はいるか?」
エレーナの言葉にマリーナ以外の者達は全員首を横に振り、その視線は自然とマリーナに集まる。
この中で一番長く生きてきて、冒険者としての経歴も誰よりも上で、ギルドマスターという要職にあった人物だ。
当然のように持っている知識は深く、モンスターのものについてもレイ達以上だ。
だからこそ、あの巨大な蛇について何らかの情報を持っているのではないかと、そう思っていたのだが……マリーナの表情に浮かんでいるのは、戸惑いに近い。
知らないのであれば知らないと言えばいいし、知っているのなら知っていると言えばいい。
にも関わらず、マリーナはどちらとも口にせず、言葉を濁したのだ。
普段のマリーナの性格を考えれば、まず有り得ないことだった。
「どうしたんだ? あの蛇を知らないのか?」
「いえ……その、似たようなモンスターなら知ってるわ。けど、私の知っているそのモンスターだと、あそこまで大きいなんてことはないのよ。それこそ、大人の男が二人分くらいの体長なんだけど……」
「つまり、マリーナが知っているモンスターの、上位種か希少種って訳か?」
同じようなモンスターでも、その姿形や能力が違うと言われて最初に思いつく可能性がそれだ。
既に水中に戻った蛇を見ながら……そこで、改めて何故未だに自分達が攻撃されていないのかを一瞬疑問に思うも、銀獅子との戦いを思い出してすぐに納得する。
(銀獅子も、自分のいた部屋から出られなかった。となると……恐らく、あの蛇も決められた空間から出ることが出来ないのか? だとすれば、その決められた空間というのは……)
レイの視線が向けられたのは、巨大な蛇が泳いでいるのだろう地底湖。
恐らく、地底湖の中に入ってようやくあの蛇との戦いになるのだろうと、レイはそう理解出来た。
「上位種か希少種……まぁ、普通に考えればそうなるんでしょうね。けど、ちょっと大きさが違いすぎるのよ」
困ったように告げるマリーナだったが、あの蛇のモンスターに対して誰も情報を知らない以上、マリーナの持つ情報が基準になるのは間違いなかった。
もっとも、期待の視線を向けられるマリーナも、自分の口にした情報が間違っていた場合のことを考えると、口に出しづらいというのは正直なところだったのだが。
「いいから教えてくれ。情報が何もない状況であんな化け物と戦うよりは、多少間違っている可能性があっても、情報は持っていた方がいい。それが間違っているのかもしれないとなれば、それこそそれを前提にして行動すればいい」
じっとレイに見つめられたマリーナは、少し迷ったようだったが、やがて口を開く。
「分かったわ。ただ、あくまでも参考程度にしかならないから、それを承知の上で聞いてね」
そんなマリーナに、全員が真剣な表情で頷く。
それを確認してから、やがてマリーナは自分の知っている情報を口にした。
「まず、私が知ってるのはランクCモンスターのガランギガというモンスターよ。このモンスターは、水の中を主に活動の場所としているわ。そして、牙には毒があって、それ以外にも毒液を吐いたりといったことが可能よ」
「毒系統のモンスターか。……厄介だな」
嫌そうにレリューが呟いたのは、それがどれだけの威力を持っているのか知っているからだろう。
毒を持つモンスターは、ありふれている。
だが、その毒が効果的だからこそ多用されるようになり、結果としてありふれた攻撃手段となるのだ。
また、毒と一口に言ってもその種類は様々だ。
相手を動けなくさせるような麻痺毒の類もあれば、それこそ触れただけで死んでしまうような強烈な毒まで。
「ガランギガだったか。そのモンスターは、どんな毒を使ってくるのか聞かせて欲しい」
エレーナのその言葉にマリーナは頷いて口を開く。
「まず、牙の方は出血毒。いわゆる、流れる血が止まらなくなるという毒ね。毒液の方はそれに触れると焼けるような痛みを感じるらしいわ。……ただ、繰り返すようだけど、これは本当に私が知ってるガランギガというモンスターの情報よ。希少種か上位種と思われるあのモンスターには、この常識が通じるかどうか分からないわ」
「分かっている。毒には要注意ということだな。……では、毒以外の攻撃方法は何がある?」
「鱗の間に鋭い棘が隠されていて、それを使った体当たりや巻き付きね」
「……嫌な攻撃手段だな」
鱗の隙間から無数に生えている棘を展開したまま突っ込んでくる、巨大な蛇。
それを想像したレイは、心の底から嫌そうに呟く。
そのような攻撃を回避や防御せずまともに命中するようなことがあれば、致命傷……とまではならないかもしれないが、それだけに無残な怪我をすることになるだろう。
他の者達もレイと同じ想像をしたのか、嫌そうな表情を浮かべていた。
もっとも、レイがイメージしたのはおろし金で身体を擦られるという光景だったので、他の者達とは微妙に違うのだが。
「特殊な攻撃といえばそのくらいよ。ただ……この地底湖にいるガランギガが私の知ってると同じ攻撃しか持ってないとは、到底思えないけど」
希少種というのは、その種族が本来持ってない能力を持っているからこそ希少種と呼ばれるのであり、上位種はその種族が進化した姿で、こちらも当然ながら進化前に比べれば能力が増している。
そうである以上、恐らくそのどちらか……最悪の場合、その両方。ガランギガの上位種の希少種という可能性もあるのだから、どのような攻撃をしてくるのは不明だった。
もっとも、何も情報がない状況でガランギガと戦うよりは、余程マシだったが。
「となると、遠距離からは毒液、近距離では毒の牙と鱗の隙間から生えた棘を使った攻撃に注意、と。後は普通の蛇と同様に考えればいい訳だ」
「そうね。もっとも、あの大きさの蛇を普通の蛇と一緒に扱ってもいいのかどうか、全く分からないけど」
マリーナの意見に、皆が同じ気持ちを抱いたのだろう。力の抜けた笑みを浮かべる。
笑ったことで気が抜け、ある程度雰囲気が落ち着いたところで、レイは次の話題に話を移す。
「ガランギガの能力が予想だけど大体分かったところで、次の話だ。……言うまでもなく、水中という向こうのテリトリーで戦うようなつもりは俺には一切ない。一応聞くけど、水中でガランギガと戦いたいと思ってる奴はいないよな?」
尋ねるレイだったが、ヴィヘラの性格を考えればもしかして……と、そういう思いがない訳でもない。
だが、幸いにもヴィヘラはそんなレイの言葉に反論をせず、素直に頷いてみせた。
これはヴィヘラが水中での戦いについて思うところがあった、というのが大きいだろう。
基本的にヴィヘラは、水中での戦闘は得意ではない。
浸魔掌や魔力によって生み出された爪や刃での攻撃はある程度有効だろうが、水中では何よりヴィヘラの真骨頂である体術を存分に発揮出来ない。
つまり、ヴィヘラにとっての戦闘の根幹が使えなくなるのだ。
そのような状況で強敵と戦っても、当然のようにヴィヘラに満足感は存在しない。
であれば、自分のホームグラウンドたる地上で戦いたいと思うのは当然だろう。
ましてや、ガランギガは地上で戦えないモンスターという訳ではない。
マリーナの説明から、地上でも十分に戦闘力を持っているというのは明らかだったのだから。
「誰も自殺志願者がいないようで何よりだ。……そうなると、最大の問題はどうやってガランギガを地上に引っ張り出すかってことになるんだが」
「俺達が近くにいても、全く気にした様子ねえしな」
レリューも、これ以上自分が戦いたくないと言っても、その意見が採用されることはないと判断したのだろう。
ガランギガを、どうすれば無事に倒せるか、という方に考えを変える。
戦うのであれば、出来るだけ確実に勝ちたいと、そう思うのは異名持ちの冒険者としては当然だった。
「こっちが地底湖の中に入れば、恐らく反応すると思うけど……マリーナ、ガランギガはその辺りの反応はどうなっているの?」
「ヴィヘラが何を聞きたいのかは分かるけど、私の知っているガランギガなら、それこそ近くに獲物がいればすぐにでも襲ってくるわ。ここのガランギガが襲ってこないのは、やっぱりあの地底湖がいわゆる、ボス部屋になっているからでしょうね」
「厄介だな」
ガランギガというモンスターの生態からして厄介なのは間違いないのだが、それ以上に厄介なのは、やはり地底湖という場所そのものだった。
「俺はセトに乗って空を移動出来るけど……エレーナのスレイプニルの靴は、自由に空を歩き回れる程じゃないしな」
「うむ。残念ながらそうなる」
「私は精霊魔法と弓があるから、ある程度攻撃手段は何とかなるわ」
「俺は風斬りがあるけど……水中にいられるとな」
「私はそもそも、遠距離攻撃の手段がないし。……それこそ、前みたいに石を投げるとかかしら」
「ん!」
それぞれが自分の攻撃方法を口にするが、結局分かったのは、やはり水中という場所では戦えないということだった。
「そうなると、やっぱりどうしてもガランギガには地底湖の外に出て来て貰う必要がある訳だけど……可能性としては何があると思う?」
視線を向けられたマリーナは、少し考え……やがて、自信はないけどと前置きした上で、思いついた方法を口にする。
「まず最初に地底湖の中……いえ、この場合は上かしら。そこに移動してガランギガに攻撃してみれば、向こうはこっちを敵だと認識すると思うわ。その後で私達がいるこの場所……地底湖の外に移動してくれば、それを追ってくる……かもしれないわ。ボス部屋を出てくるかどうかは、実際にやってみないと分からないけど」
「上ってことは……」
レイを含めたその場の者達の視線が、セトに向けられる。
イエロを頭の上に乗せたセトは? 何? と円らな瞳で見返してくる。
そんなセトだけを地底湖の上に向かわせてもいいものかどうか……迷いつつ、それでも結局それしかないということで、セトに任せることになるのだった。