1709話
「っと」
そう言いながら、セトの足に掴まっていたヴィヘラがダンジョンの床に降りる。
洞窟の中はそれなりに広く、セトも自由に動き回れるだけの空間的な余裕はあったが、その高さは三m程度と、そこまで高い訳ではない。
多少頑張ればセトも飛べるかもしれないが、その程度の高さしかない以上、高い場所から落下速度を活かした一撃、という真似は出来ないだろう。
そんな訳で、セトに掴まっていた面々は、ダンジョンの外から中に飛び込むような感じで飛び込んできたのだ。
「ふむ、こうして見る限りでは、特に何か異常があるようには見えないな。……もっとも、崖の壁面にダンジョンがあるというだけで、明らかに異常なのだが」
エレーナが周囲の様子をみながら、そう呟く。
通路の端に転がっている二匹のゴブリンの死体を見て、微かに眉を顰めながらだが。
そんなエレーナに、強敵と戦えるかもしれないという期待感に満ちたヴィヘラが、笑みを浮かべつつ口を開く。
「けど、ここは結局のところまだ入り口でしょう? なら、特に変化がなくても当然じゃない?」
「俺が以前挑んだダンジョンは、中に入った途端、いきなり水浸しになってたけどな」
エレーナやヴィヘラの言葉にレリューがそう言い、それを想像した者達は嫌そうな表情を浮かべていた。
ダンジョンに挑む以上、水に濡れる程度のことを厭うつもりはない。
だがそれでも、ダンジョンに入った途端にそのような状況になっているというのは、やる気を削ぐという意味でははかなり効果的ではある。
「そういうのがないのは、助かったな」
「ああ。崖の壁面にあるダンジョンというのはちょっとおかしいが、中に入ってみればそうでもねえ。……もっとも、奥の方がどうなってるのかは分からねえが。それで、レイ。どういう隊列で進むんだ? パーティリーダーはレイなんだから、俺はその指示に従うぞ」
「そうだな、取りあえず先頭は盗賊のビューネ」
「ん」
レイの言葉に、無表情で頷くビューネ。
表情には出していないが、やる気に満ちているのはレイであっても理解出来た。
「その次はヴィヘラ」
本来なら格闘という戦闘スタイルのヴィヘラは、このような場所に配置されるべき人物ではない。
だが、ビューネの言葉を正確に理解することが出来るのは、ヴィヘラしかいないのも事実だ。
また、ヴィヘラの瞬間的な移動速度は素早く、下手に武器を持っているような相手であれば、即座にその内側に……ヴィヘラの攻撃範囲内に入ることが出来る。
「ま、しょうがないでしょうね。任せておいて」
ヴィヘラもビューネの件は理解しているので、特に不満も言わずに引き受ける。
実際、盗賊のビューネが罠を見つけて、それで何か詳細な説明が必要なものだった場合、誰かがそれを説明する必要があるのだ。
やるかやらないかはともかくとして、いざという時にそれが出来るか出来ないかというのは、ダンジョンの場合は生死に直結する可能性がある。
「で、その後ろにレリュー」
「俺がか? 正直、真ん中辺りに俺がいても、あまり役に立たないと思うんだがな」
「あの、風斬りとかいうスキルがあるだろ?」
レイの飛斬と似たスキルのことを口にすると、レリューは渋々頷く。
「そう言うなら、それでもいいけどよ。……ただ、風斬りはある程度連発は出来るけど、好き放題に使えるって訳でもねえからな。その辺は覚えておいてくれ」
「分かった。……で、レリューの後ろがセトとマリーナ。マリーナは精霊魔法があるから後ろの方からでも援護が可能だし、セトは何か怪しいところがないのかを探しつつ、マリーナの護衛な」
「グルゥ!」
「分かったわ」
マリーナが得意とする精霊魔法は、風や水といったものだ。
そういう意味では、このダンジョンの中では水の精霊魔法を使うのは難しい。
それでも崖の壁面という高い場所にあるということもあり、ある程度風が入ってくるのはマリーナにとって助かったといえるだろう。
勿論、土の精霊魔法も、風や水程ではないにしろ、使えるのだが。
「で、俺とエレーナが最後尾、と」
レイの場合は、正直なところどこにいても大抵の役目はこなせる。
勿論ビューネのように罠を見破るといったことは無理だが。
遠距離や中距離では魔法やスキル、槍の投擲があるし、近距離では近接攻撃も普通に出来る。
そんなレイの言葉に異論がある者はおらず……
「よし、じゃあ早速行くか。今日だけでダンジョンを攻略出来るとは思わないけど、ある程度は目処を立てておきたいしな」
レイの言葉に頷き、一行はダンジョンを進み始める。
もっとも、まだ入ってすぐということもあり、特に大きな罠が仕掛けられている筈もない。
ゴブリンやコボルトといったモンスターも出てくるが、倒すだけ倒して魔石だけを取り出すと、死体はその辺に放っておく。
唯一、オークだけは倒せばその死体をミスティリングの中に収納していたが。
(あ、でもこうして俺達が倒してるってことは、地上でモンスターが落ちてくるのを待ってる連中は待ちぼうけになるのか? ……まぁ、だからってモンスターを倒さないって選択肢はないけど)
放っておいても、モンスターはレイ達を攻撃してくるのだ。
そんなモンスターを倒さず、攻撃されるままにしておくという選択肢は、レイの……いや、この場にいる誰の中にも存在しない。
「ん!」
そんな中、先頭を歩いていたビューネが小さく呟く。
それが何を意味しているのかは、即座にヴィヘラが説明する。
「罠よ」
レイ達だけであれば、ビューネの言葉の意味はそれなりに理解出来るようになっている。
それでもこうしてわざわざヴィヘラが説明をするのは、それなりに理解出来るようになっても、詳細には理解出来ていないからだろう。
ダンジョンの中では、何が起きるのか分からないのだから。
また、ビューネとはまだ会ったばかりのレリューがいるというのも大きい。
レイ達とは違い、レリューはビューネが何を言いたいのかは殆ど分からない故に、必要なのがヴィヘラの通訳だった。
「そこの床。踏むと沈むようになってるから注意してね」
「……踏めばどうなるんだ?」
「さぁ? レリューが試したかったら、やってみれば? 私はちょっと遠慮したいけど」
ヴィヘラにそう言われれば、レリューもそれを試してみたいとは思わない。
無言で首を横に振り、先に進もうと促す。
ビューネが指示した場所を踏まないようにしながら先を進み……そのまま、数分。やがて道が二つに分かれているY字路が見えてくる。
「どっちに行くの?」
「そう言われてもな。何か手掛かりがある訳じゃないし……」
「ん!」
マリーナの言葉にレイが少し悩んでいると、ビューネが地面を指さしながら小さく呟く。
「モンスターの足跡、ね。こうして見る限りでは、右側の通路に多くの痕跡があるわ」
「……あるのか?」
土で出来た地面だったり、埃が積もっているような場所であれば、レイにも足跡がどれくらい残っているのかといったことは分かるだろう。
だが、ここは崖の壁面に出来たダンジョンである以上、当然のように地面は岩で出来ている。
レイが見た限りでは、足跡がどれくらい残っているのかといった痕跡を見つけることは出来なかった。
「俺もちょっと見ただけじゃ分からねえな。……小さいが、盗賊としての腕は信用出来る、か」
感心したようなレリューの言葉に、ビューネは心なしか嬉しそうな雰囲気を出す。
戦闘能力という点では、ビューネは盗賊としてかなり優れている方だと言ってもいい。
だが、盗賊である以上は、その盗賊としての技術を褒められて嬉しくない訳がなかった。
「まぁ、それはいいとして。結局どっちに行くんだ? モンスターの多い方か? それとも、モンスターの少ない方か」
尋ねてくるレリューの言葉にレイは悩むが、すぐに判断する。
「モンスターの多い方に進むとしよう。モンスターが多く通っているってことは、多分他の場所に繋がっている可能性が高いだろうし。まぁ、それが上か下かは分からないけどな」
このダンジョンは崖の壁面の中でも半ば程の場所にあった。
つまり、下にも上にも続いている可能性があるのだ。
(上に続いているなら、崖の上に出てもおかしくはないが。……空間が歪んでいるとか、そういうことがなければの話だけど)
レイがそう考えてしまうのは、やはり普通のダンジョンではなく崖の壁面に存在するという特殊性からだろう。
そもそも、今までレイが挑んできたダンジョンも空間的に歪んでいるとしか思えないような場所は多かった。
ダンジョンの中だというのに高い空があり、太陽や月があるような場所や、ダンジョンの中に広大な砂漠と強烈な日差しを降り注ぐ太陽があったり……といった具合に。
その辺りの事情を考えると、このような特殊な場所に存在するダンジョンが、空間的に何の異常もないというのは考えられなかった。
もっとも、恐らくこのダンジョンは出来たばかりということもあり、そこまで巨大なダンジョンではないという可能性もあったが。
「じゃあ、右に進むわよ。……左に何かあるのか、ちょっと気になるけど」
マリーナのその言葉に、レイの心は少し揺れる。
日本にいた時にやった遊んだゲームの中でも、RPGと呼ばれるジャンルではダンジョンを攻略することが多い。
そういう時、行き止まりの場所には宝箱の類があったりすることも多く、レイがRPGをやる時は可能な限り通路を網羅していた。
勿論攻略本を見ながらであれば、どこに宝箱の類があるのかは載っているので、そこまで苦労することはなかったが。
「あー……もしかしたら何か重要な物があるかもしれないし、左の方に行ってみるか?」
優柔不断気味なレイの判断だったが、どのみち今日だけでダンジョンを攻略出来るとは誰も思っていないので、特に問題なく左に進むという行為が認められる。
そうしてモンスターがあまり通った形跡のない左側に進んだのだが……十分も経たない内に行き止まりとなる。
ただし、そこには岩で出来た植物のような物が幾つか咲いている。
洞窟の中で育つ植物というのは、珍しいが皆無という訳ではない、
だが、岩で出来た植物らしき存在というのは、レイも見るのは初めてだった。
「誰か、あれを知ってる奴がいるか?」
誰かがあの岩の植物がどのような物なのかを知っているのかというのを期待して尋ねるレイだったが、残念ながら誰もそれに答える者はいない。
元ギルドマスターにして、長い時間生きているマリーナですら知らないのだから、目の前にある岩で出来た植物が稀少な代物なのは間違いなかった。
「となると、これは一応持って行った方がいいよな。どういう価値があるのかは分からないけど」
「でしょうね。それにしても、岩で構成された植物、ね。……こんな場所にあるということは、当然のように誰かが作った石像とかじゃないでしょうし」
改めて視線の先にある岩の植物を見ながら呟くマリーナだったが、そもそもこのダンジョンに入ったのはレイ達が最初だ。
少なくても、公式にはそうなっている。
……実際には、レイ達が入るよりも前にどこかの高ランク冒険者が入っていても、それは不思議ではないし違法でもない。
そもそも、ダンジョンに入るのを禁じるような指示や命令がギルドや代官から出ている訳でもないのだから。
崖の壁面……それも尖っていたり滑ったりするような厄介な崖の壁面にあるからこそ、誰もダンジョンの中に入れなかっただけであって、レイ達のようにそれをどうにかする手段を持っているのであれば、それこそ問題なくダンジョンに入れるだろう。
そのような者達が先にいても、おかしくはない。
(もっとも、先に入っている者がいたとして、この岩の植物に興味を示さなかった理由は分からないが。……重いからか?)
ミスティリングを持っているレイであれば、それこそ重さは全く関係なく持ち運ぶことが出来る。
そういう意味では、ここで岩の植物を見つけたのは幸運だったと言えるだろう。
「ビューネ、一応聞くけど罠は?」
「ん」
あの岩の植物をどうにかしようとして近づいたら罠に掛かるというのは面白くなかったのでそう尋ねるレイだったが、それにビューネは首を横に振る。
それを確認し、改めて周囲に何か異常はないか……罠でなくても、もしかしたらモンスターの類がどこかに隠れていたりしないかといった風に考えながら見てみるが、そこには本当に何もない。
「よし、じゃあこれを収納するから、周囲の警戒を頼む」
そう言い、レイは岩の植物に近づいていき……ある程度まで近づいたところで、不意に岩の植物の葉が、レイに向かって飛んで来るのだった。