1694話
「ごめん、レイ君。待たせちゃった?」
「いや、そんなに待ってない。俺もさっき来たところだし」
そんな会話をケニーとしたレイは、ふと今のやりとりがよくあるデート前の待ち合わせの会話に似ているかも? と思う。
……もっとも、やってきたケニーが馬車の御者台に乗っている辺り、とてもではないがレイが想像した光景の通りとはいかなかったが。
「結局馬車にしたんだな」
「ええ。……だってレイ君、馬に乗れないでしょ」
「いや、乗れと言われれば乗れるぞ」
ケニーの言葉にそう返すレイだったが、それは決して真っ赤な嘘という訳ではない。
だが、レイが乗れるのは軍馬として小さい頃から厳しい訓練をしてきた馬に限られるのだが。
それは別に、レイの乗馬の技量に関して怪しいから……という訳ではなく、レイがいつもセトと一緒にいることが影響している。
つまり、レイの身体にはセトの気配や臭いといったものが染みついているのだ。
それでも馬車の御者台のように、ある程度距離が離れた場所であれば、そこまで馬にも影響しないのだが……そんなレイが馬に乗ろうとすれば、馬はどうしてもセトの気配を感じてしまう。
その為、馬によっては恐慌状態に陥ってしまったりもする。
そこまでいかなくても、馬が無駄に力んで怪我をしてしまうという可能性も高い。
そうならない為には、やはりレイが馬に乗るよりも馬車で移動した方が、馬のストレス的に安全だった。
「ふーん。ま、お姉さんとしてはそういうことにしておいてあげるね」
御者台の上でケニーはそう笑みを浮かべ、レイはそれ以上何かを言っても意味はないだろうと判断し……そのまま大人しく馬車に乗るのだった。
「へぇ……ここがレイ君がモンスターを解体してる場所?」
物珍しそうにケニーが周囲を見回しながら、呟く。
レイにとっては、今まで何度も来てる場所である以上、そこまで珍しいものがあるようには思えない。
だが、普段はギルムから出ることのないケニーにしてみれば、ギルムの外に出ることそのものが珍しいのだ。
その上、こうして森にまでやってくるというのは、それこそモンスターの襲撃を考えれば、普段は到底出来るものではない。
今の状況は、レイというギルムでも有数の能力を持つ冒険者が一緒だからこそ、こうしてギルムの外であっても安心していられた。
ケニーも猫の獣人ということで五感は通常の人間よりも鋭いが、やはり本職のレイには遠く及ばない。
……もっとも、ケニーにとってレイという存在は、護衛ではなくデート相手だというのが正確な認識だったが。
「そうだな。もっとも、別に俺だけの専用の場所って訳じゃないけど」
この場所はギルムの冒険者にとってはそれなりに有名な場所だ。
ギルムからそれ程離れておらず、それでいて川が流れているので解体をする時に出た血や体液、肉片といったものもすぐに洗い流せる。
ただ、当然ながらこの場所は誰であっても使えるという訳ではない。
いや、使うだけであれば誰の許可も必要ないので普通に使えるのだが、辺境のギルムの外で解体をして血の臭いをさせていれば、当然のようにそれを嗅ぎつけてモンスターや野生の獣がやってくることも珍しくはない。
そのような存在に襲われた時にきちんと対処出来ない場合、当然ながら解体中のモンスターを奪われるということになるだろうし、最悪の場合は解体していた本人の命すら奪われることになりかねない。
それらをどうにか出来るだけの実力がなければ、ここを使っても場合によっては最悪の結末を迎えるだろう。
「ふーん、そうなんだ。こんなに綺麗なのにね」
周囲を見回しながら、ケニーはしみじみと呟く。
生えている木々の葉によって日の光は抑えられ、木漏れ日が周囲に降り注いでおり、川の流れる音が涼しげに聞こえてくるというこの場所は、何も知らない者にしてみればデートスポットとしては最適の場所のようにも思える。
ケニーにしてみれば、出来れば素材の剥ぎ取りなどという行為ではなく、サンドイッチか何かを持って、レイと二人きりでここに来たかった……というのが、正直なところだ。
もっとも、レイとこうして二人でここに来ることが出来た時点で十分に満足してるのは間違いなかったが。
そんなケニーの様子を気にした風もなく、レイはミスティリングから黒鯛のモンスター、バエロスを取り出す。
「きゃっ!」
そんなバエロスを見たケニーの口からは、悲鳴が上がった。
一応昨日バエロスは取り出して見せて貰っている。
だが、それでもやはりいきなり体長三m近い大きさのモンスターが姿を現せば、驚いてしまうのだ。
ましてや、ギルムで見慣れているようなモンスターではなく、海に生息するモンスターなのだからどうしてもケニーに見覚えがないというのも大きい。
「さて、それで……鱗を剥ぐ為の道具を持って来てくれたんだよな?」
「……え? あ、うん。ギルドの先輩の中に、以前海の近くにある街で冒険者として働いていたって人がいたから、その人にお願いして貸して貰ったわ。……だから、待ち合わせの場所に行くのがちょっと遅くなったんだけど」
そう言いながら、ケニーは馬車の荷台の方に回ると、そこから奇妙な形をした刃物を持ってくる。
大きくカーブを描くようなその刃物を見て、レイは何か見た記憶があったような……と考え、やがて思い出す。
日本にいた時に見た漫画で出て来た武器で、ショーテルという刃物だ。
刀身が大きく曲がっている為に、相手が盾を使って攻撃を防ごうとしても、その盾を回避するようにして攻撃することが可能という刃物。
勿論レイが見たショーテルとは細かいところで色々と形が違うが、それでも間違いなく大雑把な形としてはショーテルという武器に似ていた。
大きさもかなりのもので、ショーテルだという認識を持ったレイにとっては、既にそれは道具ではなく武器という認識しかない。
「随分と凶悪な代物だな」
「そう? 私から見ればちょっと使いにくそうに見えるんだけど。……それにこれ、一応マジックアイテムらしいから、レイ君も興味持つんじゃない?」
他にも色々と鱗を剥ぐ道具はあったのだが、その中でもケニーがこれを選んだのは、相談した相手からこれが一番使いやすいと言われたこともあるが……何より、その道具がマジックアイテムだということが一番大きい要因だった。
レイがマジックアイテムを集めているというのは、それなりに知られている話だ。
当然のようにケニーもそれを知っており、レイの見知らぬマジックアイテムを見せれば、喜んで貰えるのではないかと、そう思っての選択だった。
実際、ショーテルに見える刃がマジックアイテムだと聞いたレイは、興味深そうな視線を向ける。
「はい、これ」
ケニーはそんなレイに、自分が持っていたマジックアイテムをあっさりと渡す。
それを受け取ったレイは、刃の様子を見ながらケニーに尋ねる。
「それで、これはどういう効果を持つマジックアイテムなんだ?」
「何でも、刃の形状が触れているものに沿うような形になるとか」
「……つまり、この刃を魚の胴体に当ててからマジックアイテムを起動すると刃の形が変わって、それで鱗を剥げ、と?」
「貸してくれた人はそう言ってたけど、レイ君、出来る?」
「どうだろうな。取りあえずやってみる」
そう言い、地面に横たえられているバエロスのエラの近く……鱗の生えている胴体の部分にショーテルの刃を触れさせると魔力を流す。
すると、刃の部分がゆっくり……そう、かなり緩やかに形を変えていく。
(あー……実戦とかで使えたら面白いかと思ったけど、この速度だとちょっと使いにくいな。一瞬で形を変えてくれれば、実戦でも使いようはあったんだろうけど。買い取りの交渉はしなくてもいいか)
鱗を剥ぎ取る時には間違いなく便利な代物なのだろうが、使う場所が限られすぎており、レイにとってはそこまで欲するようなものではなかったのだろう。
ともあれ三十秒近く掛けてバエロスの胴体の形になったショーテルを、身を傷つけないようにしてゆっくりと滑らせる。
「あ、私はこっちを持つわね。これだけ大きいと反動で動いたりはしないと思うけど」
そう言いながら、ケニーはバエロスの尻尾の部分を押さえつける。
内心では『レイ君との共同作業』といったことを思っているのだが、それを表情に出すようなことはなく、真面目に尻尾を押さえる。
同時に、バエロスの身はどれだけ美味いのだろうかと、そう思ってしまうのはケニーが猫の獣人だからだろう。
「……難しいな」
レイはショーテルを使いながらバエロスの鱗を剥いでいくが、それが思ったよりも難しい。
魚の鱗を剥ぐという経験が殆どないだけに、どうしてもその加減が分からないのだろう。
ましてや、ショーテルという刃物を使うのも、今日が初めてなのだから。
鱗を剥ぐことは出来ているが、同時に魚の皮も一緒に剥いでしまっている場所が多い。
元々、レイは剥ぎ取りの類が決して得意という訳ではなかった。
本人もそれを承知しているので積極的にその技術を磨き、今では平均より若干上といったくらいの技量を持つようにはなっていたが、それはあくまでも地上の……もしくは空を飛ぶモンスターに限ってだ。
海のモンスターはどうしても地上のモンスターとは色々と違うところもあり、それが結果としてレイを手間取らせることになっていた。
それでも慎重に鱗を剥いでいけば、最終的にはそこまで酷いことにはならずに、全ての鱗を剥ぐことに成功する。
この鱗も素材として売れる以上、しっかりとミスティリングに収納するのは当然だった。
「一番大変な鱗を剥ぎ終わったから、後は難しくないわね。……内臓とかもないし」
表と裏、両方の鱗を剥ぎ終えてからケニーが口にした言葉は、レイも否定出来ない。
本来であれば、鱗を剥ぐのとは別の難しさを持つのが、魚の内臓の処理なのだ。
腹を割き、内臓を傷つけないようにして取り出し、きちんと切り取る。
だが……バエロスは捕らえる時の騒動で、腹の皮が破れて内臓を殆ど魚や貝、カニの餌として海中に流してしまっている。
そうなると、残っているのは素材ではなく食べる部分……食材としての利用法のみ。
「三枚に下ろす……となると、ちょっとこのショーテルだと難しいか? かといって、ナイフの類でも無理だしな」
バエロスの体長は三m近い。
当然身も厚く、それをナイフだけで三枚に下ろすというのはかなりの無理があった。
(マグロの解体ショーとかで使ってるような、日本刀みたいな包丁があれば、こういう時に便利そうなんだけどな)
ナイフを見ながら、レイはどうするべきか迷う。
勿論ナイフで三枚に下ろすのは無理があるが、だからといって出来ない訳ではない。
ただし、そのような真似をした場合は間違いなく身がボロボロになり、骨に大量の身も残ったままとなるだろう。
もっとも、ナイフであればその骨から身をそぎ取ることも可能だろうが。
(中落ちってのは、そういう感じの身だった気がする)
日本でのことを思い出すレイだったが、だからといってわざわざ身を骨に付けるようにして切り分けるといった真似をするのも面白くない。
「いっそデスサイズで……」
「ちょっ、ちょっとレイ君!? それは幾ら何でもやりすぎじゃない!? デスサイズを使うくらいなら、そのショーテルを使った方がいいと思うけど」
いきなりデスサイズという言葉を口にしたレイに、ケニーも何をやろうとしているのかが分かったのだろう。
慌てたように、そう告げる。
ケニーから見ても、バエロスというモンスターの身は非常に美味そうだった。
実際、図書館で見つけた図鑑にも身は非常に美味であると書かれていたのだから、美味いというのは間違いない筈だった。
それだけに、レイが無造作にモンスターを……否、魚を切り分けるというのは、猫の獣人として許容出来ることではない。
「なら、このショーテルで……ちっ、内臓がないし血も殆ど残ってないってのに、臭いに惹かれてきたか。ケニー、ちょっとこの魚の近くで待っててくれ」
近づいてくる気配を感じ取り、面倒そうにレイが言い、ショーテルをケニーに渡す。
レイの様子を見て、何かが……モンスターか野生動物かは分からないが、ともあれ近づいてきているというのは理解したのだろう。
ケニーは渡されたショーテルを手に、馬車に視線を向ける。
馬が襲われれば色々と不味いし、守る人手が欲しいというのが、ケニーの正直な思いだった。
ケニーはギルドの受付嬢として最低限の護身術は習っているし、猫の獣人として高い身体能力も持っている。
それでも、高ランクモンスターに出て来られればどうしようもない。
少しだけ震えたケニーだったが、レイはそれを安心させるようにミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出し、口を開く。
「任せろ。お前は俺が絶対に守ってみせるから」
そう告げ、ケニーに笑みを見せると、レイはそのまま気配の近づいてくる方に向かって走り出す。
そんなレイの背中を見送るケニーの中には、既に恐怖という感情は一切なく……見ているだけで安心出来る、レイの笑みのみが強く焼き付けられていた。