1641話
「おおおおおおおおおおお! レイだ、レイが来てくれたぞ!」
トレントの森に冒険者の声が響く。
その声には歓喜が含まれている。
実際、トレントの森に配属された冒険者達にとって、レイという存在はまさしく救いの神と言ってもよかった。
木を伐採するにも、デスサイズであっさりと切断することが出来る。
伐採された木も、アイテムボックスに収納して運ぶことが出来る。
そして、最近トレントの森に住み始めたモンスターに襲撃されても、圧倒的な戦力がある。
トレントの森で働いている者達にとって、大きな戦力となるのは確実だった。
「おお、レイ、やっと来てくれたか!」
冒険者だけではなく、樵の方もレイの登場に喜ぶ。
幾ら木を伐採しても、それを運ぶのがどうしても遅くなるので、最近は仕事が滞り気味だったのだ。
実際、トレントの森には伐採された木が数十本置かれている。
伐採自体は順調に進んでおり、以前レイが見た時よりも森の範囲はかなり少なくなっていた。
だが、その分伐採された木材が回収されていないのだ。
(こっちに回す人数をもっと増やせば、解決出来ると思うんだけどな。それが出来ないのは……何か理由があるのか? まぁ、増築工事の現場の方でも仕事はあるだろうし、こっちは俺がレーブルリナ国に行く前にかなり進めたから、まだ余裕がある……のかもな)
セトから降りて周囲に倒れている木々を見ながら、レイは早速近くにある木をミスティリングに収納する。
レイが働き始めたのを見て、セトは翼を羽ばたかせながら再び空に向かう。
周囲の警戒、そしてトレントの森に住み着いたモンスターを倒す為だ。
「こっちはこっちで適当に伐採されている木を収納していくから、他の連中は自分の仕事をやってくれ。俺が来た以上、木をこっちで余らせるってことはしないからな!」
『おおおおお!』
叫ぶレイに、樵達は何故か声を揃えて叫ぶ。
樵達の中には、以前レイとトラブルを起こした者も含まれている。
だが、そんな樵達であっても、やはり仕事の出来るレイは大歓迎なのだろう。
特に今は、冬の間に工事する分も含めて出来るだけ多くの木を伐採する必要がある。
ここで手を抜き、もし冬に増築工事に使う木材が足りなくなれば、最悪冬にここまでやって来て木の伐採をしなければならなくなるのだ。
樵達にとって、そんなことは絶対にごめんだった。
ギルムは辺境だけあって、街の近くでも強力なモンスターが姿を現すことは珍しくない。
ましてや、冬ともなればその季節特有のモンスターが姿を現してもおかしくはない。
一般人よりは腕に自信のある樵達だが、だからといってモンスターを相手に出来るかと言われれば、それは否だ。
そんな訳で、樵達は自分達のノルマを果たすべく、すぐに木を切り始める。
(まぁ、本当に冬に木材が足りなくなるのなら、それこそ俺が頼まれそうだけどな)
冬に樵を派遣するとなると、護衛も必要となるし、伐採した木を運ぶ者達も必要となる。
雪が積もっている中でそのようなことをするのは、非常に困難を伴う。
だが、レイを派遣すればデスサイズで伐採し、ミスティリングに収納可能となる。ギルムとの行き来に関しても、セトに乗って移動するのであれば数分程度で到着する。
どう考えても、樵や冒険者を複数派遣するよりは、レイを派遣した方が手っ取り早いのだ。
……問題は、レイがそれを引き受けるかどうかといったところだが。
「うわ、すげえ……嘘だろ。あんなに次々と木を収納してやがる」
「ああ、お前は見たことがなかったのか。あの男がレイだよ。深紅」
「それは分かってるんだけどな。グリフォンに乗ってるんだから、そんな奴は深紅以外にいないだろ。……にしても、あんな小さな奴がなぁ……」
少し離れた場所では、樵の護衛としてトレントの森にいる冒険者達が会話を交わしていた。
(ちょっと前までは、冒険者達も金を稼ぐ為に木を伐採してたけど……それをやらなくなったのも、やっぱり木を運びきれなくなったからか?)
そんな風に疑問を抱きながらも、伐採された木は次から次にミスティリングに収納されていく。
「グルルルルルルルル!」
不意に聞こえてくる鳴き声。
それがセトの鳴き声であると知っているレイは特に驚くようなことはなかったが、何人かの樵や冒険者は突然聞こえてきたセトの鳴き声に驚きを見せる。
「あれはセトの鳴き声だから、気にしなくてもいいぞ!」
妙な勘違い……それこそモンスターが襲撃してきたと勘違いされないようにと、レイが周囲にいる者達に叫ぶ。
セトの鳴き声は特徴的なので、殆どの者がその鳴き声をモンスターの襲撃だと勘違いするようなことはなかったが、何人かはレイの言葉を聞き、露骨に安堵の表情を浮かべている。
セトのことを知っていても、普段の大人しいセトしか知らない者であれば、敵と戦う時のセトを見て驚いても不思議ではない。
そうして少し経ち……
「グルルルルゥ」
翼を羽ばたかせながら、セトが戻ってくる。
前足で掴んでいるのは、オークの死体。
「オークか。……厄介な」
食べる方としては、オークという肉は美味で助かる。
だが、オークというモンスターの習性を考えると、このような近くにオークがいるというのは、到底喜べるものではない。
それが分かっているのか、セトの持ってきたオークの死体を見た者の表情は厳しくなっている者が多い。
特に厳しい表情を浮かべているのは、女の冒険者だ。
当然だろう。男であれば殺されるだけですむが、女がオークに捕まれば最悪の未来しか存在しないのだから。
他の者達を見回し、レイはセトに声を掛ける。
「セト、ありがとうな。オークは取りあえず俺が預かっておくよ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。
褒めて、褒めてと頭を擦りつけてくるセトを撫でながら、レイは口を開く。
「それで、オークだけど……他にもいたか? 集落を作ってるなんてことはないよな?」
「グルゥ!」
セトの鳴き声は、周囲で様子を見ている者には何と言っているのか分からなかったが、相棒のレイにはその意味が分かった。
……この辺、ビューネの言葉をしっかりと理解しているヴィヘラと、同じようなものなのだろう。
ともあれ、レイは周囲で自分達の様子を注視している者達に向かい、頷きを返す。
「大丈夫だ。取りあえずオークの集落はこの辺にはないらしい。勿論オークがいた以上、完全に安心出来るって訳じゃないだろうが」
レイの言葉に、それを聞いていた全員が安堵の息を吐く。
オークはギルム周辺にいるモンスターとして考えれば、それ程強力なモンスターという訳ではない。
だが、その凶暴性や習性という意味では、最悪の存在の一つでもある。
もっとも、オークの肉はそのランクに比べて美味なので、文字通りの意味で美味しいモンスターでもあるのだが。
「じゃあ、セト。オークを見つけたら、これからも積極的に狩っていってくれ。いいか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に短く鳴き声を上げるセト。
セトが何を言っているのかは分からない他の者達だったが、それでも今はセトが何と言ってるのかを理解出来た。
つまり、積極的にオークを狩ると、そう言っているのが分かった。
自分の返事で周囲の人達が喜んでいるのを理解したのか、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
(うん、それはいいけど……こうなると、すぐに向こうに戻ることも出来なくなるな)
増築工事の仕事が一段落したら、一度向こう……スーラ達の方に戻ろうと考えていたレイだったが、オークがトレントの森にいると知ってしまえば、すぐにそうする訳にもいかない。
また、レイにとってもオークというのは格好の美味しい獲物でもあった。
もっとも、トレントの森の広さは相当なものだ。
オークやゴブリンのように、入り込んでいるモンスターの数がどれだけなのかが分からない以上、完全に殲滅するといった真似は不可能に思える。
幾らセトの五感が鋭くても、トレントの森に入り込んでくる方が多ければ、どうしようもない。
セトが倒している間にも、モンスターの数が増えてくるのは当然のことなのだから。
「取りあえず、トレントの森にいるモンスターはセトに任せて自分達の仕事をしてくれ。俺達が森の中を動き回ってモンスターを倒すよりは、そっちの方が効率的だろ」
そう告げるレイだったが、実際にはここの護衛に回されている冒険者は決して腕が立つ訳ではないというのも、モンスターの対応に回らせない理由だった。
腕の立つ冒険者は、他にも幾らでも仕事がある。
何より、こうしてギルムが増築工事をしている間も、普通の依頼がギルドでは募集されているのだ。
護衛、討伐、採取、調査……その他諸々。
そのような依頼は、当然のようにこの増築工事の仕事を目当てでギルムに来たような者達に任せる訳にはいかない。
結果として、以前からギルムにいるような腕の立つ冒険者は、自然とそちらの依頼を受けることが多く、半ば必然的に棲み分けのようなものが出来つつあった。
もっとも、それはあくまでもそういう傾向にあるというだけで、ギルムにやってきたばかりの腕自慢がギルドで依頼を受けては失敗したり……実力や運が足りていれば成功させたりとすることもある。
また、逆に以前からギルムにいた冒険者が、気まぐれや小遣い稼ぎのような感覚で増築工事の手伝いをすることもあった。
そういう意味では、今日ここにいる冒険者達は典型的な増築工事で仕事を求めてギルムにやってきた者達なのだ。
そのような人物にトレントの森でモンスターの討伐を頼める程、レイはお気楽な性格はしていない。
(まぁ、ゴブリン程度のモンスターなら問題はないんだろうけど……もしこの連中の手に負えないようなモンスターが出てくれば、それは死でその未熟さの代償を支払うことになるしな)
レイにとっても、そのような真似はさせたいとは思わない。
「グルルルルゥ!」
「おう、頑張ってくれよセト」
「何か美味そうなモンスターがいたら、こっちにも連れてきてくれよ」
「馬鹿、美味いモンスターってのは、基本的に高ランクモンスターなんだぞ? それを俺達がどうこう出来る訳ないだろ」
「オークとかなら、俺でも何とかなるかもしれないだろ!」
「無茶を言うな、無茶を。一匹ならともかく、二匹、三匹ともなればどうなるか……それは考えるまでもないだろ?」
「ぐっ、そ、それは……」
畳み込むように言われた男は、それ以上反論出来ない。
実際、何が出てくるか分からない以上、下手をすればランクBモンスターといった高ランクモンスターが出てくる可能性もあるのだ。
(まぁ、ランクAモンスターの存在は特に気にする必要はないだろうけどな)
セトのようなグリフォンを含め、ランクAモンスターというのは普通に暮らしていればまず一生遭遇することはない。
冒険者として活動していても、それこそ一生に一度目にすることが出来れば幸運な存在だった。
もっとも、ランクAモンスターというのは当然強力極まりないモンスターだ。普通の冒険者がそんなモンスターを遭遇すれば、それこそそこで命を落とすことになるのは確実だろうが。
そういう意味でも、一生に一度と表現出来るのかもしれない。
「ほら、話してないで仕事をしろ、仕事を! お前達の仕事は、俺達の護衛だろうが! 俺達が木を切ってる間にモンスターに襲われたら、どうするつもりだ!」
樵の一人が、低い声で怒鳴る。
その声は、護衛を任された冒険者にして怯んでしまうかのような迫力を持つ。
その怒鳴り声で、トレントの森についてのモンスターの話はなし崩し的に終わってしまう。
それを確認し、樵の男はレイに向かって声を掛ける。
「レイ、お前も伐採した木を全部持ったら、さっさとギルムに運べ。今はまだ大丈夫だが、向こうでは大分木が少なくなってきてるらしいからな」
冒険者達に怒鳴った時と同じような、低い声でレイに告げる樵。
その言葉にレイも頷き、残っている木を次々にミスティリングの中に収納していく。
そんなレイの姿を見て、他の冒険者達もそれぞれ自分の仕事に戻る。
幸い……というのがこの場合正しいのかどうかは不明だが、今日から暫くの間はレイがトレントの森に来るという話は前日からきちんと通っており、伐採された木をギルムまで馬車で運ぶといった仕事はしなくてもいい。
それだけここに来ている冒険者の数も少ないのだが、積み込みや荷下ろしで極端に体力を消耗する仕事をしなくてもいいというのは、冒険者達にとっては幸運だった。
こうして、冒険者達はレイが来てくれたことを喜びながら、自分の仕事をしっかりと専念するのだった。