1620話
オークの一件から旅をすること数日……やがて、レイ達が進んでいる進行方向に壁が見えてくる。
それが何を意味しているのかは、誰にでも想像出来た。
「ようやく街ね。……何て名前の街だったかしら?」
「ドルガナ、とかいう名前だった筈よ。レーブルリナ国の中では、そこそこ大きい街ね」
ヴィヘラの言葉に、マリーナがそう告げる。
元ギルドマスター……それ以前は高名な冒険者だっただけあり、マリーナは色々な情報を豊富に持っている。
もっとも、街の規模がどれくらいなのかというのは、それこそ少し情報を集める気になれば容易に知ることが出来る情報なのだが。
また、街道を旅していれば当然商隊や行商人といった者達と遭遇することも多く、そのような者達から商品を買ったついでに情報を貰うというのは、レイ達にとっては珍しい出来事ではない。
商人達にとっても、気前よく金を支払ってくれるレイ達は上客という認識があり、誰でも知っているような常識的な情報であれば、気前よく教えていた。
……勿論中には、レイ達の大半が女だと見て吹っかけようとした者もいたのだが、そのような者達がどのような運命を辿ったのかは、考えるまでもないだろう。
「初めての街か」
呟くレイだったが、メジョウゴやロッシのことを考えれば、正確にはここが初めての街という訳ではない。
それでもレイ達が寄ることが出来る場所という意味では、初めての街という表現は決して間違いではなかった。
「レイ、街ではどうするの? 自由行動を許す?」
「そうだな。ただ、出発する時夕方の鐘の音が出るまでに戻ってこなければ置いていくことになるだろうけど」
ドルガナに残りたいという者がいるかもしれない以上、何か言わなくても残るのであればそうすればいいというのがレイの認識だった。
別にこの集団から出るのに、わざわざ自分達に何かを言う必要はないのだ。
(もっとも、十人一組で纏めている連中には、前もって何か言っておいて欲しいけどな)
そう長い間ではなくても、ここまで一緒に旅をしてきたのだ。
多少なりともぶつかりあったり、ましてや仲良くなったりしてもいるのだから、自分はともかくそういう面子にはきちんと言葉をかけていって欲しい。
そう思いつつ……その辺りはあくまでも人によるか、と。小さく溜息を吐く。
「それで、レイ。出ていく人の件はいいけど、私達と一緒に来たいって人がいたらどうするの?」
「そっちの問題もあったか」
面倒な、とレイはマリーナの言葉に空を見る。
青い空と白い雲、そして激しく自己主張をしている太陽。
まさに夏! と呼ぶに相応しい光景ではあったが、同時にレイ達一行の体力を消耗させる原因でもある。
簡易エアコンの能力があるドラゴンローブを着ているレイにとっては、全く問題のない天気ではあるのだが、大多数の者達は暑さを我慢しているだけだ。
本来なら娼婦として働いていたので日焼けの一つもなかった女達の中にも、真夏の日差しの下で歩いている以上、当然のように日焼けもする。
女としてそのことを嫌がる者もいれば、健康的だと嬉しがる者もいる。
こまめに水分補給をするようにしながら歩いているのだが、それでも体力が限界になって倒れる者もいた。
そのような者達は馬車で運ばれるのだが、熱中症のような症状で馬車の荷台で揺られるというのは体力的に大きな負担だろう。
(そうなるとは限らないけど、そうなる危険を承知の上で俺達と一緒に来たがる物好きがいる……とは、あまり思えないんだけどな)
素直に思っていることをマリーナに説明するレイだったが、返ってきたのは何故か呆れの表情だった。
「あのね。レーブルリナ国にいるような人が、ミレアーナ王国の、それもかなり発展しているギルムに行く機会なんて、そうそうないわよ? おまけに野宿ではあるけど、砂上船がある以上、本当の意味で野宿ではないし」
「つまり、マリーナは人数が増えると思ってるのか?」
「ええ。間違いなくね」
きっぱりと言い切るその様子に、レイはそんなものか? と少し考えるも、マリーナがそう言うのであれば恐らく間違いないのであろうと判断する。
実際、レーブルリナ国のような小国で燻っているよりは、もっと栄えている場所に行って一旗揚げたい。
そう思う者がいても、おかしくはない。
(田舎に住んでる奴が、高校や大学を卒業したら東京の会社に就職するようなもの……か?)
そこまで考え、ふとレイはもし自分がこのエルジィンという世界に来るようなことがなく、ごく普通の高校を卒業していた場合どうしたかと考える。
大学に進学……元々勉強に興味はないが、何年か学生をやっていられるという意味ではありだろう。大卒の資格というのは、何だかんだと田舎では大きい。
地元企業に就職……自分の性格を考えると、どんな仕事が向いているのかは分からない。本好きだから書店の店員はありか? それとも、実家の農業を継ぐか。
ともあれ、レイには東京に出るという思いはあまりなかった。
地元で夏にやる祭りですら人混みに酔うことがあるのに、TV等で見る東京に行けば確実にやっていけないという妙な自信があった為だ。
(まぁ、今となっては関係のない話か)
両親や友人とはまた会いたいと思うし、読んでいた漫画や小説の続きは読みたいと思う。
だが、それでも今の自分は佐伯玲二ではなく、異名持ちのランクB冒険者、深紅のレイなのだ。
そもそも、今の状況で日本に戻ることが出来たとしても、自分の顔も身体つきも生前――という表現が正しいのかどうかは分からないが――とは大きく違っている。
もし家族や友人の前に姿を現しても、恐らく……いや、間違いなく自分を自分だと認識されることはないだろうという確信すらあった。
「ちょっと、レイ、あれ……」
もし日本に戻ったらといったことを考えていたレイだったが、ふとマリーナの驚いた声に我に返る。
普段から冷静で、それこそこれでもかと大人の余裕を持っているマリーナの口から出た驚きの籠もった声。
その声、もしかしたらジャーヤやロッシからの追っ手が待ち伏せでもしていたのか? と思ったのだが、マリーナの視線を追ったレイは、その先に予想外の人物の姿を見つける。
「あれは……ギメカラ?」
そう、馬に乗ってレイ達の方に近づいてくるのは、間違いなくゾルゲー商会のギメカラだった。
このままレーブルリナ国にいてはゾルゲー商会は大きなダメージを受ける。
それを避ける為に、ミレアーナ王国……その中でも、今最も熱い――気温的な意味ではなく、経済的な意味で――ギルムに本店を移転したいと、相談してきた相手。
それに対してレイ達の出した条件が、千人分の馬や馬車、飼い葉、服、布、水……そして、護衛。
レイの出した条件を達成すれば、ダスカーとの間に口を利くという、普通に考えれば到底受け入れることが出来ないだろう条件を出したのだ。
何故なら、レイが確約したのはあくまでもダスカーとの面会までにすぎないのだ。
そこで上手く折り合いが付けばいいのだが、もし失敗してもレイ達は受け取った物資の類を返すつもりはなかった。
もっとも、その場合はダスカーがギメカラから買い上げたという形になるというのは、予想していたのだが。
「お久しぶりです。レイさん」
レイ達の前までやってくると、ギメカラは笑みを浮かべてそう声を掛ける。
その顔には悲壮な表情といったものはなく、それどころか自信に満ちた笑みすら浮かべていた。
そんなギメカラを見れば、何をする為にこうしてやってきたのかというのは、レイにも容易に理解出来る。
「こっちからの条件を完全に呑むのか?」
「はい。上の人達の中には渋っている人もいましたが、今のままではどうしようもなくなるというのは、確定してますし」
それでも出費が大きいので、説得するには苦労しましたと告げるギメカラを見て、レイは少しだけ見直す。
元々無茶だと承知の上で出された条件だ。
商会である以上、恐らくは何らかの交渉で条件をもっと易しいものにするのではと、そう思っていたのだが……
(まさか、そのまま丸々と呑むとはな。予想外だった。……けど、予想外は予想外でも、良い方の意味で予想外だな)
レイ達が要求した条件を達成出来たのだとすれば、これからの旅路はかなり楽になる。
そして全員が馬車で移動する以上、移動速度も今までより大きく上がるのは間違いない。
つまり、ギルムから派遣された使節団と合流するのがそれだけ早くなるということだ。
「そうか。なら、今日はこの街の近くで野宿することにするか。本来なら街で用事を済ませた後は、すぐに出発するつもりだったんだけどな」
誰がどの馬車に乗るのかという調整や、用意された飼い葉や食料の収納、護衛達との顔合わせ……それ以外にも、やるべきことは多数ある。
到底数時間程度で終わることではない以上、レイが最初に考えていた予定は全て白紙に戻すしかなかった。
それでもせめてもの救いなのは、まだ全員に予定を知らせていなかったことか。
もし知らせた状態で予定を変えるのだとすれば、間違いなく混乱していただろう。
「そうして貰えると、こちらでも助かります。ドルガナの方には話を通してありますので、大きな問題にはならないかと」
「手回しがいいな」
レイの視線の先にあるドルガナは、レーブルリナ国の中でも有数の街の一つとして扱われることが多い。
そのようなドルガナの上層部に話を通しておくというのは、ゾルゲー商会がレーブルリナ国でどれだけの力を持っているのかを示していた。
「ええ。ゾルゲー商会の未来が掛かっていますから。それで……ダスカー様との面会は大丈夫でしょうか?」
「ああ。今夜にでも会わせる。それと……街の外に砂上船を出しても構わないか? もし無理なようなら、ここからある程度離れる必要があるんだが」
「それについても問題ありません。きちんと許可はとってあります。見張りの方も、街から警備兵を出してくれるとのことなので、今日はゆっくりとお休み下さい」
まさに至れり尽くせりという状況に、ギメカラの本気を見る。
こうまでするのであれば、ここから自分を裏切るような真似をしないだろうと判断して、レイは頷く。
「分かった。街との交渉や調整、その他諸々は全てお前に任せる。……一応聞くけど、俺達は全員街に入れるんだよな?」
村であれば、交渉をしてどうにでもなった。
だが、視線の先にあるのは街だ。
そうである以上、身分証の確認をされる可能性は十分にあった。
レイは、紅蓮の翼やエレーナの名前で交渉するつもりだったのだが、それをゾルゲー商会の方でやってくれるのであれば、手間が省ける。
そんなレイの考えを理解しているのか、ギメカラは柔らかな笑みを浮かべて頷く。
「悪いな。じゃあ、色々と打ち合わせが必要だろうし、マリーナ、頼む」
「あら、私でいいの?」
ギメカラが浮かべているのとは違う、艶のある笑み。
それでいながら、どこか挑発するような印象を受ける笑みを浮かべて尋ねるマリーナに、レイはすぐに頷きを返す。
「俺達の中で一番交渉に長けているのはマリーナだろ。だから任せた」
「そうやって信頼して貰えるのは嬉しいわね。じゃあ、今はその期待に応えるとしましょうか。……ねぇ?」
「お手柔らかに」
マリーナの流し目という、凶悪な破壊力を持つ武器を使われたギメカラだったが、何とか動揺せずにそれだけ言葉を返す。
もっとも、動揺していない言葉とは裏腹に、頬は薄らと赤くなっているのだが。
そんな二人をその場において、レイはスーラの姿を探す……までもなく、スーラの方で自分に用件があると考え、近づいてきていた。
ドルガナという街を前に、一行の動きが止まったのだからそれも当然だろう。
そしてギメカラが来てレイと言葉を交わしているのを見れば、何らかの指示があると判断してもおかしくはなかった。
「どうしたの?」
「ギメカラが以前俺が出した条件を受け入れて、馬車を始めとする物資を用意してくれた」
「嘘っ!?」
スーラも条件については聞いていただけに、それを達成するというのは完全に予想外だった。
その為か、思わずといった様子で叫ぶ。
「本当だ。なので……そうだな。まずは、馬車に乗る組み分けが必要になるだろうな。出来れば十人一組のままで馬車に乗って欲しいところだけど、それが無理な場合はどういう風に分けるのか、その辺を頼む」
「……分かったわ」
未だにジャーヤに協力していたゾルゲー商会に、そしてゾルゲー商会に所属しているギメカラに対しては思うところがあるスーラだったが、それでも本当に全員が馬車に乗れるのであれば少しでも早くレーブルリナ国から出ることが出来る。
そんな思惑から、何とか自分の中にある苛立ちを押し殺し、そう返事をするのだった。