1619話
「レイさん、ありがとな。いや。アルバドにはこんな上客を寄越してくれて、よくやってくれたと戻ってきたら酒の一杯も振る舞ってやらねえと」
村長がレイに向かい、満面の笑みを浮かべてそう告げる。
村長にしてみれば、レイとの取引で大儲け……という訳ではないが、予想外の利益を得ることが出来たのだ。
それも、レイは面倒な交渉はせず、素早く取引を終了させることを目的として、かなり多めの代金を支払った。
村長が嬉しそうなのは、その辺りの事情もあるのだろう。
もっとも、馬車はレイが予想していたよりは購入出来た数は少なかったし、馬そのものは購入することはしなかった。
元々村に余剰な馬車がそこまである筈もないし、馬に関してもそれは同様だ。
そうである以上、仕方のないことではあったが……それでも、かなり少なくなっていた布の類を大量に購入出来たのは、レイにとって非常に助かることだった。
他にも夏が旬の野菜や果物、肉といった物も購入している。
「アルバドの運が良かったんだろうな」
「逃がした猪を追っていて、レイさん達に遭遇したんだったか。……猪、よくやったと言いたいのが、正直なところだよ」
村長という立場ながら、まだ若いその男は、心の底から嬉しそうに笑う。
父親の村長が急病で死んだ為に、急遽その息子が後を継いだのだが……それからすぐにこうして村にとって利益のある取引を行うことが出来たのだから、面目を保ったというところか。
結果として、特に揉めるようなこともなく、無事に取引が終わったレイは、村の外に出る。
そこでは強烈な夏の日差しをものともせず、ゆっくり昼寝をしているセトの姿があった。
この小さな村では当然の話なのだが、セトを……高ランクモンスターのグリフォンを、村の中に入れるのを村長は嫌った。
もっとも、ここでレイの逆鱗に触れて取引が出来なくなったり、ましてやセトに暴れられたりするのは困るので、かなり穏便な言葉遣いでの話だったが。
レイの方も今までの経験から、初対面でセトがそうそう受け入れられないというのは分かっていたので、特に文句を言うようなこともなく、セトに村の外で待ってるように言った。
これで村がもっと広ければ、セトも多少不満を漏らしたかもしれないが……この村は本当に小さな村だ。
それだけに、村の外にいてもレイの存在をしっかりと近くに感じることが出来たこともあってか、セトは少しだけ残念そうにしながらも、大人しくレイの言葉に従った。
レイはそんなセトに近づいていき、夏の太陽の直射日光によって、温かいというよりは熱いと表現するのに相応しいセトの体毛を撫でる。
「グルゥ?」
どうしたの? と顔を上げるセト。
昼寝を楽しんではいたのだが、同時に完全に眠りに落ちていた訳ではなく、何かあったらすぐに起きられるような眠り方をしていたのだ。
「ありがとな。用事は済んだから、皆の所に戻るぞ」
「グルゥ」
レイの言葉にセトが喉を鳴らし、立ち上がる。
それだけ……たったそれだけではあったが、村長はセトの持つ強烈な存在感に目を奪われてしまう。
畏怖に近い感情を抱きながらも、レイがセトの背に跨がるところを見て……やがて、セトが数歩の助走の後で翼を羽ばたかせながら去っていくのを見送る。
グリフォンが空を飛ぶ光景という、普通であれば到底見ることの出来ない光景を満喫すると、村長は昼食までの時間農作業を頑張る為に、少し張り切るのだった。
「グルゥ!」
村を飛び立ってから、エレーナ達に合流するまではセトの速度では数分もかからない。
一応一時間近く村にいたのだが、それでも千人近くが歩いて移動するのであれば、そう距離を稼ぐことは出来ない。
ましてや……
「うわ、ゴブリンくらいなら可能性はあると思ってたけど、オークか」
空の上からでも、幌がついておらず、箱馬車でもない荷馬車に数匹のオークの死体が載せられているのを見て、レイは少しだけ驚く。
だが、この集団がモンスターに襲われないのは、セトという存在がいるからこそだ。
つまりセトがいない状況であれば、モンスターに襲われてもおかしくはない。
(俺がいない短時間でオークが襲ってきたのを考えると、恐らくオークは元々この集団を把握はしてたんだろうな。……この人数だし、把握するなって方が無理だろうが。けど、そこにセトがいたから襲わなかった。だが……)
セトがいなくなったのを確認すれば、脅威を覚えるようなことはなかった。
実際には、エレーナを始めとしてオークよりも強い者達は何人もいたのだが、それに気が付かなかった結果が、死体となって食肉用に確保されているという今の状況だろう。
(この集団をオークが襲いたくなったのは、分からないでもないけどな)
オークにとって、女が大半を占めるこの集団は、それこそ多少どころか大きな危険があると分かっていても襲う価値のあるものだったのだろう。
結局その大きな危険を乗り越えたり打倒したりといった真似は出来なかったのだが。
「セト、降りてくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトは短く喉を鳴らし、翼を広げて地上に向かい滑空していく。
そんなセトの姿に気が付いたのか、地上を歩いている集団が動きを見せる。
最初は敵襲か何かだと思ったらしく、慌てた様子。
だが、すぐに地上に降りてくるその姿から、セトだと判断したのだろう。これまでの旅路でセトに夢中になった女達から、黄色い悲鳴が上がった。
それこそ、何も知らない者がその悲鳴を聞けば、敵襲か何かだと判断してもおかしくはない、そんな悲鳴。
セトも自分が歓迎されているのが嬉しいのか、機嫌良く喉を鳴らす。
そうして地面に着地すると、一行の先頭……エレーナ達がいる方に向かって歩き出す。
「キュウ!」
そんなセトを最初に出迎えたのは、イエロ。
歩いている途中、馬車の上で日向ぼっこをしながら眠っていたのだが、ふと気が付けば一番の友達のセトがいなかったのだ。
その為、少し寂しい思いをしたのだろう。
……普通であれば、夏の直射日光が降り注ぐ中で日向ぼっこなど、とてもではないがしようとは思わない。
下手をすれば……いや、下手をしなくても、暑さにやられて熱中症になってしまう可能性が高いのだから。
そのような真似が平然と出来るのは、やはり黒竜の子供たるイエロだからこそだろう。
そんなイエロであっても、まだ子供だからか、友達のセトがいないことを悲しんでいたのだが。
なお、この一行の中ではセトが非常に根強い人気を持っているが、イエロもそれには負けていない。
もふもふで人懐っこい愛らしさを持つセトに対し、イエロはその小さな愛くるしさから人気が高い。
そんなイエロは、セトの頭の上でご満悦の表情だ。
「グルルゥ」
セトも、イエロと一緒に遊ぶことが出来て嬉しいのか、喉を鳴らす。
嬉しそうな二匹をそのままに、レイは一行の先頭を歩いているエレーナ達の方に近づいていく。
「少し遅かったな。……てっきり、もっと早く戻ってくると思っていたが」
「そうか? 前に他の村に寄った時に比べると、随分早かったと思うけどな」
レイの言葉は、決して嘘ではない。
実際、村に滞在した時間は一時間程度で、以前に比べると格段に短かったのだ。
もっとも、水浴びやら金額についての交渉やらといったことが殆どなかったので、当然かもしれないが。
「馬はともかく、馬車はどうだったの?」
エレーナの側を歩いていたマリーナの言葉に、レイは小さく頷きを返す。
「ああ、そっちは問題ない。余分な馬車だけだったけど、三台買うことが出来た。……もっとも、幌とか箱馬車じゃなくて、あくまでも荷物を運ぶ為の荷馬車だけどな」
「そう。出来ればもう少し多く欲しかったし、雨のことを考えれば屋根がある馬車の方が良かったんだけど……無理は言えないわね」
「だろうな。そういう馬車は当然向こうでも使い勝手がいい。盗賊の類でもあるまいし、強引に奪うなんて真似はしたくないな」
レイの言葉に、当然でしょうと他の者達も頷く。
盗賊から奪うのは問題ないが、盗賊のように何の罪もない相手から奪うという真似をレイが許容出来る筈もない。
結果としては盗賊を経由して奪われた物がレイ達の下に集まっているような状況ではあったのだが。
そうして話をしていたレイが、ふと気が付く。
「アルバド達はどこに行ったんだ?」
そう、非常に今更の話ではあったのだがレイが先程の村に行く理由となったアルバドや、それ以外の猟師の姿がどこにもなかったのだ。
てっきりレイが戻ってくるまではこの集団と一緒に行動しているだろうと、そう思ったのだが。
「ああ、あの人達なら少しでも早くオークの解体をして、村に持って帰るんだって言って、もう離れたわよ?」
「アルバド達がいる時に、オークが襲ってきたのか? 馬車に死体が積まれてたけど」
「ええ。レイ達がいなくなってから、少ししたらね。……オークにとって、この集団が格好の獲物に見えたのは分かるけど」
マリーナの口元に冷笑が浮かぶ。
艶やかな笑みを浮かべることの多いマリーナだったが、やはりオークという存在には色々と思うところがあるのだろう。
(マリーナの集落に行った時に遭遇したオークにも、容赦しなかったしな)
ダークエルフとオーク。どちらも相手を獲物として見ている点では同じだったが、獲物という意味そのものは大きく違っていた。
オークにとっては、子供を産ませる為の母体として。ダークエルフにとっては、食べる為の獲物として。
そこまで昔という訳ではないのだが、レイの感覚としては随分と昔のことのように思える。
「レイ? どうしたの?」
「ん? ああ、いや。何でもない。取りあえずオークはこのまま外に出しっぱなしだと傷むだろうし、ミスティリングに収納しておいた方がいいよな?」
マリーナは若干不思議そうな表情を浮かべるが、レイはその場を立ち去る。
「どうしたのかしら?」
「さぁ?」
ヴィヘラにそう尋ねるマリーナだったが、当然ヴィヘラも突然レイがオークを収納しに行った理由は分からない。
もっとも、別に何か変なところがあった訳ではない以上、それをどうこうと言うつもりはなかったが。
「まぁ、レイにも何か考えがあるんでしょ」
結局そういうことになり、話題は別のことに移っていく。
オークがどのような性格のモンスターかというのは、当然のように広く知られている。
ゴブリンと並んで女にとっては最悪の存在である以上、例え死体であっても近くにあるのは嫌だと思う者がいても、おかしくはない。
結果として、オークの死体を載せた馬車は、一行の最後尾に近い位置を進んでいた。
「あ、レイ。どうしたの?」
近づいてきたレイにそう声をかけたのは、シャリアだった。
メジョウゴでレイが会った時には何らかの理由で奴隷の首輪から解放されていたが、だからこそまた捕まりたくないと隠れていた、獣人の女。
(そう言えば、結局何でシャリアの奴隷の首輪が外れたのか、その辺は分かってないんだよな)
黒水晶や巨人のことを考えれば、そう簡単に奴隷の首輪が外れる筈はなかった。
にも関わらず、レイがシャリアと遭遇した時には既に奴隷の首輪から自由になっていたのだ。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。今更だけど、よくシャリアは奴隷の首輪から逃れられたと思ってな」
そう言われたシャリアは、何とも言いがたい表情を浮かべる。
既にシャリアは、奴隷の首輪がどのような効果を持つものだったかを知っている。
そうである以上、複雑な表情を浮かべることになるのは当然だった。
「本当にね。自分でも何でかは分からないけど、レイには感謝してるわよ」
レジスタンスと合流出来たのも、レイからの助けがあったからだ。
特に食料を譲って貰ったというのは大きい。
もし最初に会った時に食料を譲って貰っていなければ、恐らく……いや、間違いなく強引な手を使って食料を奪うような真似をし、そうすればシャリアの存在も当然のようにジャーヤに知られてしまっていただろう。
そして捕まれば、ジャーヤのやっていたことから考えて、最悪実験材料にされていた可能性は高い。
黒水晶の呪縛から解かれたという意味で、シャリアという存在は非常に希少な存在だったのは間違いないのだから。
どんなに上手くいっても、再び娼婦とされるといった扱いだったのは、シャリアにも予想出来た。
そういう意味では、やはりレイはシャリアにとって間違いなく恩人なのだ。
それこそ、スーラに負けない程に深い恩義を感じているのは間違いない。
「いつか……本当にいつか、この恩はかえさせてもらうわね」
そう告げるシャリアの頬は、素直に感謝の言葉を口にした照れからか、赤く染まっていたのだった。