1617話
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雨の日で休みとなるということを知った女達の中には、安堵の表情を浮かべる者が多かった。
やはり一日中歩き続けるという行為を何日も行っていたこともあり、疲れている者が多かったのだろう。
もっとも、当然のように今日一日休みになったからといって、一日中身体を休める……という訳にはいかない。
前日にレイ達が予想していたように、この機会に可能な限り服を作ってしまおうという空気が流れたのだ。
女達の中には、移動する時には馬車に乗って楽をしているのだから、服を縫うのは全てそのような者達にまかせてしまえばいい、と思っている者もいる。
だが、その出来上がった服を着るのは自分達なのだ。
であれば、可能な限り早く服を完成させる必要があった。
また、服を作る際に余った布の切れ端を使い、多少なりとも自分の服には自分らしさを出そうと、そう考えている者もいる。
何だかんだで、服を縫う技術のある者達にとっては、それなりに気分転換にはなっていたのだろう。
そして、そのような技術がない者も、そのやり方を教えて貰って自分達の服を縫うという行為に喜びを感じている者も多かった。
だが……当然のように、そのような行為に馴染める者ばかりではない。
「何で普段馬車に乗ってる人の手伝いを、私達がしなくちゃいけないのよ」
「そうよね。こっちは毎日歩いて、歩いて、歩き続けて……なのに、馬車に乗ってる人は移動しながら服を縫うだけ。その服を縫う仕事も、こうして他の人達に手伝って貰って……ずるくない?」
「いいわよね、身体が弱いって。私も馬車に乗って楽したいわ」
そんな風に、集まって愚痴を言う者もいる。
当然ながら、そのような者は少数派ではあったのだが、表には出さずとも同じように思っている者はそれなりにいるのだろうというのは、砂上船の中の様子を見て回っていたスーラにも容易に予想出来た。
(このままだとちょっと不味いわね。今はまだ不満が小さいけど、これが広まっていくと空気が悪くなるのは確実だわ。そうなれば、色々と面倒が起きるのは確実だし……ちょっと相談してみた方がいいわね)
この時、スーラが思い浮かべたのはレイ……ではなく、マリーナだ。
この一行を率いているのはレイなのだが、それでもレイは男だ。
どうしても女同士の微妙な関係については、詳しくないと思えた。
もっとも、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラという、信じられない程の美人を侍らせているのだから、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、その辺りの機微に聡い可能性は十分にあったのだが。
レイをそのように判断したのは、やはりレイと最初にメジョウゴで会った時のことが関係しているのだろう。
娼婦の振りをしていたのもそうだったが、それでも女に対して取るべき態度としては、到底合格とは言えなかった。
そして、エレーナやヴィヘラではなくマリーナを選んだ理由。
それは一番その手のことに詳しいのがマリーナだと判断したからだ。
一緒に行動し始めてから、まだ一ヶ月も経っていない。
それでも、レイ達がどのような性格をしているのかというのは、把握するには十分だった。
そんな中で、この手のことを説明するにはやはりマリーナが最適だというのがスーラの選択となる。
(ビューネちゃんとは……そもそも意思疎通出来ないし)
この一行の中で、セトやイエロは高い人気を誇っている。
それこそ、歩き疲れた時にセトやイエロの姿を見れば、まだもう少し……もう少しとどこからともなく気力が湧き出してくるかのように。
そんな二匹と同様、ビューネもまたそれなりに人気が高い。
愛らしい姿をしているだけであれば、他にも同じような者はいる。
だが、その愛らしい姿と裏腹に高い――あくまでも女達と比べてだが――戦闘能力があり、それでいて無表情なところが人形っぽいと。
セト、イエロに続いて、第三のマスコット的な存在になりかけていた。……いや、既に人によってはそのような認識をしている者もいるだろう。
ともあれ、今までは不満を抱いても歩き続ける必要があったし、夜は夜で少しでも早く寝て疲れを癒やす必要があった為に、女達の中にある不満が表に出るようなことはなかった。
その不満が表に出てきたのは、やはり今日一日は休みとなったからだろう。
(ここで下手に無用な騒動を引き起こす……何て真似はしないだろうけど、それも確実って訳じゃないだろうし)
この旅が始まった当初、不満を口にした女達に対し、レイは容赦なく追放しようとしたことがある。
あの時のことは当然この旅に参加している者全員に知らされており、多少の喧嘩程度ならともかく、それがギルムに向かうまでに邪魔になるのであれば、レイは容赦なく切り捨てるだろう。
それが文字通りの意味で斬り捨てる……ではないというのは、スーラにとってはせめてもの救いだった。
(とにかく、余計な騒動が起きるよりも前に何とかしないといけないわね。……レジスタンスの方も、今日は色々と気が抜けているようだし)
そちらに関しては、身内意識もあるが、スーラは仕方がないと思っている。
ただ歩くだけの者達とは違い、野生の獣やモンスター、ジャーヤやロッシからの追っ手、盗賊……それらを警戒し続けているのだから。
それも、そこまで多くはない人数で、この集団全体をだ。
「スーラ、ここにいたのか。レイさん達が呼んでるけど、どうする?」
不満を口にしている女達をどうするべきかと考えていたところで、レジスタンスの男からそんな風に声を掛けられる。
あまりにもタイミングがいいことに若干驚くも、砂上船の中の様子を知りたいのは当然だろうと、すぐに頷く。
「分かったわ。マジックテントの方に行けばいいの?」
「ああ。……いいよな、マジックテント。俺もああいうの欲しいけど、どのくらいするんだろうな」
「取りあえず、私達にはそう簡単に手が出るような代物じゃないのは、間違いないわよ」
短く言葉を交わし、お互いに笑みを交わしてからスーラはレイ達の下に向かう。
マジックテントは、あれば非常に便利だ。
それこそ、野宿をするのが苦にならない程に。
だが、以前マリーナからマジックテントがどれくらいの値段がするのか聞いたスーラは、とてもではないが自分達に手が出る値段ではないと理解していた。
マジックテントを買う金があるのなら、他に色々と買うべき物があると言える程には高価な代物。
寝ている時とは違い、それぞれ床に座っているので夜よりは幾らか余裕のある場所を歩きながら、砂上船の外に出る。
そこでは、まさに豪雨と表現するのが相応しい雨が降っていた。
「うわ……中にいたら分からなかったけど……」
思っていたよりも雨が強い。
そう思いながら、スーラは一気に外に出る。
傘のような雨具がある筈もなく、スーラは豪雨の中をマジックテントのある場所に向かう。
せめてもの救いは、マジックテントのある場所は砂上船のすぐ側だということか。
マジックテントの中に入ると、すぐにビューネが差し出した布で髪を拭く。
「ありがと」
「ん」
スーラの言葉に、ビューネは小さく呟く。
「それで、私を呼んでるって話だったけど……どうしたの?」
「ちょっと砂上船の様子を聞きたくてな。本当なら、俺が直接見にいければいんだけど、そうなると色々と面倒なことになりそうだしな」
それは、間違いのない事実だった。
女達にとって、自分達を救ってくれたレイというのは憧れを抱くに十分な存在なのだから。
……いや、もしレイの顔立ちがもっと醜かったり、もしくは整っていても男らしい方向に整っているのであれば、今のような状況に置かれることはなかったのだろう。
だが、レイは女顔と評するのが相応しい顔立ちであり、身体も小柄だ。
男に対して拒否反応を覚えている女であっても、今のレイであれば他の者達のような拒否反応は起きなかった。
また、レイ本人がとんでもない強さを持ち、更にはセトの主人である……というのも、大きいだろう。
勿論全ての女がレイに対してそのような思いを抱いている訳ではなく、自分達の行動に指図してくるレイを面白くないと思っている女もいる。
それでもこの集団を率いているのがレイである以上、不満を露わにすることは出来ないのだが。
「そうね。基本的には皆がこの休日でゆっくりとしているわ。服を縫ったりしてる人が大半だけど、歩き続けるのに比べれば大分楽な仕事だしね」
「そうか、布の方はどうなっている? 一応今朝レジスタンスの連中に持っていって貰ったけど」
「あの人数で縫ってるんだし、恐らくすぐに足りなくなるわ」
そう言われたレイが、しまったなといった表情を浮かべる。
ここに来る途中で布を購入はしてきたのだが、それでもやはり全員分の服を作る為には足りなかったのだ。
もっとも、本来ならこうして休むつもりではなかったので、馬車に乗っている者達に十分行き渡るだけの布があれば十分だという考えだったのだが。
「そうなると、やっぱりまだどこかで布を仕入れる必要があるか」
「そうね。服を仕入れるよりは安く付くし……馬車で移動してる人達も働いているというのを見せるのは大事でしょうし」
マリーナがレイの言葉に頷く。
服も購入しているのだが、布の方が安く、どちらの方が同じ値段で大量に購入出来るかと言えば、やはり布だ。
そして、一日中歩き続けている者達にしてみれば、馬車でただのんびりと旅をしている……という者達の存在は、当然面白くない。
だが、馬車の中で一日中服を縫い続けているとなれば、その不満も多少なりとも収まる。
全員の不満が完全に収まる訳ではないが、それでも大半の者達の不満は収まるのだ。
「その件だけど、今日の休みにも服を縫ってるから、それを見て不満に思っている人がいるみたいなの」
「あー……やっぱりそういう奴が出てきたか。そろそろ歩くのにも慣れてきて、周囲に気を配る余裕とかが出てきた頃だしな。それで、何人くらいだ?」
「私が見た限りだと、まだ数人ってところ。ただ、私が把握していない人や、表に出していない人とかはいるかもしれないわね」
スーラのその言葉に、レイは微かに眉を顰めて果実水を飲む。
雨が降っている影響もあり、現在マジックテントの中はそれなりに蒸し暑い。
外を完全に遮断してしまえば、マジックテントの能力でその蒸し暑さも気にならなくなるのだが、現在の状況を考えればそのような真似をする訳にもいかない。
「セトはどうしてる?」
話題を変え、そう尋ねるレイに、ようやくスーラは嬉しそうな様子を見せる。
「セトちゃんなら、船長室で皆と一緒に遊んでるわよ。結構そっちに顔を出してる人も多いみたいね」
「そうか。退屈してないなら、それでいいけど」
セトと会えないのは少し残念な気がするレイだったが、それでも今の状況を考えればセトを砂上船からこっちに連れてくる訳にも、そしてレイが砂上船に行くのも、色々と危ないのは間違いない。
「取りあえず、全員分の馬車が揃えばそんな不公平感もなくなるんだろうけどな。……そう簡単には無理か」
「そうね。ゾルゲー商会との取引が上手くいけば、どうにかなるかもしれないんでしょ?」
ゾルゲー商会という言葉を口にした際、微かに表情を硬くしたスーラだったが、それでもそれ以上の感情を剥き出しにしていないのは、自制が出来ている証拠だろう。
勿論スーラの立場としては、ジャーヤに協力していたゾルゲー商会の力を借りたいとは、とうてい思えない。
だが、それでも……今の状況を何とかするには、その力が必要なのは間違いなかった。
「そうだな。ただ、問題は向こうがどこまでこっちの要求を聞くかだな。……取りあえず、布は出来るだけ多く欲しい。巨人の巣で手に入れた布も、全部吐き出したしな」
それでも千人近い人数の服を作るというのには、まだまだ布が足りないのだ。
それ以外にも、馬車や馬、飼い葉、食料……そして、問題を起こさない護衛といった者達はレイにとっても是非欲しい存在だった。
「……そうね」
レジスタンスにも、ある程度溜め込んでいた物資は存在する。
だが、それを取りに行くような時間的余裕はないし、そもそも溜め込んでいた物資にしても、これだけの人数に十分な量とはいかない。
「取りあえず、今日は身体を休めて体力を回復させて、明日はまた移動を開始……出来たら、いいんだけどな」
マジックテントの外を見ながら、レイが呟く。
降ってくる雨は、ますます強くなっている。
とてもではないが、このまま明日には晴れる……とは思えない、それ程に強烈な雨。
ゲリラ豪雨という言葉をレイは思い浮かべていたが、基本的にゲリラ豪雨というのは瞬間的に強い雨が降るが、数時間、それこそ翌日まで降り続けるといったことはないので、正確には今の雨はゲリラ豪雨と呼べるものではなかったのだが。