1585話
「くそっ、少し早まったな」
息も荒く、リュータスが吐き捨てる。
その身体には、既に幾つかの斬り傷の類がある。
誰が作ったのかというのは、言うまでもない。現在洞窟の中でリュータスと戦っている、レーブルリナ国の兵士達だ。
純粋な技量という点で考えれば、兵士達よりもリュータスの方が、間違いなく上だった。
だが、技量が上でも、そこに決定的なまでの差というものはない。
それこそ、兵士達が数の力で補える程度の差でしかない。
だからこそ、戦いの中でリュータスは……そして護衛達も、次第に小さいながらも傷を負っていくことになる。
今はまだかすり傷程度の傷でしかないが、このまま戦闘が続けばどうなるのか……それは、考えるまでもなく、明らかだった。
即ち、死。
勿論戦闘の技量でリュータス達が上な以上、兵士達の方にも大きな被害は出ている。
既に十人以上が息絶え、それ以上が怪我を負っているのだから。
だが、それでもこのままではいずれリュータス達が負けるというのは確実だった。
現在の戦場は、既に完全に洞窟の中に入っている。
最初は洞窟の出入り口のすぐ近くで戦闘が行われていたのだが、兵士の圧力によって次第に後ろに押されてきたのだ。
もう、リュータスの達のすぐ後ろは、Y字路となっている場所だ。
(レイ達を呼びに行った奴が、どっちに向かったのか……しっかりと聞いておけばよかった)
悔しがるリュータスだったが、それは当然だろう。
もしこのまま後ろに下がって、レイ達のいる方に……そして援軍を連れてくるだろう方の道を下がったのなら、全く問題はない。
だが、レイ達がいない方に下がった場合、敵の群れを突破してレイ達がやってくるまで、自分達だけの力で持ち堪える必要がある。
正直なところ、それだけの時間持ち堪えられるかどうかと言われれば、頷くことは難しいだろう。
それだけに、現在どうするべきなのか……リュータスは迷う。
(真っ先にレイ達が向かったのは、多分ジャーヤの連中が集まっている場所だ。だが、レイ達が洞窟に入ってから、結構な時間が経っている。それを考えれば、巨人達の方に移動したという可能性も否定は出来ない。何より……)
最大の問題は、もしリュータスがレイ達のいるだろう通路の方に下がっても、援軍を呼びにいった護衛がきちんとレイ達のいる方向に向かって移動したのかどうか……というものがある。
自分達がレイ達のいる通路に向かい、更には援軍を呼びに行った護衛もレイ達のいる方に向かっており、それを聞いたレイ達が即座に援軍を派遣する。
そのように幾つもの行動が噛み合わなければ、リュータスが生き残るのは難しい。
(レイにとっては、俺はまだ利用価値がある……と思いたい。でないと、即座に見捨てられるだろうし)
槍の一撃を放ってきた兵士の攻撃を回避し、そのまま距離を詰めると長剣で突きを放ち、首を貫く。
そのまま後方に跳躍しながら、敵から長剣を引き抜く動きを同時に行う。
「うわぁっ!」
「くそっ、ダレウをよくも!」
仲間の首から吹き出る血を顔に受け、兵士達の何人かは目を潰される。
血というのは、粘度の高い液体だ。
もし目に入ったりしようものなら、水のようにすぐに目が見える……ということにはならない。
ましてや、現在行われているような混戦の中で……それも最前線の近くで、目が見えなくなるというのは致命的だろう。
事実、その隙を逃さなかったリュータスの護衛が、目を潰された兵士に素早く近寄ると短剣を振るって相手に大きな傷を負わせる。
また、首筋を斬り裂かれた男の知り合いなのだろう兵士の口からは、怒声が上がっていた。
「若、これ以上は……一旦下がらないと、もう対処出来ません!」
「分かっている! ……くそっ!」
もうこれ以上ここで持ち堪えるのは難しい。
一度後ろに下がりながら、態勢を整える必要があった。
だが、ここで自分が選択を間違えば、それは即ち死に直結する。
つまり、絶対に間違うことが出来ない選択。
……もっとも、その選択に正解しても、護衛がレイの下にしっかりと辿り着き、更にはレイがその護衛の話を聞いて援軍に来る……という、非常に難易度の高い選択が必要となるのだが。
(どうする? どっちに退く?)
そうして考えている間にも、リュータスと兵士達の戦いは未だに続いている。
兵士達にしてみれば、自分達の同僚を、仲間を、戦友を殺した相手だ。
リュータス達は、既に命令云々ではなく、絶対に許せない相手という認識しかない。
「ちっ、しつこいんだよ!」
怒声と共に振るわれる長剣の一撃。
リュータスが感じている苛立ちや焦燥感といったものが込められたその一撃は……だからこそ、今までのように鋭い一撃ではなかった。
焦りから振るわれたその一撃は、咄嗟に兵士が長剣を盾代わりにしたこともあり、あっさりと弾かれる。
それだけであれば、まだ何とかなっただろう。
だが……焦りから放った一撃だっただけに、リュータスの身体は地面の小さな段差、それこそ普通であれば何でもない程度の段差により、バランスを崩す。
「あ……」
自分でも分かる程の、圧倒的な失態。
兵士の方もそれは理解しているのだろう。
リュータスが焦りから見せた絶好の機会を見逃すようなことはせず、手に持っていた長剣を振りかぶり……
(畜生っ!)
自分の焦りから生じた、致命的なミス。
それを考え……だが、既に今からどうにか体勢を立て直すのは無理だというのも、本能的に察知する。
視界の隅で護衛が何とかしようとしているのが見えたが、既に兵士の長剣は振り下ろされる寸前である以上、何をするにも遅い。
終わった……
そう思い、諦めようとした瞬間……不意に突風が吹いたと、そうリュータスは感じた。
何が? と思い、目を開けたリュータスが見たのは……レザーアーマーのあった場所に穴が、それこそ拳は楽に通せるくらいの穴を開けている、兵士の一人だった
そして、リュータスの顔には生暖かい何かと、固形の何かがへばりついている。
「え? 何が……」
あった。
そう呟こうとした瞬間、リュータスは自分のすぐ側で再び突風が吹きすさぶのを感じた。
「後は任せろ」
そして、同時に耳元で聞こえた、そんな声。
更には、ローブを着た人物が自分のすぐ横を通り抜ける感覚。
何が起きたのか、普段であればリュータスも容易にそれを理解出来ただろう。
だが、今は命の危機。
だからこそ、現在自分に何が起きているのかを察知することは出来なかった。
しかし、事態はリュータスの行動や認識を待つようなことはしない。
激しい衝撃により、リュータスは吹き飛ぶ。
自分が何をされたのか、最初リュータスにも分からなかった。
それでも持ち前の行動力で地面に手を突きながら振り向くと……その視界に入ってきたのは、赤。
正確には、血。
そして、肉、骨、内臓の破片が周囲に散らばっていた。
それを起こしたのは、リュータスが来て欲しいと願っていた人物……深紅の異名を持つ……
「レイ!」
「あいよ。……って、普通こういう時にヒーローが助けるのはヒロインなんだと思うけど、な!」
その言葉と共に、レイは手にしていたデスサイズを振るう。
もしここが洞窟の中でなければ……兵士達も、咄嗟に回避するような真似が出来た者もいるだろう。
しかし、ここは洞窟。
巨人が移動することの出来る広さは持つが、それでも広さはあくまでも有限なのだ。
そして、レイが持つ武器は、柄の長さが二m、刃の長さが一m程もある大鎌、デスサイズ。
更には、デスサイズの他に黄昏の槍を手にしており、攻撃範囲という一点で考えれば、この洞窟の中でレイに狙われて逃げるようなことは不可能に近い。
特に後ろには兵士達が詰まっている以上、前にいる兵士達の回避出来る範囲は本当に限られている。
つい数十秒前までは、兵士達の勝利が既に確定事項だった。
兵士達に被害は出ていても、結局のところそれは許容範囲内の程度であり、もう少しで自分達が勝てると思っていた。
実際、その考えは決して間違っている訳ではなかったが……それは、あくまでも兵士達と戦っているのがリュータスとその護衛達だけであればの話だ。
そこにやってきたのが、レイ。
「取りあえず、ちょっと下がっていろ」
それだけを短く告げると、レイは兵士達に向かって再びデスサイズを振るう。
「うわああああああああああああああああああっ!」
「何だ、何だ、何なんだよお前はぁっ!」
「レグリオッ! このクソ野郎がぁっ!」
いきなりの一閃により、兵士達は数人が纏めて胴体を真っ二つにされた。
更にはレイが攻撃するよりも前に投擲した槍……現在手に持っている黄昏の槍ではなく、ミスティリングの中に大量に収納されていた壊れかけの槍の投擲においても、数人の命が失われている。
兵士達にしてみれば、レイという存在は死神や疫病神でしかないだろう。
だが、そんな兵士達を前にして、レイはリュータスを庇うように前に出ながら、口を開く。
「兵士が一体何をしにここまで来たのかは分からないが……それでも、命を懸ける軍人としてここにやってきたんだ。なら、戦いになるのは当然だと思うが? ……まぁ、俺も別に人を殺すのが好きだって訳じゃない。このまま退くのなら、追撃はしないが?」
「ふざけるなっ! 俺達に攻撃して、それで帰れだと? お前は、一体何様のつもりだ!」
「何様と言われれば……そうだな。この武器を見て、俺が誰なのか分からないか? 俺の名前はそれなりに有名だと思ってたんだけどな。ちょっと残念だ」
その言葉に、今レイに向かって叫んだ兵士は、自分が完全に侮られ、おちょくられていると考えると、怒りと憤りで顔を真っ赤に染める。
しかし、この兵士はレイのことを知らなくても、これだけの人数がいれば当然レイの名前くらいは知っている者がいるのは当然な訳で……
「レイ? ……馬鹿な、ミレアーナ王国の異名持ち冒険者が、何故こんな場所にいる!?」
「出任せじゃないか?」
「いや、深紅のレイは身の丈以上の大鎌を使うらしい」
「大鎌……」
大鎌と言われ、兵士達はレイの持つデスサイズに視線を向ける。
それは、まごうことなき大鎌で、他の何かだとは到底思えないだけの外見をしている。
そして大鎌という武器は非常に使いにくく、普通ならそう使う者はいない。
だが、兵士達の前にいるレイは、その大鎌を右手だけで持ち……更には、左手に深紅の槍まで持っている。
とてもではないが、その辺の者に……それもレイのような小柄な人物に使いこなせるような代物ではない。
だが、実際にそれを十分以上に使いこなしているというのを、兵士達はその目で見ているのだ。それも、仲間達の死という結果によって。
そうであれば、レイを……目の前の小柄な人物が、深紅の異名を持つ冒険者だと悟ってもおかしな話ではない。
「こいつ……本当に深紅のレイじゃないのか?」
ある程度周辺国家の事情にも通じている兵士の一人が、小さく呟く。
本来であれば、その声は周囲にいる仲間の声に紛れて誰かに聞かれるようなことはなかっただろう。
だが……レイの聴覚がその呟きを聞き逃すようなことはなかった。
「正解。どうやらお前は色々と知ってそうだな。なら、取りあえずお前は生かしておくか。他の連中は……このまま大人しく撤退するのなら、見逃してもいいが?」
「ふざけんじゃねえっ!」
兵士の一人が叫ぶ。
自分達は栄光あるレーブルリナ国の兵士なのだ。
その自分達が一方的に攻撃され、しかもお情けで見逃される。
そのようなこと、絶対に許せる筈がなかった。
……レーブルリナ国は優れた国であり、そこに住んでいるのは優れた民族。
数の差でミレアーナ王国に屈してはいるが、それは近い将来覆される筈だった。
上層部からそのように教えられていた兵士は、それをそのまま信じ込んでしまっていた。
純粋ではあるのだろう。
だが、今はその純粋さ故に、レイを前にしても退くという選択肢がなくなってしまう。
自分達は優れた存在なのだからと。
劣等種である他国の人間を前に、退くことは出来ないと。しかし……そのような事情、レイには関係がなかった。
「……そうか」
その一言と共に、いつの間にか叫んだ兵士のすぐ前まで移動していたレイは、左手に持った黄昏の槍を突き出していた。
まさに、神速と呼ぶに相応しい速度の突き。
自分の優秀性を信じていた……もしくは盲信していた兵士は、自分でも全く気が付かないうちに頭部を粉砕され、生命の炎を消す。
そうして黄昏の槍を手元に戻した反動を使い、身体を半回転させながら振るわれたデスサイズの刃は、数人の兵士達の胴体をレザーアーマー諸共上下真っ二つにする。
視線の端でビューネが他の兵士を攻撃しているのを見ながら……レイは敵兵士の吹き出す血に舞うかのように、デスサイズと黄昏の槍で命を刈り取っていく。
それこそ、深紅の異名に相応しく。