1578話
レイの言葉に何か言おうとしていた研究者だったが、相手をしている暇はない。
レイ達にしてみれば、巨人は特に問題なく対処出来る相手だったが、普通の兵士達……それこそ、ここにいる兵士達程度の技量であれば、巨人を倒すことは出来ない。
それは、今レイ達がいる周辺の様子を見れば、明らかだろう。
そこら中に、兵士達の死体……いや、残骸と呼ぶべき肉片が散らばっている。
そして、レイ達がここに来るまでの間に兵士達が倒した巨人の数は皆無。
勿論兵士達も、自分達が完全に支配下に置いていた巨人が、突然暴走するような真似をするとは思わず、動揺したというのも大きいだろう。
ともあれ、巨人達がいる場所に早く行く必要がある以上、今はここにいる者達に構ってはいられないというのが、レイの正直な気持ちだった。
「ちょっと待ってくれ。黒水晶が破壊されたってのは、本当なのか!?」
黄昏の槍の穂先を突きつけられたにも関わらず、研究者の男はそう叫ぶ。
自分が、そして仲間達が一緒になって研究してきた黒水晶。そして、黒水晶によって産み出された巨人。
それに関わってきただけに、レイの口から出た、黒水晶が破壊されたという言葉は決して聞き流せるものではなかった。
だが……それは、あくまでも男の事情であって、レイがその事情を気にする必要はない。
「うるさい。少し黙ってろ」
短く告げ、一歩前に踏み出し、黄昏の槍を横に振るう。
突くのではなく、薙ぐという行為だったのは、研究者の男だけに何か重要な情報を持っているかもしれないと思った為だ。
ただでさえ生き残りが少ないのだから、研究者は出来れば生かしておく必要があった。
特に、研究者らしき男ともなれば、レイが周囲を見た限り、目の前にいる男しかいない。
だからこそ、レイは穂先ではなく、柄で横薙ぎにして研究者の男を吹き飛ばしたのだ。
その一撃は男にとってかなりの衝撃だったのだろう。近くにある建物の壁に身体をぶつけると、そのまま意識を失って地面に崩れ落ちる。
「マリーナ、その男を逃がさないようにしておいてくれ」
「あら、私がここに残るの?」
「そうなる。本来なら、精霊魔法の援護は欲しいんだが……」
マリーナの使う精霊魔法の援護というのは、援護という言葉の中で考えられる最高峰の代物だろう。
その援護を受けられないというのは残念だったが、実際マリーナかエレーナのどちらかがここに残る必要があった。
そして今回のジャーヤに対する報復が貴族派と協力して行われている作戦である以上、エレーナを連れて行くのは当然だろう。
また、純粋に戦力としても頼りになる相手なのは間違いない。
マリーナ程に援護が得意な訳ではないが、ミラージュを使えば中距離からの攻撃が可能で、風の魔法も得意としている。
(まぁ、俺だって魔法を使えるし、援護って意味ならデスサイズのスキルとか、黄昏の槍の投擲とかあるんだけど。寧ろ俺の方が遠距離攻撃の手数は多い。……暴れているのなら、派手な魔法でも使って一掃した方が手っ取り早いかもしれないな。ヴィヘラは不満だろうが)
魔法を使えば、巨人を纏めて倒す……いや、殺すことは容易に可能だというのは、レイも分かっている。
だが、そのような真似をした場合、下手をすれば洞窟が崩れる可能性があった。
メジョウゴにあった地下施設は、最初から地下施設にするということもあって作られたので、多少魔法を使っても問題はなかった。
しかし今いる場所は、天然の洞窟なのだ。
今レイがいる場所のように多少手が入っているとはいえ、千匹の巨人を一度に倒すような魔法を使った場合、その衝撃で洞窟が崩れないとも限らない。
(いっそ、洞窟を崩して全員生き埋めにしてしまうか?)
そんな考えがレイの脳裏をよぎらなかったかと言えば、答えは否だ。
だがそのような真似を行うのであれば、当然自分以外の面々は洞窟の外に出す必要がある。
この足場の悪い場所から、仲間を全員脱出させる必要があった。
ジャーヤの人間も、兵士はともかく研究者は様々な情報を聞き出す為にも、連れ出す必要がある。
足手纏いがいる状況で、あの足場の悪い洞窟の中を移動するのだ。
下手をすれば、レイが行動に移す前に巨人が洞窟から逃げ出してしまう可能性もある。
そう考えれば、やはり洞窟諸共に崩壊させるという考えは手間ばかりが多いのは間違いない。
(研究資料とかそういうのも、掘り返す必要とか出てくるかもしれないし)
既に黒水晶が消滅した以上、ここにあるだろう研究資料にどれだけの価値があるのか、それはレイにも分からない。
だが、今回の一件にはまだ色々と不明な点も多く、研究資料の類はあれば間違いなくいい。
勿論その研究資料が後々何か別のことに役立たないとも限らないという点もある。
黒水晶がどこからどんな伝手でここに来たのかは分からないが、これで黒水晶という存在が全て消えたとは限らないということもあった。
(まぁ、一人の命を使って産める巨人は一人だ。数を揃えるとなると、絶対に派手になるから、分かりやすいだろうけど)
金を儲けながら巨人を大量に産み出すという方法をとるのであれば、メジョウゴは最善の手段だろう。
勿論その最善の手段は、他国から強引に連れ去った女の命を代償に産み出されたものである以上、一般的な視点で見た場合、外道としか表現出来ないのだが。
「いや、今はそんなことを考えてる余裕はないか。エレーナ、ヴィヘラ、ビューネ、準備はいいな?」
軽く頭を振ってから尋ねるレイに、三人は何の問題もないと頷く。
「マリーナ、ここの取り纏めを頼む。逃げ出そうとする奴がいたら、兵士っぽい奴なら殺してもいい。そこで気絶している研究者みたいな奴なら、手足の一本切断する程度で許してやれ」
周囲にいる兵士達に対し、意図的に聞かせる為に口にした言葉。
その言葉は、兵士達の間にこれ以上ない程に強く響く。
当然だろう。自分達が手も足も出なかった巨人達を相手に、目の前にいる者達は蹂躙と呼ぶに相応しい戦いをしたのだ。
そのような相手に逆らったりしようものなら、間違いなく死んでしまう。
何より、この空間から出るには扉から外に出る必要がある。
つまり、あの扉の前にレイ達の誰かがいれば、それをどうにかするのはまず不可能だと、これ以上ない程に思い知らされたのだ。
唯一の突破口としては、マリーナが手にしているのが弓だということだが……兵士達の何人かは、巨人との戦いでマリーナが精霊魔法を使ったところを、その目で見ている。
そうである以上、自分達程度でどうにかなる相手とは思えなかった。
そもそも、ここにいる者の中には今回初めて魔法を見たという者すらいるのだ。
そのような者に、精霊魔法を使う相手に突っ込んでいけと言っても従う筈がない。
……いや、そもそもその魔法を精霊魔法だとすら認識していない可能性があるのだが。
ともあれ、レイの言葉を理解した兵士達は、ここから脱出して逃げ出すという方法を諦める。
もしそのような真似をした場合、自分の命がないのだと、暗にレイにそう言われた為に。
そんな兵士達を一瞥し、自分の言葉の意味を理解したのだろうと判断したレイは、最後にマリーナと一言二言交わしてから、扉の外に出ていく。
レイ達を見送ったマリーナは、目の前にいるのがジャーヤの一員だと……強引に連れ去った女達を文字通りの意味で食い物にしていた存在だと理解している以上、友好的になれる筈もない。
「仲間を助ける為の行動は許可するわ。けど、妙な行動はしないことね。レイが言っていたように、命の保証は出来ないから」
兵士達を一瞥し、マリーナが告げる。
非常に整った顔立ちをしているだけに、冷たい視線を向けてくるマリーナには圧倒的な迫力があった。
命の保証が出来ないというのは、脅しでも何でもなく、間違いのない事実なのだろうと理解出来てしまう程に。
「さて、後はレイ達が巨人をどうするかだけど……まぁ、心配はいらないでしょうね」
扉の前に立つ、この場には似つかわしくないパーティドレスを身に纏った美女。
どう見ても違和感しかないその光景だったが、兵士達は目の前にいるのが化け物の如き強さを持っている相手だというのを知っている為に、大人しく怪我をしている仲間の治療をするのだった。
扉から外に出たレイ達は、洞窟の中を走っていた。
一度通った道だからこそ、特に罠や待ち伏せといったものは警戒していなかったが、洞窟だけあって足場は決してよくはない。
それでも来た時のように歩いているのではなく、走っていることもあって、その移動速度は非常に速かった。
……途中で気絶したり死んでいる見張りを目にしたが、それを見ても特に何かをするということはない。
そのおかげで、洞窟に入った最初の分かれ道に到着するまでに掛かった時間は、驚く程に短かった。
「リュータスは……いないな。洞窟の外か? それとももうここから撤退したのか……ともあれ、ここにいない以上、今は気にする必要はないか」
「だろうな。とにかく今は巨人の暴走が、あそこにいた巨人だけだったのか、それとも全ての巨人に関わっているのか。その辺りをなるべく早く確認することが必須だ」
エレーナの言葉にレイは頷き、そのまま視線を自分達がやってきたのとは別の通路に向ける。
Y字路になっている以上、どこがその道なのかを迷う必要もない。
エレーナとヴィヘラ、ビューネにそれぞれ視線を向けると、体力的にはまだまだ余裕があるのは間違いなかった。
……エレーナとヴィヘラはともかく、身体の小さなビューネまでもがまだ余裕があるということに少しだけ驚いたレイだったが、戦闘に特化している盗賊としては当然なのだろうと、すぐに思い直す。
「じゃあ、行くか。ただ、巨人が通る道だけに、基本的に罠はないと思ってもいい。ここに戻ってきた時と同じ速度で向かうけど、それで構わないか?」
体力的に問題はないな? と尋ねてくるレイの言葉に、エレーナ、ヴィヘラ、ビューネの三人はそれぞれ頷きを返す。
それを確認してから、レイはまだ見ぬ道へ……大量の巨人が存在するだろう場所に続く道を進み始める。
地面を走る速度は、言葉通り今までと変わらない。
それでもこちらに来るのは初めてだということもあって、念の為に足下には注意している。
だが、その注意もすぐにそこまで慎重ではなくなった。
何故なら、巨人が幾度となく移動したからだろう。
地面がかなり均されており、幾つか躓くような場所はあったものの、基本的には何の問題もなく地面を走ることが出来たからだ。
(千匹近い巨人がここを歩いたと考えれば、こうなってもおかしくはないのか。それに、向こうに巨人が二十匹くらいいたのを考えると、一度ここを通ったからといって、後は全く通らないって訳でもないようだし)
そんな風に思いつつ、恐らく大丈夫だろうと考えながらも、何かあった時にはすぐに対処出来るように警戒するのは忘れない。
次々に視界を流れていく洞窟の風景。
レイはドラゴンローブを着ているので分からないが、その空気は今が夏だというのが信じられないくらい、涼しいものになっている。
……もっとも、それはここが洞窟だからの話であって、巨人がいるからといった理由ではないのだが。
「ねぇ、レイ。もし巨人が暴れていたりしたら、どうするの?」
レイの後ろを走っているヴィヘラが、そう尋ねる。
後ろを見なくても、レイにはヴィヘラが嬉しそうな笑みを浮かべているのは想像出来た。
「そうだな。やっぱり倒すしかないだろうな。数匹程度ならまだしも、千匹近い巨人を森の中に放つのは危険すぎる」
レイには、自分達がいる森と洞窟がどこにあるのかというのは正確には分からない。
いや、勿論レーブルリナ国だったり、メジョウゴの近くにあるというのは分かっているのだが、具体的にどのくらい離れた場所にあるのかというのは全く分からないのだ。
だが、洞窟の周囲にある森はそこまで深くないだろうというのは予想出来る。
そもそもレーブルリナ国は戦力として巨人の群れが必要だったのだから、いざ使うという時に遠くにあって使い物になりませんでした、なんてことになれば、洒落にもならない。
つまり、この森は恐らくメジョウゴの、そして首都ロッシの近くにある筈だった。
そのような場所で、制御も出来ていない巨人の群れが暴れれば、どれだけの被害が出るのか想像するのも難しくはない。
特に、先程兵士達を食い散らかしている巨人達をその目で見ているだけに、余計にだ。
「そうね。レイがそのつもりなら私からは特に何か言うことはないわ。後は……」
そうヴィヘラが告げた瞬間、レイ達の進む方から鈍い音……それこそ金属に肉を叩き付けるような、それでいて非常に巨大な音が聞こえてくるのだった。