1568話
馬車が通路を進む中、レイ達は特にやることもないので身体を休めながら話をしていた。
もっとも、何かあった時はすぐに行動出来るようにしているので、当然全力で身体を休めるという訳にはいかなかったが。
だが、隠し通路には罠の類も一切なく、それ以外に迎撃しに出てくるような存在もいない。
本当に何もないまま、時間がすぎていき……
「どうやら、出口が見えてきたわよ」
馬車を操っているマリーナからそう声を掛けられると、結局何の襲撃もなかったことを残念に思いながら、レイ達はそれぞれ下りる準備をする。
「何か出迎えの用意でもしてくれていればいいんだけどな」
「そうか? ふむ、だが……そうなると、また面倒なことになるのではないか?」
イエロの身体を撫でながら、エレーナがそうレイの呟きに返す。
実際、この馬車に乗って援軍として来た者達は、決して強いとは呼べない者達だった。
勿論その基準は、あくまではエレーナから判断したものでしかない。
寧ろ、エレーナが認める程の強者がいれば、それはそれで問題になったのだろうが。
「そうね。出来ればもう少し強い相手が出てきて欲しかったわ。そもそも、私達に対する援軍としてやって来たのを考えれば、あの程度の戦力でどうにか出来る筈がないというのは分かるでしょうに」
そして、エレーナよりも不満そうな表情を浮かべているのは、当然ながら戦闘を好むヴィヘラだ。
巨人という、そこそこ手応えのある相手と戦った直後だけに、その後で出てきた援軍があの程度の強さしかなかったというのは、ヴィヘラにとっては不満だったのだろう。
例えるのなら、レストランで美味いコース料理を食べて、最後に出てきたデザートが果実……の皮だけだったとか、そういう印象か。
そんな風に思いながら、レイは不満そうなヴィヘラを落ち着かせるべく、ミスティリングの中から幾つかの干した果実を取り出す。
「取りあえずこれでも食べて落ち着け」
「……普通、こういうのを持ってるなら、旅の途中で出すんじゃない? まぁ、旅と呼べる程の距離はなかったけど」
終点が見えてきた頃にこのような物を渡すのはおかしいのではないか。
そう言いながらも、ヴィヘラはレイから干した果実を受け取る。
当然ヴィヘラの側にいるビューネやエレーナ、そしてエレーナに撫でられているイエロもまた受け取って、甘い味を楽しむ。
(マリーナにも後でやった方がいいか?)
口の中に広がる甘酸っぱい味をレイが楽しんでいると、やがてそんなレイの考えを察したかのように馬車が停まる。
一瞬驚いたレイだったが、先程マリーナがそろそろ終点だと言っていたのを思い出せば、特に慌てることもないだろうと判断して馬車から下りた。
そうして馬車から降りたレイが目にしたのは、地下道へ通じる出入り口を封じている扉。
その扉の周辺には、武器を持った兵士達が二十人近く存在していた。
兵士達は戸惑いつつ、それでも目の前にいるのがこの上なく怪しい存在なのだというのは分かっているのか、集団の中でも先頭にいた人物が口を開く。
「お前達は、誰だ? その……何者だ?」
戸惑ったような言葉。
もし馬車の御者をしていたのが、パーティドレスを着ているダークエルフのマリーナではなく、もっと見た目が厳つい人物であれば、男達ももっと警戒していただろう。
また、馬車がマリーナの操っている一台だけだというのも、男達を戸惑わせている理由の一つだ。
とてもではないが、自分達と敵対している相手だとは思えなかったのだろう。
特にここは離れている場所にあり、情報が来るのも遅い。
結果として、この男達はどのような人物がメジョウゴを襲撃していたのかということも理解していなかったのだ。
だからこそ、マリーナを見ても、とてもではないが戦闘を生業にするものだとは判断出来なかった。
……もっとも、動きにくいパーティドレスを着ているダークエルフの女、それも今まで生きてきた中で一度も見たことのないような美人が相手であれば、そのように考えても仕方がない。
まだマリーナが、弓や矢筒を身につけていれば話は違ったのだろうが。
ましてや、馬車から降りてきた中には、戦闘を担当すると思われるような頑強な男の姿はなかったのだから、それも当然だろう。
レイは武器をミスティリングに収納しており、ビューネはその小ささ……いや、幼さから戦闘要員には見られない。
ヴィヘラは一応手甲と足甲を身につけているが、着ている服が服なので、こちらも戦闘要員とは見なされなかった。
唯一の例外は、きちんと武装しているエレーナだったが……こちらもまたその美しさから戦闘要員であるとは、信じられなかったのだろう。
「あら、私達が誰か知らないの? 情報は来てないのかしら?」
「……お前達、巨人の巣からやって来たんだよな?」
一瞬巨人の巣と言われて何のことか分からなかったマリーナだったが、それでもすぐにそれが何を意味しているのかを理解する。
そもそも、この隠し通路が繋がっているのは自分達が来た地下施設のみだったのだから。
「そうね。私達がここにいるのを考えれば、それは明らかだと思うけど?」
そう告げるマリーナは、一切慌てているところが見えない。
非常に怪しいのは事実なのだが、後ろめたいことはないのでは?
そんな疑問を兵士達は抱く。
「その馬車は、ちょっと前にここから出撃していった援軍が乗っていた馬車ですよね? 何故そのような馬車に?」
もしかしたら、組織にとって重要な客人か何かなのかもしれない。
マリーナと話していた男はそう考えたのか、話し掛ける口調も幾分か丁寧なものに変わっていた。
「そうね。丁度入れ違いになるような形だったから、一台借りたのよ」
満面の笑みを浮かべつつ、男達と言葉を交わすマリーナ。
だが……そんな中、不意に一人の男が他の男達を掻き分けるようにして姿を現す。
「ほう……随分といい女じゃねえか。けど、おかしいな。こんな女……極上の女達が来るってんなら、こっちに情報があってもおかしくないんだがよ」
「ゼ……ゼルストリさん!? 何故ゼルストリさんがこんな場所に!?」
今までマリーナと話していた兵士の男が、いきなり姿を現した男に驚愕の声を向ける。
その驚愕は、何故このような人物がこんなところに……というのもあったが、それより大きいのは面倒なことになったといった雰囲気だ。
マリーナも、改めてその男に視線を向ける。
自分よりも高い身長に、その身体は頑強な筋肉で覆われている。
見るからに裏の組織の人間……それも一定以上の地位にいるだろう人物というのは、マリーナの目から見ても明らかだった。
そして、兵士の言葉から色々と面倒なのだろうというのも、容易に予想出来てしまう。
だが、そんな男を前にしてもマリーナは特に緊張した様子を見せない。
目の前の男がどれだけの強さを持っていても、自分達であればどうとでも出来るという確信を持っていたからというのもあるが……何故か、自分を見る目に好色な色がなかったからだ。
ヴィヘラ程ではないにしろ、胸の谷間を強調するようなパーティドレスを着ている以上、マリーナは欲望に濁った視線を向けられるのは慣れている。……もっとも、慣れているからといって、不愉快さを感じない訳でもないのだが。
ともあれ、それで安心したマリーナだったが……次の瞬間、それが完全に自分の勘違いであったのだと悟る。
何故なら、ゼルストリと呼ばれた男はビューネに対して欲望に満ちた目を向けていたのだ。
(ああ、そういう)
マリーナも長い時間を生きているだけあって、子供にしか性的興味を持てないような者がいるのは知っている。
そのような者達と会話もしたことはあるのだが、マリーナから見ればあまり褒められた趣味とは言えなかった。
そっとビューネの姿を隠すようにしながら、マリーナは口を開く。
「それで、ゼルストリさんだったかしら。貴方はどういう立場の人間なのか、聞かせて貰ってもいい?」
「俺か? 俺はこの門を守る責任者ってところだな」
そう告げるゼルストリだったが、マリーナは何人かの兵士達の表情が疑問を抱いたのを見てとる。
(つまり、嘘?)
その考えは、間違ってはないようにマリーナには思えた。
そして、ここでそのようなことを言うのであれば、それはレイ達を怪しんでいるのは間違いない。
(問題なのは、どのくらい上の人間かってことだけど……こうして見る限り、頭を使うよりも身体を使う方が得意なのは間違いなさそうね)
マリーナの方を見る振りをしながら、何とかマリーナの後ろにいるビューネを見ようとしている男の様子を眺めながら口を開く。
向こうが怪しんでいる以上、何かあったら強行突破をするしかないと判断しながら。
「あら、ここの責任者なら、私達のことは知らされてるんじゃないの? もっとも、まさか隠し通路を通ってここまで来ることになるとは思えなかったけど」
当然私達のことは知ってるでしょう? と、そう告げるマリーナ。
長く生きてきた経験からか、その口調には嘘を感じさせるようなものは全くない。
それこそ、何も知らなければレイ達であってもそれが真実なのではないかと、そう思ってしまうかのように。
だが、ゼルストリの方も心の底からマリーナが何を言っているのか理解出来ないといったように首を傾げる。
「はぁ? 残念だが、俺には何もそんな情報は来てないぞ。お前達が本当にジャーヤの客なら、そのくらいの情報は流れていてもおかしくねえんだがな」
ビューネを隠していることもあって、ゼルストリのマリーナへの態度は自然と攻撃的なものになっていた。
マリーナもそれは理解しているのだが、だからといってビューネを差し出す訳にもいかないだろう。
「つまり、どういうことかしら。まさか、ここで私達を取り押さえる……なんて馬鹿な真似はしないわよね?」
「そんなに馬鹿な真似でもねえと思うが? 何の情報も来てねえ以上、お前達は怪しい人物に間違いはねえんだ」
「なら、この馬車はどう説明するの?」
「……それについても疑問が残るな。馬が何頭かこっちに戻ってきている。何でそんなことになってるんだろうな?」
「私達が話した時には、馬車に幾らか被害が出ていたようだから、そのせいじゃないかしら」
他意はありません。
そう言いたげに告げるマリーナは、まさに女優と言うべきだろう。
この世界には映画やドラマといったものは存在しないが、演劇は存在している。
持ち前の美貌と女の艶、そしてこの演技力。
もしマリーナが舞台俳優としてやっていこうと思えば、間違いなく大成功するだろうというのが、それを見ていたレイ達全員の感想だった。
もっとも、マリーナ以外にもエレーナとヴィヘラはどちらも看板女優となれるだけの素質を持っているのだが。
「へぇ。……ま、いいや。じゃあとにかくお前達からは詳しい話を聞く必要があるな。向こうでのことも聞かせて欲しいし」
そう言いながらもゼルストリの視線はマリーナの後ろにいるビューネの、かすかに見えている手足に向けられていた。
事情を聞くという名目で何をしようとしているのかは、それこそ考えるまでもなく明らかだろう。
……現在交渉を行っているマリーナを始めとして、極上の美女と呼ぶべき三人が目の前にいるにも関わらず、ゼルストリの視線はビューネのみに向けられている。
この一途さ――と表現するのが相応しいかは微妙だが――は、ゼルストリが筋金入りのロリコンであるということを示していた。
それが分かっているだけに、マリーナもそんなゼルストリの言葉に応じる訳にはいかない。
ゼルストリは自分の欲望に正直に話しているだけなのだが、結果としてそれがマリーナの企みを阻止することになったのは、皮肉でしかないだろう。
「あら、そんな野獣のような目をした人と二人きりになるのも、させるのもちょっと怖いわね。お断りするわ」
「へぇ。なら、こっちとしてもそう簡単にここを通す訳にはいかなくなるんだけどな。……俺が大人しく言ってる間に従った方がいいんじゃねえか?」
笑みを浮かべつつ、それでいながら暴力的な雰囲気を露わにするゼルストリ。
それは、ゼルストリがこの手の行動に慣れているということを意味していた。
(恐らく、今までにも同じような真似をして何人も毒牙に掛けてきたんでしょうね。……でも)
そこで一旦考えを断ち切ると、マリーナはレイに視線を向ける。
マリーナに、レイは小さく頷く。
その頷きが何を意味しているのか……それは容易に理解出来た。
「じゃあ……そうね。悪いけど力ずくで、強引に通らせて貰おうかしら」
艶然と微笑みながら、マリーナはそう告げるのだった。