1538話
「……つまり、暇になったから宿の外に出て買い食いをしていたら、ビューネがあいつらに絡まれた、と?」
「ええ、そうなるわね」
乱闘騒ぎを起こしていた場所から、少し離れた位置にある食堂。そろそろ早めの昼食を食べに来る客で賑わいそうな時間、レイ達はその食堂の中にいた。
勿論場所を借りている以上、何も頼まないという訳にもいかないし、少し空腹だったこともあり、適当に料理を頼んだ上でのことだが。
「あのねぇ、幸い警備兵とかは来なかったら……いえ、来る前にあそこから離れたからよかったけど、下手をすれば警備兵に捕まっていた可能性もあるのよ? 今、ちょうど忙しいこの時に」
呆れたようにマリーナが呟くが、ヴィヘラは小さく笑みを浮かべつつ果実を手に取る。
見た目が葡萄に近いその果実は、酸味が強く赤い果肉が特徴的な果実だ。
その強烈な酸味を楽しんでから、ヴィヘラは口を開く。
「けど、あの慣れた手口から考えると、今まで色んな人が被害に遭ってたわよ? それを放っておいてもよかったの?」
「それは……」
マリーナが言葉に詰まる。
ジャーヤに報復を行う為にロッシにやってきた身とすれば、それを放っておけというのが正しいのだろう。
だが、一人の冒険者として、そして女として、それを放っておけばいいとは、言いたくなかった。
「それに、間違いなくあの男達の狙いは私だったわ。ビューネの件はその切っ掛けでしかなかったのよ」
「……それなら、もっと大人しい服装をしていればいいと思うんだけど」
男達が絡んだ最大の理由は、やはりヴィヘラの着ている踊り子や娼婦と見紛うようなその薄衣だろう。
男であれば殆どの者が生唾を飲み込むような、そんな魅力的な肢体を見せつけているのだから、先程ヴィヘラが戦っていたような若い男達がその色気に頭に血を上らせるのも当然だろう。
ましてや、向こうはヴィヘラがヴィヘラであると……ギルムでも有数の実力者たるランクBパーティ、紅蓮の翼の一員であるとは知らなかったのだろうから。
セトでもいれば手出しをするようなことはなかっただろうが、残念ながらセトは現在厩舎でイエロと共に眠っている。
そのような状況でビューネのような子供と一緒に街を出歩いていて、性欲過多の男達に絡まれない訳がなかった。
ましてや、現在ロッシの近くには娼館と酒場だけで成り立っているような、メジョウゴという存在もある。
それだけに、性欲を持てあましている若い男が多くなるのは当然だろう。
勿論メジョウゴに行けるのは、このロッシからだけではない。
他にも幾つかの村や街から馬車が出ているのだが……それでもやはり、レーブルリナ国の首都たるロッシから向かうのが一番早い。
「……そう言うけど、相手の性欲を刺激するって意味だとマリーナだってそう大差ないんじゃない? いや、寧ろ私よりも刺激的だと思うけど」
そう告げるヴィヘラの視線は、マリーナの着ているパーティドレスに……より正確には、大きく開いた胸の谷間に向けられていた。
純粋に露出度という点では、マリーナよりもヴィヘラの方が上だろう。
だが、その深い胸の谷間を直接見せつけるパーティドレスは、女の艶という言葉がそのまま人の――正確にはダークエルフだが――形になったマリーナの魅力と相まって、相手を欲情させるという意味では決してヴィヘラに負けてはいない。
「全く、マリーナもヴィヘラも、少しは慎みを持った方がよいのではないか? 私を見ろ。男を挑発するような格好は……」
「甘いわね」
エレーナの言葉を途中で遮ったのは、マリーナだった。
そのいきなりの行動に動きを止めたエレーナの姿を眺めつつ、マリーナは口を開く。
「人によっては、隠されているからこそ妄想が捗るということもあるのよ。……そう考えれば、見るからに女騎士といった様子のエレーナなんか、思い切りその対象でしょうね」
「なぁっ!?」
完全に予想外の言葉だったのだろう。エレーナの口から、珍しく驚愕の声が響く。
実際、エレーナはその豊かな双丘を無理矢理収めているかのような姿や、黄金の美貌と呼ぶべき顔立ちをしている。
そんなエレーナを見て、男であれば誰しも口にしがたい想像……妄想を頭の中に浮かべてもおかしくはないだろう。
(くっ殺、とか結構流行ってたよな)
日本にいる時に読んだ漫画や小説でそのネタが一時期流行っていた……いや、既に流行云々ではなく一つのジャンルとして存在していたな、と。半ば現実逃避気味に考えつつも、レイはテーブルの上にあるパンに手を伸ばす。
朝に焼いたパンで既に冷めているが、それでもまだふんわりと柔らかい白パンは、十分にレイの舌を楽しませた。
その後、二十分程の間、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人が色々と言い争っていたが、レイとビューネの二人はそちらに口を出すような真似はせず、純粋に食事を楽しんでいた。
そうして言い争いが終わり、それぞれが果実水で喉を潤したのを見計らい、レイは口を開く。
「さて、それで今日これからどうするかだけど……どうする? もう最大の目的は果たしたし、後はやることがないんだよな」
「……そうね。なら、ちょっと全員でロッシの中を歩いてみない? 何だかんだと、ロッシに来てからは忙しかったし、たまには全員で遊び回ってもいいんじゃない?」
ふと出たのは、マリーナのそんな提案。
それに誰も反対しなかったのは、現在の自分達では出来ることがないからと、全員が理解していたからだろう。
正確には行動するつもりであればすぐにでも行動は出来るのだが、レジスタンス側の準備が整っていないというのが大きい。
それを理解している為、結果として全員でロッシを見て回ることになったのだった。
レイ達がロッシを見て回っている頃、メジョウゴではスーラが突然の話題に顔を厳しく引き締めていた。
「それは……本当なの? 冗談でも何でもなく?」
「はい。ロッシで協力してくれているノーコルからの情報です」
「……そう」
仲間の言葉に、スーラは娼婦の如き薄衣を揺らしながら立ち上がる。
このような服を着ているのは、当然ジャーヤの目を誤魔化す為だ。
メジョウゴにいるのは、その大半が娼婦とその関係者。
そうである以上、やはりそこに紛れるのであれば娼婦の姿をした方がいいのは当然だった。
当然他の娼婦がしている、チョーカーのような奴隷の首輪も、外見だけはそっくりの代物を身につけている。
……もっとも外見が完全に娼婦にしか見えないだけに、アジトとして使っている建物の中にいる、まだレジスタンスに入ったばかりの男は顔を赤くしてスーラから視線を逸らしているのだが。
そんな男達の視線は気にした様子もなく、スーラは考える。
「レイがここに来た以上、何かあるとは思ってたけど……それでも早い。早すぎる。せめて、もう二十日……いえ、十五日あれば……」
レジスタンスの主力は以前ジャーヤの襲撃によって壊滅したが、それでも他に戦力がない訳ではない。
だが、ジャーヤという組織はレーブルリナ国のいたる場所に根を下ろしているのだ。
そうである以上、当然レジスタンスの戦力もレーブルリナ国中に散らばる必要がある。
ただでさえ主力がいない以上で、レジスタンスにしてもかなり無理をしての行動だったのだが……それが今回は裏目に出てしまった。
レイが今日明日にでもこのメジョウゴに襲撃を行うと伝言をしてきた以上、レジスタンスとしてもそれに乗り遅れる訳にはいかない。
今までジャーヤに対抗してきたのは自分達であると、そのような思いがある以上、レイに戦わせて自分達はそれを見ているだけというのは絶対に許容出来なかった。
だが、同時に自分達のプライドの為にメジョウゴで現在苦労している――本人にその意識はないだろうが――者達を一日でも早く解放したいという思いもあった。
「いや、だが……本当に可能なのか? あの帰らずの建物だぞ?」
スーラの仲間の一人が、信じられないといった様子で呟く。
メジョウゴの中央に、地下施設に続く建物があるというのは、レジスタンスも知っていた。
知っていた以上、当然その情報を得ようと何人かを派遣したことがあるのだが、そこから帰ってきた者は一人もいなかった。
結果として地下施設に続く建物は帰らずの建物と言われるようになり、ただでさえ戦力に余裕のなかったレジスタンスはその建物に人を送るだけの余裕もないことから、最終的には触れられない存在となってしまう。
レジスタンスの主力がいる状態ですらそのような有様だったのだから、その主力が壊滅してしまった今では、とてもではないがその建物に手を出すような真似は出来ないのは当然だった。
「私達なら無理でしょうね。けど……相手はあの深紅よ? しかも深紅だけじゃなく、他のパーティメンバーも揃っている。であれば、あの建物に突入することも難しくないと思うわ。それに、紅蓮の翼にはグリフォンがいる。私達のように、地上を進む必要はないのよ」
「……羨ましいな」
スーラの言葉に、仲間の一人が思わずと言った様子で言葉を漏らす。
実際、空を飛べるというのはこのエルジィンにおいて、非常に大きなメリットを持つのだ。
ワイバーンに乗る竜騎士のような存在は、当然レジスタンスには存在しない。
いや、レジスタンスだけではなく、小国のレーブルリナ国にも竜騎士は存在していなかった。
つまり、この国では空を飛べるというだけで、他の勢力よりも圧倒的に有利になる。
地下施設に続いている建物に直接攻め込めるというのを見ても、それは明らかだろう。
(ジャーヤなら、何か空を飛ぶ手段を持っていてもおかしくないけど)
憎むべき組織は、何故かマジックアイテムを豊富に持っている。
それこそ、普通であればレーブルリナ国という一国であっても無理だろう量のマジックアイテムを所持しているのだ。
スーラにしてみれば、何故それだけのマジックアイテムを保有しているのに、大人しく一つの組織という扱いで満足しているのかという疑問すらあった。
「地下施設か。以前穴掘ったこともあったけど、結局無駄足だったんだよな」
ジャーヤについて思いを馳せていたスーラは、仲間の言葉に我に返る。
「あの一件は……しょうがないじゃない。地下施設って言うくらいなんだから、地下を掘っていけばそこに行けるかもしれないと思っても、仕方がないでしょ」
地面を掘って地下施設に行く。
それを提案したのは、スーラだった。
だが、スーラも半ば冗談半分で言ったその内容を、まさか当時レジスタンスを動かしていた者達が本気で行うとは思わなかったのだ。
レイが聞けば、コロンブスの卵? と言うかもしれない、発想の転換に近い考え。
だが、ジャーヤの支配下にあるメジョウゴで地下に向かって穴を掘る……それも見つからずに掘るというのは、当然ながらかなり難しい。
結局使われていない小屋の中で掘り、その土の捨て場所にも困り……更には五m程も掘ったところで一向に地下施設に出ることもなく、最終的にその計画は中止となったのだが。
「いや、別に責めてる訳じゃないって」
スーラが据わった目つきで自分を見ているのに気が付いたのか、男は慌てたようにそうフォローする。
そのまま数秒の間男を見ていたスーラだったが、やがて小さく溜息を吐いてから、改めて口を開く。
「話を戻すわよ。とにかく、現在の私達に残されている選択肢は多くはないわ。まず、レイ達に協力して襲撃の時に他の人に被害が及ばないようにする。もしくは、私達の意地の為にそちらを中途半端にしてもレイ達と一緒に攻撃する」
スーラの提案を聞いていた一人が、口を開く。
「それ以外にも色々と選択肢はありそうだが……それを口にするよりも前に聞いておきたい。俺達を文字通りの意味で一掃したあの巨人達。あいつらに、そのレイってのは勝てるのか?」
その男は、巨人達に襲われた主力の生き残りの一人。
自分の目で直接巨人達の力を見たことがあるからこそ、噂だけで実際にその力を見たことのないレイがジャーヤを相手に少人数でどうにか出来ると言われても、簡単に信じることは出来なかった。
「私もレイが戦っているところを見た訳じゃないけど、強さという点に関しては問題ないでしょうね」
「何でそこまで信じられる? スーラも、少し会っただけだろ? なら……」
「そうね、少しよ。けど……何となく信じることが出来るって、そう思ったのよ。女の勘ね」
普通であれば、女の勘で信じることにしたと言われれば、間違いなく受け入れられないだろう。
だが、スーラは今まで幾度となくその勘の良さでレジスタンスの危機を救ってきた。
その勘があるからこそ、スーラのようなまだ若い女が、現在のレジスタンスを指揮しているのだ。
「そして、私の勘だと……ジャーヤを滅ぼして国を綺麗にする為には、レイに全面的に協力した方がいいと思ってるわ」
眩しい笑みを浮かべつつ、スーラはそう告げるのだった。