1525話
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昼食、もしくは朝食を終えたレイ達は、セトを伴ってギルドに向かう。
セトを連れているのは、一種の虫除けに近い。
勿論この場合の虫というのは、エレーナ達と少しでもお近づきになりたいと考えているような男――希に女――のことだ。
ここがギルムであれば、このような真似をしなくてもちょっかいを掛けてくる相手というのはそういないのだが、ここはレイ達の名前がまだ殆ど広まっていないレーブルリナ国だ。
いや、深紅や姫将軍といった異名の噂は聞こえているのだろうが、その容姿まで知っている者は少ない。
そんな状況でレイ達だけで行動するというのは、自らトラブルを呼び込もうとしているようにしか見えない。
だが、そこにセトがいれば……そんな集団にちょっかいを掛けようと思う者はそういないだろうという狙いからだった。
実際、こうして歩いていてもレイ達に向かってちょっかいを出してくるような相手はいないのだから、その狙いは決して間違っていなかった。
(これがギルムなら、今とは逆にセトがいるからこそ大勢が近寄ってくるんだろうけどな)
半ばギルムのマスコットキャラと化しているセトだけに、姿を見せれば遊んで欲しいと子供が集まり、大人も何か食べ物を与えて可愛がるといった行為が頻繁に行われる。
だが、ここではそれと正反対の事態が起きていた。
「グルゥ……」
自分が怖がられていることに、残念そうに喉を鳴らすセト。
そんなセトを慰める為に身体を撫でながら、レイはギルドに向かって進む。
セトの姿を見て驚く者が多く、それでも従魔の首飾りをしているのを見て安堵する者が多い。
そんな中を進み続け、やがて目的地のギルドに到着する。
「今更だけど、全員揃って来る必要があったのか?」
ギルドを……ギルムとは比べものにならない程に小さなその建物を見つつ、レイが呟く。
「昨日は色々と大変だったのよ。……分かるでしょう?」
レイに向け、マリーナがうんざりとした表情を浮かべながら告げる。
そんな何気ない態度であろうと、マリーナの持つ女の艶というものは隠しようがない。
本人が意図している訳ではないのだが、マリーナの持つ肉感的な肢体と褐色の肌、胸の谷間を露わにしたパーティドレス……その全てが、まるで蜜に群がる蜂のように男達を引き寄せてしまうのだ。
昨日もギルドマスターと会うまでに、何人もの男に口説かれ、中には半ば強引にマリーナを連れていこうとした者もいた。
勿論そのような者達についていく趣味はマリーナにはないので、全員しっかりと断り、力ずくでと迫ってきた男は精霊魔法で相応の対応をしたのだが。
そんな訳で、ギルドの情報屋を紹介して貰う為に銀の果実亭の外に出れば、また厄介なことになると、そう判断していた為に、マリーナはセトを連れ出すことを提案したのだ。
……また、マリーナ以外にもエレーナやヴィヘラ、それとビューネといった面々がいることもその辺には強く影響しているだろう。
マリーナだけであの騒ぎだったのだから、他の面々も一緒にいるのであれば、大きな騒動になるのは間違いなかった。
(もっとも、ギルドに入ればどうなるかはわからないのだけれど)
レイに撫でられ、嬉しそうにしているセトを眺めながら、マリーナはそんな風に思う。
ここまではセトという抑止力がいたから、特に問題はなかった。
だが、セトは当然ギルドの中に入ることが出来ない。
そうなると、やはりギルドの中ではトラブルが起きるのは避けられないと、そう予想するのは当然だろう。
(昨日私に手を出してきた人のことが、どれくらい広まっているか……かしらね。それに、幸い今は昼。冒険者の殆どは依頼を受けている最中だから……いえ、それは昨日も同じか。それでもあれだけの騒ぎになったのだから)
ほう、と小さく息を吐くマリーナだったが、それがまた色気を感じさせる。
レイ達の近くを偶然通りかかった冒険者は、セトの様子に驚きながらも、そんなマリーナの横顔を見て目を奪われた。
しかしそんなことには気が付かず、レイ達は揃ってギルドの中に向かう。
マリーナの憂いの込めた横顔に目を奪われていた冒険者は、そんなマリーナ達を見送り……ふと気が付くと、グリフォンのセトが自分の方を不思議そうに見ているのに気が付き、小さく声を上げてその場を走り去るのだった。
「マ、マリーナ様!?」
マリーナの姿を見たギルドの受付嬢が、その瞬間に声を上げるとそのままカウンターから出てマリーナ達に近づいてくる。
それなりに顔立ちは整っており、美人というより可愛いと表現するのが相応しい受付嬢だったが、普段はしっかりしていると評判の受付嬢だ。
それだけに、今の受付嬢の慌てている様子を周囲で見ている冒険者達は、驚きの表情を浮かべる。
ギルドの中に冒険者の数は十人もおらず、併設されている酒場にも同じだけの人数がいる程度だ。
昼すぎということもあり、酒場で食事をしている者も多いのだろう。
そのような者達の視線を集めながらも、受付嬢はマリーナの下にやってくる。
冒険者達の中には、何人か昨日の出来事を知っている者もいるのだろう。マリーナを見て、驚愕している者もいる。
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラという美女を見てちょっかいを出そうと考えた者もいたのだが、受付嬢が真っ先に近寄ってしまったことにより、その機会を逃す。
もっとも、受付嬢が急いで近づいていったのは最初からそれが目的だったので、狙い通りと言うべきなのだろうが。
「あら、えっと……ナナリス……だったかしら?」
「は、はい。マリーナ様に名前を覚えて貰えて光栄です。それで、今日はどのようなご用件でしょう? その……これ程大勢で」
ナナリスと呼ばれた受付嬢が、マリーナの後ろにいるレイ達に視線を向ける。
マリーナと同等の美貌を持つ二人に、まるで精巧な人形のような美貌を持つ少女、そしてドラゴンローブを着ているレイ。
……この一行の中では、実はレイが一番目立たない一般人に見えるのが多少異常だった。
もっとも、それはあくまでもレイがドラゴンローブのフードを被っているからで、それを脱げば女顔のレイはどうしても目立つのだが。
「ええ、ちょっとギルドに用事があってね。……ここだとちょっと人の耳もあるし、どこか部屋を貸してくれる?」
「わ、分かりました。すぐにギルドマスターに連絡してきます!」
そう言うと、ナナリスは踵を返してカウンターの奥に向かう。
「あ、ちょっと……別にギルドマスターに用事があるって言ってる訳じゃなく、部屋を貸して貰えれば良かったんだけど……」
そう呟くマリーナだったが、既にナナリスの姿はいなくなっている。
少し困ったように周囲を見回すマリーナだったが、そんなマリーナの視線を受け止める者はいない。
ギルドに入ってきた時はマリーナ達に興味を持っていた冒険者達も、今の様子を見ればマリーナ達は何か特殊な立場にいる者だというのは理解出来たのだろう。そっと視線を逸らす。
「まぁ、ギルドマスターに話を通してくれるんなら、こっちとしても楽なんじゃない?」
ヴィヘラの言葉に、マリーナは複雑そうな表情を浮かべ、レイやエレーナに視線を向ける。
「まぁ、ギルドマスターが動いてくれるってのなら、紹介される相手も特に問題ない奴の可能性が高いんじゃないか?」
「ふむ、私は冒険者のことについてはそこまで詳しくないので何とも言えないな。だが、冒険者のレイがそう言うのであれば、信じてもいいのではないか?」
そんな二人の言葉に、マリーナは何かを言おうとするも……結局それ以上は何も言わず、視線を逸らす。
その瞬間、まるでマリーナが視線を逸らすのを待っていたかのように、カウンターの方から走ってくる足音が聞こえてきた。
それも、冒険者のような戦闘を経験してきた者であれば、まず出さないだろう派手な足音を鳴らしながら。
「来たわね」
マリーナが呟き、やがて足音の主が姿を現す。
体重百kgは優に超えているだろう中年の男で、頭は既に薄くなっている。
夏ということもあり、顔中に汗を掻きながら走っていた。
「ひぃ、ひぃ、お、お待たせしました、マリーナ様」
息も荒くそう告げる男。
現在ギルドマスターの男が、元ギルドマスターで現在は冒険者のマリーナを様付けで呼ぶ。
この辺りに、お互いに力関係が如実に表れているかのようだった。
(別にギルドマスターが元冒険者でなければならないってのはないけど……それでも、これはあんまりじゃないか?)
レイは汗を掻きながら息を整えている男を見ながら、そんな感想を抱く。
このギルドの正確な造りは分からないレイだったが、それでもギルドということで、ギルムのギルドとその大きさこそ違えど、造りそのものはそう大差ないというのは、想像出来た。
だからこそ、ギルドマスターの執務室からここまで走ってくる程度で、ここまで汗を掻くというのは……今が夏であっても、ちょっと理解出来なかった。
いや、多少汗を掻いているだけであればまだ納得も出来たのだが……男の額は、それこそ炎天下の中で数km走ったのではないかと思える程、汗を掻いていたのだ。
勿論、レイも元冒険者ではないギルドマスターというのは、何人か知っている。
それでも、これ程の男は……と考え、ふと思う。
(つまり、こんな有様でもギルドマスターとしてやっていけるだけの能力がある……ってことなのか? ここがレーブルリナ国だからというのもあるだろうけど)
だとすれば、もしかして侮れない相手なのかもしれない。
そんな風にギルドマスターを見ていると、ようやく息を整えたギルドマスターが口を開く。
「マリーナ様、見苦しいところをお見せしましたな。それで、今日は何の用件でしょうか?」
「……そうね。下手にギルド職員に頼むよりは、ゼルスに頼んだ方がいいかもしれないわね。少し話したいのだけれど、構わないかしら?」
「ええ、ええ。勿論ですとも! マリーナ様の為なら、幾らでも時間を作りましょう! では、会議室……いえ、執務室の方がよろしいですか?」
目を輝かせながらマリーナにそう告げるギルドマスターのゼルス。
そんなゼルスを見ながらレイが驚いたのは、ゼルスの目にはマリーナに対する欲望が一切なかったからだ。
いや、正確にはマリーナと話せて嬉しいという思いはあるのだが、胸元の大きく開いているパーティドレス姿のマリーナを見ても、色めいた視線を向けていないと表現するのが正しいのか。
もしこれでゼルスの姿が小さな子供であったりすれば、レイも特に違和感を抱かなかっただろう。
だが、ゼルスは極端に太っている――それこそ執務室からカウンターまで来ただけで汗を掻くような――男なのだ。
今までのレイの経験から考えると、大抵の男はマリーナのような美人を見れば見惚れ、目を奪われ、魅了され、鼻の下を伸ばす。
全員がそうとは限らなかったが、少なくても目の前にいるゼルスがその少数の例外であるとは到底思えなかった。
(いや、もしかしてとんだ狸とか? そういうことか? それならまぁ、納得出来ないでもない……か?)
レイがゼルスを見ている間にも話は進み、やがてレイ達はそのままゼルスに案内されてカウンターの内部に入っていく。
そのようなレイ達を、周囲にいる冒険者や、酒場で飲み食いをしていた者達、そしてナナリスを含めたギルド職員達は黙って見送るのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……どうぞ、昨日も案内しましたが、ここが私の執務室です。入って下さい」
ギルドのカウンターの奥にある階段を上った程度の運動でも、ゼルスにとってはかなり辛かったのか、顔から吹き出ている汗をハンカチで拭きながら、そう告げる。
運動以外に現在の季節が夏だというのも影響しているのもかもしれないが、それでもやはりレイから見ればどうしても汗を掻きすぎではないか? と思う。
そんな風に考えながら、レイはマリーナの後を追うように執務室に入る。
中に入った瞬間、涼しい空気がレイ達を迎える。
宿に使われているようなマジックアイテムが使われているのは明らかだった。
もっとも、レイの場合はドラゴンローブを身につけているので、特に涼しさを気にした様子はなかったが。
(まぁ、ゼルスの様子を見れば、外の気温と一緒だと仕事もろくに出来ないだろうしな)
あれだけ大量に汗を掻いているのであれば、下手をすれば書類とかにも汗がつくだろうしな。そうなれば書類も駄目になるだろうし、と。涼しい部屋に戻ってきたことにより、汗を拭きながらも快適そうにしているゼルスを見ながら、レイは考える。
「さて、では、皆さんそちらのソファに座って下さい。私を訪ねてきた事情を聞かせて貰いますので」
ゼルスが笑みを浮かべながら、そう告げるのだった。