1522話
シャリアから、今回の騒動の原因となっていると思しき奴隷の首輪のマジックアイテムを借りたレイは、当然それをそのまま持って歩くのではなく、ミスティリングの中に収納した。
携帯性の高い食料や、水の入った樽、今日明日くらいであれば悪くならないだろうと判断し、サンドイッチ等を渡すと、レイはそのままシャリアと別れた。
本来ならもう少し情報を得たかったところなのだが、そろそろロッシに戻る馬車が出発する時間が近づいていた為だ。
これを逃すと、次に戻るのは明日の朝となってしまう。
もしそのような真似をすれば、エレーナ達に疑われてしまうのは確実だった。
もっとも、レイのドラゴンローブの中にはイエロがいるので、その記憶を見ればレイが無実だというのはエレーナにも理解出来るだろうが。
それでも疑われる要素は少ない方がいいだろうと、レイがそう判断してもおかしな話ではない。
よって、現在レイは馬車に乗り、ロッシに向かって移動していた。
ロッシからメジョウゴにやって来た時とは違い、馬車の中にはどこか弛緩した雰囲気が宿っており、酒の臭いを漂わせている者もいる。
それが何を意味しているのかは、レイにも理解出来た。
特にさっぱりとした表情を浮かべている者は、経験した悦楽の時間を思い出しているのか、頬を緩ませている者も多い。
そんな中、レイは特に表情を変えたりはせず、じっと周囲の様子を警戒していた。
最初にメジョウゴにやって来る時、メジョウゴに向かう馬車に同乗していたコトナラに色々と聞いたのだが、それがジャーヤの者達に知られていたのだ。
幸いにもと言うべきか、レイは特に何か重要な秘密を聞くといった真似はしていなかったので、ジャーヤの中でもある程度の地位にいるだろうオーク似の女にも特に興味を持たれた様子はなかったが、それは本当に運が良かったからこそだ。
だからこそ、何故馬車の中で交わした会話をジャーヤの者達が知っていたのか……レイはそれが気になっていた。
(中の様子を盗み聞き出来るようなシステムになってるとか? まぁ、ジャーヤは色々とマジックアイテムを使っている組織らしいし、そのくらいのことは出来ても不思議じゃないか。そもそも中の様子を盗み聞きするだけなら、別にマジックアイテムとかを使わなくてもいいだろうし)
その時、レイが思い出していたのは日本にいる時にTVで見た、古い船の話だ。
伝声管というのが張り巡らされており、通信機のような物がなくても自由に離れた場所で話が出来るという、そんな装置。
……いや、装置と呼ぶ程に複雑な代物ではない。
馬車に仕掛けるのも、そう手間は掛からない筈だった。
そう考えれば、レイが乗っている今の馬車にそのような仕掛けが……あからさまではないにしても、あってもおかしくはない。
「おい、坊主。お前は初めて見るな。メジョウゴに行ったのは初めてか?」
そう尋ねてきたのは、レイからそう離れていない場所に座っている男だった。
二十代程のその男は、かなり頑強な肉体をしている。
大工や樵のような、普段から肉体を使う仕事をしているのは間違いなかった。
もっとも、それでいながら冒険者だとレイが認識しなかったのは、その筋肉に反して身体の使い方があまりに戦闘慣れしていないように思えたからだ。
座席に座っており、特に派手に身体を動かす訳ではなくても、些細な身体の動かし方から、戦闘に慣れているのかどうか……といったことは予想することが出来る。
勿論そのようなことを行えるのは、見る方にもある程度の力が必要となる。
幸いレイはそれを見る目も持っていたということもあり、男の素性を大体ではあるが探ることが出来た。
「はい。夜だというのに、あれだけ明るいというのは少し驚きました。街中にある歓楽街であれば、それなりに明るいのですが……メジョウゴの場合は、街そのものが光り輝いているようでしたね」
レンの仮面を被って告げるその言葉に、男は一瞬呆気にとられる。
てっきりレイが初めて娼婦を抱いたことで、恥ずかしがる様子を見せると、そう思っていたのだろう。
だが、それにも関わらず返って来たのは、何故かメジョウゴを褒める言葉。
そんなレイに一瞬呆気にとられた男だったが、自分がよく行く場所を褒められて悪い気がする訳がない。
「はっはっは。そうだろう、そうだろう。このレーブルリナ国は小国だ何だと言われてるけど、その国力はそう低い訳じゃない。それこそ、ミレアーナ王国みたいな国にいつまでも従ってるような真似はしないだろうな」
「そうなんですか? でも、国力の差で言えば圧倒的に向こうが上ですよね?」
レイの浮かべた驚きの表情は、決してレンの仮面を被ったが故の演技……という訳ではない。
実際幾多もの小国を従属国としているミレアーナ王国と、その従属国の一つ、それも決して国として大きくないレーブルリナ国の間には、国力や戦力では数十倍……いや、冒険者の質も含めて考えれば数百倍近い差があると言ってもいい。
とてもではないが、まともに戦ってレーブルリナ国が勝てる要素はない。
それこそ、ランクS冒険者級の強者が大量にいれば、話は別なのだが。
レイのいた世界とは違い、このエルジィンという世界では量より質ではなく、質が量を駆逐することも珍しくはない。
それは、ベスティア帝国との間で起こった戦争の時、自分だけで――正確にはセトと一緒にだが――ベスティア帝国軍の先陣部隊の多くを火災旋風により葬ったレイだからこそ言い切れる。
だが、それだけの強さを持つ者がそうそういないというのも、間違いのない事実ではある。
それは、ランクAやランクSの冒険者、異名持ちの冒険者の数が希少だということが、これ以上ない程に示していた。
そんなレイの疑問を前に、男は自分が知っていることをレイは知らないという優越感に満ちた笑みを浮かべる。
もっとも、男はレイに対して何か含むところがある訳ではないのか、すぐに口を開く。
「まぁ、俺も詳しいことは知らねえが、何でも上の方ではミレアーナ王国に対して思うところがあるみたいでな。今の状況を何とかしようと考えているらしい」
「いや、それでも……戦力や国力の差は、どうしようもないと思いますが」
「ああ。俺もそう思う。けど、俺が思いつくようなことを、お偉いさんが気が付かないと思うか? まず、そんなことはないだろ。つまり、それでも何とかなる方法があるんじゃないかって噂だ」
男が自信満々にそう告げるのを聞き、レイもなる程と頷く。
実際、自分と話をしているような一般の住民よりも、国のトップにいる者達の方が彼我の国力差、戦力差というものを理解しているのは当然なのだ。
勿論貴族の中には、自分の見たい現実しか見ない……といった者もいるだろう。
だが、一国の上層部全てがそのような者ではない以上、何か奥の手とでも呼ぶべきものがあるのは確実だった。
(その奥の手が、メジョウゴに関係しているのかどうか……まぁ、これまでの流れから考えれば、関係していると見るべきだろうな)
そうは思っても、疑問はある。
周辺諸国から女を連れてきて強引に娼婦にするのが、その奥の手にどのような意味があるのか、と。
まさか敵対した相手に娼婦を送って機嫌を取る……などということで、国と国の関係がどうにかなるとは、レイには思えなかった。
(となると、シャリアには何故か効果のなかった首輪を敵対した相手に付けて、支配下に置く? それが出来れば間違いなく凄いだろうが……けど、そんな真似が出来るか? 勿論、今のメジョウゴで行われていること自体、色々と特殊だとは思うが)
奴隷の首輪を付けている相手の意思を無視させ、使用者――この場合は命令者――の思い通りにその者を動かす。
いや、この場合は性格すら変えると表現すべきか。
そのような能力を持つマジックアイテムがあり、本当に何の問題もなく全員を思い通りに動かすことが出来るのであれば、それはレーブルリナ国のような小国であっても、ミレアーナ王国に勝利するのは難しくはないだろう。
だが、そこまで都合のいいマジックアイテムがあるとは、レイには思えない。
(恐らく何らかの制限があるとは思うんだが……それでも普通に考えれば、強力すぎるマジックアイテムだ。こんな小国の、それも一つの組織がそんなマジックアイテムを所持しているのは、違和感しかない)
そんな風に考えながらも、レイは男との会話を続けていた。
もっとも、考えに集中していたこともあり、男の言葉は最初のように集中して聞いていた訳ではなかったのだが。
また、男の話す内容も、どこの娼婦が可愛い、貧乳好きならどこの娼館、巨乳好きならどこの娼館といった内容になっていったのだが。
そんな男の言葉が馬車の中に響けば、当然ながら周囲にいる者達にもその話は聞こえ、すっきりとした気分の男達はその話題に入ってくる。
「はぁ? 馬鹿を言うな。女って言ったら足だろ足! あの素晴らしさが分からないのかよ!」
「何を言ってるんだ? 女の魅力って言ったら、うなじ以外のどこにあるんだよ。普段は髪に隠されているうなじを見ることが、どれだけ興奮するのか分からないのか!?」
「ふざけるな! 女といったら、尻だろ、尻! それ以外は認めない!」
「馬鹿か、お前等。脇だろ、脇! そこを見られて恥ずかしがるのがいいんだろうが」
いつの間にか自分の性癖を暴露する場所になっていることに、レイはどう反応すればいいのか驚く。
少し前までは、皆がメジョウゴでの体験を思い返して浸っていたというのに、何故今はこんなことになっているのかと。
「坊主、坊主は女のどんな部分に魅力を感じる? やっぱり足だよな?」
「いやいや、腰だろ」
「うなじに決まってるだろうが!」
「はっ、これだから素人は。玄人ならここは脇一直線だろ」
「ばっか。お前、ここは足首だって」
そして、何故かレイにそのとばっちりがやってくる。
「あー……僕は……」
さて、どう答えるかとレイは迷う。
ここで何も言わないというのは、悪い意味で周囲に注目されることになるだろう。
であれば、何か自分が魅力を感じている女の部位を口にしなければならないのだが……
そんな風に思っていると、ふと、ドラゴンローブの中で大人しくしている筈のイエロがレイの身体を引っ掻く。
力を入れた訳ではないので、血が出るような痛みという訳ではない。
だが、それでもエレーナがイエロの記憶を見ることが出来るということを思い出させるには十分な痛みだった。
そして、自分がここで何かを言えば間違いなくそれがエレーナに伝わるだろうということを理解するにも十分な痛み。
どう答えるか迷い……やがて、レイは自分に好意を持ち、そして自分が好意を持っているエレーナ、マリーナ、ヴィヘラという三人の容姿を思い出す。
豪華絢爛な華と表現すべき、エレーナ。
女の艶をこれ以上ない程に表しているマリーナ。
しなやかな肢体を持った肉食獣の如き肢体のヴィヘラ。
それぞれタイプは違うが、三人全員が歴史上他に類を見ないという表現が相応しいだろう美女だった。
そんな三人の共通点は……そう考え、イエロが聞いていることや、レイのような小さな子供が女のどのような部分に興味を持っているのかを識りたがっている周囲の男達の視線が集中し……やがて、レイは殆ど無意識のうちに口を開く。
「巨乳?」
どっと。
その言葉を聞いた周囲の男達は、それぞれが笑みを浮かべる。
もっとも、それはレイを貶すような笑みではなく、お前の気持ちは理解出来るといった共感の笑みだ。
「あー……分かる。俺もまだ十代の頃は女といったら胸だったな」
「お、お前もか? うん、そうなんだよな。最初に女と寝た時は、やっぱり胸に興味がいくのは当然なんだよな」
「それは分かるけど……巨乳なんかのどこがいいんだよ。あんなの、ただの脂肪の塊だろ? 俺は胸は小さい方がいいと思うけどな」
「あ、それ分かる。胸の小さい方が感度が高いって話はよく聞くしな」
「馬鹿か、お前。あの柔らかさこそが女の最大の魅力だろ」
「はぁ? 何を言ってるんだよ? 脂肪の塊を触っていたかったら、それこそ腹の肉でも触ってろよ?」
「ああ? 俺が太ってるってのか!?」
その言葉を皮切りに、馬車の中では巨乳派と貧乳派に分かれての言い争いが始まる。
当然レイは最初に巨乳と口にしてしまったので、巨乳派だ。
しかも、何故か巨乳派のトップに近い位置に据えられてしまう。
(何でこうなった)
貧乳の良さを盛大にアピールしてくる男の言葉を聞きながら、レイは思わず馬車の天井を見上げるのだった。