1518話
男から情報を聞き出したレイは、得られた情報の少なさを残念に思いながらもメジョウゴの大通りを歩く。
(まぁ、元々冒険者崩れのチンピラ……いや、今も冒険者だったのか? ともあれ、そんな感じの相手だ。何か重要な情報を持っているとは思ってなかったけど……それでも、予想以上に持っている情報が少なかったな)
出来れば何かもっと重要な情報を得たかった。
そう思うレイだったが、情報を知っていて喋らないのであればそれを聞き出す為に手を尽くすことも出来るだろうが、そもそも情報を持っていないのであればどうしようもない。
それを残念に思いながら、また絡んできてくれる奴がいないかな……とそう思いながら、通りを歩く。
しかし、元々ここに来る者は娼婦を抱きに来ているのだ。
酒を目当てにしている者もいるのだろうが、そちらは圧倒的に少数なのは間違いない。
自分の目的が……至上の快楽が待っているのに、わざわざレイに絡むような真似をする者は、そうそういない。
それこそ目的の娼婦がいなかったという先程の男のような理由でもない限り、そのような者はいないだろう。
「ねえ、お兄さん。ちょっと遊んでいかない?」
「いえ、残念ですけど僕はまだメジョウゴという街を見て回りたいので、遠慮しておきます」
レイではなくレンの仮面を被り、肩で切り揃えられた茶髪の娼婦にそう言葉を返す。
(取りあえず、組織の……ジャーヤの集まっている交番? っぽいところの様子でも見てみるか。一応アジトだって話だし、何か情報はあるかもしれないだろうしな)
これからどう行動するのかを決めると、レイはそのまま何人かの娼婦に声を掛けられながら、道を進む。
途中で娼婦の腰を抱いて嬉しそうな顔をしている者にも何人か出会ったが、そのような者達は当然のようにレイに注意を向けたりはしない。
これからのお楽しみを想像し、鼻の下を伸ばした笑みを浮かべていた。
(にしても……何人かだけなら、娼婦としての仕事に納得している者もいるだろうけど、ギルムでアジャスがやっていたみたいに強引に連れてきた奴もいる筈だろう? その割には、娼婦は全員嫌そうな表情を浮かべてないな。……どうなってる?)
最初にメジョウゴに来た時にも思った疑問だったが、より多くの娼婦を見てその疑問は更に強くなる。
何故、誰も悲しみ、怒り、絶望といった負の感情を抱いていないのか、と。
何かがあるのは確実なのだが、その何かが分からない。
(アジト……いや、詰め所か。詰め所にはその何かの秘密があるのか? ……ないだろうな)
一瞬期待したレイだったが、すぐにそれを自分で否定する。
そもそもの話、もしジャーヤという組織に秘密の類があるとして――レイはあると確信していたが――も、それをわざわざ誰もが入りやすい詰め所にそのような秘密を隠しておくかと言われれば、答えは否でしかないだろう。
レイであっても、もし秘密があったとすればそんな場所に隠したいとは、到底思えない。
(となると、やっぱりどこか別の場所にあるんだろうが……いや、秘密があるにしてもメジョウゴにあるとは限らないのか? それこそどこか人の来ないような山奥とかに隠しておいた方が安全だろうし。……まぁ、その秘密に頻繁に触れる必要がなければ、の話だが)
そんな風に考えながら歩きつつ、先程の男から聞き出した詰め所に向かい……やがて、見つける。
そこは、詰め所と言われてレイが思い浮かぶイメージとは若干違う。
レイが思い浮かべたのは、当然のように何度も足を運んだ経験があるギルムの詰め所だ。
特に何か特徴的な訳でもない、無骨な建物。
だが……メジョウゴにあるその詰め所は、レイが知っている物とは大きく違っていた。
勿論警備兵と裏の組織、辺境にあるギルムと歓楽街のメジョウゴといった具合に、色々と違う点があるのはレイにも理解出来る。
しかし、現在レイの視線の先にあるのは、レイが想像していたよりも随分と派手な詰め所だった。
明かりのマジックアイテムを使っているのは、メジョウゴの特徴として納得も出来るだろう。
ただし、そこまで派手にする必要があるのかと思う程に飾り付ける意味は……と考え、すぐに納得した。
そもそも、メジョウゴは毎日のように多くの客が訪れる歓楽街だ。
ましてや、娼館も他に負けじと飾り付けられている以上、詰め所が地味では他の店に完全に埋もれてしまう。
そうなれば、詰め所を探す者にとってもどこに行けばいいのか分からないということも十分に有り得てしまうのだ。
そうである以上、やはり詰め所は詰め所として目立つ必要があったのだろうというのがレイの予想だった。
実際にはその詰め所にいる組織の者が自分のいる場所も目立たせたいと、そう考えての行動……という可能性も十分にあるのだが。
ともあれ、目的の建物は見つけたのだから、レイは詰め所を観察出来る路地裏に隠れてその様子を見る。
歓楽街ということもあり、やはり色々とトラブルは起きるのだろう。
レイが観察を始めて十分もしないうちに、早速一人の男が詰め所に駆け込んでいった。
そして数分が経ち……
「へぇ」
レイの口から、驚きが込められた呟きが漏れる。
何故なら、先程詰め所の中に駆け込んでいった男と一緒に出てきたのは、かなり真面目そうな……少なくても裏の組織の下っ端といった風情の男ではなかった為だ。
警備兵的な役割を果たしているのであれば当然かもしれないが、真面目そうな様子の男。
それこそ裏の組織ではなく、普通に警備兵だと言われても納得してしまいかねない姿。
(まぁ、警備兵と同じ役割を果たすのなら、それこそチンピラと同じような格好をする訳にもいかなかったってところか?)
そう納得しているレイの視線の先では、今度は酔い潰れてしまったのだろう男を抱えながら、二人の男が詰め所に入っていく。
(随分と人の出入りが激しいな。……出来れば、一度中に入って調べてみたかったんだけど……ちょっと難しいか。いや、いっそ困った様子を見せて、俺があの詰め所に入っていくのもありだな。……ただ、俺の顔を向こうに覚えられるような真似は、今は出来るだけ避けたい)
そう悩んでいるレイだったが、不意に一人の女が詰め所に向かっているのに気が付く。
それが普通の女であれば、特に気にするようなことはなかっただろう。
もしくは娼婦であっても、客が何かトラブルを起こし、それを解決して欲しくて詰め所に助けを求めた……と納得も出来る。
だが、やってきた女は到底娼婦とは思えない。
着ている服は金糸銀糸といったものを大量に使っており、宝石が縫い付けられて豪華な代物だというのが一目で分かるのだが、最大の問題はその服を着ている女だろう。
身長は二mに達するかどうかといった大きさであり、身体は体重が百kgを優に超えているだろうと思える程に太っている。
(よくボン、キュ、ボンって言葉を使うけど、ボン、ボン、ボンって感じだな)
顔も決して美人とは呼べず、オークを思い起こさせるような、そんな顔つきだ。
そのような女である以上、とてもではないがレイの目から見て娼婦であるとは思えなかった。
勿論、世の中には色々な趣味の人がいる以上、そういう娼婦がいてもおかしくはないと考えはしたのだが。
だが、詰め所の前で見張りとして立っている男や、詰め所から出てきた者達が揃ってその女に向けて頭を下げているのを見れば、それで娼婦と思えという方が無理だろう。
ましてや、頭を下げている男達の顔に浮かんでいるのは畏怖だ。
もし女が誰かの影響力で男達に頭を下げさせているのであれば、このような表情を浮かべたりはしないだろう。
男達が女の後ろにいる人物ではなく、女そのものに対して畏怖や恐怖を抱いている……というのが、はっきりと分かる光景だ。
そのような人物であるのなら、レイにもその女がどのような地位にいるのかというのは容易に予想出来る。
(ジャーヤの上層部の人間か。……属国、小国と言われていたレーブルリナ国だけど、なかなかどうして……)
レイの目から見ても、そこそこの技量はあるように思える。
明確な強さは分からないが、それでもランクD……いや、もしかしたらランクC冒険者並の力量を持っているように思えた。
事前に集めていたレーブルリナ国の情報からは、このレベルの強さを持つ者の存在は殆ど確認出来なかったのだが……
(やっぱりいるところにはいるってことなんだろうな。それに、ジャーヤがかなり荒稼ぎしているのは事実だ。それを狙ってだったり、そのお零れに預かろうとしてだったり、そんな奴がいてもおかしくはない、か)
オーク似の女の様子を見ているレイだったが、女はそんなレイの視線を感じたのか、ふと足を止める。
そして腰にあるメイス……それこそ先端に棘がついているような、凶悪なメイスの柄に触れた。
だが、すぐにレイが視線を逸らした為だろう。今の感覚は何かの間違いだった……そう言いたげな様子で、周囲を見回す。
「姐さん、どうしたんで?」
「……いや、何でもないよ。それより、大きな問題は起こってないね?」
「へい。何件か喧嘩があったり、酔っ払いが運ばれてきたりといったことはありましたが、それだけです。……ただ……」
これを言ってもいいのかどうかと、男は若干躊躇いを見せる。
だが、女の方はそんな男の様子を一瞥すると、若干苛立ちの混じった様子で口を開く。
「いいから、言ってごらん。あんたにとっては理解出来なくても、あたしには関係あることかもしれないだろ」
「は、はぁ。では……実はロッシから今日の夜の客を運んできた馬車の御者が言ってたんですが、何でも俺達のことを探ってるような様子を見せている奴がいたとか。……ただ、探っていたというか、見るからに世間知らずの男に見えたので、放っておいたらしいですが」
「……ふむ、なるほどね。その話を聞く限りだと、問題はなさそうな気もするけど……」
その会話が聞こえてきたレイは、恐らく自分のことが話題になったことに微かに眉を顰める。
レンという世間知らずの仮面を被り、何も知らないといった様子で振る舞っていたつもりだったのだが、それでも御者の目には止まってしまったらしいと。
(考えてみれば、客を運ぶのは馬車で、その馬車を操るのが御者だ。その御者に観察力が高いとか、勘が鋭いといった奴を当てて怪しい奴を探すのは、寧ろ当然なのか)
もう少し大人しくしていた方がよかったのか。
レイがそんな風に思っている間にも、会話は続く。
「もし姐さんが命じるのなら、すぐに捕まえてきてもいいですが、どうします?」
「そうさね。出来れば一度そいつを見てみたい気はするけど……そろそろ忙しくなるだろうから、少し怪しいだけなら泳がせておいた方がいいかもしれないね」
「は? 忙しくですか? 特に何かあるとは聞いてませんけど」
「ああ、あんたは知らなくてもいいことだよ。いらないことに気を回してないで、今はこのメジョウゴで問題が起きないようにしなさいな」
そう言われ、男は何かを聞きたそうな表情を一瞬浮かべたが……だが、それ以上は何を言っても答えてはくれないだろうし、何より知ってはいけない情報を聞けば自分の身が危険になるだろうという思いもあって、女の言葉に素直に頷く。
「分かりました。幸い……って言い方もどうかと思うんですが、娼婦の数も十分います。前みたいに娼婦が足りないって騒動が起きることはないかと」
「ああ、あの馬鹿の件ね。……ったく、男ってのはどうしてああも……いや、その辺はいいかね。じゃあ、他に大きな問題が起きないようなら、あたしは行くよ。構わないね?」
以前起きた騒動の件で遭遇した男のことを思い出したのか、不機嫌な様子を見せながら尋ねる女に、男はただ頷くことしか出来ない。
「はい。わざわざ来ていただいてありがとうございました。これで何か美味しいものでも食べて下さい」
そう言いながら、男は女に数枚の銀貨を渡す。
本来ならここで金を渡すような必要はないのだが、男の前にいる女はジャーヤの中でも腕利きとして知られている人物だ。
それでいて、見ての通り外見的にはとても優れているとはいえない容姿で、本人は自分の外見に対して強いコンプレックスを抱いている。
その影響もあり、女はかなり神経質で捻くれている性格をしている。
それが分かっているからこそ、男は金を渡して女の機嫌を取ろうとしたのだ。
幸い、女はそんな男の狙い通りに嬉しそうな笑みを浮かべて銀貨を貰い、去っていく。
そんな女に男は頭を下げ……やがて、女の姿が見えなくなると無事にやりすごせたことに安堵しながら顔を上げるのだった。