1508話
ギルムを発ってから、三日……レイ達は既にミレアーナ王国を出てレーブルリナ国に入っていた。
本来なら二日程の予定だったのだが、それが一日余計に時間が掛かったのは、レイが途中で盗賊に襲われている商隊を発見した為だ。
罪もない商隊を助ける……という思いがなかった訳でもないが、レイにとっては盗賊を見つけたから稼ぎ時だという認識の方が強い。
それだけであれば、盗賊から聞いたアジトを襲い、そこにあるお宝や武器といった物を奪ってくればよかったのだが……その盗賊団が、金品の類だけではなく襲った相手を奴隷として売り払う為に大勢を囚えていたということもあり、そちらの処理に時間が掛かってしまった為だ。
まさか囚われていた者達を盗賊のアジト……それも山の中にある場所に置いていく訳にもいかず、結局囚われていた者達を山の近くにある村まで連れていくという行為をしなければならず、それで一日使ってしまったのだ。
幸い村は寒村という訳ではなく、村としてはそれなりに大きな規模だった為、連絡もスムーズに行われた。
勿論囚われていた者達全員がこの村の住人という訳ではなかったのだが、レイもそこまでは面倒を見切れない。
結果として、盗賊のアジトにあった物で囚われていた者達の所有物を返却し、それ以外はレイ達が貰うということで話が決まり、その後レイ達は村を出発したのだ。
(捕まっていた人数がもう少し少なければ、蜃気楼の籠を使って一気に運べたかもしれないけど……二十人以上もいちゃな)
セトの背の上で、レイはそんな風に思いながら地平線の向こうに存在する都市……レーブルリナ国の首都ロッシを一瞥する。
「あれがロッシか」
「ねぇ、レイ。ロッシってどんな場所に見える!?」
蜃気楼の籠の中から、ヴィヘラがそう上のレイに尋ねてくる。
基本的に蜃気楼の籠には窓の類はついておらず、出入りするための扉が一つあるだけだ。
それだけに、どうしても閉塞感のようなものを感じてしまうのは当然だろう。
この点も、今回の依頼が終わった後の修正点として考えられていた。
もっとも、マーダーカメレオンの革を使って周囲の景色に溶け込むという能力が持ち味の蜃気楼の籠だけに、簡単に窓の類を付けるという訳にもいかない。
一応天井の部分は外れるようになっているので、多少は閉塞感も緩和されるのだが、上を向いても見えるのはセトの身体と翼、セトに跨がっているレイの足先、そして空……といった具合に、完全に閉塞感が解消出来る訳ではない。
だからこそ、蜃気楼の籠に乗っているヴィヘラ達が外の様子を知るには、レイに尋ねるしかなかった。
「あー、そうだな。首都って割にはそこまで大きくはない。こうして見る限りだと、ギルムよりは小さいな」
「でしょうね」
レイの言葉にそう答えたのは、最初に尋ねたヴィヘラではなく、マリーナだ。
「ギルムは辺境にある唯一の街よ。それも、ミレアーナ王国のね。そんな場所と、一国家の首都でもミレアーナ王国の従属国でしかないレーブルリナ国とでは、集まってくる人達の数が違うわ」
少し自慢げなのは、やはりギルムを支える大きな要素の一つ、冒険者を束ねるギルドマスターとして働いていたという経験からだろう。
今のギルムの全てを自分が作った……とはとても言えないが、それでも今のギルムに発展するまでに自分が協力してきたという自負からの言葉。
そんなマリーナの言葉を聞きつつ、レイは次第に近づいてくるロッシを、セトの背の上で見る。
今回ロッシにやって来た目的を考えれば、少し離れた場所から別々に行動し、一人ずつロッシに入った方がいいのだろう。
だが、ロッシの中に入る為には当然のようにギルドカードを始めとする身分証が必要となる。
もっと時間があれば、ダスカーの領主としての権限で偽物のギルドカードも用意出来たのだが、今回はそのようなことをしているような余裕はなかった。
時間を掛ければアジャス達が捕まったという報告が入る可能性があり、またミレアーナ王国の方で先に動き出す可能性も高い。
……もっとも、アジャスが所属していた組織はマジックアイテムを豊富に所持しており、更にはその規模からレーブルリナ国の重臣と繋がっている可能性も高い。
そうなれば、対のオーブを持っていてもおかしくはないのだが。
ともあれ、時間がないというのもそうだが……何より偽造のギルドカードを用意しなかった最大の理由は、やはりセトの存在だろう。
グリフォンを従魔にしているような者など、それこそ世界に一人いるかどうかだ。
その上、レイの深紅という異名はグリフォンを従魔にしている冒険者ということもあって、ミレアーナ王国やベスティア帝国だけではなく、周辺諸国にも知れ渡っている。
当然ミレアーナ王国の従属国のレーブルリナ国にもその話は広がっており、ギルドカードを確認するまでもなくグリフォンを見ればそれがレイだと判明するだろう。
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人も、一生に一度見ることが出来るかどうかといったレベルの美人である為、素性を隠すのは難しい。
太陽の光がそのまま髪になったかのような、黄金の縦ロールのエレーナ。
普段からパーティドレスを身に纏い、自然と強烈なまでの女の艶を放っているダークエルフのマリーナ。
向こう側が透けて見えるかのような、娼婦や踊り子が着るような薄衣を身に纏っているヴィヘラ。
そのような三人が、目立たない訳がない。
ビューネも基本的に無表情ではあるが、顔立ちそのものは整っている。……それでも他の面子より目立たない辺り、それだけレイ達の派手さが証明されている形だ。
そんな訳で、どうせ秘密裏にロッシに入ろうとしても目立つのは避けられないのだから、どうせなら逆に思い切り目立ってしまった方がいいと、そう判断したのだ。
勿論それによって色々といらない騒動は起きるだろうが、同時に今回の一件の手掛かりも向こうから近寄ってくる可能性は十分にあった。
「さて、じゃあロッシも近づいてきたし、そろそろ降りるぞ」
話している間にもセトは飛び続けていたので、ロッシまでの距離はかなり近づいている。
それでもセトが……グリフォンが襲撃してきたと騒動にならないのは、やはり蜃気楼の籠のおかげなのだろう。
セトの翼は蜃気楼の籠よりも大きいので、下からでも見ていればはっきりと分かるのだろうが、幸いにもそこまでしっかりと見ている者は地上にはいなかった。
「こっちの準備はいつでもいい。頼む!」
エレーナからの声を聞き、レイはセトに合図を送る。
するとセトは、翼を羽ばたかせながらロッシに続く街道から少し離れた場所に降りていく。
上を飛んでいるだけであれば、地上を歩いている者達にも見つかるようなことはなかったのだろうが、こうして地上に降りてしまえば話は別だ。
セトが翼を羽ばたかせる音や、その際に巻き起こった風といったものは隠せる筈もなく、街道を歩いていた者達はその発生源に視線を向ける。
小国ではあっても、このロッシはレーブルリナ国の首都だ。
現在のギルム程ではないにしろ、首都に向かっている者の数は多い。
一人二人であればまだしも、それだけの数の者達がセトの存在に気が付かない筈がなかった。
「ちょっ、お、おい! あれ! あれ何だよ!」
「グリフォン!? 嘘だろ、何だってグリフォンが……しかも、人が乗ってる!?」
「いや、何か持ってるけど、何なんだ、あれ」
「お、おい。誰か兵士を呼んできた方がよくないか?」
「馬鹿、もしあれが本当にグリフォンなら、兵士がどうこう出来る相手じゃないって!」
通行人達がセトとその背に乗っているレイ、そしてセトが掴んでいる蜃気楼の籠を見て、それぞれ騒ぎ出す。
中には本当に兵士を呼びに行こうとしている者がいるのを見て、慌ててレイは口を開く。
「待ってくれ! このセト……グリフォンは、俺の従魔だ。自分から他人に危害を加えるような真似はしないから、心配はいらない! 俺はレイ、ミレアーナ王国のランクB冒険者だ!」
堂々とした態度でそう告げるレイだったが、ドラゴンローブのフードを被っている現在のレイは、背も小さく、頼りなく見えてもおかしくはない。
だが、それでもセトの姿を見て逃げだそうとしていた者達の足を止めることには成功する。
「おい、あの男は誰だ?」
「いや、冒険者なんだろ? ……けどランクB冒険者? あんな小さい奴がか?」
「……あ! 私聞いたことがある! ミレアーナ王国とベスティア帝国の戦争でベスティア帝国軍を全部燃やしたって冒険者だ!」
その言葉が聞こえたのだろう。レイは微妙な表情を浮かべる。
情報の伝わる手段が人伝や吟遊詩人といったものが主流である以上、情報が広がる際にそれが大きくなっていくのは当然ではあるのだが、それでもまさか自分がベスティア帝国軍全てを燃やしたという噂が広まっているとは思っていなかったのだ。
(この調子だと、もっと遠くに噂が届けばどうなることやら。……俺が両国の軍隊全てを燃やしたとか、そんな噂にはならないよな?)
微妙に怖くなるが、今はそれを考えても仕方がないと判断し、口を開く。
「色々と違うところもあるが、まぁ、おおむねその冒険者が俺だと判断して間違いない。そんな訳で、別に盗賊とかそういうのじゃないから、心配しないで欲しい」
「……けど、何だってそんな有名な冒険者がこの国に?」
「ああ、ちょっと依頼があってな。それでだ」
レイを深紅だと見破った女に言葉を返すと、その女が何か口を開くよりも前に、地面に置かれていた蜃気楼の籠の扉が開く。
まさか扉がついているとは思わなかったのか、周囲にいる者達は思わずといった様子でそちらに視線を向ける。
そして開いた扉から姿を現したのは、美女、美女、美女。……それと美少女。
とてもではないが、この世の者とは思えぬ程の三人の美女に、その場にいる男女問わずにただ、見惚れることしか出来ない。
何人かはこれが夢ではないかと自分の頬を抓っている者もいたが、その程度でも動けるだけ大したものだった。
(俺が何か説明するより、最初からエレーナ達を外に出しておいた方がよかったみたいだな)
そんな周囲の様子を見て、わざわざ自分の説明をしたことが微妙に恥ずかしくなったのか、レイはロッシの方に視線を逸らす。
すると、そちらから警備兵らしき者達が何人かやって来ているのが見えた。
……当然だろう。レイ達がいるのは、ロッシからそこまで離れた場所ではない。
であれば、当然のようにセトが降りてくる光景は警備兵達にも確認出来ただろうし、もしそれを見ていなくても通行人がこうも集まっているのを見れば、何があったのかと調べに来てもおかしくはないだろう。
(あー、面倒なことになりそうな感じだな。……いや、俺達が来たというのを強烈に印象づけるという点では、寧ろ好都合か? その辺りは、アジャスの所属していた組織がどこまでギルムの情報を入手しているのかにもよるけど)
一応諜報部隊や警備兵がアジャス以外の二人から得た情報は、レイ達にも回されてきている。
だが、二人とも中々に口が固く、思うように情報は得られていないというのが、正直なところだった。
「おい、お前達! そんな場所で集まって何をしている!」
警備兵の中の一人が、そう言いながらもこの一件の首謀者と思われるレイに槍の穂先を向ける。
……だが、威勢のいい言葉とは裏腹に緊張している様子を見せているのは、やはりセトの存在を目にしているからだろう。
他の警備兵達も同じようにレイに槍の穂先を向けているが、とてもではないが戦いを挑むといった雰囲気はない。
「俺はレイ。ミレアーナ王国の冒険者だ。こっちは俺のパーティメンバー達。ちょっと依頼でレーブルリナ国にやって来た」
「……深紅のレイ、か」
警備兵らしく、ミレアーナ王国についての情報はある程度知っていたのだろう。
レイの方を見ながら、小さく呟く。
「ああ。で、俺達の移動手段が、そこにいるセトとそっちの籠な訳だ。セトが直接正門の前に降りると騒動になるから、こうして少し離れた場所に降りて貰った」
「だが……そのような巨大な籠をこのままここに置かれていては、困るのだが」
レイの素性が判明した為だろう。警備兵の言葉遣いは最初の時とは違って柔らかいものになっており、槍の穂先も既に下ろされている。
そんな警備兵達に向かい、レイは心配いらないと首を横に振る。
「これは俺が持っていくから、大丈夫だ」
「……持っていく? この巨大な籠をか?」
「ああ」
ミスティリングについては知らないのか、レイと話していた警備兵は不思議そうな表情を浮かべていた。
そんな警備兵をそのままに、レイは地面に置かれた蜃気楼の籠のある場所まで移動して、そっと触れ……次の瞬間、蜃気楼の籠はその姿を消すのだった。