1507話
ギルムを旅立った日の夜……レイ達は、当然のように野宿をしていた。
もっともマジックテントがある以上、名目上は野宿であっても、天井のある部屋で眠ることが出来るのだ。
食事もレイがミスティリングの中からとりだした焼きたてのパンと、出来たてのシチューや煮物、野菜サラダ、それとオーク肉のベーコンを枝に刺し、焚き火を使って焼くという豪快な料理。
焚き火の前に集まり、レイ達はそんな料理を食べながら、色々と話をしていた。
「ふむ、やはりずっとあの籠の中にいるというのは、身体を動かせないという点では疲れるな」
身体を動かしていないのに疲れるというエレーナだったが、その疲労は肉体的なものではなく精神的なものだろう。
持っていたパンを皿の上に置きながら、大きく伸びをするエレーナ。
他の面々も、そんなエレーナに同意するように頷く。
やはり籠の中でずっと座っているというのは、色々と辛いものがあったらしい。
もっとも、ビューネはマリーナの膝枕で昼寝をしていたりもしたせいか、そこまで疲れた様子を見せずに料理を存分に楽しんでいるのだが。
「もう少し我慢してくれ。もう数日くらいでレーブルリナ国に到着予定だし」
「……馬車で一ヶ月以上掛かるのに、セトだと数日で済むのね」
「グルゥ?」
感心しながら呟くマリーナの声が聞こえたのだろう。
五kgはあろうかという肉の塊、それも生ではなくしっかりと大きな葉で包んで香草と共に蒸し焼きにしたオーク肉を食べながら、セトはマリーナの方を見て、どうしたの? と喉を鳴らす。
イエロと一緒に幸せそうに肉を食べているセトに、マリーナは何でもないと首を横に振る。
そんなマリーナの様子を見ると、セトは不思議そうにしながらも、再び料理に戻っていく。
セトとイエロが一生懸命に料理を食べている様子は、見る者をどこか和ませる。
実際には体長三mのセトなのだから、普通に考えれば今のように何の心配もなくこれ程近くで見ているような真似は出来ないのだが。
それでも大丈夫だという辺り、セトに対する信頼感は強いのだろう。
そうして全員で食事をしながら、今日のことを色々と話し合う。
特に話題になったのは、昼食の時に降りた川だろう。
夏の川ということで非常に涼しげな場所で、川には魚も泳いでいた。
夏の川の魚ということで、一瞬レイは鮎? とも思ったが、レイが知っている代表的な川魚……鮎、ヤマメ、イワナのどれでもなく、全く見たことのない魚だった。
もっとも、セトはクチバシで素早く川魚を捕っては、そのまま一呑みにして躍り食いをしていたが。
「暑いからこそ、涼しい川で食事をするというのは贅沢よね」
そう告げるマリーナの言葉には、誰も反論がない。
実際、川の流れる音と風で揺れる木の枝、夏の太陽の日差しを和らげてくれる木漏れ日といった環境の中の昼食は、移動中何もすることがないエレーナ達にとっては、非常に楽しいものだったのあろう。
籠の中では女同士の話をしたり、マリーナが精霊魔法で周囲の様子を探ったり、エレーナがアーラと対のオーブを使って話をしたりとしていたものの、基本的に身体を動かす――運動という意味で――のは難しい。
「これは、籠の大きさである以上、どうしようもないんでしょうね。……レイが昼に言ってたように、マジックテントを籠の中に入れることが出来ればいいんでしょうけど」
「ヴィヘラの言いたいこともわかるけど……」
そう言いながら、レイは少し離れた場所に設置してあるマジックテントに視線を向ける。
「マジックテントは、俺達が冒険者として活動する上で非常に重要な代物だ。それを蜃気楼の籠に使うのは……まぁ、普段から蜃気楼の籠を俺が持ち歩けるようになるのなら、それもいいかもしれないけど」
今は魔石を使ってしか周囲の景色に溶け込むことが出来ない蜃気楼の籠だったが、ダスカーやアマロスからは今回の一件が終わったら改修するという言質をとっている。
であれば、マジックテントが入るくらいの広さにしてもらい、蜃気楼の籠を魔石ではなく魔力で動かせるようにするというのは、半ば決定事項だった。
(家の周囲に塀があるように、マジックテントの周囲を蜃気楼の籠で囲む。……いや、この場合は蜃気楼の籠に入れるって表現の方が正しいのか?)
今までのマジックテントであれば、外から見ればすぐにそれがテントだというのは判明した。
だが、蜃気楼の籠を使えば周囲の景色に紛れるような色となり、野営をしている時にモンスターや盗賊といった者達に見つかる心配はない。
また、一分前の周囲の景色と同じ色になるというのが蜃気楼の籠の欠点であったが、マジックテントの囲いとして使うのであれば動く必要もないので、それも問題はなくなる。
……もっとも、焚き火で見つかる可能性は十分にあるし、何より見つかっても基本的にはセトがマジックテントの周囲を警戒している以上、実質的な問題はなにもないのだが。
「可能なら、マジックテントを蜃気楼の籠用にもう一つ欲しいわね。いえ、別にレイの持つマジックテント程に設備が整っている物でもなくてもいいけど。それこそ、物が何も置かれていない部屋くらいの大きさでも」
「そうだな。ようは身体を動かせないのが不満なのだし、物がないのであればこちらから色々と家具を持ち込めばいい話でもあるし……」
そう告げるエレーナだったが、その言葉程に期待に満ちた表情はしていない。
マジックテントそのものが非常に希少な代物なのだ。
勿論レイの持つミスティリング……アイテムボックスとは比べものにならないが、それでもマジックテントを作るのは非常に技術的な難易度が高い。
魔力があればいいというものではなく、その魔力を精緻にコントロールする必要があるのだ。
それを少しでも失敗すれば、思い通りのマジックテントが出来ない……どころの話ではなく、下手をすれば爆発する可能性すらある。
そのような精緻な魔力コントロールが必要な以上、そう簡単に量産出来ないのは当然だった。
金を出せば買えるという代物ではない以上、レイ達であってもそう簡単に買える代物ではない。
強引な手段、それこそ力であったり、その人物や周囲の者達にプレッシャーを掛ける……といった真似、もしくはそれこそ盗むといった手段を使うのであれば問題はないが、盗賊や敵対した相手ならともかく、そうでない者にそのような手段を使える筈もない。
そのような真似をすれば、それこそレイ達が賞金首という扱いになってしまうだろう。
「となると、やっぱり地道にその手のマジックアイテムを探すか、譲ってくれる相手を探すか……アジャスの組織はマジックアイテムの研究が結構進んでるんだし、そっちに期待してもいいかもしれないな」
レイの呟きに、他の者達が同意するように頷く。
今回の依頼の最大の目的は、ギルムにちょっかいを出してきた組織に落とし前を付けることだ。
それは当然のように組織にとって大きなダメージとなるだろう。
そのような依頼をレイが受けた理由の一つが、組織が所有しているマジックアイテムに強い興味を持っていたからだ。
かなり効果の限定されている安物ではあっても、奴隷の首輪をあれだけ大量に用意したのだ。
その組織がマジックアイテムを多く持っているのは、確実に思えた。
であれば、マジックテントのようなマジックアイテムを持っていても、おかしくはないだろう。
「そうね。そういうマジックアイテムを持っていると、こっちとしては助かるわね」
マリーナが笑みを浮かべつつ、そう告げる。
そこにはマジックアイテムがあればいいという気持ちもあるのだが、それと同等かそれ以上にギルムにちょっかいを出してきた組織に攻撃するということに喜びを感じているのが、レイにも分かった。
今はもうギルドマスターを譲ったが、それでもマリーナは長い間ギルムのギルドマスターとして活動してきたのだ。
それだけに、ギルムに対する思いは相当に強い。
ましてや、アジャス達は――正確にはアジャスと取引をしていた組織だが――冒険者ですら、連れ去るべき相手と判断し、実際に何人もの冒険者が奴隷の首輪で自由を奪われていた。
それが、マリーナには当然面白くない。
そんなマリーナの様子を見ながら、レイは特に気にした様子も見せずに口を開く。
「地上船に改修出来れば、マジックテントとかなくてもいいんだけどな」
「……まぁ、それは……」
レイの言葉に、ヴィヘラが苦笑を浮かべながら相づちを打つ。
もっとも、実際に砂上船を研究して地上船を作るとなれば、それこそ数年単位の仕事となるのは間違いない。
ましてや確実に成功するとも限らない以上、出来たらラッキー程度の認識でいた方がいい、というのが全員……それこそ、地上船について口にしたレイにとっても同様の意見だった。
その後も蜃気楼の籠についての話をしていると、不意にエレーナが何かに気が付く。
「すまない、どうやらアーラから連絡のようだ」
そう言い、エレーナは対のオーブを取り出す。
『エレーナ様、元気ですか? 今日は一日中空を飛んでいたようですけど、何か問題はありませんか?』
「アーラ、そこまで心配する必要はない。私は特に何も問題はないから、気にしないで欲しい。ただ、出来ればもう少し蜃気楼の籠の中が広ければよかったのだが」
『分かりました。その辺りはアマロスに連絡しておきます』
対のオーブがあるからこそ、蜃気楼の籠で何か不具合や気が付いたことがあった場合、すぐに知らせることが出来る。
だが、エレーナはアーラの言葉に首を横に振る。
「いや、今はアマロスも色々と忙しい。それは、アーラも理解しているだろう?」
『それは……はい』
アーラから見ても、目の周りに隈のあるアマロスは疲れているというのは理解している。
そんなアマロスに、今無理をさせる必要があるのかと言われれば、否と言うだろう。
そもそも、蜃気楼の籠について直す場所を見つけても、実物は現在こうしてレイ達の下にあるのだ。
ならば、今は増築工事の方に集中して貰う方がいいのは当然だった。
「それで、一応聞くけど……今日はギルムで何か変わったことは?」
『特にこれといったものはないですね。エレーナ様達が乗った蜃気楼の籠をセトが運んでいったのが一番話題になりました』
「……その辺りは予想通り、か」
勿論ギルムでも細かい騒動が色々とあったのは、エレーナにも分かっている。
寧ろ、増築工事を行っている今のギルムで一日特に何も問題が起きないなどということは、絶対に有り得ないのだから。
だが、それでも自分達が……より正確には、セトが運んでいった蜃気楼の籠の件が大きな騒動になったのだろう。
実際何も知らない者にしてみれば、蜃気楼の籠のような巨大な代物をセトが運ぶというのは、驚くなという方が無理なのだから。
ましてや、その蜃気楼の籠は周囲の環境に合わせて色を変えるとなれば……それより大きな騒動が頻繁におきるのであれば、それはそれで問題だろう。
もっとも、辺境のギルムだ。その一件よりも大きな騒動が絶対に起きないかと言われれば、答えは否なのだが。
『はい。それより、エレーナ様の方はどうなのですか?』
「どう、と言われてもな。先程も言ったが、特にこれといった問題は起きていない。寧ろ、問題が起きるとすればそちらの方ではないか? ヴィヘラの部屋であっても、結局宿屋であることに変わりはない。マリーナの家と比べると、どうしても色々と問題が起きやすいと思うが」
『あー……はい、そうですね』
エレーナの言葉に、アーラは言葉を濁す。
それが、誰かが既にアーラの下に押しかけてきたということの証だろう。
もっとも、アーラを女だと侮って強引な手に出ようとする者がいれば、その者は間違いなく後悔するだろうが。
エレーナの護衛騎士団で騎士団長の地位を勤めているのは、伊達でも何でもなく、純粋に実力があってこそのことなのだから。
エレーナもそれが分かっているのだろう。少しだけ呆れたような様子で、口を開く。
「暴れるのも、程々にな」
「……ちょっと、一応聞いておくけど、部屋の荷物とか壊してないわよね?」
自分の部屋を貸しているだけに、ヴィヘラもその辺は心配なのだろう。
今回の依頼で必要と思われる荷物の類は全員分の荷物をレイのミスティリングの中に入れて持ってきているが、それも全てではない。
特に必要がない代物は夕暮れの小麦亭であったり、マリーナの家であったりに置いてきているので、それが壊されていないかというのが心配だったのだろう。
『あ、そっちは大丈夫です。問題ありません』
そう告げるアーラに、ヴィヘラはどこか疑わしげな視線を向ける。
ともあれ、ギルムを旅立った最初の夜は、こうして賑やかにすぎていくのだった。