8話 理想
『手当たり次第女に魅了スキルをかけて、僕に奉仕するように命令する道具になってもらうってことさ!!』
いつもの善人面を脱げ捨てたカイが語った欲望。
『影の束縛』で空中に磔にされた俺はその言葉を一言で要約する。
「ハーレム願望ってことか」
恋愛アンチな俺が珍しいだけで、魅了スキルなんてものを持てばまずは考えることだろう。
モテない男が魅了スキルに類するものをもらって、女性相手に欲望の限り好き放題する作品がごまんと存在するのがその証拠だ。
だが……それをカイが語ったのは不可解だった。
「おまえにはエミって彼女がいたじゃねえか。随分と惚れられているようだし、あいつじゃ満足しないのか?」
イケメンでリア充で彼女持ちのやつが、浮かべる欲望には似合わない。
だが、そんな俺の言葉をカイは鼻で笑った。
「エミか……あんなやつで僕が満足すると思ったのか? あいつはただのキープさ。あっちから寄ってきて、見てくれも良いから側に置いておくことにした。それだけさ、本命が手に入れば捨てるつもりだった」
「冷酷なやつめ」
「何を言ってる、エミも夢見れてるんだ。むしろ慈善事業だと思ってほしいね」
そこに虚偽も誇張もない。カイは本気なのだろう。何とも自分勝手なやつだ。
「にしても……おまえの願いは俺に魅了スキルをかけさせて、自分に奉仕するように命令させるだったか」
俺はカイの欲望を復唱する。
「その通りだ。素晴らしいだろう?」
「どこが。一ミリも引かれねえよ。それに何か勘違いしてねえか?」
「勘違い?」
「ああ、だって俺の魅了スキルは術者に好意が向くスキルだ。それに命令では人の心を操れないことも確認している。
つまり、おまえが言う通りにしたところで……心までは手に入らないんだよ」
俺に好意が向いている女子に奉仕されたところで空しいだろう。
「くくっ、何を言い出すかと思えば、そんなことか」
「何がおかしい?」
しかし、カイはまたも俺の言葉を笑い飛ばす。
「――別に心なんて必要ないだろう? 従順に命令通りの行動をする身体、それさえあれば十分さ! むしろ心が自分に向いてない方が、無理やり感や征服感があって良いくらいだ!!」
「…………」
カイの言葉に俺は黙る。
というのもカイの返答が思ってもいないものだからだった。
……いや、でも考えてみればそうだな。女を物扱いだったり、屈服させることが好きという人種もいる。それくらい俺だって分かってはいる。
なのに失念していたのは……ああ、そうだ。
「ちっとも良くねえよ。身体だけ手に入っても……こちらに好意的な素振りを見せたところで、心が伴っていなければ意味ねえだろ」
俺の理想と相反する考え方だからだ。
「お互いが心の底から愛し合う……恋愛ってのはそれが理想だろうが!」
カイは虚を突かれた表情になるが、すぐに理解したようだ。
「……なるほど魅了スキルなんてものを貰っておきながら、どうしてリオやユウカにあらゆる命令を出さずに自重しているのかようやく分かったよ。
君は純愛家なのか。似合ってないな」
「そんなこと分かってるっつうの」
「お節介な忠告だが、君のその態度では一生叶わないよ」
「叶わないことを追い求めるからこそ理想なんだろ」
「心なんて無駄なものを追い求めるのは、やはりロマンチストだからか?」
「身体だけで満足する即物主義者には分からねえだろうよ」
お互いに譲れないもの胸に持ち、視線がぶつかり合う。
だがそれも一瞬のことで、カイは自分がすべき事を思い出したようだ。
「まあ、君の主張なんてどうでもいい。君はこれから道具になる。道具には理想なんてもの必要ないからな」
「ぐっ……!?」
カイは『影の束縛』の拘束の力を上げる。締められた四肢が痛み、俺は声を上げる。
「話はここまで。これから君を痛め続け……泣いても、叫んでも、喚いても止めないよ。君の心を破壊するまで」
痛みによる調教。魅了スキルが無くても出来る、相手を自分の意のままに動かすための原始的な方法。
「君のステータスは確認済み。職が『冒険者』で戦う力は無く、スキルも『魅了』のみ。
魅了スキルは相手を命令を聞かせることが出来るがその対象は異性のみ。つまり男の僕には効かない以上、この場で君は無力だ。
クラスメイトたちのの前でこんなことをしたらスキルを使って止められただろうね。だからみんなに付いてこないように命令し、わざわざ自分からこの森の中に入ったのはまさにカモがネギをしょってきたようなものだったよ!!
さあ、もう一段階上げようか!! 時間をかけてはいられないのでね!!」
「ごほっ……ごほっ……」
影が首にまで及び締められ酸素が欠乏する。
「……ああ……そうだな。馬鹿は俺の方じゃねえか……!」
それでも俺は自嘲の言葉を出さずにはいられなかった。
魅了スキル。俺には無用の長物なスキル……だが、どうして他の者まで同じ評価をすると思った?
その強大な力に引かれ、カイのように我が物にしようとするやつが現れるのを予想してしかるべきだった。
男と女。世界の半分を意のままに出来るこのスキルは、残りの半分に対して無力で羨望の対象になることを分かっていなかった。
そして今さら認識したところで……もう遅い。
「うっ……っ……ああっ……」
四肢の拘束は堅く、ずっともがいているが抜け出せる気配すらない。首の拘束により、呼吸も困難になってきて………………俺、は…………。
野望達成目前にカイは恍惚とした面持ちになる。
「ああ、これで世界中の女を僕の物に出来る……! ああ、だがどんなに美しい女性を手にしても一番は……そう。ユウカ、君だからね……!」
「ユウ…………カ……」
俺が魅了スキルをかけてしまった少女の名前を、カイが口にする。
この状況、自力でどうにかするのは不可能だろう。
だが、俺を助けに来る者がいるとは思えなかった。
クラスメイトとはろくに話したことも無く、俺を助ける義理なんて無い。
可能性があるとすれば、魅了スキルをかけてしまったユウカとリオがその好意に従って助けに来ることぐらいだったが――。
『――命令だ、二人とも絶対に俺を追ってくるな』
二人には他でもない俺が付いてくるなと命令を出している。
こんな事態になったのも……日頃の俺の行いのせいだろう。
「ははっ…………おまえ、なんかに………言われなくても………………分かって……るんだ、自分でも。…………そもそも……傷つくのおそれて、誰も信じない俺が………………お互いを信じ合う、関係を………………作れるはずが無いって、そんなことくらい……!!」
「今さら後悔か! 遅すぎますよ!! その教訓は来世にでも生かしてくださいねぇっ!! 今世は僕に尽くす道具として働いて貰うからさぁ!!」
カイの嘲笑が響く。
苦痛と酸素の欠乏により麻痺した思考が、もう全てを諦めようとしていた。
いいじゃないか、こいつの道具になることくらい。
どうせ生きてたっていいことはない。
分かってるのに……ああ、そうだ。さっきイノシシ型の魔物に襲われたときも思ったが、どうやら俺は諦めが悪いようだ。
何がそこまで俺をかき立てるのか。
そうだ、俺は恋愛アンチになっても捨てられない理想……いつかこんな俺の全てを愛してくれて、俺も全てを愛することが出来る……そんな相手が現れてくれないかと思っているんだ。
もちろん自分から誰も信じない俺はその土俵にも立てない。宝くじを買っていないのに、3億円で何をするか考えているような馬鹿だ。
「こんなことなら……俺は…………誰かを……信じて…………みるべきだったな……」
今さらな言葉が宙に消えようとした――そのとき。
「『竜の咆哮』!!」
ゴォォォォッ!!
夜の森の静寂を破るように、重低音のうなり声と同時に風切り音が轟いた。
「ぐはっ!」
その正体は指向性の衝撃波。対象にされたカイは踏ん張ることも出来ずに吹き飛ばされる。
「っ……げほっ、ごほっ…………はあ、はあ……」
カイがダメージを負ったことで集中が途切れたのか『影の束縛』が解除される。
「はぁはぁ……はぁはぁ……」
呼吸できることがこんなにありがたいことだとは……。
空中での磔を解かれた俺は、地に倒れ込んで大きく深呼吸する。
「大丈夫だった、サトル君?」
そんな俺に言葉と共に手を差し出したのは……ここに来れるはずが無い少女。
ユウカだ。
「……どうして? 追ってくるなって魅了スキルで命令したはずなのに」
「私がサトル君を助けたいと思ったから……それだけじゃ駄目かな?」
「それは…………」
あり得るはずがない。
確かに、ユウカは状態異常耐性で魅了スキルのかかりが中途半端だ。それでもスリーサイズを聞いたときのように命令には従うはず。
……いや、でも命令についても中途半端で、効かないときがあったということか?
だとしても、助けたいという思いは好意を起点に発する感情だ。魅了スキルから生まれた思いなら、同時に追ってくるなという命令も干渉するのが道理で、ユウカがこの場に現れることは出来ないはずだ。
しかし、ユウカはこうして俺を助けてくれた。それを成し遂げられたのは……論理的に考えると……。
「魅了スキルの外で……ユウカ自身が、俺を助けたいと思ったから……。だから命令が効かなかった……ってことなのか?」
「ふふっ……どうだろうね?」
ユウカは俺の質問を軽やかにかわすと、守るように俺を背にしてカイに問いかける。
「それで……カイ君? これはどういう状況なのかな? サトル君を魔物から守ってくれたのは助かったけど……私の目にはあなたがサトル君が拘束して痛めつけているように見えた。どういうことなの?」
形勢逆転。先ほどまで俺を追いつめていたカイは、一転ユウカに追いつめられる立場となる。
「そ、それが……き、聞いてくれ!」
吹き飛ばされた衝撃から立ち直ったカイは、見られてしまったであろう事の大きさに狼狽しながらも嘘八百を並べ始めた。
「あ、あの拘束はサトル君を本当は守るための物だったんだ。魔物がたくさん現れたのでそうするしかなかったんだ! それでどうにか魔物を倒したところで、勘違いしたユウカに吹き飛ばされて……。ああ、そうだサトルの言葉を信じては行けないからな、どうやら魔物に襲われた衝撃で混乱しているみたいだから。そして――――」
「うん、説明ありがとう。よく分かったよ」
自己保身のためどこまでも続きそうな言葉をユウカは打ち切らせた。
「そ、そうか。良かったよ、誤解が無くなって。じゃあ、これで――」
カイは事態をまとめようとするが、ユウカの言葉は終わっていない。
「本当によく分かったよ――反省する気が無いって事が。『竜の震脚』!!」
ゴォォォォォッ!!
再び放たれた衝撃波がカイに直撃する。
「ぐはっ……!」
先ほどと違って天空から放たれた攻撃は、カイを吹き飛ばさず、地面に押しつけることでダメージを逃させない。
無慈悲な鉄槌を下したユウカは哀れみの表情を浮かべていた。
「ここで非を認めてくれれば更正の余地もあったんだけど……はあ、どうして私がこの場所を分かったと思っているんだろう」
「そういえば……どうしてなんだ?」
カイに変わって、サトルが聞き返す。
「言ったでしょ、サトル君を魔物から守ってくれて助かったって。全部見ていたんだよ。竜の眼は千里を駆ける。竜闘士のスキルの一つ『千里眼』でね」
「……ずいぶんと便利なスキルだな」
ユウカの職『竜闘士』この火力に広域探知能力付きとは……強力だと思った『影使い』を持つカイがまるで赤子のようだ。
「…………」
衝撃を一身に受けたカイは動く様子がない。どうやら今の一撃で気を失ったようだ。
「とりあえずこれで一見落着かな。カイ君をどうするかは考えないと行けないけど……」
仲間として見るのはもう難しいよなぁ、と俺もカイをどうするべきか考えながらも事態を乗り切ったことにホッとしていると。
「あっ、そうだ!」
ユウカはポンと手を打つ。
「何か気づいたのか?」
「サトル君が私のパーティーに入った場合のメリットだよ! サトル君の身に危険が迫っても、私の力でこうやって守ることが出来る。これって大きいんじゃない!?」
「……まだそんなこと言ってたのか」
「ま、まだって……そ、そんなに私と一緒のパーティーが嫌なの? でも、私は諦めたり――」
「いいぞ」
「しないんだから…………って、え?」
ユウカがきょとんとした表情になる。
「俺は馬鹿だからこいつに襲われてようやく身に染みて分かったんだ。俺のスキルが欲望の対象になるってことに」
最初から理解していれば今回の騒動は起こらなかっただろう。
「これから先も魅了スキルのことが知られれば、その力を手に入れんと狙われることもあるはずだ。そんなときに戦闘能力0な俺を護衛してくれる人がいてくれたら……今回みたいに守ってくれる人がいたらとても心強いと思ってな」
「じゃ、じゃあ私のパーティーに入ってもらえるの!?」
「いや、そうじゃないんだ」
「え……?」
断りの言葉を発した俺に、ユウカはまた否定されるのではないかと顔を強ばらせる。
そんな顔をさせるのは本意ではなかったが、俺にも男の意地がある。そのまま頷くことは出来ない。
つまり、俺は頭を深々と下げて。
「お願いします。俺をユウカのパーティーに入れてください」
「……うん、もちろんだよ!!」
飛び上がり全身で喜びを表現するユウカ。
それには魅了スキルによってもたらされた好意も関わっているだろうとは分かっていたが……。
「よろしく頼む、ユウカ」
「こちらこそだよ!!」
死の間際にあんな後悔をするくらいなら……少しくらい人を信じてみるかと俺は手を差し出し、ユウカが握り返すのだった。