7話 サトルの過去
どこをどう走ったのかは覚えていない。
気が付くと俺は森の中でも少しだけ開けた場所に出た。
「……ここらでいいか」
近くにあった切り株に腰掛ける。
月明かりだけが見守る中、俺は物思いに耽ることにした。
俺は自分のことをボッチで、卑屈な人間だと理解している。
それでも自分でいうのも何だが、昔は普通の少年だった……はずだ。
歪んだのはあの出来事を経験してからだろう。
『好きです! 付き合ってください!!』
『……あー、勘違いしちゃったか。女慣れしてなくてからかうの面白かったよ、おもちゃ君』
中学生、思春期というのは恋愛事に非常な興味を持つ世代だ。
俺たち二人だけの出来事だったはずの告白失敗は、当然のように多くの人に広まった。
ボッチな今と違って、あのころは友達がかなりいた。その全員から同じような質問を受けた。
『なあ、おまえ告白失敗したんだって?』
ニヤニヤとしながら、興味津々であることを隠そうとせずに。
嬉々として人の傷を抉ろうとする彼らが、得体の知れない怪物のように思えて、その質問全てを無視して縁を切った。
こうして俺は人間関係の全てを放り出した。これ以後の中学三年ずっとボッチで通した。
高校は遠くに進学したため、今のクラスメイトに当時のことを知るものはいない。
リセットしたこの場なら新しい友達を作ることも出来ただろうが、長年のボッチ生活が災いして、俺は人間関係を作るのに億劫になっていた。
高校でもボッチが続いているのはそういう理由である。
対人関係だけではない。俺の内面にも影響はあった。
告白失敗から俺が学んだのは、人間とは心の奥底で何を考えているか分からないということだった。
あの子の好意は嘘だった。
俺が勝手に勘違いして、期待したのも悪かったかもしれない。
それでも当時の俺はただ裏切られたとしか思わなかった。
告白というのは自分の好意を晒け出すことだ。
失敗すれば心をズタボロに引き裂かれる。
ともすれば、自分自身を否定されたようにも感じるだろう。
その傷を癒す方法は色々ある。
例えば勉強やスポーツに打ち込んで失恋の傷を癒すなんてのはよく聞く話だ。
他にも新しい恋を探すなんて方法もある。
そんな中、俺は自己否定を重ねて傷を癒した。
相手に好意を持ったのが悪かった。告白したのが悪かった……と。
恋愛なんてしたのが悪かった、と。
過去の自分を否定して、今の自分を守った。
もちろんその代償は存在する。
度重なる自己否定で俺の思考は偏り、恋愛アンチとなったのだ。
人に好意を持たないようにした。誰にも心を許さないようにした。
最初から好意を持たなければ報われず傷付くこともない。信じなければ裏切られることはない。
その二つを強要する恋愛なんてもってのほか。
本気で打ち込むやつらの考えが知れない。
こうして俺は歪みと引き替えに心の安寧を勝ち取った。
『人は一人では生きていけなくても、独りでは生きていける』
これを俺の座右の銘にした。
順風満帆ではなく……凪のようにひたすらに平穏な人生を送っていくつもりだった。
なのに。
この異世界に来てその目論見は崩れ去った。
魅了スキルのせいで俺に好意を向けるようになったユウカやリオの存在だ。
偽りの好意だと分かっているのに……かつて捨て去ったはずの理想が叶うのではと期待してしまう俺がいた。
ああ、そうだ。俺は恋愛アンチになった今でも、恋愛に夢を見ているんだ。
それは、いつの日か俺の前に心の底から――――。
ブモオオオオオッ!!
「……っ!?」
近くで上がった鳴き声に俺は思考を中断して立ち上がる。
月明かりしか無かった森に、いつの間にかイノシシ型の魔物が現れていた。俺の目の前5mほどの距離にいて、完全にこちらを認識している。
「っ、なんだおまえか。雑魚の相手をしている場合じゃないんだ。とっとと…………………………」
そこまで言って俺は気づいた。この森には何度も入っていたが、毎回誰かと一緒でそいつが魔物を蹴散らしていた。
俺は一度も戦闘をしたことがなかった。
それも当然だ。俺に備わった力は『魅了』スキルのみ。戦闘で使える力ではない。
当たり前すぎて、なのにごちゃごちゃした感情のせいで忘れていた。今さらのように注意を思い出す。
「一般人が魔物によって殺されるという事件はよくあること……」
そして、俺の戦闘力は一般人と同じかそれ以下だ。
「………………」
浮かび上がるは恐怖。
ブモオオオオオッ!!
再度雄叫びを上げると、イノシシの魔物は地を蹴り、俺に向かって突進してきた。
「く、来るな……!!」
その言葉には、いかほどの力もこもっていない。
速度にして人間が走ったのと変わりないくらいの突進だったのに、まともに食らって俺は冗談のように吹っ飛んだ。
「ぐっ……」
突進の衝撃で腹部を強く打ち、地面を転がったせいで腕や足の至る所に擦り傷が付く。
重傷ではない。だが、大きな怪我をしたこともなく、スポーツもケンカもまともにやったことのない俺は初めての味わう大きな痛みに動けないでいた。
さらに悪いことは、イノシシの魔物は追撃を加えようと俺に迫っていることだ。
「…………」
立ち上がる力が沸かない。
自分が嫌になって逃げたその先で襲われて死ぬ。
なんと惨めな終わり方だろうか。
いや、でも……それが俺にふさわしいんだろうな。
目の前に迫る最期に、俺は諦めて――。
「嫌だ……俺は、まだ……っ!!」
諦めきれずに漏れた声に応えたのか。
「『影の弾丸』!!」
黒い弾丸が音も無く月明かりに照らされた森を進み標的を打ち抜いた。
「……え?」
気づくとイノシシの魔物は倒れていて……。
「助かった……のか?」
何が起きたのか信じられない俺は呆然となる。
「間一髪だったみたいだね」
その背後には人差し指を標的に向けたポーズで副委員長のイケメン、カイが立っていた。
俺は腰が抜けて、へたりこんだ状態のままカイに話しかける。
「ど、どうしてここが……」
「元々あの夕食後の騒ぎには加わってなくてね。遠くから見ていたんだけど、そしたら君が一人森の中に向かうからあわてて付いてきたんだ。君が魔物と戦う力を持っていないのは承知済みだったからさ」
「そうか……すまない、失念していた」
「いいさ、いいさ。気にしないでくれ」
様になる笑みを浮かべるカイ。
「とにかく助かった……ここは危険だな、すぐに拠点に戻らないと。悪いけど護衛を……………………………………」
言いかけて俺は言葉が止まる。
何かがおかしい。失念している。
助けてもらったことは感謝しているが……カイは、こいつは……ああ、そうだ。さっきの表情、顔は笑っていたけど……目はぎらついて濁っていた。
「なあ、カイ。助けてもらってなんだが……おまえは本当に俺を助けに来たのか?」
「くくっ、中々鋭い……まあ隠すつもりも無かったけどね」
善人としての仮面を脱ぎ捨て、本性丸出しの笑みを浮かべるカイ。
「ところで僕の職は『影使い』っていうんだ」
ふいにカイはそんな話を始める。
「これが中々に強力なスキルが目白押しでね。音もなく対象を打ち抜く『影の弾丸』影を操ることで任意の映像を出す『影の投影』影に潜み敵をやり過ごすための『潜伏影』とまあ色々あってね。
中でもお気に入りがこれさ! 『影の束縛』!!」
「くっ……!」
カイがスキルを唱えると、俺の足下の影が蠢き、主である俺の体をかけ走って拘束する。
「くくっ、すごいだろう? 誰だって自分の影を掴むことは出来ない。その影が主を拘束する。完璧な拘束術さ!!」
俺を空中に磔にしてあざ笑うカイ。
「さてそろそろ疑問に答えようか。僕は君を助けに来たのか、だったね。それは愚問だろう? こうして君を魔物から守ったことからさぁ!」
「……ここまで胡散臭い言葉もあったんだな」
「ははっ、何を言っているんだ。僕は失うわけにはいかないんだよ、君を……いや、君の魅了スキルをね!!」
「俺の魅了スキルを……?」
どういうことだ。俺の魅了スキルは確かにチートではあるが……俺が持っている以上、こいつに利することは…………。
「いや、まさか……」
ある可能性に気づいたところで。
「そうだ、君には――」
愉悦の表情を浮かべ、両手を広げたカイは、自身の欲望を語る。
「手当たり次第に魅了スキルを女どもにかけて、僕に奉仕するように命令するための道具になってもらうってことさ!!」