第三章3【『瞬間移動』成功】
それから一ヶ月ほどが過ぎ、雨期も後半に差し掛かったある日の昼のこと。
善治郎が目を開くと、そこは薄暗い地下室だった。
「……え?」
電源の入ったデジタルカメラを両手で持ったまま、状況が理解できない善治郎は挙動不審にキョロキョロする。
自分がやったことなのだが、初めての成功に思考が追いつかない。
当事者よりも冷静にその状況に反応したのは、地下室を守る兵士の一人だった。
「おめでとうございます、ゼンジロウ様。ついに成功されたのですね」
その言葉を受けて、他の兵士たちもおめでとうございます、と善治郎の『成果』を祝う。
「ええと?」
善治郎の視界に移るのは、薄暗い地下室。手に持っているのは、その地下室を背面ディスプレイに映し出した状態のデジタルカメラ。善治郎の意識では、つい先ほどまで自分は後宮のリビングルームで『瞬間移動』の練習をしていた。ということは……。
やっと善治郎の理解が現実に追いつく。
「成功、した? 『瞬間移動』の発動に?」
「おめでとうございます」
呆然と呟く善治郎の言葉を肯定するように、兵士は微笑みを崩さないまま、もう一度そう言った。
理解が現実に追いつき、さらに遅れて実感が現実に追いつく。そして、
「っっっっっっしゃあああ!」
善治郎は、全く言葉になっていない意味不明な声を、誰もが理解できるほど強い歓喜の感情を込めて発したのだった。
その日の夜。後宮のリビングルームで、女王夫妻が交わす会話は、当然ながら善治郎の『瞬間移動』発動成功に関するものだった。
赤い夜着姿で上機嫌そのものな笑顔の女王は、ウィスキーの口を開けて、赤と青、二つの切り子グラスにその琥珀色の液体を注ぐ。
善治郎が持ち込んだ酒類のうち、発泡酒とアウラに贈ったブランデーは当の昔に飲み干している。残っているのはこのウィスキーだけだ。それも、残りは三瓶。これで口を開けていないのは、二瓶だけとなった。
日本では一本千円ちょっとのウイスキーも、こちらでは後三十年弱は入手不能な貴重品だ。だが、今日はその蓋を開ける価値があるだろう。
「それでは、ゼンジロウの『瞬間移動』成功を祝って、乾杯」
「乾杯」
琥珀色の液体と氷が入った赤と青、色違いの薩摩切子グラスが、小さくぶつかり合う。
乾杯を済ませた善治郎は、その青い切子グラスを口元に運ぶと、貴重なウィスキーを一口飲んだ。
「ふう。久しぶりだと思い出の分、なおさら美味しく感じる」
「うむ、私はブランデーのほうが香りが高くてより好ましく感じるが、こちらも美味であることは間違いない」
善治郎と同じく、一口ウィスキーを飲んだ女王は、そう言うと一度その赤い切子グラスをテーブル上のコースターに戻した。
「アルコールの蒸留は出来るようになったみたいだけど、それを寝かせてウィスキーやブランデーみたいにできるかどうかはまた、別な話だからなあ。こっちで作れるようになるのは、難しいか」
善治郎のおぼろげな知識では、オークという木で作った樽に保存するぐらいしか分からない。その時、水は足すのか、水以外にも加えるものがあるのか、それともただそのまま保存すればよいのか。分からないことだらけだ。
「うむ。アルコールの蒸留はある程度量産体制に乗ったからな。そのままでは味気ない。だが、果実と砂糖を加えた混成酒は甘口のため、苦手とする層も無視できない。
このウィスキーのようなものを、将来的にでも我が国で生産可能になるのであれば、蒸留酒の何割かをそちらに回してよいかもしれぬ」
女王は、顎に手をやり、考えながらそう言葉を漏らした。即答できないのは、量産可能になったとは言っても、蒸留酒の量はそう多くないこと。その蒸留酒や、混成酒の状態でも王宮の貴族を中心に、十分な人気になっていることがある。
一方、ウィスキー作りは、海のモノとも山のモノともつかない、将来の保証のないもの。最初の数年は、ただ蒸留酒を駄目にする覚悟が必要だ。むしろ、アウラや善治郎が生きている間に、日の目を見れば御の字だろう。
そのままか、もしくは混成酒にすれば王宮の夜会や昼食会で評判を呼び、販売すれば中々の値がつくことが確定しているモノを、九分九厘失敗する新たな試みに消費するのは、少しばかり勇気がいる。
それを踏まえたうえで、あえてウィスキー作りに挑む理由と言えば、何のことはない。
「この国のお酒も美味しくないわけじゃないけど、やっぱりたまにはウィスキーも飲みたくなるからね」
「理想を言えば、あのブランデーとやらも再現できれば、最高なのだがな」
夫の言葉に、女王はそう答えてぺろりと唇をなめる。
根底にあるのは、純粋に美味い酒を欲する心であった。王族の贅沢としては、行き過ぎてはいないだろう。将来的に量産体制が整えば、王家の財政を潤す見通しもあるとなれば、特に罪悪感を感じる必要もないだろう。
「うろ覚えだけど、ブランデーとウィスキーの製造方法は基本的には同じだったような? 原材料が麦酒か葡萄酒かの違いだけで。だから葡萄酒が入手できれば、可能性はありそうだね。まあ、どっちにせよそれはもっと先の話だから」 そう言って善治郎は、ソファーの上で少し姿勢を正す。言っても意味がないため、本人には言わないが、アウラがウイスキーよりブランデーが好きという意見に、善治郎は懐疑的だ。アウラが呑んだことのあるのは、一本千数百円のウイスキーと、一本一万円弱のブランデーだけなのである。それだけで「ウイスキーよりブランデーのほうが美味い」と結論付けられてはたまらない。その結論を出すには、最低でも高いウイスキーと安いブランデーも飲んでもらいたい、というのが善治郎の思いである。
ともあれ、ウィスキーはあくまで乾杯のためにあけたのだ。今夜の話の中心ではない。
「まあ、そうだな。では、本題に入ろうか。其方が『瞬間移動』を会得したことで、事態は否応なく動き出す。もちろん、今すぐというわけではない。まずはしっかりと『瞬間移動』が使えるようにならなくては駄目だからな」
現時点での善治郎は、一度『瞬間移動』の発動に成功した、というだけである。
この状態の善治郎を遠隔地に飛ばし、自分の『瞬間移動』で戻ってくるように指示を出しても、今度は発動しない可能性がある。この世界の魔法は失敗した場合、発動せず魔力も消耗しないため、成功するまで何度も試みればよいだけなのだが、普通の人間は「失敗」を意識してしまうと、焦りや羞恥の感情を抱く。
魔法の成功には、『正しい認識』が不可欠だ。焦りや羞恥で頭に血を上らせた状態では、それこそ一日中魔法を唱え続けても、成功しないこともあり得る。
「具体的にはどの程度?」
夫の問いに女王は少し考えて答える。
「そうだな。とりあえず五回以内の挑戦で『瞬間移動』の発動に成功する。これを五日連続で成功したら合格としておこうか。もちろん移動先は、いつもの地下室だけで良いし、あのデジタルカメラという道具も使ってよいぞ」
条件を聞いた善治郎は考える。
善治郎が発動に成功した魔法は三つ。『空間遮断結界』『引き寄せ』、そして今回の『瞬間移動』だ。
『空間遮断結界』と『引き寄せ』は、基本的に一発で成功するところまで熟達した善治郎である。その過去を思い出しながら、善治郎は答える。
「その条件なら……うん、半月もすればクリアできるかな?」
それは善治郎らしい、安全マージンを多めにとった数字だった。サラリーマン時代の癖で、進捗を伝えるときは安全マージンを多めに取る癖がついている。
幸い、サラリーマン時代の上司と違い、アウラはこちらが提示した期限を勝手に縮めるような真似はしない。
「分かった。無理はする必要はないが、そのつもりで計画を立てよう」
これは、アウラが思いやりがあるというよりも、現代日本とカープァ王国の時間に対するシビアさの違いだろう。
正確な時計がなく、暦も太陽太陰暦という四年に一度十三か月の年がある暦を使っている文化では、現代日本のようなシビアなタイムスケジュールはなかなか存在しない。
「うん。とりあえず、合格したらララ侯爵領に飛ぶ、ということで良いんだよね?」
確認する善治郎の言葉を、女王は首を縦に振って肯定する。
「ああ。そうなる。先に、イネスとマルグレーテ、後は其方の騎士であるナタリオを飛ばしておく故、向こうでは特に不自由はしないであろう。乳母夫殿と乳母殿もいることだしな」
その言葉は、女王アウラが育ての親であるララ侯爵夫妻に寄せる信頼を表すものだった。
「まあ、どのみち長居はする予定もないしね。向こうについたら、チャビエル卿の正妻候補であるララ侯爵の三女と四女を、俺が『瞬間移動』で王都に飛ばすんだよね」
「そうだ。頼むぞ」
善治郎は緊張でごくりと唾をのむ。この世界の魔法は、失敗しても発動しないだけで問題はないのだが、見ず知らずの人間、それも年若い初対面の少女に掛けるとなると、やはり緊張してしまう。
「了解。ところで、ララ侯爵家の三女と四女ってどんな子? チャビエル卿の正妻候補になるってことは年齢はまだ十代なんだよね?」
善治郎の問いにアウラは小さく肩をすくめると、
「そうだ。確か三女のアイダが十七歳で、四女のロリタが十五歳のはずだ。その人となりはよく知らぬな。私とは年が離れすぎている。長女のアウグスティーナであればよく知っているのだが、あの者はとっくに嫁いでララ侯爵家を出ているからな」
ララ侯爵家の長女アウグスティーナは、アウラにとって乳兄弟にあたる。そのため、実の兄弟たちよりもよく知っているのだが、十歳以上年の離れている三女アイダと四女ロリタについては、アウラもはっきりとは知らない。
昔は会ったことがあるのだが、彼女たちが十歳未満のころの記憶だ。そのころの印象を告げても、あまり意味はあるまい。
「どちらにせよ、あの乳母殿と乳母夫殿が、他家に嫁がせることを了承したのだ。領主夫人として問題ない教養と人格を有してることと思う」
女王アウラのララ侯爵夫妻にむける信頼は厚い。
「それよりも問題は、其方の身の振り方だな。もちろん『瞬間移動』の慣熟訓練は必要だが、一時的にせよ結婚式の打ち合わせから離れることになる」
アウラの指摘は善治郎が、かなり前から予想して、自分なりの計画を練っていたものだった。
「大丈夫。その辺りで前倒しできるものは前倒しして、時間の猶予を作るから。ルシンダさんとは連絡を密にとって、俺がいない間は原則準備の進行は停止、俺が戻り次第、俺のサインをもらって再始動という形をとるつもり」
いうまでもなく、それはプリモ・ギジェン対策である。プジョル・ギジェンとニルダ・ガジールの結婚式において、ギジェン家側の責任者がプリモ・ギジェンで、ガジール辺境伯家側の責任者がルシンダ・ガジールだ。
そのため、プリモとルシンダは五分の立場であり、ルシンダでは、プリモの暴走を力づくで止めることが難しい。それは善治郎の役割なのだが、数日とはいえ善治郎が王都をするにするとなると、プリモ・ギジェンの暴走がどうしても心配になる。
「いっそルシンダさんに、期間限定の委任状を渡しおこうかな?」
善治郎の言葉に、一瞬喜色をのぞかせたアウラであったが、すぐに冷静な判断力を取り戻し、否定する。
「いや、それはやめておいたほうが良いな。プリモ、ルシンダ、其方個人で済むのならばそれで良いのだが、現状其方達は今回の結婚式におけるギジェン家、ガジール辺境伯家、王家の代表だ。
穿った見方をすれば、『王家は、ガジール辺境伯家にギジェン家を抑えるお墨付きを与えた』、ともとられかねない」
「ああ、そうか」
愛する妻の説明に納得した善治郎は、大きく息を吐いて、自分の短慮を反省する。
反省する善治郎の隣で、女王アウラはひそかに微笑む。
善治郎がルシンダ・ガジールに対して、かなり気安くなっている。これは、女王としてのアウラにとっては、非常に好ましい兆候だ。
しかし、この件に関しては自分から突っ込んだ話をしても、いい方向には転がらないだろうと考えたアウラは、あえて気にせず話を進める。
「というわけで、少し時間が惜しいが其方がララ侯爵領に行っている間は、プジョル・ギジェンとニルダ・ガジールの結婚式の準備は、一時停止だ。無駄を嫌う乳母夫殿のことだから、長く引き留められることもあるまい」
「分かった。できるだけ早く行って早く帰ってくるよ。というわけで、合格をもらえるまでは『瞬間移動』の練習を優先したいから、オクタビア夫人の授業の優先順位を下げたいんだけど、ダメかな?」
善治郎の提案に、女王はしばし考えた後、条件付きで賛成する。
「良いだろう。ただし、ララ侯爵領に飛ぶことが決まった以上、優先的に学んでおいてほしいことがある。オクタビア夫人にも話を通しておく故、そこだけは先に学んでおいてくれ」
「優先的に学ぶこと?」
首をかしげる善治郎に、女王は少し目を細めて言う。
「ああ、ララ侯爵領は我が国の最北端。国境を接する『アルヴェ王国』と、そのさらに北側に位置する『トゥカーレ王国』。この二国について、学んでおいてほしい」
◇◆◇◆◇◆◇◆
数日後。八回目のチャレンジと、十三回目のチャレンジで、二回の『瞬間移動』の発動に成功させた善治郎は、その後後宮の一室で、オクタビア夫人の講義を受けていた。
「アウラ陛下からお話は伺っております。ゼンジロウ様、まずは『瞬間移動』の習得、おめでとうございます」
「ありがとう、オクタビア。これもその方の講義あっての成果だ。改めて礼を言う」
今回の一件を受けて、女王アウラはマルケス伯爵家に、相応の礼をすると通達していた。
『瞬間移動』を会得したのは、もちろん善治郎自身の努力と工夫があっての話だが、魔法の基礎を教える教師役としてオクタビア夫人が、尽力したこともまた事実である。
女王アウラは、マルケス伯爵家の人間に対し、無料で数回『瞬間移動』を使ってやる権利を提案したのだが、マルケス伯爵は『善治郎をマルケス伯爵領へ招待すること』を希望した。
抜け目のない提案と言えるだろう。カープァ王国でも有数の富裕貴族であるマルケス伯爵にとって、『瞬間移動』の正規料金はそこまでの負担ではない。
それよりも、善治郎をマルケス伯爵領に招くことが出来れば、以後は善治郎の『瞬間移動』で、王都からマルケス伯爵領へ飛ばしてもらうことが可能になる。
王都に住む貴族が緊急で地元に帰還したいという事態が生じた時、それを希望するのは自分ひとりというケースはレアだ。その場合、国内だけでも十数か所への『瞬間移動』が可能な女王アウラに『瞬間移動』をかけてもらおうと思えば、ライバルが多すぎる。
一方、善治郎は今日まで王都から一歩も外に出たことのない身。今度、ララ侯爵領に飛ぶという話は出ているが、それでもライバルは一家だけだ。王都に住む貴族たちが並ぶであろう女王アウラの列に並ぶよりは、はるかに早く飛ばして貰うことが出来るはずだ。
ともあれ、その辺りの交渉は女王アウラとマルケス伯爵の間で行われる話だ。当事者であっても、善治郎とオクタビア夫人には関係のない話である。
いつも通り、淑女の見本のような笑みを浮かべたまま、オクタビア夫人は口を開く。
「全てはゼンジロウ様の努力の成果ですが、私がその努力を支える一助となったとすれば、これに勝る喜びはございません。
ところで、ゼンジロウ様。数日前アウラ陛下より連絡が入り、講義の内容について少々変更があったのですが、それについてはご存知でしょうか?」
「ああ、私もアウラ陛下より聞いている。問題ない」
善治郎の答えに、オクタビア夫人は一度笑みを深めると、
「分かりました。では、本日は予定を変更して、『アルヴェ王国』と『トゥカーレ王国』について、ご説明させていただきます。まず基本として『アルヴェ王国』の血統魔法は『反発魔法』、『トゥカーレ王国』の血統魔法は『解得魔法』となっております。それぞれの特徴は……」
そう言っていつも通り、聞き取りやすい丁寧な口調で説明を続けるのだった。
一通り、オクタビア夫人から二国について説明を受けた善治郎は、頭の中で情報を整理しながら、口を開く。
「なるほど、大筋は分かった。『アルヴェ王国』は我が国と国境を接する北の国で、接しているのが、ララ侯爵領なのだな。その『アルヴェ王国』のさらに北にあるのが『トゥカーレ王国』。我が国は、先の大戦のおり、両国と敵対していた、と」
「はい。ただし、実際に戦火を交えた回数は非常に少なかったと聞いております。特にトゥカーレ王国とは、ただの一度も戦場では相対しておりません。事実上の戦場は交渉の場であった、と」
その数少ない実際の戦場でも、交渉という名の主戦場でも前面に立ったのがララ侯爵だという。
しかも、ララ侯爵領軍の一部は、アウラ王女に貸し出していた状態で、国土を守り抜いたというのだから、なるほどプジョル将軍に並び称されるわけだ。
ただし、実際の戦場よりも交渉の戦場での決着が多かったため、一般的な知名度はプジョル将軍ほど高くない。
そうした事情を、簡易地図を見ながら説明を受けた善治郎は、少し首を傾げる。
「我が国とアルヴェ王国は、緩衝地帯を持たずに直接国境を接しているのだな」
南大陸は、強力な竜種が蔓延る地だ。中には、軍でも討伐をあきらめるレベルの竜種も存在するという。人類の生存権は竜種との兼ね合いもあり、国と国との間に、どちらの国の領土でもない領域を挟んでいることが多い。
だが、この地図を見る限り、カープァ王国とアルヴェ王国、アルヴェ王国とトゥカーレ王国はそうした自然の緩衝地帯を挟むことなく、隣接しているように見える。
善治郎の問いに、オクタビア夫人は困ったように口を噤んでいたが、やがて少し言いづらそうにその口を開く。
「国際社会では、アルヴェ王国そのものが緩衝地帯だと言われています。我が国も、トゥカーレ王国も、南大陸西部で一、二を争う大国ですから」
「ああ、そういうことか。当然、アルヴェ王国は小国なのだな」
オクタビア夫人の説明に、善治郎は納得した。大国同士、国土を隣接させるのは、いろいろと大変だ。お互いメンツがあるため、譲りづらく、必然的に摩擦が大きくなる。
それならば、いっそ間に小国を生かしておいた方が、長い目で見れば国益にかなう。
アルヴェ王国は、そんな二つの大国の思惑から、先の大戦を生き延びた小国ということらしい。
「…………」
善治郎の感想は、「呼ばれたのがアルヴェ王国じゃなくてよかった」に尽きる。どう考えても、アルヴェ王国の王族が、幸せな日々を過ごしているビジョンが見えてこない。
自動的に進む想像力に、一時的な蓋をして、善治郎はオクタビア夫人に問いかける。
「先の大戦では、アルヴェ王国と我が国は、数は少ないとはいえ矛を交えたのだろう。そしてトゥカーレ王国は、直接戦火を交えはしなかったが、明確に敵国だった。ということは、アルヴェ王国は『緩衝地帯』ではあっても、トゥカーレ王国よりだということか?」
善治郎の問いを、オクタビア夫人は肯定する。
「はい、左様でございます。正確に申し上げれば、戦中はそうであったというべきでしょうか。戦後、ララ侯爵の尽力もあり、今ではトゥカーレ王国よりの中立ぐらいまで持ち直してると聞きます」
本当のところは、ララ侯爵の努力と、トゥカーレ王国上層部の思惑が一致したというべきらしい。トゥカーレ王国としても、アルヴェ王国が完全に自国の傘下となるのは遠慮したいらしい。賠償金で借金まみれ、戦争被害で難民多数の国を傘下に入れるのは、利益よりも不利益が大きいと判断するのも当然だろう。
ただし、下手に追い詰めすぎてアルヴェ王国がどこかの第三国を頼ってしまっては元も来ない。
カープァ王国にとっても、トゥカーレ王国にとっても、アルヴェ王国は、どこのひも付きでもない独立国として、そこに存在すること自体が存在価値なのだ。
「なるほど、そういう経緯があるのか。アウラ陛下が、ララ侯爵領を訪れるならば、事前にアルヴェ王国とトゥカーレ王国について学べ、と仰ったのは単なる隣国というだけではないのだな」
「はい。その上隣国ということもあり、ララ侯爵領にはアルヴェ王国の商人も少数ですが出入りしております」
直接戦火を交えたアルヴェ王国とは、民間レベルでの貿易を許しているのに、大戦中最後まで一度も戦火を交えることのなかったトゥカーレ王国とは、表向きは完全に国交を断絶しているという。
カープァ王国から見た、脅威度の違いが分かるというものだ。
「もっともゼンジロウ様は、『瞬間移動』で行き来して、ほんの数日滞在するだけです。いくら国境を接しているとは言っても、アルヴェ王国や、ましてやトゥカーレ王国の人間と接触する可能性はないと思いますが」
「それもそうだな」
オクタビア夫人の言葉に、善治郎も少し肩の力を抜いて、同意するのだった。